ボラクチンは、モンゴル帝国の2代皇帝 オゴタイの第一妃。妃たちの中で最年長とされた第一妃ですが、出身部族や子ども、没年さえ明らかになっていません。
1240年の石碑に記された「大皇后」の候補ともされています。
この記事ではボラクチンがどのような人物だったのか紹介。漫画『天幕のジャードゥーガル』に登場したボラクチンと史実の違いも解説します。
この記事で分かること
- 史実のボラクチンとはどのような人物か?
- 石碑に登場する「大皇后」をめぐるボラクチン説とドレゲネ説
- クチュやシレムンとの血縁関係、没年に関する可能性
- 『天幕のジャードゥーガル』の設定と史実との違い
ボラクチンの生涯
プロフィール
- 名前:ボラクチン
- 身分:オゴタイの第一妃
- 生年:不明
- 没年:不明
- 父:不明
- 母:不明
- 夫:オゴタイ
- 子:不明(クチュがボラクチンの子だったとする説があります。その場合、シレムンが孫になります)
史実のボラクチン
オゴタイの第一妃
ボラクチンはモンゴル帝国の第2代皇帝 オゴタイの第一妃です。さらにオゴタイの皇后たちの中で最も年上でした。
ただし、ボラクチンがいつオゴタイの妻になったのか、どのような経緯で第一妃になったのか詳しい事情は分かっていません。
出身部族と両親の謎
ボラクチンの両親やどこの部族出身なのかは不明です。
一部の研究では、ボラクチンをコンギラト部という部族出身ともいわれますが、その理由はチンギス・カンの一族がコンギラト部と多くの婚姻関係を結んでいたからです。
でもボラクチン本人がコンギラト部出身という記録は見つかっていません。
オゴタイ本人より年上だったの?
歴史書の『集史』にはボラクチンがオゴタイの妃たちの中で「最も年上だった」と書かれています。
でも夫のオゴタイよりも年上だったのか、何歳くらい離れていたのかまでは書かれていません。彼女が生まれた年も不明なので、オゴタイとの年齢差は分からないのです。
「大皇后」は誰?
1240年に建てられた「紫微宮懿旨碑(しびきゅういしひ)」という石碑にはモンゴル帝国について知るための重要な記録が残されています。
碑文には
「依旧行東宮事也可合敦大皇后懿旨并妃子懿旨」
と書かれています。
意味は
という内容です。
この石碑には大皇后(大カトゥン)が誰なのか具体的な名前が刻まれていません。そのため、この大皇后が誰なのかについては「ボラクチン説」と「ドレゲネ説」があります。
ボラクチン説
ボラクチンはオゴタイの第一妃です。さらに妃たちの中で最年長でした。
オゴタイがまだ生きていた1240年の時点では大ハトゥンと呼ばれれていたのは最上位にいたボラクチンではないか?というのです。
1240年段階で幼い東宮といえばオゴタイの孫 シレムンしか考えられません。シレムンの父親はオゴタイの息子クチュです。ボラクチンがクチュの母親だったとすれば、シレムンは彼女の孫になります。
となればボラクチンが幼い孫の公務を補佐して命令を出していたと考えられるのです。
ドレゲネとする説
もう一人の候補がオゴタイの第六妃 ドレゲネです。
ドレゲネはオゴタイが亡くなった後に摂政としてモンゴル帝国の政治を主導した女性です。その後の政治的な地位を考えると大皇后はドレゲネではないか?と言うのです。
この説の難点は石碑が作られた1240年にはオゴタイはまだ健在でした。『集史』で第一妃とされているボラクチンよりもドレゲネが上位に立ち大皇后と呼ばれるためには、ボラクチンや他の有力な妃がいなくなっている必要があります。
さらにシムレンを補佐する立場からドレゲネに乗り換えたことになります。
これについてはオゴタイが生きている間は皇帝の決定に従っていたが、オゴタイの死後は自分の息子グユクを優先させたということになるのでしょうか。
どちらが大皇后?
結局、どちらの説も碑文に大皇后の名前が書かれていないので周辺の記録から人物を想像したものです。
ボラクチン説にもトルゲネ説にも決定的な証拠はありません。
ただ、オゴタイが生きているときに大皇后と呼ばれていたというのなら、第一妃、正宮、最年長と記録されるボラクチンの方が候補としては説明しやすいかもしれません。
『道蔵』の刊行と子ども、そして最期
道教の書物『道蔵』との関係
紫微宮懿旨碑に登場する大皇后は、道教関係の書物を集めた『道蔵』の刊行を支援する命令を出しています。
『道蔵』には道教の経典の他、儒学、医学、占術、錬丹術などに関係する書物も収録されていました。
石碑の大ハトゥンがボラクチンであれば彼女が『道蔵』の刊行を支援したことになります。
ここからボラクチが道教や占い、錬丹術にも理解が会ったことがわかります。
『天幕のジャードゥーガル』ではボラクチンは不老不死に興味があって薬を作っている(ただし本当の目的は別にある)という描写がありますが。
これも大皇后=ボラクチン説をもとにした設定なのでしょうね。
ボラクチンの子どもと最期
ボラクチンに子供がいたのかどうかは記録がありません。もし大皇后がボラクチンだとすると、クチュがボラクチンの子で。シレムンが孫ということになります
ボラクチンの最期
ボラクチンが亡くなった時期も不明です。
紫微宮懿旨碑の大皇后がボラクチンであれば、少なくとも1240年までは生きていたことになります。その後の記録が見つからないため、1240年代の早い時期に亡くなった可能性もありますが、詳しいことは分かりません。
逆に大皇后がドレゲネだとすると1240年より前に亡くなっていることになります。
いずれにしてもボラクチンの最後やいつ亡くなったかは不明です。
漫画『天幕のジャードゥーガル』でのボラクチン
漫画『天幕のジャードゥーガル』でボラクチンがどのような人物として描かれているのかを紹介します。
チンギス・カンから引き継がれた妃
劇中のボラクチンはもともと初代皇帝チンギス・カンの妃だったという設定です。
チンギス・カンが亡くなった後、息子のオゴタイが彼女を妻としました。これは亡くなった親族の妻を別の男性が引き継ぐ「レヴィレート婚」と呼ばれる慣習です。
史実ではボラクチンがチンギス・カンの妻だったという記録はありません。オゴタイと結婚する前の生活についても分かっていません。
「天幕のジャードゥーガル」ではボラクチンがチンギス・ハンの妃だったという設定ですが。遊牧民社会ではレヴィレート婚が実際にありますし、史実でもチンギス・ハンの妃からオゴタイの妃になったキュルギネという人もいます。なので全くありえない設定ともいえないのです。
オゴタイより年上の女性と実家の血筋
作品ではボラクチンはオゴタイよりもかなり年上の女性として描かれています。確かにオゴタイの妃の中では最年長でした。
実家の血筋もあまり高くないという設定になっていて周囲からは、なぜ彼女が正妃の大ハトゥンなのかと疑問を持たれています。
史実でもボラクチンは妃たちの中で最年長と記録され、出身部族や父親の名前が分かっていません。
作品では、史料に記録されなかった部分を使い年上で出自の分からない正妃という人物像を作り上げているんですね。
不老不死への執着と「雄黄」の秘密
作中のボラクチンは、若さと不老不死を強く求め、ヒ素を含む危険な鉱物「雄黄(ゆうおう)」を飲み続けています。その結果、体調を崩して病床に伏してしまいました。
そこへ主人公のシタラ(ファーティマ)がやって来て、毒の作用を和らげる「ジャダ石」を勧めたことで回復します。
史実のボラクチンが雄黄を飲んだことや、シタラの治療を受けたという記録はありません。
一方で、石碑の大ハトゥンが刊行を支援した『道蔵』には、錬丹術や薬物に関係する書物も含まれていました。
作者は『道蔵』刊行の記録から着想を得て不老不死や雄黄に関係する物語を作ったのかもしれませんね。
トルイ謀殺という目的
ところが劇中ではボラクチンが雄黄を飲んでいた本当の目的は不老不死ではありませんでした。自分の体を使って毒の作用を試し、その知識を利用してオゴタイの弟トルイを密かに毒殺しようとしていたのです。
史実ではボラクチンとトルイが対立していたという記録はありませんし、彼女がトルイの死に関わったという記録も確認されていません。物語のために作られた設定です。
史実と漫画『天幕のジャードゥーガル』の違い
| 項目 | 史実での記述 | 漫画での設定 |
|---|---|---|
| 身分 | オゴタイの第一妃、正宮 | オゴタイの第一妃、大ハトゥン |
| 以前の夫 | 不明 | 初代皇帝チンギス・カン |
| 結婚の経緯 | 不明 | レヴィレート婚によりオゴタイが引き継ぐ |
| 年齢 | 妃たちの中で最年長。オゴタイとの年齢差は不明 | オゴタイよりかなり年上 |
| 出身 | 出身部族や父親は不明 | 特に血筋の高い家ではない |
| 大皇后の称号 | 石碑の大ハトゥンをボラクチンとする説と、ドレゲネとする説がある | ボラクチンが大ハトゥンとして描かれる |
| 不老不死・雄黄 | 雄黄を飲んだ記録や、不老不死に関心を持っていた記録はない | 雄黄を飲み続けて病気になる |
| ジャダ石の治療 | 記録はない | シタラの助言により回復する |
| トルイとの関係 | 対立や毒殺計画を示す記録はない | 雄黄の毒を利用してトルイを謀殺しようとする |
| 『道蔵』との関わり | 刊行を支援した大ハトゥンをボラクチンとする説がある | 不老不死や薬物に関係する設定のもとになった可能性がある |
まとめ
史実のボラクチンはオゴタイの第一妃でしたが、具体的な記録がほとんどありません。
漫画『天幕のジャードゥーガル』では若さに執着する妃のように見せて実は毒の作用を確かめていたという野心を持った人物として描かれています。
史料にある妃たちの中で最年長、出身が分からない「大ハトゥンが『道蔵』の刊行を支援した」というわずかな情報からトルイ暗殺を企てる人物像を作ったのですね。
史実のボラクチンが実際にどのような人物でオゴタイの宮廷でどのような役割を果たしていたのかは分かりません。
でも第一妃として高い地位にいた女性が存在したことは確かです。
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