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オッチギン(囲炉裏の主)とは?チンギス・ハンの息子トルイと末子相続のしくみ

モンゴルの「オッチギン(囲炉裏の主)」は、遊牧社会で父母のもとに最後まで残り、本営や家畜、直属の家臣などを受け継いだ人のことです。オッチギンになるのは正妻の末子。オッチギンの立場やトルイやテムゲの事例を通して詳しく紹介します。

 

この記事で分かること

  • オッチギンが父母の本営や財産を受け継いだ理由
  • 正妻の末子がオッチギンになる基本的な仕組み
  • 「囲炉裏の主」「炉を守る者」と訳される背景
  • トルイの家産相続とオゴタイのカアン位継承の違い

 

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オッチギンとは何?

父の財産を相続する末の息子

オッチギンとは父母のもとに最後まで残り父の天幕、本営、家畜、直属の家臣や従属民などを受け継ぐ末子のことです。

本営
遊牧民社会では父である家長が暮らし、家族・家臣・家畜をまとめていた場所。遊牧民は家長の天幕を中心に、妻たちの天幕、子ども、家臣、護衛、使用人、家畜の群れが集まって、一つの集団を作っていました。その中心になる場所を本営と呼んでいます。

 

遊牧社会では息子が結婚すると父から家畜や人々を分け与えられ、自分の世帯を作りました。長男から順番に父母のもとを離れていき、最後まで残った末子が両親の生活を支えます。その後、末子は父母が使っていた天幕とまだ分けられずに残っていた財産を受け継ぎました。

有力な首長の家では末子が受け取るものは家畜だけではなく、父の本営、その周辺の牧地、直属の家臣、従属民、軍の一部も引き継ぎました。

そのためオッチギンは家族の末子であると同時に父の本拠地を受け継ぐ立場にもなりました。

チンギス・ハンと正妻ボルテの息子たちの中では四男トルイがオッチギンにあたります。トルイはチンギス・ハンの死後にモンゴル高原の本領、本営、直属軍、家臣や家畜の多くを受け継ぎました。

一方、モンゴル帝国のカアン位を継いだのは三男オゴタイです。父の家産と本営を受け継ぐことと、帝国の君主になることは意味が違います。

オッチギンが相続できるのは家の中のもの個人的な財産のみで。社会的な地位までは世襲できないのです。

 

原則としてオッチギンになるのは正妻の子

オッチギンは有力者の家では正妻の息子たちの中の末子が担う立場です。

チンギス・ハンの家では、正妻ボルテの四男トルイがオッチギンにあたります。側室にトルイより年下の息子がいますが、その息子がチンギス・ハンの財産を受け継いだわけではありません。

確かに側室の息子にも、家畜、牧地、配下、軍などが与えられることはありました。でもその分配は父から個別に与えられるものでした。残ったものをそっくりもらえるわけではありません。

一般の遊牧民の家庭では家ごとの事情があったとは思いますが、有力者の家では基本的に正妻の息子が引き継ぎます。

 

「囲炉裏の主」と訳される理由

オッチギンは日本語では「囲炉裏の主」や「炉を守る者」と訳されます。

遊牧民が暮らす天幕では中央の炉が食事や暖房に使われ、家族の暮らしの中心に置かれていました。炉を受け継ぐことは、父母が暮らした天幕と家を受け継ぐことにつながります。

そのため炉を守る末子という意味から、オッチギンには父母の家と本営を継ぐ者という意味が含まれていました。

テムゲ・オッチギンとトルイ

オッチギンという呼び名でよく知られている人物にチンギス・ハンの弟テムゲがいます。

テムゲは父イェスゲイの家の末子だったため、テムゲ・オッチギンと呼ばれました。チンギス・ハンの遠征中には母ホエルンとともに東方の本領を管理しています。

その次の世代では、チンギス・ハンの四男トルイがオッチギンになりました。

 

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遊牧社会ではなぜ兄たちが父母のもとを離れるの?

結婚した息子は独立する

遊牧社会では息子が結婚すると父から家畜や配下の人々を分け与えられました。

息子は妻子とともに自分の天幕を持ち独立した世帯として暮らし始めます。父が亡くなった後に財産をまとめて分ける形ではなく、息子が成人して家庭を持つたびに少しずつ分けていたのです。

つまり生前贈与していたわけです。

年長の息子ほど早く成人して早い時期に父母のもとを離れます。その後、弟たちも順番に家畜や人々を受け取り自分の世帯を作りました。

最後まで父母のもとに残ったのが末子です。末子は両親の老後を支えながら暮らし、父母が亡くなった後には残された財産を受け継ぎました。

 

家畜を同じ場所に集め続けられなかった

息子たちが別々の場所へ移った理由としては遊牧生活ならではの事情もありました。

羊や馬などの家畜を一つの牧地に集め続けると、草や水が不足します。家畜が増えれば、それだけ広い牧地が必要になります。

そこで成長した息子たちは父から家畜を分けてもらい、別の地域へ移って生活しました。兄弟が家畜を分けて、違う牧地を使うのは暮らしを続けるための理由があったのです。

もっとも、別々に暮らし始めた兄弟が縁を切ったわけではありません。戦争や大規模な移動、婚姻などの場面では兄弟や親族が協力することもありました。

 

長男が外側、弟たちが本営に近い場所を受け取った

年長の息子は早い時期に独立するため、父の本営から比較的離れた地域へ移ります。

その後に独立する弟たちは兄たちよりも本営に近い地域を受け取ります。末子は父母のもとに残るため、家の中心となる本営とその周辺を引き継ぎました。

配置を簡単に表すと、次のようになります。

父母の本営―末子―弟たち―長男 遠い

これは距離を性格に定めた規則というより、兄弟の中での相対的な位置関係を表したものです。

農耕民族では長男が家を受け継ぎ、弟たちが外へ出るのが一般的でしたが。そのイメージで見ると意外に感じるかもしれません。遊牧社会では早く独立した兄ほど外側へ移り、最後まで残った末子が本営を受け継ぐ形になりました。

 

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末子が受け継ぐもの

父母の天幕と家畜

末子は父母と最後まで暮らし、両親の老後を支えました。

その代わりに父母が使っていた天幕と、最後まで本営に残された家畜を受け継ぎます。父母の天幕は家族が長く暮らしてきた場所であり、家の中心でもありました。

本営周辺の牧地

末子は父の本拠地に残るため本営周辺の牧地も受け継ぎました。

遊牧民にとって牧地は家畜を育て生活を続けるために欠かせません。本営周辺の地域は父母が暮らした場所であり一族の中心地でもありました。

チンギス・ハン家の場合、トルイは征服地の外側を与えられた兄たちとは異なり、モンゴル高原の中心部を引き継ぐ立場になりました。

直属の家臣や軍

有力な首長の家では末子は天幕や家畜だけでなく、父に直属していた家臣、従属民、軍の一部も末子に渡されました。

大きな勢力を率いた人物の末子であれば、父の死後にかなりの人数を管理することになります。

そのため、オッチギンは財産を受け継いだというだけでなく、兵や人々を率いる立場になることもありました。

トルイが大きな軍事力を持ったのも末子として父の直属軍を受け継いだことが関係しています。

 

チンギス・ハンの息子たちへの分配

長男ジョチは西方を受け持った

ジョチは、チンギス・ハンとボルテの長男です。

年長の息子であるジョチは征服地の西側を受け持ちました。チンギス・ハンの本営から見ると、兄弟の中では一番遠く、最も外側に位置する地域です。

遊牧社会では早く独立した年長の息子ほど本営から離れた地域へ移る傾向がありました。ジョチの領域も、遊牧民社会の伝統どおりというわけです。

 

次男チャガタイは中央アジア方面を受け持った

次男チャガタイは、ジョチの領域より東側に位置する中央アジア方面を受け持ちました。

兄弟の中では、長男ジョチと三男オゴタイの領域の間にあたります。チャガタイも自分の家族や配下を持ち独立した勢力を形成しました。

三男オゴタイは後継者に選ばれた

三男オゴタイはチンギス・ハンからモンゴル帝国の後継者に指名されました。

チンギス・ハンの死後、オゴタイは皇族や有力者が集まるクリルタイを経てカアンに選ばれます。

オゴタイが受け継いだものはモンゴル帝国を統治する君主の地位です。父の本営や家産を受け継ぐ末子の立場とは受け継ぐ対象が異なっていました。

四男トルイは父の本領を受け継いだ

トルイは正妻ボルテが産んだ四人の息子の末子でした。

そのためトルイはチンギス・ハンの本営、モンゴル高原中央部の本領、直属の人々、軍、家畜などを受け継ぎました。

兄たちが西方や中央アジア方面の地域を受け持ったのに対しトルイは父が本拠地にしていたモンゴル本土に残ります。

チンギス・ハン家のオッチギンとして、父の家と本営を守る立場を引き継いだのです。

 

トルイは財産を受け継いでも王位は受け継がなかった

家産相続と君主位継承は別

オッチギンが受け継ぐのは、父の天幕、本領、家畜、直属の家臣や軍です。

モンゴル帝国のカアン位は、末子だからといって自動的に決まる地位ではありませんでした。

トルイはチンギス・ハン家の財産と本営を引き継ぎましたが、モンゴル帝国皇帝の地位は受け継いでいません。

2代皇帝になったのは三男オゴタイです。彼は父チンギス・ハンから後継者に指名され、クリルタイを経て正式に皇帝になりました。

家の財産を継ぐ人物と、帝国の君主になる人物が別だったため、トルイが大きな軍を持ちながら、オゴタイが第二代カアンになるという形が生まれたのです。

 

なぜトルイは大きな力を持てたのか

本領と直属軍を持っていた

トルイは、モンゴル本土の中心部と、父の直属軍の多くを受け継ぎました。

カアンの地位はオゴタイが継ぎましたが、トルイのもとにはチンギス・ハンが直接支配していた人々や軍が残りました。そのため、トルイは帝国内で強い発言力を持つことになります。

遊牧社会の末子相続では、外側に広い領域を持つことだけが力につながるとは限りません。本営と直属の人々を受け継ぐことも、大きな力になったのでしょう。

トルイ家が後の帝国を主導した

トルイの子には、モンケ、クビライ、フレグ、アリクブケがいます。

モンケは第四代カアンになりました。クビライは第五代カアンとなり、元を建てます。フレグは西アジアへ進み、イルハン朝を建てました。

アリクブケもモンゴル高原を拠点として活動しています。

トルイが受け継いだ本領や直属軍、家臣たちは、子どもたちの活動を支えた可能性があります。トルイ家の子孫が帝国各地で大きな勢力を築いた背景を考えるとき、オッチギンとして受け継いだ財産は無視できないでしょう。

 

オッチギンと皇位継承は違う

「末子が父の財産を継ぐ」と聞くと、末子が父の地位もすべて引き継ぐように感じるかもしれません。

でもモンゴル帝国では父の家産と帝国の君主位は違う方法で継承されました。

トルイが受け継いだのは、チンギス・ハン家の財産だけです。でも皇帝の地位はチンギス・ハン家だけの都合では決められません。他の有力者や部族長の意見も重要ですし、納得のいくものにしないといけません。

そこで人の意見を聞き調整能力のあるオゴタイが選ばれたのでしょう。

日本の相続感覚から見ると少し複雑ですが、家の財産を受け継ぐ者と公的な地位を受け継ぐものは違う。とおぼえておくと良いと思います。

 

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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運営者SNS: X(旧Twitter)

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