中国ドラマ『独孤伽羅』で描かれた宇文護と独孤般若の切ない愛。
二人の関係は史実でもそうだったのか気になりますよね?
結論から言うと、史実では二人が恋愛関係だったという記録はありません。ドラマの脚色なのです。
では史実ではどんな関係だったのでしょうか?ドラマではなぜそのような関係になっているのでしょうか?
この記事では、ドラマと史実の宇文護と独孤般若の関係を徹底比較します。
ドラマ『独孤伽羅』の宇文護と独孤般若の関係
『独孤伽羅』のドラマ前半では、独孤信の長女 般若と宇文護の愛を軸に描かれています。二人の関係はドラマの大きな魅力の一つですね。
父の敵と恋愛
ドラマの独孤般若は一族の中で一番「独孤天下」の予言に執着し、皇后の座を強く望んでいます。一方で父の政敵ともいえる宇文護と恋愛関係にありました。
でも宇文護陣営が妹の伽羅を誘拐したため般若は激怒。皇后となるために宇文毓に嫁ぎました。
でも宇文護は般若を諦められません。般若と宇文毓の初夜に押しかけたりと、いつまでも般若に執着します。その執着ぶりは側近の哥舒も呆れるほどです。
娘が誕生
でも般若も宇文護との縁を断ち切ったわけではありません。妹の伽羅を救うため。宇文護に助けを求めました。そして挙兵を躊躇する宇文護に自分の体を差し出し一夜を共にします。そして生まれたのが娘の麗華でした。
でも般若は死産になったことにして、麗華の存在を隠し通しました。宇文護は自分のせいで流産したと思い込み後ろめたさが残ります。
般若と宇文護の破局
その後、宇文毓の挙兵が原因で独孤信と宇文護が対立。独孤信は自害に追い込まれました。ただしこれは、残り少ない命を使って独孤家の安泰を願う独孤信の策略の要素もありますが。この件で般若は宇文護を恨み二人の関係は破綻。さらに般若は宇文毓との間に子を身ごもりました。
般若の最後
宇文護の許可を得て哥舒は般若の毒殺を目論見ます。最終的に般若は宇文護によって監禁され、助けがないまま早産となり死亡してしまいます。
宇文護は般若の死を嘆き悲しむのでした。
般若は「独孤天下」という権力を追い求めました。でもその代償に、愛を手放し命を落とすことになってしまったのでした。
ドラマでは非情に印象的な二人の関係ですが。このような出来事があったのか気になりますよね?
宇文護と独孤般若の史実:二人の関係は?
史実では、ドラマで描かれたような関係は存在しませんでした。
では、二人の本当の関係はどうだったのでしょうか?
史実の独孤般若(明敬皇后)
史実の独孤般若は独孤信の長女でした。「般若」という名前はドラマの設定。実際の名前はわかっていません。
歴史上は「明敬皇后」と呼ばれます。
彼女は北周の明帝・宇文毓の皇后になっています。でも歴史書に残る記録はごくわずかです。
明敬皇后
明敬皇后獨孤氏,太保、衛公信之長女也。帝之在籓,納為夫人。二年正月,立為王后。四月,崩,葬昭陵。武成初,追崇為皇后。明帝崩,與後合葬焉。出典「北史 卷十四 列傳第二 后妃下」
たったこれだけです。
独孤信の長女で2月に皇后になり、4月に死亡。昭陵で後に明帝と合葬されたことしかわかっていません。死亡した原因もわからないのです。
ただ、独孤信がこの前に死亡しているので父の死と関係があるのではないか?とも言われていますが、それも想像でしかありません。
独孤般若(明敬皇后)の詳しい生涯については独孤般若は実在した?明敬皇后・独孤氏の史実 をご覧ください。
史実の宇文護
宇文泰から信頼された甥
一方の宇文護は北周の事実上の建国者と言える宇文泰の甥(兄の子)。宇文泰とともに西魏の重臣でした。
宇文泰から後を任され絶大な権力を手に入れています。宇文泰の死後に西魏の皇帝を廃し、宇文泰の息子・宇文覚を皇帝にしました。
北周を建国・皇帝を操る
でも皇帝は傀儡、宇文泰が実権を握っていました。宇文護を討つため決起した宇文覚を返り討ちにして廃し、幽閉の後、殺害。また宇文護殺害を企てていた趙貴を処刑、連座して独孤信は自宅監禁して自害に追い込みました。
次に宇文護が皇帝にしたのが宇文毓でした。ただし宇文毓は宇文覚よりも政治の能力があり、徐々に人望を集めていきます。危機感を持った宇文護は宇文毓を毒殺。
宇文邕に殺害される
しかし宇文毓は毒殺される前に弟の宇文邕に指名していました。
宇文護も宇文邕の即位を認めます。宇文邕は最初は大人しく宇文護に従っていましたが。宇文護を油断させて殺害に成功。その後は、宇文邕が自ら政治を行なっています。
政治家としては有能
とこのように3人の皇帝を廃し3人の皇帝を殺害した暴君として知られる宇文護ですが。政治家としては優秀でした。北斉より国力の劣る北周をまとめ上げ、北斉と対等に戦える国に育て、次の武帝 宇文邕が北斉を倒す基礎を作りました。
宇文護の詳しい生涯については 宇文護【独孤伽羅】青い目や般若との関係は史実か?をご覧ください。
明敬皇后と宇文護の恋愛の記録はなし
歴史上は明敬皇后と宇文護が恋愛関係だったとは書かれていません。
しかも父の独孤信は冤罪にもかかわらず宇文護によって死に追い込まれています。父の死と関係あるのかわかりませんが、その数カ月後に明敬皇后も死亡しています。
明敬皇后の死後、夫の明帝 宇文毓も宇文護によって毒殺されました。
どう考えても宇文護と恋愛関係にあるとは思えません。
しかもドラマでは宇文護は若いですが。当時の宇文護には成人した息子がいる年齢。明敬皇后とも親子ほど歳が離れていた可能性はあります。
なぜドラマは史実と異なる愛を描いたのか
ドラマを面白くするため
ドラマ『独孤天下』が史実にない宇文護と独孤般若の恋愛を描いたのはドラマを面白くするためです。
独孤姉妹の長女としての責任
独孤信の3人の娘が皇后と呼ばれる存在になったという事実をもとに。史実にない「独孤天下」という予言を設定。予言に導かれる形で独孤信の娘が天下を狙うというストーリーになっています。
その流れでは長女の明敬皇后がただ活躍の場がないまま死んでいく存在としては描きづらかったのでしょう。
長女として最初に天下を目指し、そして散っていく。それを妹たちが引き継いでいく。そういう流れにしたかったのでしょう。
強すぎる宇文護にどう対応するか?
何人もの皇帝を廃して殺害する強力な宇文護とどう立ち向かうかは大きな問題です。まともに敵対したら勝ち目はありません。そこで「愛し合っていた」という設定にすれば、宇文護も簡単には殺せなくなります。
そうしてドラマを盛り上げる役目を受け持つことになったのですね。
とくに明敬皇后は史実でほとんど記録がありませんから。それを逆手にとった大胆な脚色だと思います。
エンタメ作品としての面白さ
史実に忠実なだけでは視聴者の共感や感情移入を得るのは難しいです。
独孤伽羅を主人公にした別のドラマに「独孤皇后」があります。こちらは史実に近い流れで。明敬皇后はほぼ無抵抗なまま宇文護の横暴に苦しみ画面から消えていきました。
確かに史実には近いのですが、これでは明敬皇后の印象は薄いです。
もちろん、エンタメ作品は作り話です。事実とは違うというのを理解するのは大切です。
もちろん「独孤皇后」には夫婦の愛や楊一家の絆という「独孤伽羅」とは違う楽しみ方があります。
どちらがいいかは、見る人によって違うと思います。
まとめ:ドラマと史実の両方を知って楽しむ
中国ドラマ『独孤伽羅』で描かれた宇文護と独孤般若の恋愛は史実にはありません。ドラマの創作です。
でも、その事実を知ってもドラマの感動が色褪せることはありませんよね。「独孤伽羅」の宇文護が魅力な悪役に設定されたことで、独孤般若の禁断の恋もより共感を持ちやすくなったのではないでしょうか?
ドラマの創作部分と史実を比べながら、あなたなりの視点で作品を楽しんでくださいね。
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