ドラマ「如懿伝」に登場する衛嬿婉(えいえんえん)は、その美貌と知略で乾隆帝の寵愛を一身に受けながら、裏では冷酷な手段を用いて後宮を支配しようとする悪女として描かれています。
衛嬿婉は低い身分からはい上がり、皇后の座を狙いました。彼女の壮絶な人生と周囲の人々との複雑な関係、そして悲劇的な結末にあなたも釘付けになったのではないでしょうか。
この記事では、ドラマ「如懿伝」に登場する衛嬿婉の設定やドラマでの描かれ方、そして歴史上のモデルになった孝儀純皇后との比較などを紹介。
ドラマに詳しくない方にもわかりやすく、衛嬿婉というキャラクターの魅力と複雑さを深く掘り下げていきます。
なおドラマのタイトルは「如意伝」ではなく「如懿伝」です。
如懿伝(如意伝)の衛嬿婉(えいえんえん)とは?
ドラマ「如懿伝」の衛嬿婉の設定とドラマでの描かれ方を紹介します。詳しい設定を書いてますが史実ではありリません。
炩貴妃 衛嬿婉(えい・えんえん)
「慶余年」司理理 など
民族:漢人
生年:雍正5年(1727年)9月9日
没年:乾隆45年(1780年)1月29日
享年:53
家族
- 父:衛清泰(えい・せいたい)
もと内務府 包衣内管領 - 母:楊氏
低い身分の出身。 - 兄弟:衛佐祿
役立たずな遊び人。嬿婉にたかりに来ます。
父・衛清泰は内務府役人でした。罪をおかしてしまい一家全員が奴婢にされてしまいます。衛嬿婉は官奴婢にされ、宮中で働くことになりました。
かつての恋人は凌雲徹
侍衛の凌雲徹(りょう・うんてつ)とは恋人関係でした。しかし衛嬿婉の母は凌雲徹が嫌いだったので、母の希望もあって凌雲徹とは別れました。
その後、衛嬿婉は凌雲徹を利用しようとしたこともります。しかし凌雲徹が如懿に好意を持っているのを知り如懿にに敵意を抱くようになります。
最初は弱々しかった
衛嬿婉は若いころから官婢として宮中で働いていたため、世間の常識を知らず。ろくな教育も受けていません。出世や宮中の争いにも興味はありませんでした。
衛嬿婉が皇子の世話をしていたころ。乾隆帝は衛嬿婉の有能さに気が付き、彼女に興味をもつようになります。
金玉妍の虐待
乾隆帝の側室・金玉妍からは5年もの間、虐待を受けていました。
凌雲徹や如懿に助けを求めましたが、彼らも衛嬿婉を助けることはできません。
如懿派の差別や警戒
海蘭からは乾隆帝を誘惑していると思われ、いずれ脅威になると思われ異動になってしまいます。他の貴族出身の妃嬪からも差別的な扱いを受けます。
でも如懿は衛嬿婉の苦しみを理解してくれません。衛嬿婉は如懿が偽善者だと思うようになります。
派からは警戒され、金玉妍派からは虐められる。そのような日々が続き、衛嬿婉は忍耐力を身に着けるとともに腹黒くなり、復讐を考えるようになりました。
乾隆帝の側室時代
乾隆帝の心を捉えて側室になる
衛嬿婉はとくに乾隆帝は好きではありませんでしたが、太監の進忠の助言もあり。生き残るために乾隆帝に接近。乾隆帝は衛嬿婉を気に入って側室にしました。
衛嬿婉は勉強熱心で様々な知識や芸術、技術を覚えました。
乾隆帝は衛嬿婉が努力家で才能があるのを気に入り、彼女の地位はますます高くなります。炩妃となりました。
復讐
力を付けた衛嬿婉はまずは長年自分を虐めた金玉妍に復讐。最終的に金玉妍を死に追いやりました。
次の標的は如懿派でした。如懿派の妃嬪に策略をしかけ苦しめました。乾隆帝の寵愛を独占した衛嬿婉は皇后の如意からも次第に力を奪っていきます。
乾隆帝と衛嬿婉の間には皇子も誕生。衛嬿婉を溺愛する乾隆帝は彼女に力を与え、後宮でもやりたい放題にしました。
衛嬿婉(えいえんえん)の最後
しかし衛嬿婉の悪事は如懿と海蘭によって悪事が暴かれてしまいます。今までに行った殺人もバラされてしまい、処罰を受けることになりました。
それでも衛嬿婉は自分の非を認めず、乾隆帝が諸悪の根源と開き直ります。
衛嬿婉は永寿宮に幽閉され毒と解毒薬を交互に与えられるという罰を受けます。
息子の十五皇子永琰は生き残った乾隆帝の皇子の中では一番優秀。皇太子になりました。
その後。年月が経ちました。如懿もいません。
皇太后・甄嬛の「皇子にとってあのような生母が生きているのはよくない」と説得を受け。乾隆帝は死罪を決定。衛嬿婉は毒を飲み死亡しました。
ドラマの悪役ですが結果的に如懿の死後も9年間皇貴妃として生き続けました。結果を史実に合わせようとしたので強引な展開になってます。
原作小説ではあまりの残虐ぶりに批判
原作小説「後宮如懿傅」では「魏嬿婉」の名前で登場。モデルは瓔珞のヒロインにもなった孝儀純皇后(令貴妃) 魏氏です。悪人のイメージがない人なので、あまりにもの残虐ぶりに批判がでました。
そのためTVドラマ化では「衛嬿婉」と名前を変え、残虐な行為は少なくなっています。
モデルは孝儀純皇后(令皇貴妃)魏佳氏
衛嬿婉のモデルは孝儀純皇后(こうぎじゅん こうごう)魏氏。
ドラマ「瓔珞(エイラク)」ではヒロインの魏瓔珞のモデルになりました。
「如懿伝」の衛嬿婉とはほとんど別人です。
孝賢純皇后富察氏の教育をうけ乾隆帝の側室になりました。
皇后富察氏の死後は輝発那拉氏が皇后、魏氏は側室で最高位の貴妃になります。
皇后輝発那拉氏の死後、乾隆帝は皇后を決めませんでした。そのため皇貴妃魏氏が後宮で最高位になって後宮を仕切りました。
貴妃魏氏は皇子・永琰(えいえん)を出産。
貴妃魏氏の死後、永琰は後に7代皇帝嘉慶帝(かけいてい)になりました。
嘉慶帝は母に皇后の位を贈り孝儀純皇后と呼ばれます。
如懿伝の衛嬿婉と歴史上の孝儀純皇后の比較
如懿伝の衛嬿婉は歴史上の孝儀純皇后(魏佳氏)をモデルにしていますが。ドラマの中では全く違うキャラクターとして描かれています。以下に両者の共通点と違うところをまとめます。
共通点
- 民族は漢人。
- 父・魏清泰は内管領。
- 乾隆帝の寵愛を受けたこと: 両者とも乾隆帝の寵愛を受け、後宮で大きな影響力を持っていました。
- 皇子の生母であること: 衛嬿婉と孝儀純皇后は後に嘉慶帝となる十五皇子永琰を産みました。
- 死後、息子が皇帝になったこと: 両者の息子が後に皇帝になったという点で共通しています。
違うところ
入宮の理由
- 衛嬿婉:父が罪をおかしたので奴婢にされ官婢にされました。
- 孝儀純皇后:内務府選秀で選ばれ入宮しました。奴婢になったことはありません。
仕えた人
- 衛嬿婉:嘉妃の侍女をしたり、皇子や皇帝に仕えていました。
- 孝儀純皇后:富察皇后に仕えました。嘉妃や皇帝に仕えた記録はありません。
住んでいる所
- 衛嬿婉:父が罪をおかしたので奴婢にされ官婢にされた。
- 孝儀純皇后:延喜宮
称号
- 衛嬿婉:炩(火へんに令、炩は「消えそうでも消えずに再び燃えだす炎」のこと)
- 孝儀純皇后:令(令は「賢い・知識がある」という意味)
発音は同じですが意味は全く違います。炩は衛嬿婉の生き方を表現したような字。令も魏氏の特徴にちなんだ文字のようですが、激しい意味ではありません。
悪事
- 衛嬿婉:宮中で様々な悪事を働き何人もの妃嬪らを死に追いやりました。
- 孝儀純皇后:妃嬪や他の人物を怪我させたり陥れた記録はありません。
宮中ではいろいろあったかもしれませんが。側室のできごとはよほどのことがない限り記録には残らないのでよくわかりません。でも妃クラスを殺傷すれば記録に残るので、孝儀純皇后にはそこまでの悪事はなかったのでしょう。
最後
- 衛嬿婉:永寿宮に幽閉の後、賜死になりました。
- 孝儀純皇后:熱河の離宮から戻った後、病気になり。闘病生活の後に死亡。
史実では単純に年齢的なものと病死。
まとめ
如懿伝の衛嬿婉は歴史上の孝儀純皇后をモデルにしていますが、ドラマ「如懿伝」では悪女として描かれています。
ドラマ「如懿伝」では廃皇后 ウラナラ(ホイファナラ)氏を主人公にしたため、フチャ皇后側にいた魏氏は敵役になってしまうのです。
衛嬿婉は低い身分から後宮のトップに上り詰めようとして多くの悪事を働き、悲惨な最期を迎えました。一方、孝儀純皇后は賢い妃嬪とされ乾隆帝の信頼を得て、息子を皇帝の後継者に育て上げました。
ドラマティックな展開にするために衛嬿婉を悪役として描き、ドラマをより面白く盛り上げる役目を担当しています。
コメント