中国ドラマ「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」に登場する乾隆帝の正室・側室たちの一覧。
ドラマのキャラクターと歴史上の人物モデルをまとめました。
ドラマの妃嬪たちは史実の人物をモデルにしていますが、ドラマと違う点も多いです。魏瓔珞、富察皇后、継皇后などは実際はどのような人物だったのでしょうか?
ヒロイン 魏瓔珞(ぎ・えいらく)
令妃 魏瓔珞
瓔珞はドラマ上の名前。歴史上の本名はわかっていません。
後宮で殺された姉の死の真相を探るために宮女になります。皇后富察氏に気に入られ、皇后の侍女になります。しかしその皇后も死亡。エイラクは持ち前の頭脳と勇気で死の真相を探り復讐を目指します。
やがて乾隆帝の側室になりますが、皇后が忘れられない乾隆帝はなかなか心を開きません。そのことも瓔珞を苦しめます。しかしやがてお互いを理解するようになります。
女官から令妃→皇貴妃→孝儀純皇后へとステップアップ。
第十四皇子 永璐
第十五皇子 永琰(嘉慶帝)
第七皇女 固倫和靜公主
第九皇女 和碩和恪公主
歴史上の孝儀純皇后魏氏

孝儀純皇后 朝服肖像画
歴史上は孝儀純皇后(こうぎじゅん こうごう)。
ドラマでは乾隆 6年2月2日(1741年3月18日)に紫禁城に来たことになっていますが、史実ではいつ来たのかはわかっていません。祖先は満州人に仕える漢民族の使用人。親は役人。
富察皇后の教育をうけ乾隆帝の側室になります。富察皇后の死後は輝発那拉氏が皇后になりました。
後宮で最高の地位に
魏氏は側室で最高位の貴妃になります。
輝発那拉皇后が廃されたあと、乾隆帝は皇后を決めませんでした。
そのため貴妃魏氏が後宮で最高位になり、後宮を仕切りました。
嘉慶帝の生母
貴妃魏氏は皇子・永琰(えいえん)を出産。
貴妃魏氏の死後、永琰は後に7代皇帝嘉慶帝(かけいてい)になりました。嘉慶帝は母に皇后の位を贈り孝儀純皇后と呼ばれます。
第十四皇子 永璐
第十五皇子 永琰(嘉慶帝)
第十七皇子 永璘
第七皇女 固倫和靜公主
第九皇女 和碩和恪公主
さらに知りたい方はこちらをどうぞ
・孝儀純皇后:瓔珞(エイラク)のモデルになった清の皇后
「瓔珞」に登場する皇后
皇后 富察(フチャ)容音(ようおん)
瓔珞の才能を認め自分の侍女にします。瓔珞の姉が死んだことに共感、瓔珞のよき理解者となって導いていきます。
しかし後宮内の陰謀に巻き込まれ生まれたばかりの赤子を失い。生きることに絶望。
40話で自殺。
第二皇子 永璉
第七皇子 永琮
孝賢純皇后 富察氏の史実

富察皇后 朝服 肖像画
愛新覚羅 弘暦の親王時代の正室。乾隆帝の即位後は皇后になりました。
皇后富察氏は質素倹約を好む皇后でした。乾隆帝から非常に愛された皇后です。
富察皇后の死後も乾隆帝は富察氏を忘れることができず、新しい皇后を決めるのを嫌がりましたが、皇太后の勧めもあり継皇后を迎えました。
歴史上は富察皇后が死亡したのは魏氏が側室になって3年後。
第二皇子 永璉
第七皇子 永琮
第一皇女
第三皇女 固倫和敬公主
継皇后 輝発那拉(ホイファナラ)淑慎(しゅくしん)
富察皇后の死後、嫻妃が昇格。皇后になりました。
ドラマ後半ではヒロイン瓔珞の最大の敵に。
第十二皇子 永璂
第十三皇子 永璟
歴史上の継皇后 輝発那拉氏

皇后 ホイファナラ氏
皇后富察氏の死後、乾隆帝は皇后を決めないつもりでしたが。しかし皇太后の命令で輝発那拉が皇后になりました。
皇后としての勤めは滞りなく勤めていました。
ところが行幸に付き従ったときに乾隆帝と何らかのトラブルがあったようです。行幸から戻った後、廃されてしまいます。廃された理由は諸説あり不明です。
第十二皇子 永璂
第五皇女
第十三皇子 永璟
ドラマ「如懿伝」ではヒロイン「嫻妃・烏拉那拉如懿」になります。
妃の嫻妃 も参照。
「瓔珞」に登場する側室一覧
嫻妃(かんひ) 輝発那拉 淑慎
ドラマの最初は皇后富察氏から信頼される妃嬪。ところが高貴妃との争いの中で身内に犠牲者がでて綺麗事でやっていけないと考えるようになり、狡猾な人物へとかわっていきます。
富察皇后の死後、新しい皇后になります。
歴史上の嫻妃 輝発那拉氏
満洲人の名門・輝発那拉氏の出身。
愛新覚羅 弘暦の皇子時代からの側室。富察皇后の死後、皇后になりました。
貴妃 高寧馨(こう・ねいけい)
後宮のNo.2。皇后の座を狙っています。
様々な手を使い皇后や嫻妃を追い詰めその地位を奪おうとします。
第32話 嫻妃の反撃にあい顔に傷をうけて絶望。最後は自害しました。
ドラマ前半ではヒロインのライバルになる人物。
慧賢 皇貴妃 高氏の史実

慧賢皇貴妃 高佳氏 肖像画
皇后富察氏や皇太后ともうまく付き合い気に入られていました。
後宮内の者たちに賄賂を贈り支持を集めたり乾隆帝に地位をあげてほしいとお願いしたこともあったようです。
側室で最高位の貴妃が与えられることになりましたが就任式の前に病死しました。
愉妃 珂里葉特(ケリエテ)阿妍
蒙古鑲藍旗。員外郎 額爾吉図の娘。
気の弱い性格。後宮で嫌なことがあっても我慢することが多いです。息子を守るために純妃に従っています。
瓔珞は妃になってからは誤解から純妃とともに瓔珞に危害を加えようとしますが。後に瓔珞と和解。純妃の行いを告発。
53話:瓔珞に第五皇子を託して後宮を出て寺に入ります。
皇五子 永琪
「如懿伝」では珂里葉特 海蘭(ハイラン)
愉貴妃の史実
蒙古八旗の額爾吉圖の娘。皇帝になる前の弘曆の格格(側女)になり。乾隆帝の即位後に愉妃になりました。
息子の第五皇子 永琪は乾隆帝のお気に入り。後継者候補とされていたので、愉妃の影響力も大きく、若い側室の教育なども行なっていました。
第五皇子の死亡後は影響力を失い、ひっそりと暮らしたようです。
乾隆57年。永和宮で死去。享年78。
ドラマとは違い最後まで後宮にいて長生きしました。
皇五子 永琪
純妃 蘇靜好
最初は後宮の争いからは距離をおいていました。薬に詳しく、病気を装って寵愛を避けています。
富察傅恒を好きになって拒絶されてからは人が変わったようになってしまいます。皇后 輝発那拉氏に利用され、人を陥れるための道具にされてしまいます。最後は後悔するようになりますが。
52話で皇后 輝発那拉氏に密かに凧糸で首を絞められ死亡。
第六皇子 永瑢
史実の純惠皇貴妃 蘇氏
漢人の蘇召南の娘。皇帝になる前の弘曆の格格(側女)になり。乾隆帝の即位後に純妃になりました。
3人の子供を生みましたが、肺を患っていたので病気がち。乾隆25年に結核で死亡しました。享年 47歳。
第三皇子 循郡王 永璋
第六皇子 質荘親王 永瑢
第四皇女 和碩和嘉公主
大嘉嬪 金氏
禮部尚書 金簡の妹。
息子と自分の身を守るため、高貴妃の手先となって陰謀に加担。
16話 それまでの陰謀がばれて嫻妃に殺害されます。
第四皇子 永珹
嘉妃 金氏
大嘉嬪の双子の妹。姉との違いは左目尻に泣きぼくろがあること。
姉の死後、入宮。瓔珞のライバルになります。
第八皇子 永璇
第十一皇子 永瑆
淑嘉皇貴妃 金氏の史実
ドラマの大嘉嬪、小嘉嬪(嘉妃) 金氏は史実の淑嘉皇貴妃を二人に分けたもの。
祖先は朝鮮人。後金と李朝朝鮮との間で行われた丁卯戦争で捕虜になり。満洲貴族の使用人になりました。
父は役人の金三保。
弘暦の皇子時代の側室。乾隆帝の即位後に嘉嬪となり。その後、妃に昇格。
乾隆帝から寵愛を受け。令妃の次に子どもの多い妃。ドラマでは悪役になる事が多いですが、史実では悪い記録はありません。
第四皇子 履端親王 永珹
第八皇子 儀慎親王 永璇
第九皇子 早世
第十一子皇 成哲親王 永瑆
舒妃 納蘭 淳雪
舒妃 納蘭は女官になった魏瓔珞がお世話することになった妃のひとり。
瓔珞のことを嫌っていますが、かといって大それた陰謀を働くわけでもない。根はいい人。
歴史上の舒妃 葉赫那拉(イェヘナラ)氏
歴史上は葉赫那拉(イェヘナラ)氏ともいいます。
満州族の名家・葉赫那拉氏の出身。皇太后に認められ10代で妃になりました。
怡嬪 柏氏
懐妊した愉貴人が高貴妃から毒を飲まされてようとしていると、富察皇后に訴えましたが。逆に高貴妃に責められて自害。
史実の 怡嬪柏氏
平民出身の側室。史実ではドラマよりも長生きし 乾隆22年に病気のため36歳で死亡。
史実では乾隆帝が皇帝になって最初に死亡したのは儀嬪黄氏。
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