清王朝の後宮:皇后と側室の階級とは

清朝・皇后・側室の階級 1.2 清の皇后妃嬪皇太后
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清王朝を舞台にしたドラマを見ていると皇后や様々な名前の側室が登場します。

日本の大奥のような愛憎劇が中国王朝の後宮でも行われているんですね。

皇后が一番上なのはわかります。でも貴妃とか◯◯妃とか、たくさんの呼び方があって分かりづらいですよね。

そこで日本人にはなじみのない清王朝の側室の呼び方や順番を紹介します。

ドラマを見るときの参考にしてください。

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清王朝の後宮・側室の階級

清朝初期は後宮の階級もシンプルでした。
紫禁城に遷都以降。康煕帝のころに細かな階級が制度化されました。

 地位  定員
正妻
 皇后  1
側室
 皇貴妃  1
 貴妃
 妃
 嬪
 貴人 なし
 常在 なし 
 答応 なし 
 官女子 なし 

 

正妻は皇后のみ。
皇貴妃以下は側室。
皇貴妃は臨時の地位。皇后が存命の間は皇貴妃はおきません。皇后がいないときに皇后の代わりをする側室です。

皇帝によっては定員を守らないこともあります。

ドラマになりやすい乾隆帝は定員以上の側室がいました。

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皇后(こうごう):皇帝の正室

富察皇后の肖像画

富察皇后 朝服 肖像画

画像:乾隆帝の正室・富察皇后

皇后とは?

皇帝の正妻皇后といいます。

皇后は宮廷の中央に位置する宮殿に住んでいたので中宮正宮とも呼ばれていました。

なぜ皇后が必要だったの?

皇后は皇帝の正妻というだけではありません。中国王朝では重要な意味があります。

後宮の管理者:皇后は後宮の妃嬪や女官・宦官たちを統率する役目があります。

陰陽思想: 中国では陰陽のバランスが大切だと考えられていました。皇帝がであれば、皇后はとなり、このバランスが国を安定させる上で不可欠だと考えられていました。

後継ぎ: 皇后は皇帝の子を産み、次の皇帝となる後継ぎを産む役割も担っていました。

皇后の選び方

出身: 一般的に皇帝と同じ姓の人を皇后にすることは避けられていました。清朝では愛新覚羅氏の皇帝は、他の姓の女性を皇后に選ぶことが多かったようです。

政治的な理由: 外戚の勢力を抑えたり、特定の勢力を牽制したりするために、皇后を選ぶこともありました。

皇子時代の正妻:皇帝になる前にすでに正妻(嫡福普)がいた場合は、嫡福普が皇后になります。そのため皇子の嫡福普は高い家柄が求められました。

皇后がいない時代もあった?

清の時代は 必ずしも全ての時代に皇后がいたわけではありません。

皇后がいない理由

政治的な理由: 外戚の勢力を抑えたい場合など、皇后を置かないことで政治的な安定を図ろうとすることもありました。

皇帝の個人的な意向: 皇后は最初の一人だけで十分だと考えたり、他に気に入る女性がいなかったりする場合もありました。

民族的な慣習: 満州族など陰陽思想を重視しない民族の場合、皇后の地位を重視しないこともありました。

皇后がいなくても後宮は大丈夫?

皇后がいなくても皇太后や皇貴妃、貴妃などが後宮を仕切ることで後宮は機能していました。

とくに清朝では皇后の代理として皇貴妃が任命されることもありました。清朝は明朝などに比べると後宮の人員は少なめに抑えられていました。

後宮の管理人というだけなら皇后でなくても何とかなったのです。

 

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清王朝:側室の階級

皇貴妃(こうきひ):皇后の代理

孝儀純皇后

孝儀純皇后 朝服肖像画

画像:嘉慶帝の生母・令皇貴妃(死後追尊:孝儀純皇后)

後宮では皇后の次に偉いです。側室の最高位。

定員は1人

皇貴妃の名は「皇后」と「貴妃」を足して作られました。「貴妃」はそれまで側室の最高位だったからです。

皇貴妃の称号は明の時代から使われました。最初は皇后の代理人の意味でした。皇帝を産んだ側室が死後に与えられる称号としても使われました。

清王朝では側室から皇后に昇格する時。皇后の候補者に一時的に与えられる称号として使われます。

でも皇貴妃になった人の全てが皇后になるわけではありません。皇貴妃のまま終わることもあります。

また、皇帝から特に愛された側室が死後に与えられる称号としても使われます。側室が病気になって「もう助からない」と判断された時、死の直前に贈られることもあります。

清王朝で「皇貴妃」の位を持った人が皇貴妃になった直後に死亡することが多いのはそのためです。

貴妃(きひ):事実上の側室の最高位

後宮では皇后・皇貴妃に次ぐ3番めの地位。

定員は2人です。

側室では皇貴妃の次に偉い立場です。でも皇貴妃は臨時の地位なので常に存在するわけではありません。

つまり普通は貴妃が側室の中で一番偉いです。

清王朝では他にも◯妃という地位があるので紛らわしいです。

でも貴妃は他の◯妃よりも偉いです。

貴の前に皇以外の漢字が付くことがあります。「熹貴妃」といったぐあいです。

これは貴妃は何人かいるので区別するためです。貴妃の前についていた称号をとって呼ばれることが多いです。貴妃になる前に「熹妃」と呼ばれていたら、その人は「熹貴妃」になります。

ドラマの貴妃

雍正帝の時代
貴妃年氏
熹貴妃(後の孝聖憲皇后、宮廷の諍い女のヒロイン)

妃(ひ)

皇貴妃・貴妃の次に偉い側室。
定員は4人です。
ところが、康熙帝・乾隆帝の時代は5~6人いました。

妃が複数いる場合。封号が付くことがあります。

封号(ふうごう)
「妃」の前につく一文字の漢字。
恵妃、宜妃、徳妃、栄妃、良妃、嫻妃、慶妃、令妃など。

他の漢民族の王朝では妃の前に付く漢字で偉い順番が違いました。でも清王朝では貴妃以外の地位はみんな同じです。同じ時代に漢字がかぶることはありません。

嬪(ひん)

側室の中では、皇貴妃・貴妃・妃に次ぐ4番めの地位。

定員は6人です。
やはりというか康熙帝・乾隆帝の時代には6人以上の嬪がいました。

朝鮮王朝なら嬪は側室の最高位です。でも皇帝の存在する中国では嬪の上に貴妃・妃がいます。中国王朝では嬪になっても中堅クラスなのです。

貴人(きじん)

側室の中では皇貴妃・貴妃・妃・嬪に次ぐ5番めの地位。

定員はありません。

常在

側室の中では6番目の地位。

定員はありません。

常在は明王朝では女官の位でした。清王朝では側室の地位になりました。
下級の側室ですが、最下位ではありません。

お付きの者として女官3名、宦官2名が与えられます。

答応

定員はありません。

清王朝では側室の最下位。

側室は皇帝の家族扱いということになっていますが宮廷内でも地位は低いです。

高位の宦官よりも地位が低く、彼らにお辞儀しなければいけません。

 

まとめ:清朝後宮の階級について

清朝の後宮は皇后を頂点に、皇貴妃、貴妃、妃、嬪、貴人、常在、答応がいました。

皇后は皇帝の正室で一人のみ。皇貴妃は皇后が不在時の代理で定員は1人です。貴妃以下は側室と呼ばれ、その数は皇帝によって変動しました。

特に乾隆帝の時代は多くの側室がいて華やかな宮廷生活がドラマで頻繁に描かれます。

側室の地位は皇帝の寵愛の度合いによって変動、死後に高い地位が与えられることもありました。

 

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