中国ドラマ『武則天』には武媚娘の幼なじみとして李牧が登場します。
李牧は武媚娘を宮廷から連れ出そうとしますが、その一方で皇帝・李世民を一族の仇と考えていました。その原因は貞観元年に起きた李孝常の謀反事件です。
李孝常の事件は史実でも起きています。でも李牧という人物や、一族が倉に閉じ込められて焼死したという話はドラマ独自の設定です。
この記事ではドラマの李牧がどのような人物なのか?李世民を恨む理由や史実の李孝常事件について紹介します。
この記事で分かること
- ドラマ『武則天』の李牧が実在した人物なのか
- 李牧が李故を名乗り、宮中で武媚娘を守った経緯
- 李牧が李世民を恨むようになった理由
- 李孝常の謀反事件とドラマ設定の違い
李牧は実在する?
李牧はドラマ『武則天』に登場する李牧は架空の人物です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 李牧 |
| 別名 | 李故 |
| 演者 | 李晨(リー・チェン) |
| 立場 | 宮中の護衛を務める将軍 |
| 武媚娘との関係 | 幼なじみ |
| 李世民との関係 | 一族を死なせた皇帝として恨んでいる |
| 楊淑妃との関係 | 命の恩人だと信じて利用される |
武媚娘の幼なじみだった李牧や、李故と名乗って宮中に入った男性は、唐代の史料には登場しません。武媚娘と李世民の関係にもう一人の男性を加えるため、ドラマが作った人物と考えられます。
戦国時代の趙には同じ名前を持つ将軍の李牧が実在しました。でも趙の李牧は時代が違います。唐時代の武媚娘とは関係がありません。
ドラマ『武則天』の李牧とはどのような人物?
武媚娘を思い続ける幼なじみ
李牧は武媚娘が後宮に入る前から彼女を知っていました。宮廷の人々が武媚娘を皇帝の妃として扱うなか、李牧は昔と同じように「如意」と呼びます。
李牧は武媚娘を宮廷から連れ出して二人で暮らそうと考えていました。でも武媚娘は李世民のことを思っていたため、李牧の気持ちを受け入れません。
李故を名乗って宮中に入る
劇中では李牧は魏王に捕らえられ護送される最中でしたが、楊淑妃が李牧の存在を知って救出、李故という名前を与えました。李牧は楊淑妃を恩人だと信じますが、楊淑妃は武媚娘を動かすために彼を利用していました。
李故となった李牧は宮中の護衛に加わり武媚娘の近くで働きます。掖庭の獄に入れられた武媚娘を助けたり、彼女を守るために行動しました。
李牧はなぜ李世民を恨んでいるのか?
一族が謀反事件に巻き込まれた
劇中の李牧は李孝常の謀反事件によって家族を失いました。
李牧の両親と一族は事件への連座によって流刑となりました。移送の途中で一族は倉に閉じ込められ火災によって命を落とします。
幼かった李牧は小さな窓から外へ出たため、一人だけ生き残りました。この出来事が李世民を恨む原因になっています。
処罰を決めた李世民を仇と考えた
李牧は処罰を決めた皇帝の李世民に責任があると考えました。そのため李世民を一族の仇として憎み続けます。
武媚娘は李牧の身上書を読み、彼が家族を失った経緯を知ります。李牧が李世民を殺す可能性を考えた武媚娘は、彼を思いとどまらせるため、一緒に宮廷を出ると約束しました。
李牧が李世民を助けた理由
李牧は李世民を恨んでいましたが皇帝が襲われたときには刺客と戦って助けました。
李世民が死ねば武媚娘が悲しむと分かっていたためです。李牧は一族の復讐よりも武媚娘を守ることを選びました。
その後は李牧は李世民に武媚娘を自分に渡してほしいと求めます。李世民はこの要求に怒り、李牧を天牢へ入れました。
史実の李孝常の謀反では何が起きた?
劇中では李牧は李孝常の事件にかかわった人物として描かれます。李孝常の事件は実際に起きた出来事でした。
李孝常は唐の建国に協力した人物
李孝常は隋の時代に華陰県令を務めていました。
李淵が隋に対して兵を挙げると李孝常は永豊倉を渡して協力します。永豊倉は兵士に食糧を供給する重要な施設でした。
唐の成立後は李孝常は義安王に任命され利州都督を務めます。李孝常は唐の建国に力を貸した人物だっのです。
宮中の護衛兵を使う計画を立てた
貞観元年の627年、李孝常は都の長安に滞在していました。このとき右武衛将軍の劉徳裕や監門将軍の長孫安業らと謀反を計画します。
彼らは皇宮を守る宿衛兵を味方につけ、李世民を倒そうとしました。宮中の兵を利用すれば大軍を率いなくても皇帝の近くで行動できます。
計画が発覚して処刑された
李孝常たちの計画は実行される前に発覚しました。
『資治通鑑』や『新唐書』には、李孝常や劉徳裕らが謀反を企てた罪で処刑されたとあります。長安で大規模な戦闘が起きた記録はなく計画段階で取り押さえられました。
長孫安業は李世民の皇后 長孫皇后の異母兄でした。長孫皇后が助命を願ったため、長孫安業は死刑を免れ流刑となりました。
一族が倉で焼死した話は史実?
李孝常の一族が流刑の途中で倉に閉じ込められ、火災で命を落としたという記録は確認されていません。生き残った李牧という人物も史料には登場しません。
でも謀反に関わった人物の家族が連座によって処分される制度は実際にありました。
李孝常の息子の妻だった姫氏は事件によって罪人となり、宮中の掖庭へ送られたことが墓誌から分かっています。姫氏はその後は唐の第3代皇帝となる高宗の保母を務めました。
ドラマは李孝常の家族が処分された事実をもとに一族の焼死と李牧の生存という物語を加えたのでしょう。
李牧と李孝常事件の史実比較
| 項目 | 史実 | ドラマ『武則天』 |
|---|---|---|
| 李孝常の謀反 | 貞観元年に発覚した | 李牧の過去に使われる |
| 李孝常の処罰 | 謀反の罪で処刑された | 史実をもとに描かれる |
| 李牧 | 記録にない | 武媚娘の幼なじみとして登場 |
| 一族の焼死 | 記録にない | 李世民を恨む原因として描かれる |
| 李故としての宮中勤務 | 記録にない | 宮中の護衛として武媚娘を守る |
李牧が物語で果たした役割
李牧は、李世民と武媚娘の間に入り、武媚娘に宮廷を去る選択肢を与える人物です。
李牧と暮らせば、武媚娘は後宮の争いから離れられました。それでも武媚娘は、李世民のもとに残る道を選びます。
李牧は家族を失った被害者でしたが李世民を助けました。自分の復讐よりも武媚娘を守ることを優先したのです。李牧にとってを武媚はそれだけ大切な人だったのでしょう。
まとめ
ドラマ『武則天』の李牧は、史料には登場しない架空の人物です。
李牧が李世民を恨んでいたのは、李孝常の謀反事件によって両親と一族を失ったという劇中設定があるためです。
李孝常の謀反事件は、貞観元年に実際に発覚しました。ただし、一族が倉で焼死した話や李牧が生き残った話はドラマが加えた内容です。
史実の事件と架空の人物を組み合わせることで、李牧は武媚娘への思いと李世民への恨みの間で苦しむ人物として描かれたんですね。
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