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高緯 北斉 5代皇帝 後主の生涯

高緯(こう い)は北周の第5代皇帝です。歴史上は 後主 とも呼ばれます。

在位565〜577年、北周に滅ぼされる直前の皇帝です。北斉は高緯の時代に急速に力を失い北周に滅ぼされてしまいます。猜疑心の強い高緯は臣下の言葉に惑わされ、自ら有力な臣下を処刑。後宮も乱れました。

高緯とはどのような皇帝でどのような最後を迎えたのか詳しく紹介します。

この記事で分かること

  • 高緯が幼少で即位し、父の死後に直面した権力闘争の実態
  • 斛律光や蘭陵王ら有力者の粛清が国力に与えた影響
  • 陸令萱や寵姫たちが後宮政治に及ぼした力
  • 北周の侵攻から北斉滅亡、そして「後主」と呼ばれるに至った背景

他の北斉皇帝は北斉皇帝一覧:全6人を紹介 をご覧ください。

 

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北周 5代皇帝 後主 高緯

  • 姓:高(こう)
  • 名:緯(い)
  • 国:北斉
  • 呼称:後主
  • 生年月日:556年5月29日
  • 没年月日:577年11月30日
  • 享年:21
  • 在位期間:565年6月8日~577年2月4日

家族

  • 父:武成帝 高湛
  • 母:胡皇后
  • 正室:斛律皇后/胡皇后/穆皇后
  • 側室:馮小憐
  • 子供:高恒/高善徳/高邁徳/高智謙

 

家系図

北斉家系図

北斉家系図

 

父は武成帝 高湛

父は北斉の第4代皇帝・武成帝の高湛です。高湛は北斉を実質的に作り上げた高歓の子。一族内の継承者争いで生き残りました。法を整備して有能な臣下にも恵まれ北周や突厥の侵攻を防ぎましたが。疑い深く何人もの皇族を殺害しています。

この猜疑心は高緯にも受け継がれます。

詳しくは 武成帝 高湛(こう たん) 北斉4代皇帝の史実 をご覧ください。

 

母は胡皇后

母の胡皇后は高湛が長広王だった時代からの正室。北魏で太守を務めた胡延之の娘。

高緯の即位後は皇太后になりましたが、沙門(修行僧)の曇献と密通するなど問題の多い人物でした。

 

影響の大きかった乳母・陸令萱

高緯は乳母・陸令萱(りく・れいけん)に育てられました。武成帝や胡皇后の信頼が熱く後宮内でも大きな影響力を持ちます。

高緯が即位後は女侍中となって宮中を取り仕切る立場にいました。高緯は陸令萱に育てられたため非常に懐いていました。胡皇后の失脚後は陸令萱の影響力はさらに大きくなります。

詳しくは 陸貞は実在する?モデルになった 陸令萱の史実と最後とは? をご覧ください。

 

高緯のおいたち

556年5月29日に北斉で誕生。高緯は高湛の次男でしたが正室の子だったので嫡長子となりました。高緯は容姿が端麗で、父からも愛され長広王 世子となりました。

561年に父・高湛が皇帝に即位。高緯は皇太子となりました。

幼くして皇帝になる

565年。武成帝は高緯に譲位。このとき高緯はわずか10歳。高緯は太上皇帝として軍事権を握り実質的に国を統治していました。北斉は皇位継承で争いの絶えない国でした。武成帝は自分が元気なうちに皇位を譲り皇位継承をめぐる混乱を避けようとしたと思われます。それとともに幼い皇帝を支え君主として導くつもりだったのでしょう。しかし高湛は569年に死去。

高緯は14歳で独り立ちしなければいけませんでした。

 

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皇族と重臣の粛清

兄・高儼との確執

高緯には同じ年生まれの兄・高儼がいました。庶子のため後継者には慣れませんでしたが、武成帝 高湛は長男の高儼を大変可愛がり高緯と同等以上の権限を与えていました。叔父たちも高儼への挨拶を欠かしません。また武成帝が譲位したときも高儼は反対したといいます。

高緯は自分以上に父から大事にされる高儼を疎ましく思っていました。

武成帝の死後、高緯は高儼を宮中から追い出し官職を剥奪します。重臣の馮子琮は高儼の側近たちは重臣・和士開(わしかい)の差し金だと高儼を唆し、高儼は和士開を処刑するよう上奏。馮子琮は他の書類に紛れ込ませて高緯に提出しました。

もともと政務があまり熱心ではない高緯はその上奏文の中身をよく確認せずに署名。高儼はこれを理由に和士開を捕らえて処刑してしまいました。

千秋門の対峙

和士開の殺害を知った高緯は軍を派遣。高儼も軍を率いて千秋門で睨み合いを続けます。

高緯は恐ろしくなって泣きながら胡皇后に別れを告げるほどでした。そこで胡皇后と高緯は斛律光(こくりつこう)に助けを求めました。

斛律光は千秋門に行き高儼を捉えると高緯の前に連行。高儼を許すようになだめると、高緯は認めます。斛律光は高儼を激しく打ち、共謀した者たちを処刑、馮子琮も処刑されます。

 

高儼の粛清

その場は収まった高緯と高儼の対立ですが。

高緯は諦めていませんでした。その後、高緯は高儼を宮中に呼び出しました。高儼は疑いますが陸令萱が説得。高儼が宮中の通路に入ると捕らえて処刑させました。

 

胡太后の幽閉

胡太后は夫の死後、僧侶の曇献(どんけん)と愛し合う仲となっていました。世間では曇献を「太上皇」と揶揄する者さえいたほどです。

最初は高緯はこの噂を気にしていませんでした。ある日、高緯は胡太后のもとを訪ねたときに二人の尼僧を見つけ、手を出そうとしました。ところが、その者は男が変装したものでした。これによって胡太后と曇との不倫も明らかになり、激怒した高緯は関わった者たちを処刑しました。

その後。高緯は胡太后と晋陽に行き、都の鄴に戻る時に大風が吹きました。占いに詳しい魏僧伽が「まもなく反乱が起きます」と言うので高緯はこれを利用して「都で反乱が起きてます」と胡太后を騙して自分は弓をとって馬を走らせると鄴の南城に入ると、鄧長驫に命じて胡太后を北宮に幽閉させました。

 

斛律光の粛清

当時、尚書右僕射の祖珽(そてい)が朝廷で力を持っていました。斛律光は彼を嫌い、政策面でも祖珽や穆提婆と対立していました。

572年。敵対する北周の将軍・韋孝寛が北斉を弱体化させるため、「百升(一斛)が天に昇り、明月(斛律光の字)が長安を照らす」という童歌を流行らせ、斛律光が帝位を狙っているという流言を流しました。

祖珽はこの噂を利用、さらに陸令萱や穆提婆をそそのかして「斛律一族の権勢はあまりに強く、流言も恐ろしいものです」と高緯の危機感を煽りました。

高緯は最初はその言葉を信じませんでしたが、何洪珍らから強く言われて。気持ちが揺らぎます。さらに斛律光がかつて軍を率いて都に迫り、不穏な動きを見せたという密告が入り、高緯はついに決断しmさいた。

高緯は祖珽の策に従って斛律光に名馬を与え宮中に呼び寄せると、伏兵に襲わせて殺害しました。

 

蘭陵王の粛清

蘭陵王 高長恭は高緯の伯父です。武勇に優れた皇族将軍でした。

かつて武成帝の時代、高長恭は洛陽に迫った北周軍を突破して大きな手柄を立てました。

その後。高緯は高長恭に「敵陣に深く入りすぎた、失敗したらどうするつもりだったのか?」と問い詰めたことがあります。すると高長恭は「国を家のことのように思い、無我夢中でした」と答えました。

「国の事を家の事」だと言うのは、高長恭に皇帝になる意思があるからではないのか?と疑います。高長恭は高歓の長男の子で正統な血筋があります。実績もあり評判も高いです。

皇族や重臣を次々と粛清してきた高緯はついに高長恭に自害の命令を出します。

武平4年(573年)5月。高緯は使者の徐之範を派遣。高長恭に毒酒を飲ませました。高長恭は王妃の鄭氏に皇帝に釈明しても聞いてもらえないだろうと言って毒酒を飲みました。

高緯がどのような罪状で高長恭に死罪を命じたのかは記録に残っていません。でもこの頃にはすでに二人の仲はそれほど悪化していたということでしょう。

しかしそれまで北周の猛攻を防いでいた斛律光に続き高長恭まで処刑したことにより北斉の戦力は大きく低下することになります。

 

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乱れる後宮

皇后たちの入れ替わり

陸令萱の野望

高緯は宮女の穆邪利(ぼくじゃり)を寵愛していました。すると女官の陸令萱は穆邪利を自分の養女にして彼女を皇后にしようとしました。

胡太后の姪・胡氏が皇后になるが

でもこのときは胡太后が認めず、隴東王・胡長仁の娘・胡昭儀が皇后になりました。

しかし陸令萱は胡皇后に呪術を仕掛けました。その影響かどうかはわかりませんが、皇后は精神を病んでうわ言を繰り返すようになったので高緯は彼女を怖がるようになります。

そこで陸令萱は穆邪利を着飾らせて高緯を招きました。高緯は穆邪利をすっかり気に入ってしまいます。

陸令萱は胡太后に「皇后が太后様の振る舞いを非難している」と嘘の告げ口をしました。激怒した太后は、姪の胡皇后の髪を剃って庶人にして実家へ追い返してしまいました。

穆邪利を皇后にして贅沢をさせる

その後、陸令萱の思惑通り穆邪利が皇后になりました。

高緯は彼女のために高価な真珠を散りばめた袴を作るなど贅沢をさせていました。北周の武帝の母が亡くなると弔問使に商人を同行させて3万匹もの錦と引き換えに真珠を買い占めようとします。北周側は取引を拒ひしませんでした。それでも高緯は豪華な七宝車を作り穆邪利に贈ります。

またこのころから、高緯は昼夜を問わず酒に溺れるようになりました。

馮小怜(ふうしょうれん)の登場

しかしその穆皇后も次第に寵愛を失っていきます。すると穆皇后は自分の侍女の馮小怜を高緯に献上しました。馮小怜は頭が良く琵琶や歌舞が得意でした。高緯は彼女に夢中になり、どこへ行くにも同じ席に座り、同じ馬にまたがって移動するほどでした。

高緯は彼女に「死ぬ時も一緒だ」と口にするほど魅力に取り憑かれていきました。

 

北斉の滅亡

北周の侵攻と晋州の陥落

575年ごろから北周は北斉に攻撃を仕掛けるようになりました。

576年10月。北周の武帝 宇文邕は自ら大軍を率いて東征を開始しました。

この緊迫した状況でも高緯は祁連池で狩猟を楽しんでいました。その隙に北周軍は晋州を攻撃します。高緯はようやく晋陽へ戻り軍を率いて出発。鶏棲原で北周軍と対峙。

北周の武帝は晋州に到着して包囲網を敷きました。武帝自ら城下で指揮する姿に、斉の将兵は動揺、ついに寝返りも出で城は陥落しました。

すると、高緯は自ら大軍を率いて晋州の救援に向かいました。武帝は一度退却を命じ、宇文憲に命じて斉軍を食い止めさせました。北斉軍は晋州を包囲して攻め立てました。

ところが577年1月。重臣の穆提婆が北周へ降伏。高緯は高延宗を相国に任命して防衛を任せると。高延宗が引き止めるのも効かずに、深夜に城門を出て脱出。突厥へ亡命しようとしました。側近や官吏の多くも逃げ出す中、臣下の説得を受けて亡命を諦めて都の鄴に戻ります。

当初、高緯に従う者はわずか十数騎の騎兵だけでしたが、その後、広寧王・高孝珩らが合流し、数十人での一段となりました。

8歳の皇太子 高恒に譲位

都に戻った高緯は臣下を集めて国を守る案を出させますが、意見はまとまりません。

高緯は高元海や李徳林らと話し合って皇太子 高恒(こうこう)に譲位することを決めました。以前、占い師が「天下に変革が起こる」と予言していたので、かつて父・高湛が自分に譲位した先例に倣って流れを変えようとしたのです。

2月4日、わずか8歳の高恒が即位しました。これにより胡太后は太皇太后、高緯は太上皇帝、穆皇后は太上皇后となりました。

 

都の陥落と逃亡

2月21日、周軍がついに鄴へ攻めてきました。武帝 宇文邕が鄴を包囲させると攻撃。北斉軍は防戦しましたが敗北し、都は陥落しました。

すると高緯は黄河を渡って済州へ逃げました。しかし周軍が迫ってきます。追い詰められや高緯は南方の陳に亡命しようと馬を走らせますが、青州南方の鄧村にきたときに北周の将軍・尉遅綱に捕らえられ、鄴へ送られました。

こうして北斉は滅亡しました。

 

高緯の最後

長安への連行

宇文邕は高緯を客人として扱い太后や親王らとともに長安へ連行、高緯に温国公の爵位を与えました。

長安に到着した高緯は宇文邕に馮小怜を返してほしいと懇願すると。宇文邕は笑って、馮小怜を高緯に返しました。

武帝 宇文邕は宴席の場で高緯に踊りを踊るよう命じると、高緯は嫌がることなく踊ってみせました。その皇帝だった者の惨めな姿に高延宗は涙したといいます。

こうして皇帝のプライドを捨てて生き延びようとした高緯でしたが、それすら敵わぬようになってしまいます。

高緯の最期

577年10月。先に北周に降伏していた穆提婆(ぼくていば)が謀反を起こしました。穆提婆は高緯を担ぐ予定だったといいます。

怒った武帝宇文邕は高緯、高恒、高延宗ら北斉の皇族数十人の処刑を決定。高緯たちの弁明もうけいれられず、高緯たちは処刑されてしまいます。

580年。陽休之らの進言を受けた楊堅(後の隋の文帝)の計らいにより、高緯らはようやく長安北方の洪瀆川に埋葬されました。

北斉 後主 として歴史に残る

北斉の最後の皇帝は高恒ですが幼い彼は何もできませんでした。事実上、最後の皇帝と言えるのは高緯でしょう。

彼の存命中に北斉は滅亡。そのため高緯には「◯◯帝」のような皇帝としての諡号がありません。

後の時代の歴史家によって「後主」という不名誉な呼び方をされることになってしまいます。皇帝ではない、ただ「国の主」というだけの存在にされてしまったのです。

 

ドラマの高緯

蘭陵王 2013年、中国 演:翟天臨(ディー・ティエンリン)

蘭陵王妃 2016年、中国 演:魏子揚(ウェイ・ズーヤン)

 

参考文献

『北齊書·卷8』李百藥
『北史』李延壽

 

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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