陸貞は実在する?モデルになった 陸令萱の史実と最後とは?

陸貞 6 南北朝
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ドラマ「後宮の涙」「独孤伽羅・皇后の願い」に登場する陸貞は、北周に実在した陸令萱がモデル。

陸令萱は北斉の後主・高緯の乳母。その地位を利用して宮廷で絶大な権力を握った女性です。奴婢の身分から高緯の乳母、そして女侍中へと異例の出世を遂げ、高緯の寵姫・穆邪利を皇后に押し上げ、事実上の皇太后として宮廷を支配しました。

でも、その大きな権力は多くの重臣との対立を生み、北斉の衰退を招く一因となりました。

北周の侵攻により北斉が滅亡の危機に瀕すると、陸令萱は自害しその一族も処刑されました。

ドラマでは陸貞の名で登場することも多いです。

史実の陸令萱ははどんな人物だったのか紹介します。

 

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陸貞(陸令萱)の史実

どんな人?

名称:陸 令萱(りく れいけん)
あだ名:陸媼(りくおう):陸おばさん
陸貞(りく てい)
国:東魏→北斉

生年月日:?
没年月日:577年

日本では飛鳥時代になります。

 

家族

夫:駱超
子:穆提婆(駱提婆)
兄弟:陸悉達
姉妹:陸氏(司馬子瑞の妻)

 

鮮卑の出身

陸令萱の出自は歴史書にはっきりと記載されていませんが、八大鮮卑の名門 歩六孤氏(陸氏)といわれます。

両親は不明。

出身は北魏東魏

駱超と結婚して息子の提婆が誕生

夫は西魏の将軍だった駱超(らくちょう)。駱超が東魏に降伏した後、陸令萱は彼と結婚しましたと言われます。

二人の間には息子の提婆(らく ていば)が誕生しました。

 

夫の反乱で奴婢として後宮に入れられる

550年。東魏の重臣・高洋が反乱を起こし自ら皇帝(文宣帝)に即位。北斉(斉)を建国しました。

その後、駱超が反乱を起こしましたが失敗。駱超は処刑されたため、陸令萱と息子の駱提婆は連座して宮廷に奴婢として送られました。

 

高緯の乳母になる

令萱は長広王 高湛に使える宮奴になりました。彼女は言葉が巧みで頭のよい女性だったので、長広王  高湛と長広王妃 胡氏の信頼を得ます。陸令萱長広王 高湛の息子 高緯の乳母になりました。

高緯は陸令萱に大変良くなつき、彼女を「姉姊」(北斉では母親を姉と呼んだ)とまで呼んでいました。

高緯が陸令萱にどれほど依存して愛情をもっていたかが分かります。高緯の母親・胡氏も陸令萱の働きに満足、彼女を高く評価していました。

 

武成帝 高湛の時代

559年に文宣帝が死去。その弟 孝昭帝 高演が即位しました。

561年。孝昭帝 高演が病死。弟の長広王 高湛が皇帝に即位。武成帝となりました。胡氏皇后に、高緯皇太子になりました。

高緯の乳母だった陸令萱の地位も向上。彼女は皇太子をますます手厚く世話をして高緯からの信頼をさらに深めます。

武成帝 高湛皇后 胡氏は陸令萱が太子を熱心に世話しているのをを見て、彼女に郡君の称号を与えました。

郡君(ぐんくん)
歴代の皇族宗室の公主や、朝廷の四品以上の官吏の妻だけが与えられる称号。

 

陸令萱は元々奴婢の身分でしたが、王侯貴族並の栄誉を得ました。彼女がどれほど胡太后や高緯から気に入られていたかが分かります。

 

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高緯の時代:女侍中になり権力を持つ

女侍中になる

565年。武成帝 高湛は皇太子 高緯に帝位を譲位。自らは太上皇になります。

高緯はまだ10歳なので太上皇帝高湛がひきつづき政治を行いました。太上皇 高湛は太尉 斛律光(こくりつ こう)の娘高緯の妻に選び、皇后にしました。

陸令萱は女侍中に任命されました。

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後主 高緯の時代

569年。太上皇 高湛が亡くなり、後主 高緯が親政を始めます。陸令萱は徐々に後宮の事務を仕切るようになりました。

皇帝の寵姫・穆邪利を義理の娘にする

高緯の正室は斛律皇后でしたが高緯が成長するにつれて皇后の侍女・穆邪利(ぼく しゃり)を寵愛するようになります。

すると陸令萱穆邪利との関係を深めるために彼女を義理の娘にして、穆邪利を弘徳夫人(三妃の一つ)にしました。

570年。穆邪利が皇子の高恒を産むと、陸令萱は高緯穆邪利を弘徳夫人(三妃の一つ)にするよう働きかけました。さらに高恒を斛律皇后の養子にするよう画策、高恒皇太子に立てました。

穆夫人は息子が皇太子になったので陸令萱に感謝し、二人の関係はさらに親密になりました。

事実上の皇太后

胡太后は私生活がだらしない女性で、武成帝の在位中から重臣の和士開(わ しかい)と密通していました。その後、寺院の僧侶とも私通しました。

571年。胡太后の醜聞が暴露され、後主 高緯は激怒。胡太后を北宮に幽閉しました。胡太后の地位は急落。代わりに陸令萱がその皇太后の役目を務めました。でも彼女は本当の皇太后になりたいという野心を持ちます。

彼女は自分の側近の祖珽に嘆願させましたが、他の重臣の反対が大きかったので「皇太后」になる夢は実現しませんでした。

でも、すでに彼女は皇太后といってもいいくらいの力を持っていました。

 

陸令萱と結託する重臣たち

当時、朝廷で力を持っていた重臣は、多和士開(わ しかい)、高阿那肱(こう あなこう)、祖珽(そ てい)たち。

息子の 穆提婆も臣下となって陸令萱のために働きました。

太尉趙郡王 高叡、左丞相 斛律光、琅琊王 高儼などの一部の大臣たちは、この状況に非常にまずいと考え、多和士開の専横に反対。

569年2月、趙郡王 高叡らは後主に上奏。和士開の罪状を暴露し、彼を朝廷から地方へ異動させるよう求めましたが、後主 高緯は許しませんでした。

571年。高儼らによって和士開が殺害されました。

すると陸令萱とその党派たちは高儼、高叡、斛律光らに謀反の罪をかぶせて処刑。婁定遠を青州刺史に、元文遙を西兗州刺史に左遷させました。

しかし陸令萱祖珽の間にも徐々に対立が生まれたので陸令萱は祖珽を排除。息子の穆提婆を祖珽の後任として、母子で権勢をほしいままにしました。

 

穆邪利を皇后にする

572年。陸令萱祖珽穆提婆に命じて、左丞相の斛律光が謀反を計画していると訴えさせ処刑。まもなく斛律皇后も廃位されました。

陸令萱は何度も高緯穆邪利を皇后に立てるよう勧めましたが、胡太后は反対。胡太后の姪胡昭儀皇后になりました。

でも陸令萱は諦めず、穆夫人の息子 高恒が皇太子なのを理由に、高緯を説得。ついに穆邪利左皇后に立てさせました。

でも穆邪利は満足せず、陸令萱に皇后にしてほしいとせがみました。

そこで陸令萱はある計略を思いつきます。

陸令萱が胡太后と雑談していた時、突然ため息をつきました。胡皇后が聞くと陸令萱は

胡皇后は皇帝に『太后は礼儀がなってなくて手本にはできません』と言っていましたよ。

と言いました。

胡太后過去の汚点をえぐられるのを恐れていたので、自分が取り立てた姪がそのようなことを言うことに激怒。すぐに胡皇后を呼びつけ、言い分を効かずに侍女に彼女の髪を剃らせ、実家に送り返しました。

胡太后はまんまと陸令萱の策略にひっかかり最大の味方を失ってしまったのです。

573年。陸令萱が計画した通り、穆邪利が皇后になりました。

後宮で最高の地位

陸令萱は穆皇后の母でもあるので「太姫」と呼ばれ、一品に相当。長公主(皇帝の姉妹)の上の地位になりました。

このころには胡太后は力を失っていたので、陸令萱は皇宮で最高の権力を手にしました。

また皇帝の許可を得て実の息子・駱提婆姓をもらい、穆提婆と名乗らせました。

陸令萱は息子の穆提婆(ぼく ていば)とともに宮廷で大きな影響力を持ち、官位を売って不当に利益を得たり、賄賂を受け取ったりして私腹を肥やしました。

後主高緯は長年、陸令萱に育てられていたので彼女の言うことには従順でした。これが陸令萱が政治に介入する機会を与えました。

陸令萱の最後

周が北斉に侵攻

斛律光や蘭陵王 高長恭の死後。北斉は陳にも負けるようになっていました。

576年。北周武帝 宇文邕は北斉が弱体化したとみて侵攻。斉軍はあっけなく敗走。後主 高湛は副都 晋陽が陥落寸前と聞くと逃走。鄴都に戻って皇位を8歳の太子 高恒に譲り、また逃走しました。

穆提婆は形勢不利と見て北周に降伏。すると武帝 宇文邕は彼を柱国大将軍に任命。北斉では動揺が走り次々と投降者が出ました。

陸令萱・穆提婆 親子には責任追及の声が上がります、陸令萱はもはやどうにもならないと思い自害しました。

陸貞の死後、陸家の一族は皆殺しにされ財産は没収されました。

 

ドラマの陸貞(陸令萱)

後宮の涙

(原題:陸貞傳奇)

2013年、中国、演:趙麗穎(チャオ・リーイン)

劇中での名前は陸貞。20代前半のチャオ・リーインが演じています。

中国史上初の女宰相という設定。陸令萱をモデルにしつつも大胆に脚色。聡明で優れた女性として描かれています。

 

独孤伽羅

(原題:独孤天下)

2018年、中国、演:呂一

「独孤伽羅」では陸貞は独孤伽羅の友人として登場。

宮中で権力を握った陸令萱とは別人という事になってます。

 

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