李澄(り ちょう)は実在。本当に独孤伽羅の許嫁だったの?

李澄 6 南北朝
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中国ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」には李澄(りちょう)が登場します。

李澄は隴西郡公 李昞の長男、主人公・独孤伽羅(どっこから)の最初の婚約者です。

物語の序盤で伽羅の人生にも影響を与え、最後は独孤曼陀(どっこばんた)の策略に巻き込まれその運命は大きく狂わされてしまう気の毒な人物でした。

この記事ではそんな李澄どんな存在だったのか、そして彼の人生がなぜ悲劇的な結末を迎えてしまったのか詳しく掘り下げて解説していきます。

李澄の視点から物語を見てみると、「独孤伽羅」の世界がより深く味わうことができるのではないでしょうか?

 

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李澄とはどんな人物だったのでしょうか?

李澄は隴西郡公の世子

李澄(り・ちょう)は中国ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」の序盤に登場します。

隴西郡公 李昞の長男で、李家の世子(跡継ぎ)

独孤家の三女 伽羅の婚約者になりましたが、独孤曼陀の陰謀で大きく人生を狂わされてしまいます。

李澄はドラマの中心人物ではありません。でも独孤姉妹の二人、伽羅と曼陀の運命に関わる重要な役割を果たしました。

彼の存在があったからこそ独孤曼陀が李家に嫁ぐことになりましたし。曼陀の恐ろしさや伽羅の純粋さが目立ったと言えるのではないでしょうか。

ドラマでは伽羅の最初の婚約者

李澄は独孤伽羅の最初の婚約者として描かれています。ドラマ序盤では彼は独孤伽羅を好きになり彼女を妻にしたいと思っていました。

その登場シーンでは独孤伽羅と和やかに言葉を交わし未来への希望を抱く様子が描かれていますよね。

どう見ても実りそうにない婚約

ところがドラマではすでに伽羅も宇文邕が恋愛状態。オープニングや、それまでの演出を見ても独孤伽羅と楊堅の関係が大きくクローズアップされています。さらに独孤曼陀の存在があります。

どう考えても李澄と伽羅が一緒になる未来は想像できません。

 

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李澄と独孤伽羅の婚約:政略結婚の歴史的背景

ドラマでは独孤伽羅と李澄の婚約は親同士が決めたものでした。当時の貴族社会では政略結婚は当たり前です。

さらに北周を舞台にしたドラマには独特の社会があります。それが彼らが属する「武川鎮軍閥(ぶせんちんぐんばつ)」という集団の存在です。

八柱国と政略結婚

独孤家も李家、そして宇文家、楊家も北魏時代に作られた武川鎮軍閥の一員です。

この軍閥は北魏の北の国境を守るために遊牧系民族を中心に組織された集団でした。彼らは互いに政略結婚を繰り返して結束力を高めていきました。

独孤伽羅の父・独孤信や、李澄の祖父・李虎はこの軍閥の最高実力者「八柱国」という名門でした。独孤伽羅の時代には李虎は他界して李昞の世代になってます。

彼らの結婚は個人の感情よりも家の繁栄と権力維持をう優先。同盟関係強化の手段だったのです。

ドラマ「独孤伽羅」における政略結婚

ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」でもこの政略結婚による結束の重要性が強調されています。

  • 長女:独孤般若は北周の皇族に嫁ぎ、後に皇后となります。
  • 次女:独孤曼陀は李澄の父・李昞に嫁ぎます。
  • 三女:独孤伽羅は楊堅に嫁ぎ、最終的に隋の皇后になります。

独孤家の娘たちが有力者たちと政略結婚していくのは史実どおりです。その裏には武川鎮軍閥が血縁関係で権力を維持・拡大してきた事実があったのです。

史実では李澄と独孤伽羅は婚約していません。でもこの二人が婚約してもおかしくない状況でした。

 

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独孤曼陀の卑劣な策略とは?

独孤伽羅と李澄の婚約は独孤家の長女・独孤般若(どっこはんじゃく)の結婚後に破談してしまいます。

この悲劇の原因を作ったのが伽羅の姉・曼陀でした。

曼陀は自身の欲望のために手段を選ばない冷酷な性格の持ち主。実の妹・伽羅の婚約者である李澄にまで手を出してしまったのですから驚きです。

李澄が独孤曼陀の罠にかかった状況

独孤曼陀は李澄の純朴な性格に目をつけ、巧みに彼を誘惑しました。伽羅と宇文邕がデキていると思わせ。李澄と伽羅の仲を壊します。

さらに李澄と既成事実を作ろうとするのですが。ここで手違いがあって李昞と曼陀が一夜を共にしてしまいます。

結局、李澄の縁談は破断。李昞が責任をとって曼陀を娶ることになってしまいました。

この卑劣な策略によって伽羅と李澄の婚約は破断。独孤信は曼陀の仕業とすぐに分かりましたから激怒。親子の縁を切ってしまいます。

李澄の悲劇

李澄にとっては婚約が破談になり。曼陀が義母になるという最悪の展開です。

その後の彼の人生は苦難の連続でした。ドラマでは李澄が独孤曼陀の言動に振り回され次第に心身を病んでいく様子が描かれていました。

李澄は独孤曼陀の卑劣な罠にかかり、独孤般若の指示を受けた明帝によって爵位を剥奪されました。彼は李家世子の地位を失い、庶人として遠方の南寧州(現在の中国雲南省付近)へと追いやられます。

さらに彼の父である李昞(隴西郡公)も1年間の減俸を受けることになりました。

一方で李澄を陥れた独孤曼陀は新主母として成陽郡主になります。

その後、再び獨孤曼陀が策略を巡らせ暗殺。斉人のしわざとされました。

このように彼は独孤曼陀の執拗な嫌がらせや彼女の野心のために利用され続け最終的には悲劇的な末路を迎えてしまいます。

このように李澄は短い期間の登場でしたが。独孤曼陀の冷酷さと権力への執着を見せつける重要な役割を背負わされていた。と言えるのではないでしょうか。

 

史実とドラマの違いはどこにあるのでしょうか?

ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」では李澄が独孤伽羅の許婚になりました。

でも「独孤伽羅」の李澄はドラマのために作られた存在。史実ではありません。

独孤伽羅と李澄に関する史実の記録について

史実では独孤信の娘が李昞と結婚。唐の初代皇帝・李淵が誕生したのは事実です。その李昞には李澄という息子がいたことも記録されています。

でも彼が独孤伽羅の許婚であったとは記録されていません。

そればかりか、李澄については李昞の長男であったことくらいしか記録がないのです。彼がいつ生まれ、母が誰で、どのような人生を送ったのかは全くの謎です。

でも李昞が亡くなったとき、わずか7歳の李淵が唐国公の地位を継いでいるので。そのころには李澄はいなかったのでしょう。

唐建国後。高祖 李淵は亡き兄 李澄に「梁王」の称号を贈っています。李淵は兄の存在を忘れていなかったのですね。

 

まとめ

中国ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」に登場する李澄は主人公・独孤伽羅の許婚でした。彼は李淵の長兄であり李家の世子(せいし)という重要な立場にいました。でも彼の人生は独孤曼陀の策略によって大きく狂わされてしまいます。

ドラマの最初はオリジナルの展開でしたが、最終的には史実通りの結果になりました。歴史の資料が少ないからこそ、大胆な脚色も可能になったのでしょうね。

李澄は唐国公 李昞の長男で実在の人物です。でも記録がほとんどありません。ドラマではそこを上手く利用して独孤曼陀の冷酷さ極悪ぶりを表現するために用意されたキャラとして描かれたようですね。

 

ドラマ「独孤伽羅」関連の記事

ドラマの登場人物やキャストはこちらの記事で詳しく紹介しています。
・独孤伽羅 皇后の願い 登場人物とキャスト紹介

 

ドラマのあらすじはこちらで紹介しています。
・ドラマ独孤伽羅 あらすじ 全話まとめ

 

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