高貴妃(慧賢皇貴妃)瓔珞・如懿伝の悪役の最後と死因

慧賢皇貴妃 高氏 1.2 清の皇后妃嬪皇太后
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慧賢皇貴妃·高氏は清の第6代皇帝・乾隆帝の側室。
高貴妃(こうきひ)ともいいます。

「瓔珞<エイラク>」では高貴妃・高寧新こうねいしん
「如懿伝」では 慧貴妃・高晞月こうきげつ、として登場。

乾隆帝の寵愛を受け最終的には慧賢皇貴妃の地位になりました。

高い身分の出身ではなく子供もいませんが、頭がよく宮廷での処世術に長けていました。そういったところがドラマでは悪役にしたてやすいようです。

史実の高貴妃はどんな人物だったのか紹介します。

 

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高貴妃(慧賢皇貴妃)の史実

どんな人?

姓 :高(こう、ガオ)氏
満州姓:高佳(こうか、ガオギャ)氏
名前:不明
称号:慧賢皇貴妃(けいけんこうきひ)
地位:使女(側女)→側福晉(側室)→貴妃→皇貴妃→慧賢皇貴妃生年月日:1711年
没年月日:1745年

高貴妃の肖像画

慧賢皇貴妃 高佳氏

慧賢皇貴妃 高氏 肖像画

彼女は第6代皇帝・乾隆帝の側室です

日本では江戸時代になります。

家族

父:高斌
母:二繼妻馬氏
夫:乾隆帝子供:なし

 

父・高斌は乾隆帝から頼りにされた重臣

父・高斌(こうぶ)は内務府包衣。清朝の内務府に奉公する漢民族でした。
実家は奉天・遼陽にあったといいます。

高斌は高級官僚として河川工事の責任者になり各地に赴任。

中国王朝は河川工事の王朝といわれるくらい頻繁に工事をしていました。中国大陸は黄河など反乱する大河が多いので河川工事は重要な仕事だったのです。

高斌は実績を積み重ね皇帝からも頼りにされました。

高貴妃の家柄が高くないにも関わらず、高貴妃が高い地位につけたのは父の功績のおかげです。

母・馬氏は高斌の3番めの妻。

ドラマ「瓔珞(エイラク)」では父・高斌が最初に結婚した妻の娘となっていましたが。

実際には高斌の二継妻(再再婚相手) 馬氏が生母です。高斌は過去に2度結婚。前妻の死後、馬氏と結婚して高貴妃が生まれています。

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高氏の身分 包衣とは

包衣(ブーイ)とは満洲族独特の制度。満洲族に服従を誓った異民族が従者になる制度。多くは占領した土地に住む漢人・朝鮮人・その他の民族の人々です。

包衣は主人になる世帯と主従関係を結びます。「奴隷」と訳されることもありますが。現代人の想像する奴隷とは違います。中国王朝の奴婢とも違います。包衣の所属は八旗軍か皇室です。

自由は制限されますが皇帝や八旗に忠誠を尽くせば役人になることもできます。満洲社会では民間人あつかいです。裕福な包衣になると奴隷(奴婢)を持っていることもあります。

清の時代には包衣出身の官僚もいました。高斌もその一人です。

側室になるまで

高貴妃の生年は不明。一説には1712年ごろに産まれたといわれます。

高斌は河道総督を務めました。

正確な年は不明ですが1728年ごろ雍正帝の四男・弘暦(乾隆帝)に仕える侍女なり、すぐに格格(妾)になりました。

1734年。福晋(側室)になりました。

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乾隆時代の高貴妃

貴妃になる

高貴妃のイメージ

高貴妃のイメージ

1737年。乾隆帝が即位すると貴妃になりました。

乾隆帝は、父・雍正帝の側室・純懿皇貴妃が住んでいた屋敷を高貴妃に与えました。彼女の暮らす屋敷には「淑慎温和」の額が掲げられました。

1738年8月。高貴妃の母・馬氏が息子を連れて都にやってきました。馬氏は都に滞在中に高貴妃を訪ねました。乾隆帝からも食事のもてなしを受けました。

1743年にも母の馬氏が宮殿を訪れました。乾隆帝は高貴妃に母親と一緒に劇を観に行くように勧めました。乾隆帝は馬氏に絹織物などの贈り物をしました。乾隆帝は高貴妃の母に気を使っていたようです。

要領がよく、後宮で買収、皇帝には地位をおねだり

高貴妃文学の才能があり詩を作りました。人々を納得させる話術も巧みでした。

高貴妃富察皇后とはうまく付き合って謙虚な態度をとっていました。崇慶皇太后に対しても態度を気をつけていたので皇太后から気に入られていました。

他の側室ともうまく付き合い、時には金銭を与え後宮で高い評判を得ていました。つまり後宮内で賄賂を贈って味方を増やしていたのです。

また、乾隆帝に対して「地位を上げてほしい」とお願いしていたようです。

高貴妃の最後

1745年。高貴妃病気になりました。乾隆帝は重病になった高貴妃を気の毒に思い皇貴妃の位を授けました。しかし高貴妃は2日後に病死したため、昇進式に出席することができませんでした。

乾隆帝は他の側室より豪華な棺桶を用意。子供を産んだ哲憫皇貴妃のものよりも豪華でした。

死後。高貴妃の一族は包衣から鑲黄旗人に身分があがり、高貴妃の家族・高氏は満州式の姓・高佳氏を与えられました。

満洲貴族に奉公する身分から貴族になったのです。

宮廷でうまく立ち回った高貴妃

高貴妃のイメージ

イメージです。

高貴妃は要領がよく高い地位の人から好かれるのが上手でした。死ぬまで乾隆帝の愛情が冷めることはなかったようです。

言葉が巧みな反面、抜け目がないともいえます。考え方によってはずる賢いと言えるかもしれません。

高貴妃には子供はいません。乾隆帝には15人の側室がいましたから、並の側室なら地位が危うくなるところです。

乾隆帝の時代、子供がいないにもかかわらず皇貴妃の称号がついているのは高氏だけ。

高貴妃は頭の良さと要領のよさでうまく立ち回り、乾隆帝の愛情をつなぎとめ後宮での地位を維持したのです。

 

ドラマの高貴妃

瓔珞:高貴妃 高寧新

2018、中国
役名:高寧新こうねいしん。 高貴妃  演:譚卓(タン・ジュオ)

後宮のNo.1の地位を狙っています。ヒロイン・魏瓔珞や皇后や嫻妃・輝発那拉氏を快く思っていません。他の側室を配下にして陰謀を企みます。

 

如懿傳:慧貴妃 高晞月

2018、中国
役名:高晞月こうきげつ  慧貴妃 演:童瑤(トン・ヤオ)

如懿傳では慧貴妃の名前で呼ばれます。歴史上の高貴妃は「貴妃」でした。同じ時期に他の貴妃がいないので区別する必要がなかったから。ドラマでは諡の「慧賢皇貴妃」から「慧」の字をとって「慧貴妃」と呼ばれます。

ヒロイン・烏拉那拉·如懿のライバル。父親の地位が高いので傲慢。皇后の手先として陰謀を実行役になります。

「瓔珞」と「如懿傳」はほぼ同じ時代が舞台のドラマ。でもヒロインが違うので味方と悪役が逆になっていることがあります。

でも高貴妃(慧貴妃)はどちらのドラマでも悪役です。

史実でも高貴妃は口先が上手で抜け目がありません。高い地位を望んだり、後宮の人たちにお金を渡して味方にしていたようです。

だからドラマの悪役として描きやすいのでしょう。

 

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