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戦国七雄とは?地図・史実・強さを解説【キングダム】

戦国七雄(せんごくしちゆう)は中国春秋戦国時代の7つの大国のこと。具体的には秦・趙・楚・魏・韓・斉・燕のことです。キングダムでも争っているのはこれらの国々です。

でも中国地図でいうとどのあたりなのか、どの国がどれくらい強かったのか分かりづらいですよね。

この記事では、戦国七雄を

  • 読み方と意味
  • 地図と現在の中国での位置
  • 史実上の国力や強さ
  • キングダムでの描かれ方

という四つの切り口で紹介します。

 

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戦国七雄とは?読み方と史実で見た七国

戦国七雄の読み方と意味

「戦国七雄」は「せんごくしちゆう」と読みます。

中国語では「戦国七雄(ヂャンゴーチーション)」のように発音しますが、日本語では普通に音読みで通じます。

言葉の意味は。

・戦国…中国の戦国時代
・七雄…七つの大きな「雄」(=強国・大国)

つまり戦国七雄とは

「戦国時代の中で、最後まで生き残った七つの強国」

という意味です。

歴史書の中に最初から「戦国七雄」という固有の呼び方があるわけではなく、後世の人びとが戦国時代の流れを整理するときに使う便利な呼び名だと考えておくと分かりやすいです。

史実での戦国七雄:いつ・どの七国のことか

史実で「戦国七雄」と言うとき具体的にはいつ頃・どの国のことを指すのでしょうか。

時期としては、おおよそ

  • 紀元前5世紀ごろから紀元前3世紀末まで
  • 周王朝の権威がほとんど形だけになり、諸侯同士が天下を争っていた時代の後半

にあたります。

七つの国は以下の国です。

  • 秦(しん)
  • 趙(ちょう)
  • 楚(そ)
  • 魏(ぎ)
  • 韓(かん)
  • 斉(せい)
  • 燕(えん)

もともとはもっと多くの小国・中堅国が存在しましたが、戦国時代の激しい争いの中で滅亡したり併合され、「天下を争うに足る」規模と実力を持った国だけが七つ残った、という形になります。

実際にはこの七国以外にも 衛(えい)が残っていますが、小さすぎるので七雄には含まれません。

歴史用語としての「戦国七雄」は、

  • 春秋戦国時代のうち、終盤の「最終生き残りメンバー」
  • この七国が、互いに同盟・裏切り・合戦を繰り返しながら、最後に秦が他六国を統一するところまでの流れ

を指す言葉だと押さえておくと、史実のイメージがつかみやすくなります。

キングダムで描かれるのは戦国末期

キングダムの物語がスタートするのは、この戦国七雄の時代の「かなり終盤」です。

  • 秦・趙・楚・魏・韓・斉・燕という顔ぶれはすでに出そろっている
  • それぞれが大国として領土と軍隊を持ち、天下を狙っている
  • しかし、決定的な勝者はまだいない

という状態から物語は始まります。

主人公・信が仕えることになる若き王、政(のちの始皇帝)は、

  • この「戦国七雄」の時代のラストステージに登場した人物
  • 七つの雄が争い続けてきた世界を、実際に統一してしまう側

にあたります。

つまり、史実の流れで言えば、

・春秋時代 → 戦国時代の前半・中盤 → 戦国七雄が並び立つ → 戦国末期 → 秦が統一

という長い時間の流れのうち、

「戦国七雄がすでに出そろい、ここから誰が最後の生き残りになるのか」

という一番クライマックスに近いところがキングダムの舞台になっているのです。

こう状況を押さえておくと、

  • なぜ秦がここまで徹底して他国を飲み込もうとするのか
  • なぜ他の六国が合従軍のような形で手を組んでまで秦を止めようとするのか

といった動機が理解しやすくなります。

 

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戦国七雄の地図と現在の中国での位置

戦国七雄を理解するうえで、いちばん大事なのが「どこにどの国があったのか」という位置関係ですよね。まずは「どこにどの国があるか」の大まかなイメージから。 文字だけだとイメージしづらいので、紀元前260年ごろの地図を用意しました。

紀元前260年ごろの戦国七雄の地図(秦・趙・楚・魏・韓・斉・燕の位置関係)

紀元前260年ごろの戦国七雄の勢力地図。西の端に秦、東に斉と燕、中央に魏と韓、北に趙、南に楚が広がっている。キングダムで長平の戦いが起こる頃とほぼ同じ勢力バランス。

紀元前260年ごろの戦国七雄の勢力図。西に秦、北に燕と趙、中央に魏と韓と斉、南に楚が広がっている。キングダムで長平の戦いが起こる頃とほぼ同じ勢力バランスです。

 

戦国七雄の位置関係をつかむ

まずは戦国七雄の配置をおおまかに一言でまとめるとこうなります。

  • 西の端に秦
  • 北寄りに燕と趙
  • 真ん中あたりに魏・韓・斉
  • 南側一帯に楚

もう少し細かく言うと、

  • 秦(しん)…西側の山岳地帯に拠点を置く国。中原に向かって東へ勢力を伸ばしていく。
  • 趙(ちょう)…中原の北東寄り。北の草原地帯と接していて、騎馬民族の影響を受けた国。
  • 燕(えん)…さらに北東。現在の北京よりももう少し北寄りのイメージ。
  • 魏(ぎ)…黄河流域のど真ん中。交通の要所を押さえた中原の強国。
  • 韓(かん)…秦・魏・楚のあいだに挟まれた細長い国。地理的に厳しいポジション。
  • 斉(せい)…山東半島を中心とした東方の国。海に面していて、交易と経済力が強い。
  • 楚(そ)…長江流域から南に広がる巨大国家。山も川も多く、内部まで一気に攻め込みにくい。

キングダムで描かれる「合従軍」はこの配置を前提に、

  • 北から燕・趙
  • 中央から魏・韓・斉
  • 南から楚

というふうに、強国が南北(縦)に並んで秦を追い込む形で進軍しているイメージになります。

合従のと同じ発音で、ここでは意味も同じです。

 

戦国七雄は現在の中国でいうとどのあたり?

戦国七雄の位置は今の中国地図でいうとどこにあたるのでしょうか?おおまかに省レベルで対応させると、だいたいこんな感じになります。

  • 秦(しん)
     現在の陝西省(せんせいしょう)を中心に、甘粛省東部・四川省北部あたり。
     首都・咸陽は今の西安市の近くです。
  • 趙(ちょう)
     河北省南部・山西省北部あたり。
     都の邯鄲(かんたん)は、今の河北省邯鄲市の周辺に位置します。
  • 燕(えん)
     北京周辺から遼寧省の一部にかけて。
     北方の遊牧民と対峙する国境地帯も含みます。
  • 魏(ぎ)
    河南省北部・山西省南部・河北省南部あたり。
    黄河が大きく曲がる「中国のへそ」に近いエリアです。
  • 韓(かん)
    河南省中部〜山西省南部あたり。
    秦と魏と楚のあいだに挟まれていて、どこからでも攻められやすい場所になります。
  • 斉(せい)
    山東省全域が中心。
    海に面した半島部を含み、経済・交易の拠点を多く持っていました。
  • 楚(そ)
    湖北省・湖南省・安徽省南部・江西省北部など、長江の中〜下流域の広い一帯。  湿地・山地が多く、文化も中原とは少し違う独特の雰囲気があります。

もちろん現代の省境と戦国時代の国境はぴったり重なるわけではありませんが、「秦=陝西」「趙=河北・山西北」「楚=長江一帯」とおおまかに覚えておくと、現代地図を見たときにもイメージしやすくなります。

 

キングダムの合戦はどこで起きているのか

具体的な合戦がどこで起きているのかを、いくつか押さえておくと便利です。

  • 長平の戦い
    趙の都・邯鄲の近く。
    秦が大軍を送り込み、趙の中枢に迫った大決戦。
    秦と趙の因縁が決定的になる場所です。
  • 合従軍vs秦(函谷関の戦い)
    秦の東の関所「函谷関(かんこくかん)」周辺。
    中原から秦に入る玄関口で、六国連合軍が一斉に攻めかかります。
  • 秦の東進作戦
    韓や魏の領土にじわじわ食い込んでいく戦い。
    地図上では、秦の色が少しずつ東へ伸びていくイメージになります。

こうした合戦を地図と一緒に眺めると、

・「ここを取られると、この国は一気に苦しくなる」
・「この城を押さえると、中原への入口を奪える」

といった“地理的な意味”が見えてきて、キングダムの合戦描写がわかりやすくなると思います。

 

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各国の特徴とキングダムでの立ち位置

ここからは七雄それぞれの「国」をキングダム登場時のイメージで簡単に紹介します。

秦(しん)西方の軍事超大国・実力主義の「虎狼の国」

  • 位置:いちばん西。周りを山に囲まれた要塞国家

  • 国柄:法による統制が徹底した実力主義国家

  • 強み:軍制改革・鉄の規律・兵士のモチベーションの高さ

代表的な武将・人物(キングダム基準)

  • 嬴政(えいせい/政)

  • 王騎

  • 蒙武

  • 桓騎

  • 王翦
    など

「戦で首を取れば身分が上がる」「身分が低くても大将軍になれる」という仕組みは秦特有のもの。信の出世ストーリーは、この秦の実力主義の産物でもあります。

 

趙(ちょう)秦の最大のライバル・北方の軍事大国

  • 位置:秦の北東側。中原と北方草原の境目あたり

  • 国柄:騎兵が強く、防衛戦に長けた国

  • 強み:北方の騎馬民族との戦いで鍛えられた機動力の高い軍

代表的な武将・人物

  • 李牧

  • 龐煖

  • 趙荘王 など

長平の戦いで大きな損害を受けたことが趙のその後の運命に大きく影を落とします。李牧が「最後の盾」として立ちはだかる構図は史実でも見どころの一つです。

 

楚(そ)南方の超大国“ちょっと異世界”な文化圏

  • 位置:中原の南側一帯を大きく占める、非常に広い国土

  • 国柄:文化も風習も中原とは少し違う“南方世界”

  • 強み:人口と国土の広さ。人材も多く、簡単には倒れない

代表的な武将・人物

  • 汗明

  • カリン(媧燐)
    など

楚は国土が広すぎるため、秦からすると「一気に飲み込む」のが難しい相手。ラスボス的なポジションとして描かれ、終盤に向けて存在感が増していく国です。

 

魏(ぎ)戦国前半の主役級・軍制改革の先駆け

  • 位置:中原のど真ん中。黄河流域の要衝を押さえる

  • 国柄:戦国初期にいち早く軍制改革を進めた“先進国”

  • 強み:精鋭部隊と戦車戦。初期の対秦戦で存在感を見せる

代表的な武将・人物

  • 呉鳳明

  • 魏火龍七師 など

戦国初期には「魏が最強」と言われていた時期もあります。物語が進むにつれ秦や趙に押されていきますが、“かつての最強国”としてのプライドが随所ににじみます。

 

韓(かん)地理に恵まれない、挟まれ国家

  • 位置:秦・魏・楚に挟まれた小さめの国

  • 国柄:改革はするが、どうしても地の利がなく苦しい

  • 強み:城攻め・攻城兵器など、ニッチな技術が光る

戦国七雄の中では、真っ先に秦に飲み込まれてしまう国です。キングダムでも、「最初に落とすべき相手」として描かれています。

 

斉(せい)東方の商業国家・文化と富の国

  • 位置:山東半島周辺。海にも面した東の国

  • 国柄:商業・経済力に優れた富裕な国

  • 強み:豊かな経済力と、学者たちが集う文化的な土壌

斉は軍事的にガンガン攻めるタイプではなく、「どう立ち回れば生き残れるか」を常に計算している国でもあります。

 

燕(えん)北方の堅実な王国・一発の破壊力を秘める

  • 位置:現在の北京付近からさらに北東側

  • 国柄:北方の異民族に備える、堅実な防衛系の国家

  • 強み:名将・楽毅など、“一撃必殺級”の武将を輩出

目立たないけれど、準備が整ったときの攻撃は非常に鋭い。
「静かに牙を研いでいる国」というイメージで見ておくと、燕が動いたときの怖さがよく分かります。

 

合従軍とは?「秦 vs 全中華」の大包囲網

キングダムの大きな山場の一つが、「合従軍(がっしょうぐん)」 です。

これは、

「他の六国が一時的に手を組み、“みんなで秦を叩きつぶそう”とした連合軍」

のこと。

  • 普段は仲が悪い国同士も「秦が中華を飲み込む前に潰すべきだ」と判断

  • 各国から精鋭部隊や将軍が投入される

  • 「秦 vs 中華世界」の図式がここでいったん成立します。

 

合従軍編を読み返すときは、この記事の「位置関係」を頭においたまま、
「なぜこの国はこのタイミングで参戦したのか?」を意識して読むと、政治的な駆け引きも見えてきます。

 

七雄最強は誰だ?史実ではどの国が一番強かったのか?

キングダムの時期は秦が最強、次が趙・楚

キングダム的な視点で見るとすでに七雄の中でも秦がトップクラスの強国になってます。でも相手も簡単には倒せません。
  • 物語の主人公側としての「秦の強さ」

  • 最強ライバルとしての「趙(李牧)」

  • ラスボス感のある「楚」

など、いろいろな“強さの描き方”があります。
 

史実では最強国は入れ替わっていた

でも史実では常に秦が最強だったわけではありません。時代によって強い国は変化していました。

戦国初期:魏の最強期(前403〜前354)

最強国:魏

魏は晋から独立した三晋の一角。文侯・武侯が人材を積極登用し、中原中心部の地の利で一気に台頭。戦国時代最初の覇権国となりました。

李克・呉起らの活躍で“戦国最初の強国”に。恵王の時代には諸侯で初めて「王」を称するほどの自信

転換点

斉が趙救援戦(桂陵)で魏を破り、続く馬陵の戦い(前342)で魏が大敗。
→ 魏の覇権はここで終わる

 

斉の全盛期と秦の台頭(前354〜前320)

最強国:斉

孫臏の軍略で魏を二度撃破。東方で最も安定した強国

このころ秦は成長期。商鞅変法で制度と軍事が急成長。まだ斉には及ばないが、将来の最強国の形が整い始める

 

趙の軍事黄金期が到来(前320〜前300)

最強国:趙

趙霊王が胡服騎射の導入、中華で唯一の本格的騎兵国家へ。中山国を滅ぼし、北方の覇権を確立。秦の王位継承問題に干渉できるほどの国力
→ 短期間ながら、軍事は秦を上回った。

 

秦と斉の二強 → 斉の衰退(前300〜前284)

勢力図:
秦:西で急伸(白起の前段階)
斉:東で強国を維持
趙:武霊王の死後、邯鄲の混乱で失速

燕・楽毅の五カ国連合軍(前284)で斉が壊滅的敗北。
→ 斉は“強国”から脱落

この瞬間から“秦の一人舞台”が始まる。

 

秦の一強時代(前274〜前236)

白起・王翦など怪物級将軍が登場し、秦が完全に頭ひとつ抜ける。

●白起の連勝

伊闕の戦い(前293)で韓・魏の大軍を撃破
鄢・郢を落とし楚を弱体化
長平の戦い(前260)で趙軍40万を殲滅
→ 東方最大のライバル・趙が致命傷

●范雎の「遠交近攻」で戦略が完成

遠くの斉・燕と友好
近い韓・魏・趙を叩く
→ 秦の領土拡大が一気に加速

この段階で七雄の力関係はこうなる:
  1. 最強:秦(圧倒的)
  2. 中位:
    1. (長平前までは強かったが壊滅)
    2. (国土広いが春申君の死後は弱体化)
  3. 低位:
    1. (秦に一方的に攻められ領土を削られる)
    2. (秦と接していないので秦に味方したこともある、秦王暗殺に失敗して一気に滅ぼされる)
    3. (政治が腐敗、戦闘経験少なく秦の躍進を傍観するのみ)
    4. (秦の踏み台)

 

紀元前247年に嬴政が秦王に即位。秦の覇権国が確定したあとに嬴政が登場。統一の総仕上げを担うことになります。
 

秦による統一戦争の時期(前236〜前221)

嬴政親政後の20年間は名前の通り“統一するだけの段階”となります。こうなるともはや秦に対抗できる国はありません。

紀元前221年に秦が中国全土を統一し、戦国時代が終わる

という流れになります。

 

「どこが一番強かったか?」というより、
「どの時期に、どの国がどんな強みを持っていたか?」
という見方をすると、七雄それぞれのドラマが見えてきます。

 

まとめ:戦国七雄を押さえるとキングダムが一気にわかりやすくなる

最後に、この記事のポイントを整理しておきます。

  • 戦国七雄とは、秦・趙・楚・魏・韓・斉・燕 の七つの大国のこと

  • 西の秦・北の燕と趙・中央の魏・韓・斉・南の楚、という位置関係を覚えておくと、戦の意味が理解しやすくなる

  • 各国にはそれぞれ

    • 秦=軍事・実力主義の超大国

    • 趙=騎兵と防衛の国

    • 楚=南方の超大国

    • 魏=戦国前半の軍事先進国

    • 韓=挟まれた苦しい小国

    • 斉=経済と文化の大国

    • 燕=北方の堅実な王国
      といった「性格」がある

  • 合従軍は、「六国が一時休戦して秦を袋だたきにしようとした一大イベント」

七雄の位置とキャラを軽く頭に入れてからキングダムを読むと、

「この一戦に、国としてどんな意味があるのか?」
「この国が落ちると、勢力図がどう塗り替わるのか?」

が見えるようになって、より楽しめると思ます。

 

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春秋戦国
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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

著者 自画像

京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

運営者SNS: X(旧Twitter)

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