中国ドラマ『女医明妃伝~雪の日の誓い~』には、明英宗・朱祁鎮、景泰帝・朱祁鈺、銭皇后、オイラトのエセンなど、歴史上に実在した人物が数多く登場します。
さらに、朱祁鎮がオイラトとの戦争で捕虜になり、弟の朱祁鈺が皇帝になるという大事件も本当に起きました。
ここまで史実に沿った人物や事件が出てくると、「允賢も実在したの?」「本当に朱祁鎮と朱祁鈺の二人から愛されたの?」「景泰帝の妃になったの?」と気になりますよね。
結論からいうと、『女医明妃伝』は史実をもとに作られたフィクションです。
主人公の允賢には、実在した女性医師・談允賢の経歴が使われています。しかし、談允賢は景泰帝・朱祁鈺が亡くなった後に生まれました。そのため、皇帝兄弟との恋愛はドラマの創作です。
さらに允賢が朱祁鈺の妃となる設定には、実際に景泰帝の皇后となった杭氏の経歴が取り入れられています。
この記事では、『女医明妃伝』のどこまでが史実で、どこからがドラマの創作なのかを紹介します。
女医明妃伝は実話?どこまで本当なの?
『女医明妃伝』には、実在人物と明朝で本当に起きた事件が数多く登場します。
主人公のモデルとなった談允賢は実在した女性医師です。朱祁鎮と朱祁鈺も実在した皇帝ですし、銭皇后、汪皇后、杭皇后、エセンも歴史上の人物です。
1449年に朱祁鎮がオイラトとの戦争で捕虜になった土木の変も実際に起きました。その後、弟の朱祁鈺が皇帝となり、帰国した朱祁鎮が太上皇となったこと、1457年に朱祁鎮が再び皇帝になったことも史実です。
一方、允賢と朱祁鎮、朱祁鈺の恋愛は創作です。
実在した談允賢は1461年生まれです。朱祁鈺は1457年に亡くなっているため、二人が出会うことはありませんでした。朱祁鎮も1464年に亡くなっているので、談允賢が幼児だったころに亡くなっています。
ドラマでは実際に起きた政治事件の中に允賢を登場させ、皇帝兄弟との恋愛を加えて物語を作っているんですね。
主人公・允賢は実在したの?
允賢のモデル・談允賢は本当にいた
ドラマの允賢は明朝時代に実在した女性医師・談允賢(だん・いんけん)がモデルになっています。
でも談允賢そのままの経歴や生涯を送ったわけではないので、一部変えて「譚允賢」という名前になっています。
談允賢は1461年、現在の江蘇省無錫に生まれました。
談家は医術と縁のある家で祖父の談復も医術を学んでいました。談允賢はとくに祖母の茹氏から医術を教わり若いころから医学を学びました。
成人した談允賢は女性を中心に患者を診察しました。
当時は女性が男性医師に体を診せることを嫌う家庭もありました。そのため女性医師に診察してもらいたいという需要があったんですね。
談允賢は自分が診察した患者の症状や治療について『女医雑言』という本に残しています。
『女医雑言』には31例の症例が記録され、月経に関係する病気、妊娠、流産、出産後の症状など、女性に関係する病気も多く紹介されています。
ドラマの允賢が女性患者を診察しながら医師として経験を積んでいく設定には、こうした談允賢の経歴が使われています。
ドラマと同じように祖母から医術を学んだ?
史実の談允賢は祖母から医術を教わりました。ドラマでも祖母が允賢の才能を認め、周囲に知られないように医術を教えます。允賢は祖母から受け継いだ知識を使って身近な女性たちを助けながら医師として成長していきます。
「祖母から医術を学んだ女性」という主人公の出発点には史実があるんですね。
でもドラマでは允賢の祖父が宮廷の事件で罪を着せられ、一族が譚姓から杭姓へ変えたという過去が設定されています。
実在した談允賢の一族が宮廷の事件に巻き込まれたという記録はありません。この部分はドラマの創作です。
談允賢は本当に宮廷で女医として働いた?
談允賢が患者を診察していたことは、本人が残した『女医雑言』から確認できます。
ただし、談允賢がドラマの允賢と同じように皇帝や皇后のそばで働いたという記録は残っていません。
『女医雑言』に記録されているのは、談允賢が診察した女性たちの症状や治療です。朱祁鎮や朱祁鈺の治療を担当したという記録もありません。
そもそも談允賢が生まれた時期を考えると、朱祁鈺の治療を担当することは不可能です。朱祁鈺は談允賢が生まれる4年前に亡くなっています。
ドラマでは談允賢の「女性医師」という経歴を使い、その允賢を15世紀前半の宮廷に登場させています。
朱祁鎮と允賢の恋は実話?
ドラマでは朱祁鎮が允賢にひかれ、何度も允賢を助けます。允賢も朱祁鎮と親しくなり、二人の関係は物語の大きな柱になっています。
この恋愛は創作です。
談允賢は1461年に生まれました。
朱祁鎮は1427年生まれなので、談允賢が生まれたときには34歳です。さらに朱祁鎮は1464年に亡くなりました。
つまり談允賢が2、3歳のころに朱祁鎮は亡くなっています。
二人の恋愛について詳しい記録が残っていないという話ではなく、年齢から考えてドラマのような関係は成立しません。
ドラマで描かれる朱祁鎮と允賢の出会いや恋愛、土木の変の後に一緒に苦難を経験する物語は創作です。
ただし、朱祁鎮自身の人生には史実がかなり使われています。
朱祁鎮が皇帝だったこと、1449年にオイラトとの戦争に出陣したこと、明軍が敗れて朱祁鎮本人が捕虜になったことは本当に起きました。
そのため朱祁鎮の部分は史実に近い出来事が続きますが、そこに允賢が同行するのは創作です。
朱祁鈺と允賢の結婚は実話?
談允賢が生まれる4年前に朱祁鈺は亡くなっている
朱祁鈺と允賢の恋愛もドラマの創作です。
こちらは年代を確認するとさらに明確です。
景泰帝・朱祁鈺は1457年に亡くなりました。
談允賢が生まれたのは1461年です。
朱祁鈺が亡くなった4年後に談允賢が生まれています。
二人は同じ時代に生きていません。
そのため、ドラマで描かれる「朱祁鈺が允賢を愛する」「允賢が朱祁鈺の妃になる」「允賢が皇后になる」という出来事は、談允賢本人の人生にはありません。
ところが、允賢が朱祁鈺の妃になる設定には別の実在女性が関係しています。
允賢が朱祁鈺の妃になる設定には杭氏の経歴が使われている
史実の朱祁鈺には杭氏という妃がいました。
杭氏は朱祁鈺の息子・朱見済の母です。
朱祁鈺には兄・朱祁鎮の息子である朱見深が皇太子としていました。しかし朱祁鈺は、自分の実子・朱見済を次の皇帝にしたいと考えるようになります。
1452年、朱祁鈺は朱見深を皇太子から外し、朱見済を新しい皇太子にしました。
当時の皇后だった汪氏は、この皇太子交代に反対しました。
朱祁鈺は汪皇后を廃し、朱見済の母だった杭氏を新しい皇后にしました。
つまり実際の景泰帝の宮廷では、
汪皇后が廃される
杭氏が新しい皇后になる
という出来事が本当に起きています。
ドラマでは、この杭氏の立場を允賢に与えています。
医術を学んだ允賢には談允賢の経歴を使い、朱祁鈺の妃となる允賢には杭氏の経歴を使ったのです。
この二人を一人のヒロインにしたことで、「女性医師の允賢が景泰帝の妃になる」というドラマ独自の物語が生まれました。
なぜ譚允賢から杭允賢になるの?
ドラマを見ていると、主人公が「譚允賢」と呼ばれたり「杭允賢」と呼ばれたりするので、姓が二つあることが気になるかもしれません。
劇中では允賢の一族が宮廷の事件に巻き込まれ、身を守るために姓を変えたという設定になっています。
そのため允賢には譚姓と杭姓の二つが登場します。
歴史上の談允賢が杭姓に変わったという記録はありません。
この「杭」という姓には、景泰帝の皇后だった杭氏との共通点があります。
ドラマでは允賢に杭姓を持たせ、さらに景泰帝の妃とすることで、実在した談允賢と杭氏の経歴を一人の主人公に結びつけています。
皇帝・朱祁鎮が捕虜になったのは本当?
土木の変は実際に起きた
ドラマ後半では、朱祁鎮がオイラトとの戦争に出陣し、明軍が敗れて皇帝自身が捕虜になります。
この事件は本当に起きました。
1449年、朱祁鎮はオイラトとの戦争に自ら出陣しました。
明軍は大軍でしたが、撤退する途中でオイラト軍の攻撃を受け、土木堡付近で大敗します。
この戦いで明の多くの高官や将軍が死亡し、皇帝の朱祁鎮までオイラト側に捕らえられました。
これが土木の変です。
一国の皇帝が敵軍の捕虜になるという、明朝にとって非常に大きな事件でした。
ドラマでは允賢も朱祁鎮とともにオイラト側に捕らえられますが、談允賢が土木の変に参加した記録はありません。
朱祁鎮が捕虜になったことは史実、允賢が一緒に行動する部分は創作です。
エセンも実在した人物
ドラマでオイラトを率いるエセンも実在しました。
漢字では「也先」と書きます。
エセンは当時のオイラトで大きな力を持っていた人物です。1449年には明軍を破り、皇帝の朱祁鎮を捕虜にしました。
ドラマでも土木の変と朱祁鎮の捕虜にエセンが関わります。この部分には史実があります。
その一方で、允賢とエセンが親しくなり、エセンが允賢に特別な思いを持つという物語は史料にはありません。
実在人物のエセンを使いながら、允賢との関係はドラマ用に作られているんですね。
朱祁鈺が兄に代わって皇帝になったのも実話
朱祁鎮がオイラトの捕虜になると、明の朝廷は皇帝が敵の手にあるという事態に直面しました。
オイラト側が朱祁鎮を連れて明の城へ近づけば、明の兵士たちは皇帝を攻撃できません。朱祁鎮を交渉材料に使われる可能性もありました。
そこで朝廷では、朱祁鎮の弟だった郕王・朱祁鈺に国政を任せます。
その後、朱祁鈺が新しい皇帝として即位しました。
これが景泰帝です。
捕虜となった朱祁鎮は太上皇となりました。
朱祁鈺は、兄が捕らえられた非常事態の中で皇帝になったのです。
1450年になると朱祁鎮はオイラトから明へ帰国しました。
ところが朱祁鈺は皇帝を続けます。
帰国した朱祁鎮は太上皇のまま南宮で暮らすことになりました。兄弟は同じ北京にいましたが、皇帝として政治を行っていたのは朱祁鈺です。
ドラマ後半で朱祁鎮と朱祁鈺の関係が悪化していく背景には、この実際の皇位交代があります。
朱祁鎮がもう一度皇帝になったのも実話
朱祁鎮は一度皇帝の座を離れましたが、1457年に再び皇帝になりました。
この出来事も史実です。
1457年、景泰帝・朱祁鈺は病気になっていました。
しかも朱祁鈺の実子・朱見済はすでに亡くなっており、次の皇帝を誰にするのかが大きな問題になっていました。
そのころ石亨、徐有貞、曹吉祥らが、太上皇となっていた朱祁鎮を再び皇帝にしようと行動します。
彼らは南宮にいた朱祁鎮を宮中へ連れ出しました。
翌朝、朝廷の役人たちの前に朱祁鎮が現れ、再び皇帝となります。
これが奪門の変です。
皇帝兄弟の出来事を年代順に並べると、次のようになります。
ドラマでは允賢が兄弟の間にいるため、皇位をめぐる問題と恋愛が一緒に描かれます。
史実では允賢はこの時代にまだ生まれていません。
皇帝兄弟の皇位交代は史実、その中に允賢が関わる物語は創作です。
銭皇后や汪美麟も実在した人物なの?
銭皇后は実在する
朱祁鎮の正室・銭皇后も実在しました。
銭氏は朱祁鎮が皇帝だった時代に皇后となり、土木の変で夫が捕虜になったあとも生きています。
朱祁鈺が即位すると、朱祁鎮は太上皇となりました。銭氏も夫とともに皇帝の座を失った側の皇族として暮らすことになります。
その後、朱祁鎮が1457年に再び皇帝になると、銭氏も再び皇后の立場に戻りました。
ドラマでは銭皇后と允賢の関係が詳しく描かれますが、実在した談允賢は銭皇后よりかなり下の世代です。
談允賢が銭皇后の身近で医療に関わったという記録もありません。
汪美麟には汪皇后というモデルがいる
ドラマの汪美麟には、景泰帝・朱祁鈺の皇后だった汪氏がモデルとして使われています。
史実の汪皇后について重要なのが、1452年の皇太子交代です。
朱祁鈺は兄・朱祁鎮の息子だった朱見深を皇太子から外し、自分の息子・朱見済を皇太子にしようとしました。
汪皇后はこの決定に反対しました。
その後、朱祁鈺は汪氏を皇后から退け、朱見済の母だった杭氏を皇后にしました。
ここまでは史実です。
ドラマでは汪美麟が允賢を嫌い、二人が何度も対立します。汪美麟が允賢を苦しめるために行うさまざまな行為は、史実の汪皇后について残る記録にはありません。
史実で確認できる大きな出来事は、汪皇后が皇太子交代に反対し、朱祁鈺によって皇后を廃されたことです。
ドラマでは史実にある「汪氏が廃され、杭氏が皇后になる」という出来事を、汪美麟と允賢の対立に取り入れています。
女医明妃伝は史実をどう使ったドラマなの?
『女医明妃伝』の允賢を実在した談允賢本人の人生として考えると、年代が合わなくなります。
実際には、複数の人物や事件が允賢の物語に使われています。
允賢が祖母から医術を学び、女性患者を診察する部分には談允賢の経歴があります。
允賢が朱祁鈺の妃となり、皇后になる部分には杭氏の経歴があります。
朱祁鎮がオイラトの捕虜になる土木の変、朱祁鈺の即位、朱祁鎮の帰国、奪門の変は明朝で実際に起きました。
そこへ允賢を登場させ、朱祁鎮と朱祁鈺の両方から愛される女性として描いたのがドラマです。
史実の年代を確認すると、この違いはかなりはっきりしています。
朱祁鈺は1457年に亡くなりました。
談允賢は1461年に生まれました。
朱祁鎮は1464年に亡くなりました。
つまり、ドラマで允賢が経験する土木の変や皇帝兄弟との恋愛は、談允賢本人が経験した出来事ではありません。
その一方で、談允賢が実際に女性医師として活動したことや、朱祁鎮と朱祁鈺の時代に大きな政変が続いたことは史実です。
この二つを一つの物語にしたところが『女医明妃伝』の特徴なんですね。
女医明妃伝の実話と創作まとめ
『女医明妃伝』の主人公・允賢には、明代に実在した女性医師・談允賢の経歴が使われています。
談允賢が祖母から医術を学び、女性患者を診察し、『女医雑言』を残したことは史実です。
朱祁鎮が1449年の土木の変でオイラトの捕虜になったこと、弟の朱祁鈺が皇帝になったこと、朱祁鎮が帰国したこと、1457年に朱祁鎮が再び皇帝になったことも実際に起きました。
一方、談允賢は1461年生まれです。朱祁鈺はその4年前に亡くなり、朱祁鎮も談允賢が幼いころに亡くなっています。
そのため允賢と朱祁鎮、朱祁鈺の恋愛は創作です。
さらにドラマの允賢には、景泰帝・朱祁鈺の妃となり皇后になった杭氏の経歴も使われています。
女医としての允賢には談允賢、景泰帝の妃としての允賢には杭氏、政治事件には朱祁鎮と朱祁鈺の史実が使われているのですね。
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