中国ドラマ 風起西州~烈風に舞う花衣~ 37話(最終回)のあらすじとネタバレを感想とともに紹介します。
蘇海政・蘇南瑾親子との戦いもついに決着。しかし彼らに下った処分は予想外に甘いもの。琉璃は方烈に情報を流し、方烈は都に護送される蘇海政を襲撃。そして裴行倹、庫狄琉璃や麴崇裕も長安に戻ることになるのでした。
この記事では最終回のあらすじとネタバレ、感想と気になるその後を解説。他のエピソードは 風起西州 あらすじネタバレ全話一覧 からもご覧いただけます。
※この記事はドラマ『風起西州』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
- 庫狄琉璃(こてき・るり)
演:グーリーナーザー - 裴行倹(はい・こうけん)
演:ティミー・シュー - 麴崇裕(きく・すうゆう)
演:劉端端(リウ・ドワンドワン)
風起西州 最終回 37話 あらすじとネタバレ
簡単要約
- 都護府から戻った裴行倹と琉璃は互いの無事を喜び合う。
- 方烈は蘇海政父子の護送隊を襲い、長年の恨みを晴らして仇討ちを果たす。
- 裴行倹と琉璃は長安へ帰還。麴崇裕と阿史那雲伊の別れが描かれ、それぞれの道へ進む。
あらすじ:ままならぬ世で
蘇家父子の最期
都護府から戻った裴行倹と琉璃はお互いに無事を喜びました。
沙州の刺史だった高賢は行軍大総管に昇進。彼は蘇海政親子のを長安へ護送する手配をします。蘇南瑾は「戻ったら復讐してやる」と強気な態度を崩しません。裴行倹と麴崇裕は様子がおかしいと感じ、高賢が蘇海政をかばおうとするのではないかと考えました。琉璃も独自に情報を集めて蘇家親子が海路で護送されることを突き止め、その情報を方烈に知らせます。
家族を蘇海政に殺された方烈は二年もの間、復讐の機会を伺っていました。方烈はは護送隊を待ち伏せして護送人たちを追い払い、ついに蘇海政と蘇南瑾を射殺。長年の恨みを晴らしたのです。
麴崇裕と阿史那雲伊の悲しい別れ
2年後、麴都護が病死。張敏娘は既に出家して尼僧になっていました。息子の麴崇裕は長安へ呼び戻されます。長安には彼の正妻がいます。阿史那雲伊は側室になるのは嫌なので長安に行くのを拒否しました。
麴都護の四十九日の法要を終えると麴崇裕は長安へ旅立つことになります。でも阿史那雲伊は彼が去る姿を見たくないと言うのでした。
裴行倹は麴崇裕を訪ね二人で酒を酌み交わし、初めて出会った頃のことを語り合いました。最初はぶつかっていましたが、次第にお互いを理解しあうようになったのです。
裴行倹と琉璃の帰郷
まもなく琉璃と裴行倹の間には男子が生まれ裴行倹は喜びました。裴行倹は司文少卿に任命され長安への帰還を命じられます。
琉璃は西州での日々を懐かしく思い寂しさを感じるのでした。
裴行倹は息子を抱きしめて妻を見つめました。過去の出来事が鮮やかに思い出されます。二人は楽しいこともつらいこともありましたが今は幸せでした。
そして二人は新たな人生を歩むため長安へと旅立つのでした。
注目の人物:関係性
裴行倹と琉璃: お互いを深く信頼し、人生を共にするかけがえのない夫婦となりました。
麴崇裕と阿史那雲伊: 身分や立場の違いもあり、お互いに深く愛し合っていましたが、それぞれの道を選ぶことになりました。
方烈: 家族を惨殺された恨みを胸に秘め、二年かけて復讐を遂げました。
最終回までの感想
蘇海政親子
ついに最終回を迎えました。蘇海政親子は身分を失ったとはいえ、このまま都に帰ってしまうの?と思っていたら、そうはさせませんでしたね。方烈が蘇海政親子を討ち取るシーンは、よくやってくれた。と思いました。彼の行いは正当な裁きではありませんが、蘇海政の今までの行いを考えれば当然の報いだと思います。でもちゃんとした形で報いを受けて欲しかったとも思います。
実は、蘇海政は実在の人物で、やはり横暴だったらしいのです。彼が処刑された記録はありませんが、史実でもいつの間にか記録に登場しなくなっています。その史実に合わせているのかもしれませんね。
最終回はやはり物悲しい
麴崇裕と阿史那雲伊の別れは仕方ないのでしょうか。麴崇裕は正妻がいますし。雲伊にも誇りがありますから、側室になりたくない。二人が別々の道を歩むことになるのは最初から分かっていたようなものですが。それでもいざとなると辛いものがあるのでしょう。
そして裴行倹と琉璃も長安に変えることになりました。遠く離れた場所で何年も暮らして苦労したと思いますが。地元の人たちとも交流して、親しみも出てきたと思います。都に戻れるとはいえ、いざ離れるとなると寂しい思いになるのは当然だと思います。
臨海大長公主はどうなった
蘇海政親子がいなくなったことで、悪役が消えたことになるのですが。裴行倹たちを一番苦しめていたのは臨海大長公主ですよね。一応、大長公主とは20話で決着。もう裴行倹と琉璃に何かをしでかす力は残ってないとは思いますが。もっとはっきりした形で決着をつけて欲しかったなとは思います。
裴行倹の活躍がもっと見たかった
裴行倹といえば実在の武将で。西州で大活躍した人。でもドラマでは琉璃の活躍は目立つ者の、裴行倹はあまり目立つ存在ではありませんでした。
兵糧を調達したり、現地の統治に苦労していたのはわかるのですが。実際にはもっと功績を残している人物なのに。
突厥やとの戦いで勝利したりしているのですが。裴行倹が大軍を率いて戦うのはドラマよりも後の時期なんですね。いったん、長安に戻って朝廷で働いた後。軍を率いて遠征しているのですが。そこまでは描かれていません。ちょっと残念。
そこでこの後。
史実をもとに裴行倹と琉璃(庫狄夫人)がどうなったかのを紹介しましょう。
その後の裴行倹と琉璃(庫狄夫人):史実の二人
朝廷で人事を担当、制度を作る
西州での働きが認められ裴行倹と庫狄夫人は長安に戻ってきました。
裴行倹は司文少卿となり、その後は吏部侍郎に異動します。彼は李敬玄や馬載と共に人事を担当。その手腕は高く評価されました。人々からは「裴・李」「裴・馬」と称えられました。
裴行倹は官吏登用制度を新たに作り、唐の制度として受け継がれました。
西域での戦い
676年に吐蕃が攻めてきました。裴行倹は周王 李顕の指揮下で軍を率いて戦い、吐蕃を撃退しました。
679年には突厥が吐蕃と手を結び安西を攻めました。李敬玄や劉審礼は討伐に失敗。そこで裴行倹は高宗の命令を受けてペルシア王子の帰国を名目にわずか1万騎を率いて西域へ向かいました。その途中で狩猟を装って油断させた隙に、敵の首領 阿史那都支を捕えました。捕縛するという大胆な計略を実行し、見事に成功させました。この功績により、彼が立ち寄った町には功績を称える石碑が建てられたほどです。
さらに、その後に起きた突厥との戦いでは、彼は30万の大軍を率いて出征しました。この時も正面からの激突を避けて離間の計(敵を内部分裂させる計略)を使って敵軍の首領を降伏させることに成功しました。
永淳元年(682年)4月。裴行倹は長安の自宅で病死しました。64歳でした。
その後の庫狄夫人
庫狄氏は夫の裴行倹が亡くなった後、武則天によって宮廷へ招かれました。
彼女は「御正」という女官の職に任命され、武則天から厚い信頼を受けていました。
この功績により、彼女の息子 裴光庭は官職で優遇され出世しました。
705年。武則天が退位、中宗が再び即位すると庫狄氏は宮廷を離れて自宅に戻りました。華陽郡夫人の称号を与えられ、後に晋国夫人へと昇格しました。
仏教を信仰
庫狄夫人は仏教の三階教という宗派を深く信仰していました。三階教は当時の中国で流行した宗派で、末法の時代には仏教の教えが廃れると説き、人々に奉仕して救済を行うことを重視しました。彼女は「信行禅師の書物を読むたびに、永遠に尊び敬うことを誓った」と語るほどでした。
庫狄夫人の最期
開元五年(717年)。庫狄夫人はに都で亡くなりました。でも彼女は夫の裴行倹とは一緒には埋葬されませんでした。
これは彼女の信仰が関係しています。彼女は自身の希望により、三階教の開祖・信行禅師の霊塔の後ろに埋葬されました。
庫狄夫人が夫と異なる場所に葬られたのは、彼女が世俗的な権威や家族の絆よりも自分の信仰や生き方を大切にしていたことを物語っています。
ドラマの二人の姿からはちょっと想像できないですね。
他の人物たちはどうなった?
裴行倹と琉璃(庫狄夫人)の人たちはどうなったのでしょうか?史実の記録に残る人たちを紹介します。
- 裴光庭
裴行倹と庫狄夫人の息子。ドラマでは最終回に誕生。母が武則天に信頼されていたので朝廷で出世。武則天や母の死後も昇進を続け中宗時代には朝廷内でも力を持ちました。733年死亡、享年57歳。 - 高宗 李治
683年に死亡。享年55。
あとは息子の中宗が継ぎました。 - 武則天
李治の死後に権力を握り、690年皇帝に即位。705年に中宗に譲位。その10ヵ月後に死亡。享年81。 - 麴智湛
麴都護。高昌国滅亡後も、西州に残りこの地を収めていましたが、669年に死亡。 - 麴崇裕
没年は不明。唐の左武衛大将軍となり、唐で重要な軍事・政治的地位を維持しました。 - 麴智湛の娘。
ドラマでは鏡唐。甘露寺の尼姑真如となりました。 - 臨海大長公主
没年は不明。その後の消息も記録はなし。
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