清王朝 皇后 一覧:初代から最後の皇后まで

清朝皇后一覧 1.2 清の皇后妃嬪皇太后
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大清帝国(清朝)には初代ヌルハチからラスト・エンペラー・溥儀まで12人の皇帝(君主)がいました。

彼らにはもちろん皇后(正妻)もいます。

清朝ドラマにも数多くの皇后が登場します。

清朝にはどんな皇帝がいて、その皇帝にはどんな皇后がいたのでしょうか。

皇帝の在位中に皇后・正妻だった人と、死後・皇后に追尊された人を紹介します。

 

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  1. 皇后の出身 氏族・部族
    1. 1. マンジュグルン出身者とその子孫
    2. 2. フルングルン出身者とその子孫
    3. 3. モンゴル出身者
  2. 清王朝皇后一覧
  3. 初代 ヌルハチ/天命帝の皇后・正妻
    1. 元妃(孝烈武皇后) ハハナ・ジャチン
    2. 継妃 グンダイ
    3. 大妃 アバハイ
    4. 追尊:孝慈高皇后 イェヘナラ(葉赫那拉)氏
  4. 第2代 ホンタイジ/崇徳帝の皇后・正妻
    1. 孝端文皇后 ボルジギト氏
    2. 元妃 ニオフル氏
    3. 継妃 ウラナラ氏
    4. 孝荘文皇后 ブムブタイ
  5. 第2代 順治帝の皇后 
    1. 静妃(廃皇后)ボルジギト氏
    2. 孝恵章皇后 ボルジギト氏
    3. 追尊:孝献皇后 ドンゴ氏
    4. 孝康章皇后 トゥンギャ氏
  6. 第4代 康熙帝の皇后
    1. 孝誠仁皇后 ヘシェリ氏
    2. 孝昭仁皇后 ニオフル氏
    3. 孝懿仁皇后 トゥンギャ氏
    4. 孝恭仁皇后 ウヤ氏
  7. 第5代 雍正帝の皇后 
    1. 孝敬憲皇后 ウラナラ氏
    2. 孝聖憲皇后 ニオフル氏
  8. 第6代 乾隆帝の皇后
    1. 孝賢純皇后 富察(フチャ)氏
    2. 継皇后 輝発那拉(ホイファナラ)氏
    3. 孝儀純皇后 魏佳(ウェイギャ)氏
  9. 第7代 嘉慶帝の皇后
    1. 孝淑睿皇后 喜塔臘(ヒタラ)氏
    2. 孝和睿皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏
  10. 第8代 道光帝(どうこうてい)
    1. 孝穆成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏
    2. 孝慎成皇后 佟佳(トゥンギャ)氏
    3. 孝全成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏
    4. 孝静成皇后 博爾済吉特(ボルジギト)氏
  11. 第9代 咸豊帝(かんぽうてい)
    1. 追尊:孝徳顕皇后 薩克達(サクダ)氏
    2. 孝貞顕皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏
  12. 第10代 同治帝(どうちてい)
    1. 孝哲毅皇后 阿魯特(アルテ)氏
  13. 第11代 光緒帝(こうしょてい)
    1. 孝定景皇后 葉赫那拉(イェヘナラ)氏
  14. 第12代 宣統帝(せんとうてい)
    1. 婉容/郭布羅(ゴブロ)皇后

皇后の出身 氏族・部族

清朝の皇后は名家出身者がほとんど。特に満洲人の名家(旗人)から選ばれることが多かったようです。

皇后の出身一族は大きく分けて以下の3つのグループに分類できます。

1. マンジュグルン出身者とその子孫

ヌルハチによる建州女直統一に参加した部族の子孫。この一族は清朝で高い地位を占めました。

ヌルハチの愛新覚羅(アイシンギョロ)一族と密接な関係を持ち、多くの皇后を輩出しました。

後金建国後は満洲八旗に編成され、満洲旗人となりました。

主な氏族:
佟佳(トゥンギャ)、鈕祜禄(ニオフル)、富察(フチャ)、喜塔臘(ヒタラ)、董鄂(ドンゴ)など。

 

2. フルングルン出身者とその子孫

ヌルハチ以前に存在した4つの有力部族(ハダ、ウラ、イェヘ、ホイファ)の連合国、フルングルン出身です。

「○○ナラ」という姓が特徴。金朝の納蘭(ナラ)氏に遡る由緒ある一族です。

フルングルンはヌルハチに降伏し、満洲旗人となりました。懐柔策として、元フルン王族から皇后や妃が選ばれました。

主な氏族:
烏喇那拉氏(ウラナラ)、葉赫那拉(イェヘナラ)、輝発那拉氏(ホイファナラ)、赫舍里(ヘシェリ)など。
葉赫那拉(イェヘナラ)氏出身の西太后に関連して「葉赫那拉の呪い」という都市伝説が生まれました。

 

3. モンゴル出身者

ホンタイジがモンゴルを降伏させ大清を建国したことでモンゴルからも皇后を迎えるようになりました。

チンギス・ハーンの子孫であるボルジギン氏(ボルジギト)は遊牧民社会で大きな権威を持ちます。人口の少ない満洲人が広大な領土を統治するためにはモンゴルと協力することが必要でした。そのためモンゴルから皇后を迎えました。

主な氏族:
博爾済吉特(ボルジギト)

満洲人の漢人化が進むにつれて、モンゴル出身の皇后は減少しました。

これらのグループは清朝の歴史と深く結びついています。皇后の出身一族を知ることは、清朝の政治や社会を理解する上でも重要です。

名前の読み仮名は以下のルールで書いています。
カタカナ:満洲語に近い発音
ひらがな:日本語の音読み

 

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清王朝皇后一覧

すべての清朝皇帝と皇后・正室を一覧表にしました。
死後に皇后になった追尊も含みます。

皇帝(廟号) 皇后(諡号) 氏族 備考
初代 ヌルハチ(太祖) 孝烈武皇后 トゥンギャ氏 元妃
    (継妃) フチャ氏  
    孝慈高皇后 ウラナラ氏
大妃、ドルゴンの母
    孝慈高皇后(追尊) イェヘナラ氏 ホンタイジの母
2代 ホンタイジ(太宗) 孝端文皇后 ボルジギト氏  
    元妃 ニオフル氏
最初の正室、追尊
    (継妃) ウラナラ氏  
    孝荘文皇后(追尊) ボルジギト氏 順治帝の母
3代 順治帝(世祖) (廃皇后) ボルジギト氏  
    孝恵章皇后 ボルジギト氏  
    孝献皇后(追尊) ドンゴ氏  
    孝康章皇后(追尊) トゥンギャ氏 康熙帝の母
4代 康熙帝(聖祖) 孝誠仁皇后 ヘシェリ氏  
    孝昭仁皇后 ニオフル氏  
    孝懿仁皇后 トゥンギャ氏  
    孝恭仁皇后(追尊) ウヤ氏 雍正帝の母
5代 雍正帝(世宗) 孝敬憲皇后 ウラナラ氏  
    孝聖憲皇后(追尊) ニオフル氏 乾隆帝の母
6代 乾隆帝(高宗) 孝賢純皇后 フチャ氏  
    (継皇后) ホイファナラ氏  
    孝儀純皇后(追尊) 魏佳氏 嘉慶帝の母
7代 嘉慶帝(仁宗) 孝淑睿皇后 ヒタラ氏  
    孝和睿皇后 ニオフル氏  
8代 道光帝(宣宗) 孝穆成皇后(追尊) ニオフル氏  
    孝慎成皇后 トゥンギャ氏  
    孝全成皇后 ニオフル氏 咸豊帝の母
    孝静成皇后(追尊) ボルジギト氏 咸豊帝の養母
9代 咸豊帝(文宗) 孝徳顕皇后(追尊) サクダ氏  
    孝貞顕皇后 ニオフル氏 東太后
10代 同治帝(穆宗) 孝哲毅皇后 アルテ氏  
11代 光緒帝(徳宗) 孝定景皇后 イェヘナラ氏 西太后
12代 宣統帝 ゴブロ皇后 ゴブロ氏 清朝最後の皇后

補足
(追尊): 死後に皇后の称号が贈られた
(継皇后): 先の皇后が亡くなった後、皇后となった
(廃皇后): 皇后の地位を廃された

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初代 ヌルハチ/天命帝の皇后・正妻

名前:ヌルハチ(努爾哈赤)
廟号:太祖
生年没年:1559-1626年(68歳)
在位:1616-1626年(在位11年)

後金の建国者。

元妃(孝烈武皇后) ハハナ・ジャチン

称号:元妃、孝烈武皇后
名前:ハハナ・ジャチン
部族:マンジュグルン(建州女直)
氏族:トゥンギャ氏(佟佳氏)
子:
長男 広略貝勒 チュイェン(褚英)
二男 礼親王 ダイシャン(代善)
長女 端荘固倫公主 ヌンジェ

 

継妃 グンダイ

称号:なし(継妃)
名前:グンダイ(袞代)
部族:マンジュグルン(建州女直)
氏族:フチャ氏(富察氏)
子:
五男 貝勒マングルタイ
十男 デゲレイ
十六男 フィヤング
三女 マングジ

 

大妃 アバハイ

称号:大妃、孝慈高皇后
部族:フルングルン・ウラ部(西海女直)
出身氏族:ウラナラ氏(烏喇那拉氏)
名前:アバハイ(阿巴亥)
子:
十二男 英郡王 アジゲ
十四男 睿親王 ドルゴン
十五男 豫親王ドド

ヌルハチ最後の正室。ドルゴンの母。
ドルゴンの死後。順治帝によって孝慈高皇后の称号を剥奪。 

 

追尊:孝慈高皇后 イェヘナラ(葉赫那拉)氏

称号:孝慈高皇后
部族:フルングルン・イェヘ部(西海女直)
氏族:イェヘナラ(葉赫那拉)氏
名前:モンゴジェジェ
子:
八男 ホンタイジ(皇太極)

ホンタイジの即位後、皇后に追尊。

 

第2代 ホンタイジ/崇徳帝の皇后・正妻

名前:ホンタイジ(皇太極)
廟号:太宗(たいそう)
生年没年:1592-1643年(50歳)
在位:1626-1643年(在位18年)

皇帝を名乗り、国号を「ダイチン(大清)」にしました。

 

孝端文皇后 ボルジギト氏

称号:孝慈高皇后
名前:ジェルジェル
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
子:
二女 固倫温荘長公主
三女 固倫靖端長公主
八女 固倫永安長公主

 

元妃 ニオフル氏

称号:元妃
部族:マンジュグルン(建州女直)
氏族:ニオフル(鈕祜禄)氏
名前:不明
生没年:1593~1612年
子:
ロボホイ

ホンタイジの最初の正室。ホンタイジが皇帝になる前に死亡。

継妃 ウラナラ氏

称号:なし(継妃)
部族:フルングルン・ウラ部(西海女直)
氏族:ウラナラ(烏喇那拉氏)氏
名前:不明
生没年:不明
子:
長男 粛親王ホーゲ、二男 ロゲ(夭逝)、長女 敖漢固倫公主

最初はホンタイジの側室。元氏の死後、正妻になりました。
ヌルハチとその弟アジゲに謁見した時に輿から降りずヌルハチを怒らせ、ホンタイジから離婚されました。

 

孝荘文皇后 ブムブタイ

称号:永福宮荘妃、孝荘文皇后(追尊)
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
名前:ブムブタイ
子:
九男 フリン(福臨、順治帝)
四女 固倫雍穆長公主
五女 固倫淑慧長公主
七女 固倫淑哲長公主

ホンタイジの側室。ジェルジェルの姪。

順治帝時代の皇太后。康煕帝時代の太皇太后。清朝ドラマにはよく出てきます。死後。康煕帝によって皇后に追尊されました。

 

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第2代 順治帝の皇后 

名前:福臨 (ふくりん、フリン)
廟号:世祖(せいそ)
生年没年:1638-1661年(24歳)
在位:1643-1661年(在位19年)

初めて紫禁城で暮らした皇帝。

 

静妃(廃皇后)ボルジギト氏

称号:皇后→静妃
名前:エルデニ・ブンバ
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)

ドンゴ氏を寵愛する順治帝によって廃位。静妃に格下げになりました。

 

孝恵章皇后 ボルジギト氏

称号:孝恵章皇后
部族:モンゴル・ホルチン部
氏族:ボルジギト氏(博爾済吉特氏)
生没年:1641~1718年

 

追尊:孝献皇后 ドンゴ氏

称号:皇貴妃、孝献皇后(追尊)
部族:マンジュグルン
氏族:ドンゴ氏(董鄂氏)
生没年:1639~1660年
皇四子栄親王(夭逝)

順治帝が最も愛した妃。

 

孝康章皇后 トゥンギャ氏

称号:皇貴妃、孝康章皇后(追尊)
部族:マンジュグルン
氏族:トゥンギャ氏(佟佳氏)
生没年:1640~1663年

 

第4代 康熙帝の皇后

名前:玄燁(げんよう) 
廟号:聖祖(せいそ)
生年没年:1654-1722年(69歳)
在位:1662-1722年(在位61年)

明の残党を倒して中華統一。

 ・康煕帝の詳しい説明はこちら

 

孝誠仁皇后 ヘシェリ氏

称号:孝誠仁皇后
出身:満洲正黄旗
氏族:赫舎里(ヘシェリ)氏
生没年:1654~1674年
子:
皇子承祜(夭逝)
皇二子 理親王 胤礽(廃皇太子)

ドラマではすでに亡くなっており。康煕帝が好きだった皇后と紹介されることが多いです。

孝昭仁皇后 ニオフル氏

称号:孝昭仁皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:?~1678年

孝誠仁皇后のあと皇后になりましたが。1年で死去。

 

孝懿仁皇后 トゥンギャ氏

称号:孝懿仁皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:佟佳氏(トゥンギャ)氏
生没年:?~1678年
女:皇八女(夭逝)
孝昭仁皇后のあと皇后になりましたが。10日で死去。
 

孝恭仁皇后 ウヤ氏

 

称号:孝懿仁皇后
出身:満洲鑲藍旗
氏族:ウヤ氏(烏雅氏)
生没年:1660~1723年
子:
皇四子胤禛(雍正帝)
皇六子胤祚(夭逝)
皇七女(夭逝)
皇九女固倫温憲公主
皇十二女(夭逝)
皇十四子恂郡王胤禵

死後、雍正帝によって皇后に追尊。

 

第5代 雍正帝の皇后 

名前:胤禛(いんしん、インジェン)
廟号:世宗(せいそう)
生年没年:1678-1735年(58歳)
在位:1723-1735年(在位13年)

 ・雍正帝の詳しい説明はこちら

 

孝敬憲皇后 ウラナラ氏

孝敬憲皇后 ウラナラ氏

孝敬憲皇后 ウラナラ氏

称号:孝敬憲皇后
出身:満洲正黄旗
氏族:烏喇那拉氏(ウラナラ)氏
生没年:1681~1731年
子:皇長子 端親王弘暉

・孝敬憲皇后 烏喇那拉氏の詳しい説明はこちら。

 

孝聖憲皇后 ニオフル氏

孝聖憲皇后ニオフル氏

孝聖憲皇后ニオフル氏 の肖像画

称号:熹貴妃→孝聖憲皇后(追尊)
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:1692~1777年

生前は熹貴妃が最高位。乾隆帝即位後は皇太后。死後、乾隆帝によって皇后に追尊。

清史上最も大切にされた皇太后。でもドラマでは乾隆帝の養母にされることが多いです。

「宮廷の諍い女」のヒロイン。「如懿伝」「瓔珞」の皇太后。

・孝聖憲皇后 鈕祜祿氏の詳しい説明はこちら。

 

第6代 乾隆帝の皇后

名前:弘暦(こうれき、フンリ)
廟号:高宗(こうそう)
生年没年:1711-1799年(89歳)
在位:1736-1795年(在位60年)

 ・乾隆帝の詳しい説明はこちら

チベット、ウイグルを配下に領土を最大にした皇帝。

 

孝賢純皇后 富察(フチャ)氏

富察皇后の肖像画

富察皇后 朝服 肖像画

称号:孝賢純皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:富察(フチャ)氏
生没年:1712~1748年
子:
長女(夭逝)
三女:固倫和敬公主
二男:端慧皇太子永璉(夭逝)
七男:哲親王永琮(夭逝)

「瓔珞」「如懿伝」に登場。前半の主要人物。

・孝賢純皇后 富察(フチャ)氏の詳しい説明はこちら。

 

継皇后 輝発那拉(ホイファナラ)氏

継皇后 ホイファナラ氏

皇后 ホイファナラ氏

称号:なし(継皇后)
出身:満洲鑲藍旗
氏族:輝発那拉氏(ホイファナラ)氏
生没年:1718~1766年
子:
十二男:貝勒永璂
五女(夭逝)
十三男:永璟(夭逝)

皇后に在位していましたが皇后としての諡号はなし。

那拉(ナラ)氏、烏喇那拉(ウラナラ)氏と呼ばれることもあります。

「如懿伝」のヒロイン。「瓔珞」ではライバル。

皇后 輝発那拉(烏拉那拉)氏の詳しい説明はこちら。

 

孝儀純皇后 魏佳(ウェイギャ)氏

孝儀純皇后

孝儀純皇后 朝服肖像画

称号:令皇貴妃→孝儀純皇后(追尊)
出身:漢人、満洲正黄旗包衣→満洲鑲黄旗。
氏族:魏氏→魏佳(ウェイギャ)氏
生没年:1718~1766年
子:
七女:固倫和静公主
十四男:永璐(夭逝)
九女:和碩和恪公主
十五男:永琰(嘉慶帝)
十六男(夭逝)
十七男:慶親王永璘

生前の最高位は令皇貴妃。清朝で唯一皇后の称号をもつ漢人。
「瓔珞」のヒロイン。「如懿伝」ではライバルの衛嬿婉のモデル。

・孝儀純皇后(令皇貴妃)瓔珞のモデルになった皇后

 

第7代 嘉慶帝の皇后

名前:永琰・顒琰(えいえん・ぎょうえん、ヨンヤン)
廟号:仁宗(じんそう)
生年没年:1760-1820年(60歳)
在位:1796-1820年(25年)

 

孝淑睿皇后 喜塔臘(ヒタラ)氏

称号:孝淑睿皇后
出身:満洲正白旗
氏族:喜塔臘氏(ヒタラ氏)
生没年:1760~1797年(37歳)
子:
二女(夭逝)
二男 綿寧(道光帝)
四女 荘静固倫公主

病死。

 

孝和睿皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝淑睿皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1776~1850年(74歳)
子:
七女(夭逝)
三男 惇親王綿愷
四男 瑞親王綿忻

もとは皇貴妃。孝和睿皇后の死後、皇后になりました。

 

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第8代 道光帝(どうこうてい)

名前:旻寧(みんねい、ミンニン)
 廟号:宣宗(せんそう)
生年没年:1782-1850年(69歳)
在位: 1820-1850年(在位31年)

1840年。イギリスとアヘン戦争で敗北。

 

孝穆成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:嫡福晋→孝穆成皇后(追尊)
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1781~1808年

皇子時代の正室。道光帝が皇帝になる前に死去。

 

孝慎成皇后 佟佳(トゥンギャ)氏

称号:孝慎成皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:佟佳氏(トゥンギャ氏)
生没年:1790~1833年(43歳)
子:
長女 端憫固倫公主

 

孝全成皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝全成皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄氏(ニオフル氏)
生没年:1808~1840(32歳)
子:
三女 端順固倫公主
四女 寿安固倫公主
四男 奕詝(咸豊帝)
道光帝の3人目の正室。
 

孝静成皇后 博爾済吉特(ボルジギト)氏

称号:静皇貴妃、孝静成皇后
出身:モンゴル人・満洲正藍旗
氏族:博爾済吉特(ボルジギト)氏
生没年:1812~1855(43歳)
子:
二男 順和郡王奕綱(夭逝)
三男 慧質郡王奕継(夭逝)
六女 寿恩固倫公主
六男 恭親王奕訢

咸豊帝の養母。咸豊帝時代に皇太后として力を持っていました。清史上唯一の皇后でも皇帝の生母でもないのに皇太后になった人物。
死後、咸豊帝によって皇后に追尊されました。

 

第9代 咸豊帝(かんぽうてい)

名前:奕詝(えきちょ、イジュ)
廟号:文宗(ぶんそう)
生没年:1831-1861年(31歳)
在位:1850-1861年(在位12年)

1858年。アロー戦争(第二次アヘン戦争)で敗北。

 

追尊:孝徳顕皇后 薩克達(サクダ)氏

称号:孝徳顕皇后(追尊)
出身:満洲鑲藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:薩克達(サクダ)氏
生没年:1831~1850(19歳)

皇子時代の正室
咸豊帝が皇帝になる前に死亡。

 

孝貞顕皇后 鈕祜禄(ニオフル)氏

称号:孝貞顕皇后、慈安太后、東太后
出身:満洲鑲藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:鈕祜禄(ニオフル)氏
生没年:1837~1881(44歳)

同治帝の生母・西太后とともに皇太后(東太后)になりました。

 

第10代 同治帝(どうちてい)

名前:載淳(さいじゅん) 
廟号:穆宗
生年没年:1856-1875年(20歳)
在位:1861-1875年(15年)

 

孝哲毅皇后 阿魯特(アルテ)氏

称号:孝哲毅皇后
出身:モンゴル人・蒙古正藍旗→満洲鑲黄旗
氏族:阿魯特(アルテ)氏
生没年:1854~1875(21歳)

愛新覚羅 溥儀の回想録によれば同治帝の死後、西太后によって餓死させられました。

 

第11代 光緒帝(こうしょてい)

名前:載湉(さいてん、ヅァイティアン)
 廟号:徳宗(とくそう)
生年没年:1871-1908年(38歳)
父:醇親王 奕譞
母:葉赫那拉氏(西太后の妹)
在位:1875-1908年(34年)

1894年。日清戦争で敗北。

 

孝定景皇后 葉赫那拉(イェヘナラ)氏

称号:孝哲毅皇后
出身:満洲鑲黄旗
氏族:葉赫那拉(イェヘナラ)氏
名前:静芬
生没年:1868~1913(45歳)

清朝最後の皇太后。

 

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第12代 宣統帝(せんとうてい)

名前:溥儀(ふぎ、プーイー)
廟号:なし
生年没年:1906-1967年(62歳)
在位
清:1908-1912年(5年)

1912年。辛亥革命で清が滅亡。
ラストエンペラー。

 

婉容/郭布羅(ゴブロ)皇后

婉容結婚時の朝服姿

婉容結婚時の朝服姿

称号:なし(皇后)
名前:婉容
出身:満洲正白旗
氏族:郭布羅(ゴブロ)氏
生没年:1906~1946(40歳)

清朝最後の皇后。
1912年に清朝が滅亡。王朝はなくなっても溥儀は「大清皇帝」の地位にいました。1922年に溥儀と結婚・皇后になります。諡号はありません。1924年。紫禁城から退去。

・婉容 ゴブロ皇后の最後

 

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