魏徵:唐の太宗を支えた名臣の生涯

魏徵 5 唐
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魏徵(ぎ ちょう)は唐の時代の政治家。

逆境を乗り越え唐の繁栄に貢献した名臣です。貧しい家に生まれながらも、隋末の混乱期には反乱軍に参加して活躍。唐の建国後は、皇太子李建成や太宗の側近として、数々の諫言を行いました。

魏徴の諫言は太宗を怒らせることもありましたが、常に国と民を思う心からのものでした。太宗も魏徴の誠実さを信頼しました。二人の間には、君臣を超えた厚い信頼関係が築かれ、「貞観の治」と呼ばれる平和な時代が築かれました。

唐の建国期に活躍し太宗を支えた魏徴の生涯を紹介します。

 

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魏徵の史実

いつの時代の人?

名称:魏徵(ぎ ちょう)
字: 玄成
国:隋→魏→夏→唐
生年月日:580年
没年月日:643年

 

隋から唐時代の政治家です。

日本では飛鳥時代になります。

家族

父:魏長賢
母:河東裴氏
妻:不明

 

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魏徴

貧しい暮らし

魏徴は幼い頃に父親を亡くし、貧しい生活を送りました。

それでも彼は志を高く持ち学問に励みました。特に戦国時代の弁論術である「縦横の説」に興味を持ち、世の中の流れを鋭く見抜く力を養いました。生活のために道士(道教の呪術師)となった時期もあったようです。

瓦崗軍に参加

隋の末期。世の中が乱れる中で魏徴は瓦崗軍という反乱軍に参加します。そこで元宝蔵という将軍の書記となりました。素晴らしい文章を書いて李密に認められました。魏徴は李密に10の計略を提案しました。李密はこれを高く評価しましたが、実際には採用しませんでした。

その後も魏徴は李密に対して戦略を進言します。敵軍との戦い方、軍の運営方法など、彼の提案は的確で後の彼の活躍を予感させます。しかし彼の進言は他の将軍たちには受け入れられませんでした。

唐に降伏

しかし李密は王世充に敗れ、魏徴は李密と共に唐に降伏しました。

でも李密の部下だった李勣は広い領地を持っていることもあり降伏しません。そこで魏徴は李勣を説得し、唐に降伏させました。

夏の竇建徳の捕虜に

ところが618年9月。夏王 竇建徳が軍を率いて相州を攻撃。魏徴、李神通、李勣らは竇建徳に敗れ捕虜になってしまいました。魏徴はしばらくこき使われることになります。

621年。唐の高祖 李淵は秦王 李世民を派遣して王世充を攻撃させ、竇建徳は王世充を支援するために軍を率いて駆けつけました。

李世民は竇建徳を破り生け捕りにしました。これにより、魏徴は再び唐に戻ることができました。

皇太子 李建成に仕える

太子の李建成は魏徴の名声を聞き、彼を太子洗馬に任命し手厚い待遇で迎えました。

622年。竇建徳のもと部下だった劉黒闥が突厥と結託して山東を攻撃。魏徴は李建成が嫡男ではあるものの李世民ほどの功績がないことに気づき、李建成に自ら出陣して功績を立てるように勧めました。

李建成は魏徴の助言に従い劉黒闥討伐を志願。これを捕らえて斬首し山東を平定しました。

 

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魏徴、李世民に仕える

玄武門の変で李建成が討たれる

626年、李世民(後の太宗)は「玄武門の変」を起こし、兄の李建成と弟の李元吉を討ちました。

李世民は魏徴が以前、李建成に自分を排除するよう進言していたことを知っていました。

そこで魏徴を呼び出し、「なぜ兄弟の仲を裂こうとしたのか」と問い詰めました。周りの人々は、魏徴の身を案じましたが彼は堂々と答えました。「もし太子が私の言葉に従っていれば、このような事態にはならなかったでしょう。」

李世民に採用される

李世民は以前から魏徴の才能を高く評価していました。彼の率直な物言いに感銘を受け、罪を許し、詹事府主簿として自分の側近に迎えました。

その後、李世民は魏徴を諫議大夫に抜擢しました。さらに河北に残る李建成と李元吉の旧臣たちを懐柔するため魏徴を派遣しました。

魏徴は勅命を柔軟に解釈し旧臣たちを赦免することで彼らの信頼を得ました。この働きぶりを見た李世民は喜びました。

太宗の時代

626年8月。李淵が退位、李世民が皇帝に即位すると魏徴は鉅鹿県男になりました。

魏徴、命がけの直言!太宗を支えた不屈の諫臣

太宗 李世民は、しばしば魏徴を呼んで政治について意見を求めていました。魏徴はその期待に応え常に率直に意見を述べました。

太宗もまた彼の意見を真摯に受け止め、その関係は非常に良好でした。

太宗は魏徴に「あなたは200回以上も私に意見してくれた。心から国を思っていなければ、こんなことはできないでしょう」と感謝の言葉を述べたほどです。

徴兵し過ぎを指摘

ある時、太宗が若い男性を兵士として徴兵しようとした際、魏徴は強く反対しました。太宗は怒って魏徴を呼びつけましたが、魏徴はひるむことなく、「兵士の質こそが重要であり、数ではありません。陛下は誠実さを大切にすると言っておきながら、国民を欺くようなことをしています」と主張しました。

魏徴は太宗が過去に出した命令が守られていないことを具体的に指摘し、太宗の言葉と行動の矛盾を厳しく批判しました。

これを聞いた太宗は自分の過ちを認め魏徴の意見を受け入れました。そして魏徴の勇気を称え彼に金製の甕を贈りました。

魏徴、太宗の愛娘の結婚に異議あり!

太宗が溺愛する長楽公主の結婚が決まりました。太宗は長孫皇后の娘である公主のために、嫁入り道具を叔母の永嘉長公主の倍にしようとしました。しかし魏徴は「それは礼制違反です!」と反対。

太宗がこのことを皇后に話すと、皇后は魏徴の「君主の感情よりも礼儀を重んじる」姿勢に感銘を受け彼を褒め称えました。そして「どうかその正直さを貫いてください」と伝え贈り物まで贈ったのです。

皇后の死に捕らわれる太宗を遠回しに諌める

636年。太宗の最愛の妻、長孫皇后が亡くなりました。

太宗は大変悲しんで宮中に高殿を建て毎日皇后の陵墓を眺め、大臣たちにも弔いをさせました。

ある日、太宗は魏徴に陵墓が見えるか尋ねました。魏徴は「目が悪く見えません」と答え、太宗が皇后への想いに囚われ過ぎていると遠回しに諫めました。

太宗は魏徴の意図を知って泣きながら高殿を壊すように命じました。

歴史書の編纂

魏徴は太宗の命令で歴史書の『隋書』などを編纂の指揮をとりました。

過剰な貢物を注意

637年。太宗が地方視察をした際、州県の役人の供物が不十分だったため、多くの役人が叱責されました。魏徴は太宗に過去に隋の煬帝が同じ場所で民に過剰な貢物をさせ、無駄にしたことを指摘、浪費を戒めました。

魏徴、病床に伏しながらも太子の指南役へ

太子の李承乾が学問を怠け、太宗が別の魏王 李泰を寵愛するようになると、朝廷では後継者問題への不安が高まりました。太宗はその不安を鎮めるために、最も信頼する魏徴を太子の補佐に任命しました。

642年。太宗は魏徴を太子太師に任命し、政治全般の補佐も任せました。魏徴は病気を理由に辞退しますが、太宗は「漢の太子には四老がいたように、あなたを頼りにしている。病床にあっても太子を助けてほしい」と命じました。

太宗は魏徴の忠誠心と政治手腕を高く評価し、彼ならば太子の問題を解決できると期待したのです。

 

魏徴の最後

643年。64歳の魏徴は病に倒れ、死期が近づいていました。

太宗はそれを聞いて魏徴の家を訪れ、二人きりで長く語り合います。その後、太宗は太子 李承乾と娘の衡山公主(後の新城公主)を連れて再び魏徴の家を訪れました。

太宗は衡山公主を魏徴の長男、魏叔玉に嫁がせると約束。しかし魏徴はすでに立ち上がることはできないほど弱っていました。

数日後。太宗は夢の中でいつものように魏徴と会い。翌朝、魏徴の訃報が届きました。

太宗は魏徴の死を深く悲しみ5日間喪に服し、百官に葬儀への参列を命じました。太子 李承乾も魏徴の死を悲しみました。

魏徴の死後:名誉回復と太宗の悔恨

功臣になる

643年2月。太宗は長孫無忌、李孝恭、杜如晦ら24人の功臣の肖像画を閻立本に描かせ、凌煙閣に飾りました。魏徴もその一人で第4位の評価が与えられていました。

皇太子 李承乾の謀反

しかしその後、太子の李承乾が謀反を計画。侯君集が処刑され、杜正倫が流刑に処される事件が起こりました。

魏徴はかつてこの二人を太宗に推薦しており、太宗は魏徴が党派を作っていたのではないかと疑い始めました。

婚約を破棄

さらに魏徴が過去の諫言を書き残し史官の褚遂良に見せていたことが発覚。太宗の不信感は増します。太宗は衡山公主と魏叔玉の婚約を破棄し、魏徴の墓碑を倒すように命じました。

名誉回復

貞観十八年(644年)、唐の太宗は高句麗遠征で苦戦し、「魏徴が生きていれば、このようなことにはならなかっただろう」と感慨を述べ、破壊された魏徴の墓碑を再び立て直し、魏徴の遺族を見舞うように命じました。

 

まとめ

魏徴は若い頃は貧しい生活を送っていましたが、その才能と真っ直ぐな性格で唐の発展に貢献した人物です。

彼は太宗に対して時には厳しい言葉で意見を述べましたが、それはいつも国のことを真剣に考えていたからでした。太宗もまた魏徴の言葉を信頼し二人の間には、深い絆が生まれました。

魏徴の正直な助言は太宗の政治を助け「貞観の治」と呼ばれる平和な時代をもたらしました。

しかし魏徴が亡くなった後、太宗は彼のことを疑い一時的にその名誉を傷つけてしまいました。それでも太宗は自分の間違いに気づき魏徴の素晴らしさを改めて認め、名誉を回復させたのです。

魏徴はその生涯を通して唐の国を大きく発展させた人物として歴史に名を刻んでいます。

 

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