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宮廷女官 若曦 22話・23話・24話 八皇子のハヤブサ事件と大将軍王になった十四皇子

宮廷女官 若曦 22話~24話のあらすじをまとめました。

22話では四皇子が若曦をかばって負傷。八皇子の失脚につながるハヤブサ事件が起こります。第23話から第24話では若曦が十四皇子との縁談を拒んで浣衣局へ左遷され、それでも耐え抜き再び皇帝のそばへ戻ります。一方、十四皇子は大将軍に任命されて功績をあげいちやく有力候補になります。

 

この記事で分かること

  • 第22話:四皇子が若曦をかばって負傷、八皇子が失脚
  • 第23話:若曦が十四皇子との結婚を拒んで浣衣局送りになる
  • 第24話:十四皇子が大将軍となり、若曦が再び皇帝の側仕えに戻る
  • 八皇子の失脚と十四皇子の台頭の経緯と史実との違い

 

他のエピソードを見たい方は
宮廷女官 若曦 あらすじ ネタバレ一覧をご覧ください。

 

宮廷女官 若曦 あらすじリスト

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第22話あらすじ

第23話あらすじ

第24話あらすじ

 

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宮廷女官 若曦 22話 ついえた野望

要約:
四皇子が若曦を庇って矢を受けてしまい、八皇子は贈り物のハヤブサが瀕死の状態で皇帝が激怒します。
 

あらすじ 22話 

過去のわだかまりが消えた日

かつては仲の悪かった若曦と明玉ですが、再会をきっかけにようやく笑顔で語り合えるようになりました。これまでの争いは立場が違ったから起きたのだと、お互いを認め合います。

四皇子の献身と若曦の決意

ところが近くで鳥を射ていた弘時が誤ってこちらへ矢を放ってしまいます。飛んできた矢から明玉を救ったのは十皇子でした。そして若曦を救うために体を盾にして守ったのは四皇子です。そのため彼は肩に矢を受けてしまます。その四皇子の行動に、若曦の心は揺れ動きます。

彼女は彼が自分に注いでくれた想いの証として、引き抜かれた白羽の矢を誰にも見せず、密かに手元に残すことに決めました。

八皇子を襲った致命的な罠

皇帝の巡幸中に八皇子は母の供養のために一足早く帰京することを許され、皇帝にハヤブサを贈り物として届けさせました。ところが届けられた籠の中のハヤブサは死にかけていました。これを見た皇帝は「自分を死にゆく鷹になぞらえたのか」と激怒、面会を拒絶sれてしまいます。

 

逆境で見せた正室 明慧の誇り

八皇子が心身ともに病んで倒れる中、周囲は彼を裏切ったのは勢力を奪おうとした十四皇子ではないかと疑います。若曦までもが疑いの目を向けたため十四皇子は激怒。

正月の参内では病床の八皇子の代わりに正室の明慧が出席。冷ややかな視線が注がれたものの彼女は堂々と振る舞い、その姿に若曦も敬意を抱くのでした。

 

注目:ハヤブサ事件は本当にあったのか?

八皇子が贈ったのは「海東青」とよばれる満洲地方に生息するハヤブサの一種。清朝の皇族はこの鳥を狩りに使いました。

史実でも八皇子が康煕帝に贈ったハヤブサが瀕死の状態で康煕帝が激怒。八皇子は皇位継承候補から外されてしまいます。ただし史実ではそれが誰かの陰謀だったとは書かれていません。なぜハヤブサが瀕死の状態だったかは謎です。

もともと康熙帝は党派を結成して皇位継承争いを行っていた八皇子長く警戒していました。そうした不信感があったところに、この出来事ですから。よけいに腹立たしいのです。

詳しくは第八皇子 胤禩 は皇太子の座を狙っていたをご覧ください。

 

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宮廷女官 若曦 23話 不遜な女官

要約:
若曦は十四皇子との結婚を拒んだため皇帝の怒りを買い、杖刑を受け浣衣局へ送られてしまいます。
 

あらすじ 23話 

命がけの拒絶と厳しい罰

若曦は突然、皇帝から十四皇子に嫁ぐよう命じられました。でも四皇子への想いがあり、若曦はこの縁談を断りました。皇帝の命令は絶対で、逆らうのは命の危機と伴います。

激怒した皇帝は若曦に板打ち20回の刑を与え、身分の低い宮女が働く浣衣局への異動を命じるのでした。

皇子たちの動揺と四皇子の沈黙

若曦の処罰に皇子たちは衝撃を受けました。十皇子は皇帝に抗議しようとしますが、妻の明玉に止められます。十四皇子は若曦が八皇子を助けるために罰を受けたと誤解して彼女を問い詰めます。

一方、四皇子はあえて若曦の見舞いに行かず皇帝の前でも冷淡な態度を保っていました。それは、今自分が動けば若曦の立場がさらに危うくなることを知っていたからです。

浣衣局での孤独な戦い

傷が癒えた若曦を待っていたのは、洗濯の山でした。慣れない労働で手は霜焼けになり、食事さえ満足に取れない日々が続きます。現場の責任者からは執拗な嫌がらせを受けますが、若曦は耐え続けました。

闇の中で交わされた誓い

ある夜、四皇子が密かに浣衣局を訪ねてきました。なぜ安定した地位を捨ててまで指婚を断ったのか質問する四皇子に、若曦は「心に背くことはできなかった」と告白します。

四皇子は自分のためにこのような目にあった若曦を抱き寄せ「必ずお前をここから連れ出し、妻にする」と固く誓うのでした。

 

注目:浣衣局とはどんな場所?

ドラマの中で若曦は浣衣局に送られました。浣衣局は明朝時代に存在した部署で。罪を受けた女性や、年を取り病気になった宮人が送られる場所。ドラマどおり洗濯が仕事です。懲罰的な意味合いや、宮中から外された人が送られる場所という意味が強く出世コースの宮女が働く場所とはいえません。

ただし清朝では浣衣局という部署はありません。清朝では辛者庫という部署が存在して下級の宮女が肉体労働を行っていました。エイラクで登場していた部署です。

ドラマでは中国人視聴者に分かりやすいよう、明朝にあった組織名を使っているようです。

 

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宮廷女官 若曦 24話 風雲急を告げる紫禁城

要約
若曦は浣衣局で嫌がらせを退けながら耐え忍び、最終的に自作の点心をきっかけに皇帝の許しを得て、再び側仕えとして復帰しました。

 

あらすじ 22話 

どん底で見せた若曦の知略

浣衣局での生活は厳しく、若曦は宮女たちに四皇子から贈られた大切な髪挿しを盗まれてしまいます。若曦は手持ちの貴重な品々を彼女たちに分け与えて心を掴むと自分に従わせることに成功しました。

八皇子への決別と新しい命

重病に陥った八皇子を心配した十皇子たちが若曦を訪ねます。若曦は八皇子を救うため、「執着を捨ててほしい」という願いを込めて文を若蘭に託しました。

一方、十三皇子と緑蕪の間には娘の承歓が誕生。四皇子は幼い承歓を連れて若曦に会いに来て久しぶりに温かいひとときを過ごしました。

十四皇子の躍進と「大将軍王」の帰還

チベットが占領され、軍を派遣することになりました。皇帝は十四皇子を「撫遠大将軍(大将軍王)」に任命し出兵させます。

十四皇子は見事にラサを奪還、さらにイリへ進軍してジュンガル問題を解決して都へ帰還しました。彼の名声は高まるばかりでした。

彼は真っ先に若曦のもとを訪れ、なぜ過酷な洗濯所に留まり自分との結婚を拒むのかと問い詰めますが、彼女の意思を尊重して彼女を見守ることにするのでした。

 

再び皇帝の側へ

老いと病で体調を崩した皇帝は食欲も落ちていました。それを見かねた太監の王喜は密かに若曦に点心を作らせます。一口食べただけで若曦の味だと気づいた皇帝は彼女の頑固さに呆れつつも、その忠誠心と懐かしさに心を動かされました。

ついに若曦は数年におよぶ浣衣局での労役を終えて再び皇帝に仕えることになります。

 

注目点:清朝のジュンガル・チベット問題

康熙帝の時代に清朝はジュンガルと長く戦いました。ジュンガルはモンゴル系の勢力で、西北の支配を巡って清と争っていました。康熙帝は複数回にわたって軍を送り、ジュンガルを退けました。しかしジュンガルはチベットに介入。康煕帝はチベットに軍を派遣してジュンガルをチベットから追い出して、チベットを保護下に起きました。その後はイリ方面に軍を向かわせジュンガルと睨み合う状態が続いていました。

史実では康煕帝自ら遠征したり長い年月にわたって戦いが行われました。十四皇子の一度の遠征で全て片付いたわけではありません。

また十四皇子は遠征中のまま康煕帝が亡くなっているので。ドラマのように康煕帝が生きている間に十四皇子が都に凱旋するのは脚色です。

 

 

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歴史解説

八皇子の失脚と十四皇子の台頭の流れ

ドラマの22話までで描かれた八皇子胤禩が勢力を失う経緯と、それに替わって十四皇子胤禵が有力候補として支持を集めるまでをまとめました。

 

出来事
1698年
(康熙37年)
八皇子・胤禩がベイレに任命され。皇子の中で早い段階から地位を持ち、のちに有力候補として名前が上がる土台ができます。
1708年
(康熙47年)
康熙帝が皇太子・胤礽を廃します。直後に大臣らが八皇子・胤禩を推薦。康熙帝は胤禩を野心をもち党派を結んだとして拘束。 胤禩は爵位を失います。のちにベイレに戻されますが、康熙帝の不信は残りました。
1711年
(康熙50年)前後
2回目の廃太子。ここでも八皇子・胤禩は康熙帝から強く警戒され続けます。ハヤブサ事件はこのあたりで起こります。
1717年
(康熙56年)
ジュンガルがチベットに侵入。清朝はチベットへの対応を迫られます。
1718年
(康熙57年)
十四皇子・胤禵が撫遠大将軍に任命され。康熙帝は太和殿で自ら敕印を授け、王公や大臣が見送る大きな儀礼を行いました。十四皇子が特別に重く扱われた年です。
1718年末 十四皇子 胤禵は大軍を率いて出発。西北軍務全体を統べる総司令になります。
1719年
(康熙58年)
胤禵は西寧方面を拠点に兵站と軍の配置を進めます。
1720年
(康熙59年)
十四皇子 胤禵は青海の王・台吉と協力してチベットに進軍。ジュンガルを追い出し新しいダライ・ラマの即位を実現させました。
1721年
(康熙60年)

胤禵は甘州方面に進軍。ジュンガルに圧力をかけました。チベットだけでなく、西北方面の防衛も担当する立場にありました。

1722年
(康熙61年)
康熙帝が死去。この時、胤禵は遠征先で軍務を担当していました。雍正帝即位後に都へ呼び戻されます。

 

史実と比較すると、ドラマの大きな事件はほぼ史実どおりにおきていて、ドラマように細かな部分が脚色されているのがわかります。ただしドラマでは一度十四皇子が帰還していますが、史実では帰還しないまま康煕帝が亡くなっています。

 

康煕帝時代の皇子たちの争いについては 九王奪嫡(九子奪嫡)康熙帝の皇子たちの激しい後継者争いとは?をご覧ください。

 

主な登場人物と結果

 

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

運営者SNS: X(旧Twitter)

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