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怡嬪 柏氏・乾隆帝に気に入られた平民出身の側室とは

怡嬪 柏氏 1.2 清の皇后妃嬪皇太后

 

怡嬪いひん はくは清朝の第代皇帝・乾隆帝けんりゅうていの側室。

「瓔珞<エイラク>」では 怡嬪・柏氏

「如懿傳」では 玫嬪まいひん・白蕊姫として登場します。

史実の 怡嬪はどんな人物だったのか紹介します。

 

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怡嬪 柏氏 の史実

どんな人?

姓:柏(はく)氏 → 柏佳(日:そはく)氏
称号:怡嬪 (いひん)
地位:  貴人→嬪→怡嬪

生年月日:1721年
没年月日:1757年

清王朝の第6代皇帝・乾隆帝の時代です。

日本では江戸時代になります。

家族

父:柏士彩
母:張氏
夫:乾隆帝(けんりゅうてい)
子供:なし

 

 

おいたち

怡嬪は 1721年に生まれました。

柏氏は蘇州で暮らす漢民族。後に柏佳氏の姓を与えられました。

父は平民の柏士彩。職人だったようです。

母・張氏は柏の妾。

怡嬪は庶長女でした。 兄弟は3人、姉妹は2人いました。

平民といってもそれなりに裕福だったようです。

柏氏はいつ宮廷に入ったの?

柏氏が乾隆帝の宮廷に入った時期は乾隆4年かそれ以前と考えられています。

安寧という人物が蘇州織造に就任したばかりのころ。柏氏の評判を聞いて人を柏家に派遣。なかなか会うことはできませんでしたが。乾隆4年までには役人が乾隆帝に献上したようです。

宮廷への女性献上の禁止と再開

  • 雍正帝の禁止令: 雍正帝の時代には、地方の役人が宮廷に女性を献上することが禁止されていました。
  • 規律が緩む:乾隆帝の時代になると守られなくなりました。例えば、乾隆2年11月には蘇州織造の海保が2人の女性を献上したという記録が残っています。
  • 2人の女性: 海保が献上した2人の女性のうち、1人はすぐに返されたものの、もう1人は宮廷に残された可能性があります。
  • 柏氏との一致: この宮廷に残された女性が、柏氏の可能性も考えられます。でも確実な証拠は見つかっていないのではっきりしたことはわかりません。

どちらにしても乾隆4年の誕生日には柏氏は乾隆帝の後宮にいて皇帝から贈り物をもらっています。

乾隆6年2月。皇太后の命令で側室が昇格。金氏が嘉嬪に、海氏が愉嬪に、柏氏と葉赫勒氏(後の舒妃)が貴人に昇格しました。

献上品のお菓子をもらう

あるとき盛京(今の瀋陽)から皇帝にお菓子が送られてきました。その中には牛乳で作ったお菓子「奶餅」なども含まれていました。

乾隆帝は皇后や妃嬪たちにお菓子を配ります。このとき柏貴人にもお菓子が贈られました。

柏貴人と両親の再会

乾隆帝の優しい心

4月のある日、乾隆帝は宮中にいる柏貴人がとても寂しい思いをしているのを知りました。そこで柏貴人の両親を北京に呼び寄せ、娘と会わせることにしました。柏貴人の父親 柏士彩(はくしかい)はもう69歳。若くはありません。

そこで柏士彩夫妻には特別に運河を使ってゆっくりと北京まで来るのを許可しました。

待ちに待った再会

無事に北京に到着した柏士彩夫婦は、娘の柏貴人と会うことができました。

そして再び故郷へ

10月になり柏士彩夫婦は再び蘇州へと帰っていきました。乾隆帝は柏貴人の両親が安心して暮らせるように様々な配慮をしてあげたようです。

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柏貴人(怡嬪)の家族と宮廷の関係

柏永吉への配慮

柏貴人の兄 柏永吉は少しお調子者で将来のことをあまり考えていない様子でした。心配した役人の安寧は柏永吉を家に呼び厳しく注意。そして柏永吉が安心して暮らせるようにお金や物を与え何か困ったことがあればいつでも頼るようにと声をかけたのです。

怡嬪への昇格と家族への恩恵

柏貴人は乾隆帝から寵愛を受け、嬪という高い地位に昇格。「怡嬪」と呼ばれるようになりました。怡嬪になったことで柏家の身分は一変しました。

  • 満洲正黄旗の包衣に: 柏家の人々は皇帝に仕える特別な身分である「満洲正黄旗の包衣」になったのです。これは漢人の平民よりもはるかに高い地位でした。
  • 待遇の向上: 包衣の中でも満洲正黄旗は皇帝に最も近い組織です。柏家の人々は怡嬪のおかげでとても恵まれた生活を送れるようになったのです。

妹の入宮

1745年。怡嬪の妹も宮廷に入る試験を受け見事合格しました。そして柏常在という名前で姉と同じように後宮で暮らすことになったのです。

怡嬪のおかげで家族の待遇が上がったわけです。それだけ怡嬪は乾隆帝から気に入られていたようです。

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怡嬪の宮中での日々

慧賢皇貴妃の葬儀への参加

怡嬪が入宮した年。乾隆帝の寵愛を受けていた慧賢皇貴妃が亡くなり葬儀が行われました。

怡嬪も他の妃嬪たちと一緒にこの葬儀に参列。記録によると、怡嬪は舒嬪や令嬪といった他の妃嬪たちと同じ牛車に乗って、葬儀場へ向かったそうです。

兄弟の成長と貢献

怡嬪の兄 柏永吉はかつては少し頼りないところがありました。この頃には立派に成長し、使用人として働いていました。怡嬪のために儀式の際に使う傘などを新しく作ってもらいたいと役所に申請書を出すなど積極的に動いていたことがわかります。

皇后たちの陵墓への奉安

数年後。乾隆帝は既に亡くなっていた孝賢純皇后と慧賢皇貴妃の棺を御陵に移す大規模な儀式を行いました。この儀式には、皇后や他の妃嬪たちも参加しました。怡嬪もその一人としてこの重要な儀式に立ち会っています。

怡嬪の最期

1757年。怡嬪は37歳という若さで亡くなりました。乾隆帝は怡嬪の死を大変悲しみ、2日間仕事を休み、喪に服したと言われています。

まとめ

怡嬪は平民出身の側室。地方に赴任していた役人の目にとまったということですから、よほど人をひきつけるものがあったのでしょう。平民出身にも関わらず入宮して速いペースで嬪になりました。乾隆帝もお気に入りだったようです。

でも、入宮後のエピソードは公務の記録ばかりで個人の記録は殆どありません。子供もいません。宮殿での暮らしは平穏だったのかもしれませんし退屈だったのかもしれません。

 

テレビドラマ

 

瓔珞:怡嬪・柏氏

 2018、中国
 役名:怡嬪・柏氏  演:徐百卉

ドラマ序盤で高貴妃の陰謀で命を落とします。

 

如懿傳:玫嬪・白蕊姫

 2018、中国
 役名:玫嬪・白蕊姬 演:何泓姍

 琵琶の芸妓出身。乾隆帝に気に入られ側室入り。その後は皇太后の手先になって如懿を苦しめたり。皇后の死にかかわったりします。最後は乾隆帝から毒酒を賜り死亡。

 

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