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如懿伝 83・84・85・86話:永琪の死と如懿の廃后

如懿伝79-82話あらすじ如懿伝最終回あらすじ

中国ドラマ「如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~83・84・85・86話のあらすじとネタバレ感想を紹介。

永琪の死と蕓角の告発により如懿は廃されます。病となった彼女は嬿婉の謀略を暴き、皇帝はすべてを知るのでした。

この記事では第83話から86話までのあらすじとの見どころ・歴史的解説をまとめて振り返ります。

※この記事はドラマ『如懿伝』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

他のエピソードを見たい方は 如懿伝 あらすじネタバレ全話一覧 をどうぞ。

 

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如意伝83話 あらすじ:永琪の病死と蕓角の誣告

五阿哥・永琪(えいき)は病を嫌がって治療を避けた結果、化膿症で命を落とします。臨終の際、如懿への赦しを皇帝に願い出ますが、その後、側室・蕓角の自害によって、如懿は濡れ衣を着せられ、皇后の位を剥奪されてしまいます。海蘭は真相を探ることを誓い、侍女・毓瑚は蕓角の出自に疑念を抱き始めます。
 

第83話:格格の告発

永琪の発病と最期

宮中へ向かう途中、永琪は倒れ江太医により重度の化膿症と診断されます。でも永琪は医師に見せるのを避け続けたために手遅れとなってしまいました。

皇帝は永琪を宮中に呼び戻し、海蘭に看護を命じます。如懿は永琪の沈黙を不審に思い、侍女・容珮から病のことを聞いて人を遣わします。やがて永琪は如懿の前で母に詫びの言葉を残して息を引き取ります。

如懿が皇后の地位を奪われる

ところが永琪の格格(側室)蕓角が皇帝に如懿の罪を訴え、凌雲徹の件で永琪を苦しめたと糾弾。海蘭が止めようとしますが、蕓角は毒をあおり命を絶ちました。

この「告発と自害」により、如懿は廃后を宣告されます。皇帝は「もう顔も見たくない」と言い放ち、二人の絆は完全に断たれてしまいました。

廃后の裏に潜む思惑

如懿は冷静に蕓角の素性を調べるよう命じます。毓瑚は胡家の火災事件と蕓角の過去を追い、背後の黒幕を探り始めました。
皇太后も一人の側室の言葉で皇后を廃すことに疑問を抱きます。やがて皇帝も感情的な判断を悔い、調査の継続を命じるのでした。

 
史実と違って如懿伝が特徴的なのは、皇后 如懿が第五皇子 永琪の母親みたいな立場にいることと、永琪の死が如懿と皇帝の分断の原因のひとつになっていること。

史実の第五皇子 永琪は27歳で病没。
『清実録』には骨結核による病死と記されており、如懿の廃后と結びつけるのは創作上の脚色です。

 

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如意伝84話 あらすじ:

永琪の死の真相を探る中で如懿は結核を患い余命わずかと診断されます。蕓角の背後に嬿婉の影を見出した如懿は密かに対策を行います。嬿婉は十七阿哥を出産して勢いづきますが、七公主に暴力をふるい評判を落とします。如懿は永琪の位牌の前に「毒心」と書いた紙を起き皇太后に知らせるのでした。
 

第84話:残された時間

病の告知と如懿の決意

如懿は仏前で夜を明かし、海蘭から蕓角について不審な点を聞かされます。冷水浴、体を冷やす食物、そして名もなき薬方。江太医の鑑定によって筆跡は嬿婉の侍医のものとわかりました。薬方は血病の治療薬で蕓角が嬿婉に操られていた可能性が浮上します。

さらに香粉から毒が検出され、永琪の死は謀殺の疑いへと変わります。

 

如懿の病と沈黙の布陣

江太医は如懿を「肺結核」と診断し余命三〜四ヶ月と告げました。
如懿は病を秘し、表向きには「悲しみの病」と伝えるよう命じます。
嬿婉が十二阿哥・永璂にも毒手を伸ばすことを予感し江太医に警戒を指示。

江太医・容珮・海蘭の三名のみを信頼し、密かに対策を済ませます。

七公主事件と皇太后の裁断

十七阿哥を出産した嬿婉は寵愛を一身に集めますが、七公主への暴行で評判を失います。

皇太后は激怒して嬿婉を叱りつけ。七公主を穎妃に戻して「母の心とは育てること」と諭しました。この事件をきっかけに嬿婉の勢いは陰り始めます。

永琪の百日祭の日、如懿は「毒心」と書いた紙を皇太后に渡し真相救命を託しました。

 

感想と考察:毒心の意味

如懿が永琪の位牌前に「毒心」と書いたのは嬿婉の中にある悪意と執着を告発すると同時に、宮中を蝕む心の毒を皇太后に知らせるためでした。

その言葉は仏教でいう「三毒」貪・瞋・癡に囚われた人の愚かさを意味します。如懿は怒りではなく“悟り”の境地でこの二字を残しました。権力への復讐ではなく、心の毒こそが本当の敵だと訴えているのかもしれません。

この言葉はやがて皇太后の再調査を導き、如懿の潔白を証明する伏線になります。

 

如意伝84話 あらすじ:

如懿は皇太后に後を託し、容珮や海蘭、そして江太医たちと協力して嬿婉を包囲する計略を整えます。春嬋を一度捕らえてあえて放つことで嬿婉の心に揺さぶりをかけました。結果として皇帝は諸皇子を他の妃に託し、嬿婉の勢力は大きく揺らぎます。
 

第85話 あらすじ:口封じ

皇太后への遺言と春嬋の解放

如懿は皇太后に「毒すべきは身にあらず、心にあり」という叔母の言葉を伝えました。十二阿哥の命を守るよう懇願したあと、容珮と葉心が嬿婉の侍女・春嬋を捕らえました。

尋問しても口を割らない春嬋を如懿はわざと夜に逃がします。その動きを嬿婉に気づかせ、宮中に疑心を広げる作戦でした。

皇帝の決断と嬿婉の孤立

翌朝、十二阿哥・永璂は皇太后の慈寧宮に移されます。皇帝は十五阿哥を寿康宮へ託し嬿婉から母権を剥奪。和敬公主が嬿婉の野心を皇帝に報告。皇帝は十五阿哥も別宮へ移す決断を下します。嬿婉は次第に信頼を失います。

嬿婉は春嬋に毒の入った口紅を塗り殺害を試みます。瀕死の春嬋は江太医に救われたものの、宮中には春嬋死亡の報告が届きます。

江太医の偽診と嬿婉の誤算

皇帝が倒れ嬿婉は包太医に診察を命じます。しかし、その脈記録はすでに江太医が偽造済み。嬿婉は「皇帝危篤」と誤解して早まった行動を取るのでした。

 

第86話

嬿婉は昏睡を装う皇帝の枕元で偽詔書を偽造しようとし、ついに悪事の全てを暴かれます。春嬋・佐禄・王蟾らの証言により、永琪毒殺や凌雲徹事件も嬿婉の謀略であったことが明らかに。皇帝は牽機薬を下して嬿婉を処刑します。如懿は皇后位の返還を拒み、「蘭因絮果」の言葉を残してすべての因縁を終えました。

 

第86話 あらすじ:暴かれた真実

皇帝の罠と偽詔書の露見

嬿婉は昏睡状態の皇帝の寝所で、世継ぎを永琰と偽る詔書を取り出します。だが皇帝は意識を保ったまま彼女を試していました。嬿婉が詔書を開く瞬間、皇帝が姿を現し激怒。嬿婉は「皇帝を思っての行為」と弁明しますが、そこへ海蘭が現れるのでした。

春嬋の告発と嬿婉の崩壊

海蘭が連れてきたのは春嬋でした。嬿婉の指示で胡蕓角を使い永琪を毒殺したこと、凌雲徹事件を操ったことを証言。さらに嬿婉の弟・佐禄が母の死の真相を語り、幼い皇子女の死も嬿婉の策略だったと暴露します。王蟾も従属を認めます。皇帝は激昂して嬿婉を平手打ちし「嫡子を殺した逆臣」と断罪しました。

皇太后の裁きと如懿の最終布陣

皇太后が登場。十二阿哥の食事から毒キノコを発見したと明かします。毒は嬿婉の命令によるものでした。皇太后は如懿の言葉「罠に入るも己の心による」を伝え、如懿が縫っていた経幡を嬿婉の前に広げます。

嬿婉は殺した者たちの名前を読み上げさせられ、皇帝は牽機薬を下賜。嬿婉は苦痛にのたうちながらも、「自分を昇進させたのは陛下自身」と皮肉をいいながら苦しみます。

「蘭因絮果」終焉の言葉

皇帝は如懿に謝罪して冊宝を返しますが、如懿は受け取りを拒否。「蘭因絮果」という語を知っているかと問います。これは「花が咲けば散る」という因果の象徴。皇帝はその言葉を筆に刻み、如懿がもはや戻らぬことを悟りました。如懿は二人の肖像画を裂き、自身の絵を炎に投げ入れるのでした。

 

考察:「牽機薬」とは何か?

牽機薬(けんきやく)は中国の古医書や民間伝承には出てくる毒薬です。服用すると体が“機織り機(牽機)”のように反り返るとされ、恐ろしい毒として語られてきました。

でも牽機薬が実際に使われた記録は存在しません。つまり名前だけが伝わる伝説上の毒なのです。

もちろん『如懿伝』の演出も創作です。毒を操り人を陥れた炩妃が最期に自分も毒で苦しむという因果応報の表現です。彼女の生き方の結末を見た目にわかりやすく表現するための小道具です。

 

考察と感想:なぜ皇帝は性急に如懿を罰したのか?

ここにきて皇帝は感情に任せた非情な判断を下してしまいました。なぜこんな判断をしたのでしょうか?

凌雲徹事件以降、皇帝は如懿を完全には信じられず、心のどこかで「裏切られた」という感覚を抱えたままでいました。永琪の死と蕓角の告発は、その不信をもちつつも残っていた最後の愛を断ち切る引き金になります。

このときの皇帝は如懿を妻ではなく皇后としかみていません。そこで裏切った皇后を罰したのです。

次に、政治的体面の維持という帝王の義務。
皇子の死に皇后の名が出た以上、朝廷の混乱は避けられません。ここでは真偽は問題ではありません。皇后の名が出た事自体が問題です。

皇帝は感情よりも朝廷の秩序を優先「疑わしきは即刻排す」という手段に出ました。

これは「罪を犯したものは愛した者ですら切り捨てる。それが本当の君主」という、乾隆の歪んだ信念の表れといえるかもしれません。

もちろん見ている側としては納得いきませんが。演出の意図としては「愛を信じられなくなった男の悲劇と愚かさ」を表現したいのだと思います。

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歴史・文化の解説

衛嬿婉のモデル令妃とは?

ドラマ『如懿伝』で悪女として描かれた嬿婉ですが、モデルになった史実の令妃・魏氏(ぎし)は、まったく違う人物でした。

令妃は1712年ごろに生まれ、清の乾隆帝の側室となった女性です。出身は皇室直属の役所・内務府の家で父はその役人でした。満洲貴族ではなく、漢人包衣と呼ばれる中流官僚層の出身です。街の庶民とは異なり、宮廷文化の中で育った教養ある家柄でした。

慎み深く誠実な性格で争いを嫌い礼儀正しかったことから、次第に乾隆帝の信頼を得ていきます。彼女は6人の子をもうけ、そのうちの一人・永琰(えいえん)はのちの嘉慶帝となりました。

ドラマでは如懿を陥れる策略家として描かれていますが、史実にはそのような記録はありません。むしろ令妃は皇帝の南巡にも同行するほど信頼されていました。1775年に亡くなった際、乾隆帝はたいへん悲しみ、のちに嘉慶帝が即位すると母を「孝儀純皇后」として正式に皇后の位に追尊します。これは非常に異例の栄誉でした。

『如懿伝』の嬿婉像はあくまで脚色であり、史実の令妃とは別人なのですね。

史実の令妃がどのような人物だったのか。その実話をまとめた記事はこちらからどうぞ。孝儀純皇后(令妃) の最後と実話

 

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

著者 自画像

京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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