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モンゴル帝国 皇帝一覧:チンギス・カンから最後のハーンまで

モンゴル帝国の皇帝は、チンギス・カンから始まり、元朝の皇帝、さらに北元やチャハル部のハーンへと続いていきます。

この記事では1206年に即位したチンギス・カンから1635年に清に降伏したエジェイ・ハーンまで、歴代君主の順番・在位期間・時代ごとの位置づけを紹介します。

 

この記事で分かること

  • モンゴル帝国の歴代皇帝・ハーンの一覧
  • 大モンゴル国、元朝、北元、分裂期の流れ
  • カン・カアン・ハーンの表記や意味の違い
  • チンギス・カン、クビライ、ダヤン・ハーンなど重要人物の位置づけ

 

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モンゴル帝国の皇帝とは?

モンゴルのハーン 400年の歴史

モンゴル帝国の皇帝と聞くと、まず思い浮かぶのはチンギス・カンですね。

しかし、チンギス・カンの死後もモンゴルの君主は長く続きました。オゴデイ、グユク、モンケ、クビライの時代には、モンゴル帝国はユーラシア大陸の広い地域に影響を及ぼしました。その後、クビライが中国王朝としての元を建て、さらに元が大都を失ったあとも、モンゴル高原ではハーンの系統が続きます。

この記事では、1206年にチンギス・カンが大モンゴル国を建国してから1635年にエジェイ・ハーンが清に降るまでの歴代君主を紹介します。

途中には正式な皇帝ではなく、皇帝不在の時期に政務を担った「監国」も登場します。ドレゲネやオグルガイミシュのような女性の監国も、モンゴル帝国の政治を語るうえで重要な人物です。

 

「皇帝」「カン」「カアン」「ハーンの違い

モンゴル帝国の君主は、日本語では「皇帝」「カン」「カアン」「ハーン」など、いくつかの表記で紹介されます。

初代のチンギス・カンは「カン」と呼ばれます。第2代のオゴデイ以後は、基本的に「カアン」という大君主号が使われました。カアンは、複数のカンの上に立つ大君主という意味合いを持ちます。

14世紀以降になると、音の変化によって「カアン」は「ハーン」と表記されることが多くなります。そのため、同じ人物でも資料によって「クビライ・カアン」「クビライ・ハーン」「フビライ・ハン」のように書かれることがあります。

この記事では、読者が見分けやすいように、一般的な日本語表記を中心に紹介します。

 

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モンゴル帝国皇帝一覧

モンゴル帝国の歴代君主は、時代ごとに立場が大きく変わります。

前半のチンギス・カンからモンケまでは大モンゴル国の大ハーンとして広大な帝国をまとめる立場でした。

クビライ以後は中国王朝「元」の皇帝としての一面も持ちます。1368年に元が大都を失ったあとも、モンゴル高原では北元のハーンが続きました。

 

大モンゴル国の皇帝・監国

代数 廟号 皇帝号 名前 在位期間 説明
1 太祖 チンギス・カン テムジン 1206年〜1227年 モンゴル諸部をまとめ、大モンゴル国を建国しました。
監国     トルイ 1227年〜1229年 チンギス・カンの四男。オゴデイ即位まで政務を担いました。
2 太宗 カアン オゴデイ 1229年〜1241年 チンギス・カンの三男。金朝攻略や西方遠征を進めました。
監国     ドレゲネ 1241年〜1246年 オゴデイの第6夫人。グユク即位まで政務を担いました。
3 定宗 カン グユク 1246年〜1248年 オゴデイの長男。ドレゲネの支援を受けて即位しました。
監国     オグルガイミシュ 1248年〜1251年 グユクの皇后。グユク死後、モンケ即位まで政務を担いました。
4 憲宗 カアン モンケ 1251年〜1259年 トルイの長男。トルイ家から出た大ハーンで、帝国の主導権はオゴデイ家からトルイ家へ移りました。

 

元朝の皇帝

代数 廟号 皇帝号 名前 在位期間 説明
5 世祖 セチェン・カアン クビライ 1260年〜1294年 トルイの四男。国号を大元とし、中国王朝としての元を作りました。
対立   カアン アリクブケ 1260年〜1264年 トルイの六男。クビライと帝位を争いました。
6 成宗 オルジェイトゥ・カアン テムル 1294年〜1307年 クビライの皇太子チンキムの子孫。クビライの後を継ぎました。
7 武宗 クルク・カアン カイシャン 1307年〜1311年 チンキムの子ダルマバラの子。成宗テムルの甥にあたります。
8 仁宗 ブヤント・カアン アユルバルワダ 1311年〜1320年 ダルマバラの次男。武宗カイシャンの弟です。
9 英宗 ゲゲーン・カアン シデバラ 1320年〜1323年 アユルバルワダの長男。若くして即位しました。
10   カアン イェスン・テムル 1323年〜1328年 カマラの長男。泰定帝とも呼ばれます。
11   カアン アリギバ 1328年 イェスン・テムルの長男。天順帝とも呼ばれます。
12 文宗 ジャヤガトゥ・カアン トク・テムル 1328年〜1329年 カイシャンの次男。のちに復位します。
13 明宗 クトクト・カアン コシラ 1329年 カイシャンの長男。トク・テムルの兄です。
復位 文宗 ジャヤガトゥ・カアン トク・テムル 1329年〜1332年 二度目の即位。
14 寧宗 カアン イリンジバル 1332年 コシラの次男。短い在位でした。
15 恵宗 ウカアト・カアン トゴン・テムル 1333年〜1370年 コシラの長男。1368年に大都を失い、北へ退きました。

 

北元のハーン

代数 皇帝号 名前 在位期間 説明
16 ビリクト・ハーン アユルシリダラ 1370年〜1378年 トゴン・テムルの子。北元の君主として明と対立しました。
17 ウスハル・ハーン トグス・テムル 1378年〜1388年 アユルシリダラの弟。北元のハーンとして在位しました。
18 ジョリグト・ハーン イェスデル 1388年〜1391年 アリクブケ家出身とされます。
19 ジョリグト・ハーン エンケ 1391年〜1394年 イェスデルの長男。オイラトが擁立したとされます。
20 ニグレスクチ・ハーン エルベク 1394年〜1399年 アユルシリダラの長男とされます。
21 ハーン クン・テムル 1399年〜1402年 アリクブケ家出身。オイラトが擁立したとされます。

 

分裂期のハーン

代数 皇帝号 名前 在位期間 説明
22 ハーン オルク・テムル 1402年〜1408年 鬼力赤とも書かれます。オゴデイ家出身とされ、アスト部のアルクタイ・タイシが擁立しました。
23 ハーン オルジェイ・テムル 1408年〜1412年 プンヤシュリーとも呼ばれます。エルベク・ハーンの長男です。
24 ハーン ダルバク 1412年〜1415年 オルジェイ・テムルの子。オイラトのマフムードが擁立しました。
25 ハーン オイラダイ 1415年〜1425年 四オイラトのケレヌート部に関わる人物とされます。
26 ハーン アダイ 1425年〜1438年 オルク・テムルの子とされます。
27 タイスン・ハーン トクトア・ブハ 1438年〜1452年 アジャイ太子の長男。オイラトのトゴン・タイシが擁立しました。
28 ハーン アクバルジ 1452年 タイスン・ハーンの弟です。
29 大元天盛大可汗 エセン 1453年〜1454年 オイラト出身。チンギス家ではない人物がハーン位を奪いました。
30 ウケクト・ハーン マルコルギス 1455年〜1465年 タイスン・ハーンの子。ボライ・タイシが擁立しました。
31 ハーン モーラン 1465年〜1466年 タイスン・ハーンの子です。
32 ハーン マンドゥールン 1475年〜1479年 タイスン・ハーンやアクバルジの弟とされます。

 

ダヤン・ハーン以後のチャハル部のハーン

代数 皇帝号 名前 在位期間 説明
33 ハーン バヤン・モンケ 1480年〜1487年 アクバルジ晋王の孫とされます。
34 ダヤン・ハーン バトゥ・モンケ 1487年〜1524年 分裂していたモンゴル諸部を再びまとめようとした重要人物です。
35 サイン・アラク・ハーン バルス・ボラト 1524年 ダヤン・ハーンの三男です。
36 アラク・ハーン ボディ 1524年〜1547年 ダヤン・ハーンの孫。このあたりからチャハル部長としての性格が強まります。
37 ゴデン・ハーン ダライスン 1548年〜1557年 ボディ・アラクの長男です。
38 ジャサクト・ハーン トゥメン 1558年〜1592年 ダライスンの長男です。
39 セチェン・ハーン ブヤン 1593年〜1603年 トゥメンの長男です。
40 フトゥクト・ハーン リンダン 1603年〜1634年 ブヤンの孫。清と対立した最後の有力ハーンです。
41 ホンゴル・ハーン エジェイ 1634年〜1635年 リンダン・ハーンの子。清に降り、モンゴル高原の独立した大ハーン権力は終わりを迎えました。

 

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モンゴル帝国の時代区分

大モンゴル国の時代:1206年〜1260年ごろ

1206年、テムジンはモンゴル諸部をまとめ、チンギス・カンとなりました。ここから大モンゴル国の歴史が始まります。

チンギス・カンは、血縁だけに頼らず、能力のある人物を軍や政治に用いました。さらに、息子たちに領地や役割を分け、帝国を家族全体で支える体制を作りました。

チンギス・カンの死後、すぐにオゴデイが即位したわけではありません。四男のトルイが一時的に政務を担いました。その後、1229年にオゴデイが第2代カアンとなります。

オゴデイの時代には、金朝の滅亡や西方遠征が進み、モンゴル帝国はさらに広がりました。ただし、帝国が大きくなるほど、チンギス家の各家系の利害も複雑になっていきます。

 

元朝の時代:1260年〜1368年

モンケの死後、クビライとアリクブケが大ハーン位を争いました。クビライは中国方面を基盤にし、アリクブケはモンゴル本土を背景にしていました。

この争いに勝ったクビライは国号を「大元」と定めました。ここからモンゴルの大ハーンは中国王朝の皇帝でもあるという立場になります。

クビライの元は南宋を滅ぼして中国全土を支配しました。元の皇帝たちはモンゴルの伝統と中国王朝の制度の両方を使って国を治めました。

しかし、クビライの死後は皇位継承が安定せず短い在位の皇帝も増えました。1320年代には皇帝の交代が続き宮廷内部の争いも激しくなります。

 

北元とモンゴル高原の時代:1368年〜1635年

1368年、明の軍が大都を攻め、トゴン・テムルは北へ退きました。中国王朝としての元の支配はここで終わります。

ただし、モンゴル高原ではトゴン・テムルの子孫やチンギス家の一族がハーン位を保ちました。この時代を北元と呼びます。

北元のハーンたちは明と対立しながらモンゴル高原で権威を保とうとしました。しかしオイラトやアスト部などの有力勢力が力を増してハーンは彼らの支援を受けることが多くなります。

15世紀には、オイラトのエセンがハーン位を奪いました。これはチンギス家ではない人物が大ハーンを名乗った重要な出来事です。

その後、ダヤン・ハーンが登場。分かれていたモンゴル諸部を再びまとめようとしました。ダヤン・ハーン以後、ハーン位はチャハル部の長として続いていきます。

そして1635年。エジェイが清朝に降伏。こうしてモンゴルのハーンの系譜は途絶えることになります。以後は清朝の皇帝が遊牧民の君主・ハーンを兼ねることになります。

 

歴代皇帝で特に重要な人物

チンギス・カン:大モンゴル国を建てた初代皇帝

チンギス・カンの本名はテムジンです。彼はモンゴル高原の諸部族をまとめ、1206年に大モンゴル国を建てました。

それ以前のモンゴル高原では、部族ごとの争いが続いていました。テムジンは同盟、戦争、婚姻関係を通じて勢力を広げ、最後には大ハーンとして認められます。

チンギス・カンは、モンゴル帝国の出発点となった人物です。彼の子孫であるチンギス家は、その後もハーン位の正統性を支える血筋となりました。

 

オゴデイ:帝国を大きく広げた第2代カアン

オゴデイはチンギス・カンの三男です。チンギス・カンの死後、トルイの監国期間を経て、第2代カアンになりました。

オゴデイの時代には、金朝との戦いが進み、西方への遠征も行われました。モンゴル帝国は、彼の時代にさらに広大な地域へ影響を及ぼします。

一方で、オゴデイの死後には後継者をめぐる問題が起こりました。ここで政務を担ったのが、オゴデイの妃ドレゲネです。

 

ドレゲネ:グユク即位まで政務を担った女性

ドレゲネは、オゴデイの妃です。オゴデイが亡くなると、彼女はグユクが即位するまで監国として政務を担いました。

正式な皇帝ではありませんが、ドレゲネはモンゴル帝国の人事や政治に大きく関わりました。グユクを即位させるために動いた人物としても知られます。

モンゴル帝国では、皇帝の妃や母が政治に関わることがありました。ドレゲネの存在は、遊牧国家の政治で女性が重要な役割を持つことを示しています。

 

モンケ:トルイ家の力を強めた第4代カアン

モンケはトルイの長男です。1251年に第4代カアンとなりました。

モンケの即位によって帝国の中心はオゴデイ家からトルイ家へ移りました。これはモンゴル帝国の歴史で大きな変化です。

モンケの弟には、クビライ、フレグ、アリクブケがいます。クビライはのちに元朝を建て、フレグは西アジア方面でイルハン朝のもとになる政権を築きました。

 

クビライ:元朝を建てたモンゴル皇帝

クビライはトルイの四男です。モンケの死後、弟のアリクブケと大ハーン位を争いました。

この争いに勝ったクビライは中国方面での支配を強め国号を大元としました。彼はモンゴル帝国の大ハーンであると同時に、中国王朝の皇帝でもありました。

クビライの時代に元は南宋を滅ぼし、中国全土を支配します。そのため、クビライはモンゴル史と中国史の両方で大きな存在です。

 

トゴン・テムル:元の中国支配を失った皇帝

トゴン・テムルは、元の最後の皇帝として知られます。中国史では元の恵宗とも呼ばれます。

彼の時代には各地で反乱が広がり、朱元璋が建てた明が力を増しました。1368年、明の軍が大都へ迫ると、トゴン・テムルは北へ退きます。

中国王朝としての元はここで終わりました。しかし、トゴン・テムルの系統はモンゴル高原でハーン位を保ち、北元の歴史へ続いていきます。

 

ダヤン・ハーン:分かれたモンゴル諸部を再びまとめようとした人物

ダヤン・ハーンは、15世紀末から16世紀前半にかけて活躍したハーンです。名前はバトゥ・モンケといいます。

彼の時代、モンゴル高原ではハーンの権威が弱まり、有力部族やオイラトの影響が強くなっていました。ダヤン・ハーンはチンギス家の権威を立て直し、モンゴル諸部を再びまとめようとしました。

ダヤン・ハーン以後、ハーン位はチャハル部と深く結びついていきます。

 

リンダン・ハーン:清と対立した最後の有力ハーン

リンダン・ハーンはモンゴル・チャハル部のハーンです。17世紀前半に満洲で勢力を伸ばした後金、のちの清と対立しました。

リンダン・ハーンはモンゴル諸部をまとめようとしましたが、すべての部族を従わせることはできませんでした。多くのモンゴル諸部は清のホンタイジ側へ接近していきます。

リンダン・ハーンの死後、子のエジェイ・ハーンは清に降伏しました。これにより、チンギス・カン以来の大ハーンの系統は、独立した政治権力としての役割を終えることになります。

 

カン・カアン・ハーンの違い

モンゴルの君主号は、時代や地域によって表記が変わります。

「カン」は、モンゴルやテュルク系の君主号として広く使われました。チンギス・カンの「カン」もこの系統です。

「カアン」は、複数のカンの上に立つ大君主を意味する称号です。オゴデイ以後のモンゴル帝国の君主は、基本的にカアンと呼ばれました。

「ハーン」は、後の時代の音の変化を反映した表記です。日本語では「チンギス・ハン」「フビライ・ハン」のように書かれることもあります。

つまり、「カン」「カアン」「ハーン」は別の王朝名ではなく、同じモンゴル君主号の時代差や表記差として理解すると分かりやすいです。

 

モンゴル帝国皇帝一覧から分かること

皇帝位は長男が自動的に継ぐ制度ではなかった

モンゴル帝国では、皇帝位が父から長男へそのまま移るとは限りませんでした。チンギス家の有力者たちが集まり、後継者を認める必要がありました。

そのため、オゴデイ家、トルイ家、アリクブケ家などのあいだで争いが起こりました。クビライとアリクブケの争いは、その代表的な例です。

この点は、中国王朝の皇太子制度とは大きく違います。モンゴル帝国では、血筋だけでなく、有力者の支持と軍事力が重要でした。

女性の監国が政治を動かした

モンゴル帝国では、皇帝が亡くなったあと、次の皇帝が決まるまで監国が政務を担うことがありました。

トルイはチンギス・カンの死後に監国となりました。オゴデイの死後にはドレゲネ、グユクの死後にはオグルガイミシュが監国となります。

ドレゲネとオグルガイミシュは女性です。彼女たちは皇后や皇帝の母として、皇位継承や人事に関わりました。モンゴル帝国の政治を見るとき、女性の役割を抜きにして語ることはできません。

元が滅んでもモンゴルのハーン位は続いた

1368年に元は大都を失いました。中国王朝としての元はここで終わります。

しかし、モンゴル高原ではハーン位が続きました。トゴン・テムルの子アユルシリダラ、その後のトグス・テムル、さらに北元の諸ハーンへと続きます。

そのため、「元の滅亡」と「モンゴルのハーン位の終わり」は同じではありません。広い意味で見ると、チンギス・カン以来の大ハーンの系統は、1635年にエジェイ・ハーンが清に降るまで続いたと見ることができます。

 

モンゴル帝国皇帝一覧のFAQ

モンゴル帝国の初代皇帝は誰ですか?

初代はチンギス・カンです。本名はテムジンです。1206年にモンゴル諸部をまとめ、大モンゴル国を建てました。

モンゴル帝国で有名な皇帝は誰ですか?

特に有名なのは、初代チンギス・カンと、元を建てたクビライです。チンギス・カンは帝国の創始者で、クビライは中国王朝としての元を作った人物です。

元の初代皇帝は誰ですか?

元の初代皇帝はクビライです。モンゴル帝国全体の君主としては第5代カアンにあたります。

モンゴル帝国の最後の皇帝は誰ですか?

広い意味では、エジェイ・ハーンを最後のハーンと見ることがあります。エジェイはリンダン・ハーンの子で、1635年に清へ降りました。

ドレゲネはモンゴル帝国の皇帝ですか?

ドレゲネは正式な皇帝ではなく、監国です。オゴデイの死後、グユクが即位するまで政務を担いました。ただし、当時の政治に大きな影響を持った人物です。

 

 

モンゴル帝国・元
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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

著者 自画像

京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

運営者SNS: X(旧Twitter)

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