こんにちは、フミヤです。
楊麗華は隋の初代皇帝 楊堅と独孤伽羅の娘。
北周 宣帝 宇文贇の皇后です。
でもドラマ「独孤伽羅~皇后の願い~」見た人の中には「楊麗華って一体誰の子だったの?」と疑問に思った方もいるかもしれません。ドラマで描かれる彼女の生い立ちと史実は全く違うのです。
さらに彼女は名門に生まれ皇后になったのに、父がクーデターを起こして嫁ぎ先が滅亡。公主に格下げになりました。
この記事では、隋の初代皇帝・楊堅と独孤伽羅の間に生まれた長女、楊麗華の生涯を史実に基づいて紹介します。
麗華は誰の子? 史実と「独孤伽羅」で違う衝撃の事実
ドラマ「独孤伽羅」では麗華は宇文護と独孤般若の娘として生まれました。独孤伽羅が引き取って育て。やがて楊堅と伽羅の養子になりました。
史実では楊麗華は隋の初代皇帝となる楊堅と妻 独孤伽羅の間に生まれた長女です。
彼女は西暦561年。楊堅と独孤伽羅の初めての子どもとして生まれました。日本の歴史でいえば、ちょうど飛鳥時代にあたる時期の出来事です。
でも、ドラマ「独孤伽羅~皇后の願い~」では史実とは全く違う脚色がされているのです。
では史実の楊麗華はどのような人だったのでしょうか?史実の楊麗華もドラマに負けず劣らず波乱の生涯を歩んだ女性でした。その楊麗華の生涯を紹介しましょう。
【史実】波乱に満ちた楊麗華の生涯:皇后から失意の王女へ
名門に生まれた楊麗華
楊麗華が生まれたのは北周 武帝の時代。西暦561年。
父は北周の大将軍 楊忠の長男・楊堅。後に隋の初代皇帝になる人物です。
母は八大柱国のひとり独孤信の七女・独孤伽羅。
父母ともに北周ではトップクラスの名門です。麗華は誰もが羨む「お嬢様」として生まれました。
恵まれた幼少期から北周の皇太子妃へ
楊麗華は幼いころから恵まれた環境で育ちました。でも彼女の運命は、ある政略結婚によって大きく動き出します。
それは北周の皇太子だった宇文贇(うぶん いん)との結婚でした。それは楊家と皇室の結びつきを強めるための大切な結婚だったのです。当時は個人の気持ちよりも家の繋がりが何よりも重要でしたからね。
北周の皇后になる。
西暦578年。義父である武帝 宇文邕が亡くなると、皇太子だった宇文贇が宣帝として即位しました。
これで楊麗華はついに皇后の座に就きました。この頃には娘の宇文娥英(うぶんがえい)も生まれています。
ところが、ここから麗華の苦労が始まるのです…。
皇后が5人?…奔放な夫に翻弄される日々
宣帝はとても奔放な性格で、麗華以外に次々と女性を迎え皇后を増やしていきました。側室ではありません、皇后を増やしたのです。
西暦579年2月には自分を「天元皇帝」と名乗り、麗華も「天元皇后」に。
そして次々と気に入った女性を皇后にしていきました。
同年7月には宣帝の侍女だった朱満月が「天皇后」に、側室の陳月儀が「天左皇后」に、元楽尚が「天右皇后」に…。
さらに西暦580年には麗華は「天元大皇后」となり、側室の尉遅熾繁が「天左大皇后」となるなど、なんと宣帝の時代には、麗華を含めて最大で5人の皇后が同時に存在していたんですよ!
中国王朝では考えられないありさまです。
でも「皇后」と称号のつく女性が何人いても麗華が宣帝の正妻・一番の皇后には違いありません。
麗華は争いを好まない皇后
普通なら嫉妬や争いが絶えない後宮ですが、麗華は穏やかな性格で他の皇后や側室たちとの争いには加わらなかったと言われています。だから後宮の女性たちからも尊敬を集めていたようです。
それでも宣帝の激しい性格は麗華を苦しめました。
宣帝が譲位
579年2月。宣帝 宇文贇は在位1年足らずで息子の静帝 宇文衍(うぶん えん)に譲位し、自身は太上皇になりました。楊麗華は太上皇后となります。
静帝は楊麗華の子ではなく、5大皇后のひとり朱満月の子です。でも楊麗華が嫡母として皇太后になりました。
静帝はまだ幼いので宣帝が実権を握っています。宣帝は大規模な宮殿改修をしたり美女を集めて楽しんでいました。
宣帝と口論して母・伽羅が土下座
このころ宣帝は朝廷で力をもつ楊堅に不信感を持っていました。そのため楊麗華にも不満をぶちまけます。
あるとき宣帝は「お前の実家を滅ぼしてやる」と言ったところ、麗華は落ち着いて受け答えしました。ところが麗華の冷静な受け答えに宣帝はかえって逆上。その場ですぐにでも処刑しようとしました。
この絶体絶命のピンチを知ったのが、麗華の母である独孤伽羅でした。独孤伽羅はすぐに宮殿へ駆けつけ、宣帝にひたすら謝罪。額から血を流すほど床に頭を打ちつけ謝罪しました。
でも実際はその逆でした。
母の必死の懇願で楊麗華は九死に一生を得たのです。これは独孤伽羅の娘への深い愛情の現れですが、同時に楊家の政治的な地位を守るための行動だったとも考えられています。
父 楊堅の裏切りを許せない麗華
宣帝の死後、父に反発
西暦580年5月。いろいろ問題もあった宣帝が突然亡くなりました。死因は不摂生のしすぎと考えられています。
面倒ばかり起こす夫がいなくなり、自分が産んだ子でないとはいえ麗華は静帝の嫡母で皇太后です。父 楊堅は上柱国・大司馬という政治と軍事の権限をもつ重臣です。
麗華は「これで自分の時代が来た。」と思ったかも知れません。父 楊堅の部下たちが宣帝の遺言を偽造、楊堅が静帝の後見に指名されたと発表しました。麗華は最初は父が幼い皇帝を助けてくれると信じていました。
ところが、ここから麗華にとって厳しい現実が受っていました。
何と楊堅は皇帝の座を狙っていたのです。それに気がついた麗華は不満を募らせました。そして父に対して反抗的な態度を取るようになったのです。
でも麗華は父を止めることができませんでした。
隋建国で父に反発
西暦581年2月、楊堅は静帝から皇帝の座を奪い北周は滅亡。ここに隋が建国され、楊堅は初代皇帝・文帝となります。
娘の楊麗華は、父の行いを決して許しませんでした。 文帝も内心では娘に申し訳ないと感じていたため、麗華の反抗的な態度を怒ることができなかったと言われています。
西暦586年。文帝は楊麗華に「楽平公主」の地位を与え再婚を勧めますが、麗華は断固拒否しました。自分の夫の一族を滅ぼした父の支配下で再び誰かの妻になるなんて考えられなかったのでしょう。
この時期の麗華は、父への強い不信感と自分が置かれた状況への悲しみを抱えていたと考えられます。
娘の結婚と静かな晩年
皇后の地位を失った楊麗華の生きがいは娘の宇文娥英の幸せでした。
娘の宇文娥英が結婚適齢期を迎えると楊麗華は母親として娘の幸せのために奔走します。父 文帝(楊堅)の命令で数百人もの貴公子たちが婿候補として集められました。
楊麗華は、なんと自ら帳の中にいて婿候補たちに自己紹介をさせ、それぞれの特技を試させたのです。そして最終的に選ばれたのが幽州総管・李崇の息子 李敏(り びん)でした。
李敏はまるで公主(皇帝の娘)と結婚するかのような最高の待遇で迎えられ、盛大な婚礼が行われました。
楊麗華は李敏にこんなことを言いました。
大変な親バカぶりです。麗華は娘婿の李敏を大変気に入って信頼していたようです。
その後、李敏は文帝に謁見。文帝が自ら琵琶を弾き、李敏が歌と舞を披露しました。文帝は喜んで楊麗華に「李敏は現在、どのような官職に就いているのか?」と尋ねました。
楊麗華は「彼はただの庶民に過ぎません」と答えます。
そこで文帝は「儀同の職を授けよう」と言いましたが、李敏は丁寧に断りました。文帝は「不満なのか?では開府の職を授けよう」と言いましたが、李敏はやはり感謝しつつも引き受けませんでした。
すると文帝は、ついにこう言いました。
「楽平公主(楊麗華)は私に大功があったのだ。その婿に対して官職を惜しむことができようか!よし、柱国の職を授けよう!」これを聞いて初めて李敏は文帝に拝礼しました。
文帝はさっそく詔書を書いて李敏を柱国に任命したのでした。
娘の夫を出世させたのは、娘を大切に思うから。楊麗華は夫の一族を滅ぼした父への不信感は残っています。でも娘の幸せのためには、父の権力を利用したのです。麗華のしたたかな一面が垣間見えますね。
楊麗華の最後
西暦604年。父の文帝が亡くなり、弟の楊広(よう こう)が煬帝として即位しました。楊麗華は弟の楊広とは仲が良かったようです。
西暦609年。楊麗華は煬帝とともに張掖(現在の中国甘粛省張掖市)に旅に向かいました。しかしその途中で亡くなってしまいます。享年49歳でした。
ドラマ「独孤伽羅」「独孤皇后」と史実の違い
楊麗華は中国ドラマ「独孤伽羅」「独孤皇后」でも重要な人物として描かれていますが、史実とは違う脚色も多いです。ドラマをきっかけに興味を持った方は、その違いに驚かれたかもしれませんね。
「独孤伽羅~皇后の願い~」での楊麗華・キャスト情報
このドラマでは、楊麗華の設定が史実と大きく違います。なんとドラマの中の麗華は宇文護と独孤般若(伽羅の姉)の娘という設定なのです!
宇文護の子と知られては困るので伽羅が引き取り育てますが、やがて楊家の娘として育てられます。幼い頃から宇文邕に可愛がられる様子も描かれていますよね。
楊堅が皇帝になるまでの期間が長く、成人した麗華の登場シーンは比較的少ないです。また史実で描かれた両親との確執も、このドラマでは見られません。
麗華のキャスト
麗華を演じたのは、郜思雯(ガオ・スーウェン)さんでした。
「独孤皇后」での楊麗華・キャスト情報
「独孤皇后」では、楊麗華は史実通り楊堅と独孤伽羅の娘として描かれています。
麗華を演じたのは、宋奕星(ソン・イーシン)さんです。
このドラマでは北周の後宮内での争いが詳細に描かれ、麗華が皇后になった後も他の妃や側室と争う様子が見られます。
隋の建国後、北周と夫の一族を滅ぼされた麗華と両親の楊堅・伽羅との関係はうまくいきません。このドラマでは、親子間の激しい対立や麗華の苦悩がより深く描かれているのが特徴です。
「独孤伽羅~皇后の願い~」が王朝内の権力争いにラブストーリーの要素を強く絡めているのに対し、「独孤皇后」は宮廷内の争いや楊家の家族間の争いに焦点を当てている点が特徴ですね。
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