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凌不疑/霍無傷/霍不疑のモデル 衛不疑・霍去病とは?

星漢燦爛 凌不疑のモデル d ドラマ紹介

 

中国ドラマ「星漢燦爛(せいかん)」は架空の王朝が舞台のドラマ。でもこの作品は明らかに東漢時代をモデルにしています。皇帝や公主(皇女)にも歴史上のモデルが存在いるんですね。

呉磊(ウー・レイ)が演じる「凌不疑」は、公式にはモデルは発表されていません。でも中国の多くのネットユーザーは凌不疑のモデルは霍去病(かくきょへい)と衛不疑(えいふぎ)の組み合わせだと考えているようです。

そこで今回は凌不疑のモデルになった霍去病と衛不疑についてどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「星漢燦爛」の 凌不疑とは

星漢燦爛 凌不疑

ドラマ「星漢燦爛」の凌不疑について簡単に紹介します。

 

ドラマ序盤:表向きのプロフィール
姓名:凌不疑 → 霍不疑
本名:霍無傷
小名:阿狸、十一郎
字:子晟役職:将軍→光祿勳副尉→?
皇帝の義子

 

凌不疑の家族

凌不疑としての家族
父:凌益
母:霍君華
継母:淳于氏本当(霍無傷)の家族
父:霍翀
母:不明
叔母:霍君華(凌益の元妻、後に離縁)

5歳の時に伯父の凌益により一族が皆殺しにされました。阿狸と衣服を交換したことで難を逃れ、姑母の霍君華に助けられました。復讐のために凌益の子となり阿狸(凌不疑)として生き続けました。

 

 

凌不疑の特徴

  • 冷静沈着な判断: どんな状況下でも冷静さを失わず、的確な判断を下すことができます。
  • 卓越した戦略家: 戦場では優れた戦略家としての才能を発揮。数々の勝利を収めてきました。
  • 感情を抑制する: 感情に流されることなく、常に理性的な行動を心がけています。
  • 周囲の人々を遠ざける: 心を開くことを恐れており、周囲の人々との距離を置く傾向があります。
  • 愛する人を守るために戦う: 一度心を許した相手に対しては命をかけて守ろうとします。

凌不疑の魅力

凌不疑は複雑な内面をもつキャラ。冷徹な外見とは違って心の奥底には温かく熱い気持ちが渦巻いています。そのギャップも凌不疑の魅力かもしれませんね。

彼は若くして将軍になり実績をあげ。冷静で武芸が得意。でも決して完璧な人間ではありません。悩みや葛藤を抱えながら生きている複雑なキャラです。

 

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モデル1:霍去病(かくきょへい)

前漢の若き天才将軍

霍去病

霍去病(かくきょへい)は、前漢の武帝時代に活躍した天才将軍。

時代:前漢
生年: 紀元前140年
没年:紀元前117年
享年:24
役職:驃騎将軍、大司馬
父:霍仲孺。
母:衛少児(衛子夫・衛青の姉)

母の衛少児が武帝の后・衛子夫の姉だったため。霍去病も武帝に気に入られていました。

若くして将軍になり多くの手柄を立てました。

彼の叔父・衛青(えいせい)は武帝を支えた将軍。匈奴との戦いで活躍していたことから、霍去病も若くして軍に入り、伯父のもとでその才能を発揮しました。

匈奴との戦いで大活躍

霍去病は匈奴との戦において数々の輝かしい戦果をあげました。

特に河西回廊を平定、匈奴の勢力を大きく削ぐことに成功しました。彼の迅速かつ大胆な作戦は、匈奴を恐れさせたといいます。

前漢は建国以来、匈奴に服従していましたが。武帝は匈奴との戦いに勝って匈奴との力関係を逆転させました。武帝のやろうとしていることを実現するためにも必要な人材でした。

傲慢でも人気

霍去病は生まれたときから外戚(皇帝の親戚)。

そのため苦労を知らず、人の苦労をいたわるようなこともありません。傲慢ともいえる態度をとっていました。

伯父の衛青も実績のある将軍でした。衛青は皇帝に媚びたり兵士に気を使ったりしていました。

でも宮廷でも兵士にも人気があったのは伯父の衛青ではなく霍去病でした。

霍去病には天才的な武将としての才能と抜群の実績があり、傲慢な態度も「頼もしい奴」「大物だ」と見られていたようです。

武帝時代の前漢は傲慢でも実績があれば許される時代だったのでしょう。

 

短く激しい生涯と伝説

霍去病は”病気にならないように”と「去病」と名付けられました。でも名前に反して若くして病死。24歳という若さでした。

天才将軍も病魔には勝てなかったようです。

霍去病はその短い生涯で数々の伝説を残しています。例えば匈奴の単于(君主)を追い詰め、その首級を持ち帰ったとか。匈奴の兵3万を討ち取ったという話が伝わっています。

どこまで本当か分かりませんが、人々には「霍去病ならやるかもしれない」と思わせるものがあったのでしょう。

共通点

  • 名前:凌不疑の本名「霍無傷」は明らかに「霍去病」を意識しています。
  • 素晴らしい軍事能力:霍去病と凌不疑は優れた軍事能力を持ち、戦場でその才能を発揮しました。
  • 若くして活躍: 霍去病と凌不疑は若くして将軍となり活躍しています。
  • 家族がワケアリ:凌不疑は伯父に父を殺され伯父の子となり。叔母を母として育ちました。霍去病は母が陳掌と密通、陳掌の義子になっています。
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モデル2:衛不疑(えいふぎ)

衛不疑:歴史に名を残した人物、その謎

凌不疑」の名前のモデルになったのは「衛不疑」と思って間違いないでしょう。

衛不疑は「史記」に登場する人物。前漢時代の武将ですが、その生涯は謎が多い人物です。

時代:前漢
生年:不明
没年:不明
享年:不明
爵位:陰安侯
父:衛青(えいせい)
母:不明
継母:平陽公主
叔母:衛子夫(武帝の后)

 

霍去病のところでも紹介した衛青の息子です。衛青が匈奴との戦いで大戦果をあげたため、息子の衛不疑には陰安侯の爵位が与えられました。

とはいっても衛不疑はまだ子供。「戦いにも出ていないのに爵位をもらっては部下に示しがつかない」と衛青は断りました。でも上機嫌の武帝は「部下の褒美も忘れてないから受け取れ」と無理やり爵位を与えられました。

その後。武帝は「酎金」が足りない払っていないという理由で爵位を剥奪されました。

酎金(ちゅうきん)
漢では爵位を持つ者は、年に1回。金を皇帝に献上しないといけません。滞納したり足りないと爵位が剥奪されます。

ただしこの事件は言いがかりというか見せしめだったといわれます。武帝が計画している南越攻撃に参加する武将が少なかったので、従わない臣下たちへの見せしめとして行ったというのです。

漢の規則では親から爵位を受け継げない息子にも成人すれば何らかの地位は与えられるはずなので。衛不疑も何かの地位にはついていたはずです。

その後も記録には出てきません。

謎の生涯

衛青の息子なので武官になったはずですが。父や霍去病ほどは活躍してなかったのでしょう。

また後におきた「巫蠱の禍」という事件が起きて、皇太子 劉拠とその母・衛皇后が自害に追い込まれ。衛氏のほとんどが粛清されてしまいました。衛不疑もそのときに犠牲になり。記録も抹消されたのかもしれません。

モデルになったのは名前だけで。人物像は霍去病の影響が大きいようですね。

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まとめ

凌不疑/霍去病のモデルはひとりではなく、幾つかの人物を組み合わせたもののようです。

  • 「凌不疑」の名前のモデルは「衛不疑」。
  • 「凌不疑」の本名「霍無傷」のモデルは「霍去病
  • 有能な若い将軍としてのモデルは「霍去病

といえますね。

衛不疑も霍去病も前漢の武帝の時代の人物。

ドラマ「星漢燦爛(せいかん)」の皇帝は後漢を建国した光武帝がモデル。

霍去病と光武帝は生きた時代が違います。

「星漢燦爛」に登場するキャラクターは漢の歴史から様々な人物を選んでモデルにしているようですね。

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