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宮廷女官 若曦 7話・8話・9話 皇太子廃位と八皇子の失脚

宮廷女官 若曦 7話・8話・9話のあらすじとネタバレをまとめました。

モンゴル巡幸で始まり、若曦と十四、十三皇子との交流が描かれますが。一方では十八皇子の死に皇太子の不始末が重なり康煕帝は皇太子の廃位を決意。次の皇太子を巡る動きが激しくなりました。

 

この記事で分かること

  • 皇太子廃位に至った直接の原因と康熙帝の判断
  • 若曦が宮廷で役割を得て立場を変えていく流れ
  • 八皇子が失脚した理由と派閥政治の危険性
  • 清朝における皇位継承と実際の歴史背景

 

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宮廷女官 若曦 あらすじリスト

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第7話あらすじ

第8話あらすじ

第9話あらすじ

 

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宮廷女官 若曦 7話 あらすじ 

要約:
康熙帝の巡幸が決まり皇子たちも付き従いますが、八皇子は都に残されます。若曦は乗馬を許されるのですが四皇子の厳しい指導を受けることになります。
 

あらすじ 7話 草原の出会い

皇太子をめぐる騒ぎがいったん収まると康熙帝はモンゴルへの巡幸を決めます。皇子たちも同行することになりましたが、八皇子は監国を任され都に残ります。この監国には実権はなく八皇子に問題があれば追求しようという皇太子の作戦でした。

四皇子は若曦も巡幸に連れて行けるよう取り計らいます。いっぽう八皇子は以前の秀女選抜で明慧が裏から手を回して若曦がどの妃にも仕えられなかったと知ります。そのため八皇子は明慧を冷たく扱うのでした。

巡幸先で若曦は奉茶を任されました。若曦は皇帝や皇子たちの好みに合わせて茶器や茶の色を変え、康熙帝を喜ばせます。褒美を尋ねられた若曦は乗馬を習いたいと願い出て康熙帝は許します。

そのころ敏敏は宴の席で、かつて草原で知り合った星星の正体が十三皇子だと知ります。十三皇子がモンゴル語で酒を交わし歌う姿を見た敏敏は彼に心ひかれます。若曦も十三皇子に乗馬を教わる約束を楽しみにしていました。しかし夜の草原で若曦の前に現れたのは十三皇子ではなく四皇子でした。

 

注目点:康熙帝が塞外へ巡行したのはなぜ?

皇帝が塞外に巡幸に向かいました。清朝ではモンゴルへの巡幸は余暇のための外出ではありません。重要な政治活動なのです。

清朝の皇帝は遊牧社会のハーン(君主)も兼ねています。そのため康熙帝は長城の外にある木蘭囲場へ定期的に赴き、モンゴル王公と会い八旗の騎射を維持し、自分が満洲・モンゴルを束ねる君主だと示しました。木蘭の秋猟は1681年に始まり、1683年以後は毎年の恒例行事になります。この行事には満洲とモンゴルの旗人、王公、官僚が大規模に参加し、軍事訓練、服属確認、皇帝権力の誇示が行われました。

清朝は満洲人とモンゴル人が共同で建国した国でしたから、清朝ではモンゴルは八旗体制と北方支配を支える重要な構成メンバーとして扱っています。だから若曦での塞外巡行も遊びではなく重要な意味を持つのです。ただの行楽ではないのです。、都を離れた特別行事ではあっても、政治の外ではありません。

逆に言うとそこでの失態は大きな減点になります。

 

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宮廷女官 若曦 8話 あらすじ 

要約:
若曦が乗馬の訓練で十三皇子と四皇子に腹を立て、康熙帝は皇太子の不始末についに廃位を宣言します。
 

あらすじ 8話 父と息子

若曦は乗馬を教える約束を二度も破った十三皇子を責めました。十三皇子は今夜こそ行くと約束しますが、敏敏に連れて行かれたので若曦のもとには来ませんでした。すると四皇子が自分が教えると申し出ます。若曦は逃げようとしますが、四皇子は若曦を引き寄せて口づけします。

夜、若曦は十三皇子に文句をいいました。十三皇子は若曦が四皇子を気にしていると思ったから取り持ったと言います。若曦は本当のことを言えず部屋で腹立ちをぶつけました。

そのころ十八皇子が重い病にかかりました。八皇子からの知らせを受けて皇帝は都に戻ることにします。ところが皇太子が馬でモンゴルのテントに突っ込み不始末をしでかします。さらに十八皇子が亡くなり康熙帝は悲しみの気持ちを若曦に漏らしました。

夜更けに皇太子がまた騒ぎを起こし、康熙帝はついに帰京後に皇太子を廃位すると宣言し倒れてしまいますす。

 

注目点:康熙帝はなぜ十八皇子の死のあとに太子の廃位を決めた?

第8話では、十八皇子が病になり康熙帝が帰京を急ぎます。ところが皇太子は父や弟を気づかう行動を見せず不始末まで重ねました。康熙帝はその姿を見て皇太子に国を任せられないと決めました。今までは皇太子の不始末も我慢してきましたが今回の不始末で限界にきてしまい、兄としても皇位継承者としてもふさわしくないと判断したのです。

史実でも康熙帝は1708年に皇太子の胤礽をいったん廃しています。このとき十八皇子の死と皇太子への失望が廃位へ進むきっかけの一つとされています。ドラマは脚色はありますが、十八皇子の死が廃位に関わっているのは史実通りといえます。

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宮廷女官 若曦 9話 あらすじ 

要約
秀女選抜で若曦は皇帝に仕える奉茶宮女になり、宮中での一歩を踏み出しました。

 

あらすじ 9話 皇子たちの駆け引き

皇太子の廃位が決まると、皇子たちの駆け引きが始まり、大臣たちの動きも活発になりました。でも四皇子は康煕帝の意思をくみとり動きませんでした。

三皇子は一皇子が呪術で皇太子を惑わせたと康熙帝に訴え。康熙帝は一皇子の屋敷から呪いの人形を見つけ、一皇子を終身幽閉にします。

都へ戻った若曦は玉檀は朝廷で八皇子を皇太子に推す動きがあると若曦に伝えます。若曦は八皇子に警告の手紙を書こうとしますが手を止めてしまいました。

新年になり、若曦は八皇子に康熙帝が皇太子を今も大事に思っていると遠回しに伝えました。若曦は手紙を渡そうと決めますが、四皇子に呼び止められその間に八皇子は退朝します。

その後、三十人あまりの大臣が八皇子を皇太子に推しました。康熙帝は八皇子が派閥を集めたと怒って八皇子の爵位を奪い、十四皇子を杖刑にしたのでした。

 

注目点:康熙帝はなぜ八皇子推挙に怒ったの?

八皇子は人当たりがよく臣下や文人から人気のある皇子でした。でも康熙帝怒った理由は人格より、臣下と皇子が皇帝より先に次の皇太子を決めようとしたことにあります。

康熙帝はこの時点でも胤礽を諦めきれず、大臣たちが胤礽を推すのを期待していました。ところが多くの大臣たちは八皇子を褒め称えこぞって推します。康煕帝はこの動きが不自然だと考え、八皇子が派閥工作を行い、臣下と皇子が結託したと考えました。康煕帝は皇子と大臣が派閥を作るのを何より嫌いましたから、この動きは皇帝権力への挑戦ととらえ激怒したのです。

 

十四皇子の杖刑はなぜ?

康煕帝は八皇子をかばった十四皇子を杖刑にしました。康熙帝は十四皇子が八皇子の派閥の一員と考えたのです。この杖刑は体罰であると同時に、公開処分としての意味を持ちます。皇帝はほかの皇子と大臣にも、これ以上八皇子と結託するなと警告しているのです。

史実でも十四皇子は八皇子をかばって爵位を取り上げられ自宅謹慎になりました。杖刑まで行ったとは記録では確認できませんが、これはドラマで康煕帝の怒りを分かりやすくするための演出でしょう。

この経緯はほぼ史実通りです。恋愛部分は創作ですが、皇太子廃位後の八皇子をめぐる政治的な動きはほぼ史実どおりといえます。

 

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主な登場人物と結果

 

 

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

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