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上陽賦 馬子澹(ばしたん)は実在する?モデルは?

上陽賦の馬子澹(ばしたん) d ドラマ紹介

馬子澹(ばしたん)は中国ドラマ「上陽賦」の登場人物。

上陽賦は架空の王朝が舞台のドラマ。でもモデルになった国があります。古代中国の五代十国時代。東普という国です。

馬子澹は幾つかの実在した人物を組みわせせて作った人物。東普 恭帝 司馬徳文と劉宋の孝武帝 劉駿です。

上陽賦に登場する馬子澹(ばしたん)とそのモデルになった人物を紹介します。

 

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上陽賦の馬子澹(ばしたん)とは

王儇と馬子澹 周辺の相関図

人間関係は複雑なので。関係者の相関図を載せておきます。

上陽賦相関図

 

 馬子澹(ば したん)

上陽賦  馬子澹(ば したん)

名前: 馬 子澹(ば・したん)
大成国 第三皇子
→安平王→大成皇帝

 

父:皇帝 馬曜
母:謝貴妃

母は名門貴族・謝氏の一族。

ここからはネタバレ要素があるので興味ない方は読み飛ばしてください。

ヒロインの王儇(おう・けん)とは相思相愛で将来、結婚したいと思っていました。

ところが宮廷の権力争いに酔って母方の実家が陥れられ、母の謝貴妃が投獄の後、死亡しました。実家の後ろ盾を失った 馬子澹を守るため。皇帝は陵墓の番人を任せました。

父・馬曜の死後。兄の馬子隆が皇帝になりました。

馬子隆の死後は馬子澹が皇帝になります。

しかし、国内が安定すると生前譲位。皇帝の座を馬静に譲り、自らは二度と政治に関わりたくないと心に決めて陵墓の番人として暮らします。

 

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馬子澹(ばしたん)のモデル

モデルその1:東普 恭帝 司馬徳文

馬子澹(ばしたん)のモデル 恭帝 司馬徳文

ドラマの国「大成」のモデルになったのは「東普」という国。

三国志の時代を統一したのが司馬氏の「普」でした。その普は内紛や異民族の侵入で滅亡。逃れた王族が再建したのが「東普」です。

皇帝 馬曜のモデルは東普の孝武帝 司馬曜 です。

孝武帝 司馬曜には皇子が二人いました。

安帝 司馬徳宗と 恭帝 司馬徳文です。

孝武帝 司馬曜は張貴妃に殺害された後、長男の司馬徳宗があとを継ぎました。安帝 司馬徳宗は発達障害だったともいわれ自分では政治ができませんでした。

安帝 司馬徳宗が「上陽賦」では馬子隆のモデル。

安帝 司馬徳宗は、重臣の劉裕の配下に殺害され、 恭帝 司馬徳文が即位します。

ところが劉裕は自分が皇帝になる野望を持っていたので恭帝 司馬徳文を脅迫して譲位させ、自分が皇帝になりました。その後、恭帝 司馬徳文は劉裕に殺害されています。

ちなみに劉裕をモデルにしてるのが「上陽賦」の蕭綦(しょう・き)です。でも「上陽賦」の蕭綦は善人なので皇帝から皇帝の座を奪ったりしません。

ポジション的には恭帝 司馬徳文が馬子澹のモデルになるのですけれど。馬子澹は臣下に皇帝の座を奪われない代わりに自分から皇帝の座を譲ってしまいます。その後は世間との関係を断って暮らす。ということで社会的にはいないのと同じです。

おおまかな流れは恭帝 司馬徳文を参考にしていますけれど。蕭綦を善人に描く都合で馬子澹は死なずにすんでいます。

 

モデルその2 孝武帝 劉駿(りゅう・しゅん)

馬子澹のモデル 孝武帝 劉駿

以前の記事で 王儇のモデルのひとりは文穆皇后 王憲嫄というお話をしました。

上陽賦:王儇(おうけん)は実在するの?モデルは?

文穆皇后 王憲嫄は東普のあとにできた劉宋(南宋)の皇后です。

東普と劉宋は皇帝一家は違いますが、朝廷はそのまま引き継いでいますし重臣一族の顔ぶれはほとんど同じ。ほぼ同じ国みたいなものです。

王憲嫄の夫は劉宋の4代皇帝 孝武帝 劉駿(りゅう・しゅん)です。

この孝武帝 劉駿がもうひとりのモデルです。

劉駿は劉宋の3代皇帝 文帝 劉義隆(りゅう・ぎりょう)の第三皇子。

ところが文帝 劉義隆は皇太子 劉劭(りゅう・しょう)に殺害されてしまいます。

劉劭も日ごろの行いに問題のある皇太子で「上陽賦」の馬子隆に似ています。

劉劭は父を殺した後、皇帝になりました。

ところが他の皇族や重臣たちは劉劭を正当な皇帝と認めません。将軍の沈慶之たちが劉駿とともに挙兵して劉劭を討伐しました。そのため劉劭は歴代皇帝の数に入っていません。

劉劭を倒した後、劉駿が4代皇帝 孝武帝に即位しました。

孝武帝の正室が文穆皇后 王憲嫄。謝氏と並ぶ名門の琅邪王氏出身。王憲嫄の父は宰相の王偃(おう・ひつ)です。「上陽賦」の王儇が名門琅邪王氏の出身で父が宰相というのは文穆皇后 王憲嫄をモデルにしているから。

武陵王 劉駿(りゅう・しゅん)と文穆皇后 王憲嫄の仲は良かったようです。

孝武帝 劉駿は34歳で死亡。

皇后 王憲嫄との間に生まれた息子の劉子業(りゅう・しぎょう)が即位しました。

「上陽賦」では馬子澹と王儇は結婚できませんでしたが。もし結婚していたら?というもうひとつの人生がこちらなのかもしれません。

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まとめ

上陽賦の馬子澹は、東普の恭帝 司馬徳文と劉宋の孝武帝 劉駿をモデルにしています。

恭帝 司馬徳文は、父帝の死後、皇帝の座を奪われ殺害された悲劇的な人物です。馬子澹も同様に宮廷の陰謀に巻き込まれますが、自ら皇位を放棄し、静かに余生を送るという異なる結末を迎えます。

孝武帝 劉駿は、妻の文穆皇后 王憲嫄(王儇のモデルの一人)との仲睦まじい関係が知られており、馬子澹と王儇の理想的な未来を象徴していると言えるでしょう。

これらのモデルを参考に、馬子澹は宮廷の権力争いに翻弄されながらも、愛する王儇との幸せを願い、最終的には静かに人生を終えるという複雑なキャラクターとして描かれています。

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