唐王朝皇帝一覧:23代21人と武則天を紹介

唐王朝皇帝一覧 5.1 唐皇帝
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唐は約300年続いた中国の王朝で最盛期には中央アジアのオアシス地帯も支配する世界的な帝国でした。

その唐の皇帝を治めたのは個性的な皇帝達。中国史上唯一の女帝が誕生したのもこの時代。

唐といっても時代によって様々な特色を持っています。特に安史の乱は唐の歴史において大きな転換点となり、それ以前と以後で大きく様相が異なります。

この記事では唐の皇帝たちを武周の武則天も含め紹介。

時代区分ごとに分かりやすく解説します。

 

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唐の皇帝一覧

23代(21人)の皇帝を紹介。武則天の武周も含みます。

廟号 在位期間 備考
高祖 李淵 618-626年 唐を建国
2 太宗 李世民 626-649年 貞観の治
3 高宗 李治 649-683年
武則天が政治に関与
4 中宗 李顕 684年
武則天により廃位
5 睿宗 李旦 684-690年
武則天により廃位
則天大聖皇帝1) 武曌 690-705年 周を建国
6 中宗 李顕 705-710年 復位
7 殤帝 李重茂 710年
在位わずか1ヶ月
8 睿宗 李旦 710-712年 再即位
9 玄宗 李隆基 712-756年
開元の治、安史の乱
10 粛宗 李亨 756-762年 安史の乱鎮圧中
11 代宗 李豫 762-779年 安史の乱終結
12 徳宗 李适 779-805年 両税法を導入
13 順宗 李誦 805年
在位わずか8ヶ月
14 憲宗 李純 805-820年 元和中興
15 穆宗 李恒 820-824年 宦官が台頭
16 敬宗 李湛 824-826年
宦官に暗殺される
17 文宗 李昂 826-840年 甘露の変
18 武宗 李炎 840-846年 会昌の廃仏
19 宣宗 李忱 846-859年 大中の治
20 懿宗 李漼 859-873年 唐の衰退が進む
21 僖宗 李儇 873-888年 黄巣の乱
22 昭宗 李曄 888-904年 朱全忠が台頭
23 哀帝 李柷 904-907年 唐滅亡

1)武則天のみ諡号

 

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唐の時代区分

唐は300年近く続いた息の長い王朝。時代によって様々に変化。一つの国とは思えないほど変化があります。

漢詩の世界では「初唐・盛唐・中唐・晩唐」と区別しますが。実際にはさらに複雑。

ここでは時代ごとに特色を簡単に紹介します。

建国から発展

初代 高祖~5代 睿宗

唐の建国から武則天が即位する直前まで。
隋の制度を継承しつつ律令制度を整備。領土拡大に熱心で西域を支配。世界帝国へと発展。

漢詩の区分では「初唐

武周

武則天

中国史上唯一の女帝である武則天が皇帝として君臨した時代。朝廷や組織は唐のまま、皇帝の出身氏族が違うだけで唐と同じ国と考えて問題ありません。

漢詩の区分では「初唐

 

再興から最盛期

6代中宗~9代 玄宗

武則天の後、再び李氏の唐が復活。
政治が安定して経済が発展。国際色豊かな文化が栄え多くの外国人が長安を訪れました。

漢詩の区分では「初唐盛唐

安史の乱後の停滞期

10代 粛宗~16代 敬宗

安史の乱により唐の衰退が始まった時代。西域の支配を手放し領土は後漢などの一般的な中国王朝のサイズに縮小。国際性が弱まり保守的な中国王朝としての性格が強まります。国内では節度使の力が強まり、朝廷の地方支配が弱まりました。

漢詩の区分では「中唐

 

衰退期

17代 文宗~20代 懿宗

宦官の専横が激しくなり政治が腐敗。各地で軍や民の反乱が頻発、社会が荒廃しました。唐の滅亡に向かう混乱と衰退の時代。

漢詩の区分では「晩唐

 

戦乱の時代

21代僖宗~23代 哀帝(滅亡)

各地で反乱が起き軍閥が地方を支配。戦国時代のような乱世に突入。唐は統一王朝としての力を失い、中原の一部を支配しているだけの地方国家になりました。

907年に朱全忠によって哀帝が廃され。290年続いた唐は滅亡しました。

漢詩の区分では「晩唐

 

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建国から発展期の唐朝皇帝

初代 高祖 李淵

隋末の混乱を制して唐を建国

高祖 李淵

高祖 李淵

名前:李淵(り・えん)
廟号:高祖(こうそ)
生没年:566 – 635年
在位:618 – 626年
父:唐国公 李昞
母:独孤氏

主な出来事・功績

もとは北周・隋朝の名門一族で唐国公。隋末の混乱に乗じて挙兵、唐を建国。他の諸侯や軍閥を討伐して中国をほぼ統一。隋の制度を改良したもので国内を整備。後の繁栄の礎を築きました。

晩年は後継者争いに悩まされます。

 

2代 太宗 李世民

世界帝国を築いたカリスマ皇帝

太宗 李世民

太宗 李世民

名前:李世民(り・せいみん)
廟号:太宗(たいそう)
生没年:598 – 649年
在位:626 – 649年
父:高祖 李淵
母:竇氏

主な出来事・功績

「玄武門の変」で兄弟を討ち皇帝に即位。
周辺民族を討伐し領土を拡大。中華の「皇帝」と遊牧民の君主「天可汗」の称号を得ました。西域にまで勢力を広げ唐を世界帝国にしました。太宗の治世は後世「貞観の治」と呼ばれ理想とされます。

太宗も後継者問題では悩みました。

 

3代 高宗 李治

唐の最大版図を実現した穏やかな皇帝

高宗 李治

高宗 李治

名前:李治(り・ち)
廟号:高宗(こうそう)
生没年:628 – 683年
在位:649 – 683年
父:太宗 李世民
母:長孫氏

主な出来事・功績

皇太子だった兄・李承乾が廃された後に皇位を継承。

即位後はさらに領土を拡大。百済・高句麗を滅ぼし唐の領土を最大に広げました。科挙を充実、人材発掘にも意欲的。

晩年は病気がちのため則天武后を政治に参加させました。後に国政を掌握されるきっかけを作ります。

 

4代 中宗 李顕

母・則天武后に廃位された皇帝

 

名前:李顕(り・けん)
廟号:中宗(ちゅうそう)
生没年:656 – 710年
在位:684年、705 – 710年
父:高宗 李治
母:則天武后

主な出来事・功績

韋后の親族を登用して則天武后に対抗しようとしましたが廃位されました。

後に復位。

 

5代 睿宗 李旦

武則天即位の踏み台にされた息子

名前:李旦(り・たん)
廟号:睿宗(えいそう)
生没年:662 – 716年
在位:684 – 690年、710 – 712年
父:高宗 李治
母:則天武后

主な出来事・功績

則天武后により廃位されました。

後に復位。

 

武周の皇帝

則天大聖皇帝

中国史上唯一の女帝!その手腕で国を支配した女傑

武則天

武則天

名前:武曌(ぶ しょう)
諡号:則天大聖皇帝
生没年:624 – 705年
在位:690 – 705年
父:武士彠
母:楊氏

主な出来事・功績

通称は 武則天。唐の高宗の皇后から周の皇帝となった中国史上唯一の女帝。

科挙を重視し有能な人材を登用。仏教を保護、大雲経を広めました。一方で秘密警察を使い反対勢力を弾圧。国内の権力争いに明け暮れ国防が疎かになり周辺民族の反乱が多発。後突厥、渤海などが誕生。晩年は政治の乱れが見られました。

晩年に病で寝込んだところを皇太子李顕を担ぐ重臣たちに反乱を起こされ譲位。

 

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再興から全盛期の唐朝皇帝

6代 中宗 李顕

韋后の言いなりになり、国を混乱させた無能な皇帝

重臣たちが武則天に反乱を起こして即位。
しかし韋后が政治に介入し、混乱を招きました。

 

7代殤帝 李重茂

韋后に担がれた傀儡皇帝

名前:李重茂(り ちょうも)
廟号:無し
生没年:695年 – 714年
在位:710年
父:中宗 李顕
母:不詳

主な出来事・功績

中宗の末子。韋后によって擁立され16歳で即位しますが韋后の傀儡でした。
李隆基(後の玄宗)らによるクーデター(唐隆の変)により韋后が殺害され退位。在位期間はわずか1ヶ月足らず。

退位後は寿春郡王になり714年に死去。唐の皇帝の中で廟号が贈られなかった皇帝の一人。

 

8代 睿宗 李旦

第二の武則天出現を阻止して二度目の即位

睿宗 李旦

睿宗 李旦

息子の李隆基とともに李重茂を担ぐ韋后一派に反乱を起こして即位。
玄宗に譲位して太上皇となりました。

 

9代 玄宗 李隆基

唐の最盛期から滅亡寸前・極端な二つの顔をもつ皇帝

玄宗 李隆基

玄宗 李隆基

名前:李隆基(り・りゅうき)
廟号:玄宗(げんそう)
生没年:685 – 762年
在位:712 – 756年
父:睿宗 李旦
母:竇氏

主な出来事・功績

皇位を奪おうとする韋皇后を排除して父を即位させ。同じく皇位を狙う太平公主も排除。父から譲位されて皇帝になりました。

「開元の治」と呼ばれる政治を行い唐の全盛期を築きました。

晩年は楊貴妃とその一族を贔屓。楊国忠と安禄山の対立から「安史の乱」が起こり国が大混乱。混乱の最中に息子の粛宗が即位。以後は太上皇帝となり寂しい余生をおくりました。この戦乱で唐は西域の支配を失い、世界帝国の地位から転落。以後、唐は衰退に向かいます。

 

安史の乱後の停滞期の唐朝皇帝

10代 粛宗 李亨

安史の乱鎮圧に尽力した皇帝

粛宗 李亨

粛宗 李亨

名前:李亨(り・きょう)
廟号:粛宗(しゅくそう)
生没年:711 – 762年
在位:756 – 762年
父:玄宗 李隆基
母:楊氏

主な出来事・功績

安史の乱鎮圧に尽力し、長安と洛陽を奪還。塩の専売制を取り入れ財政を立て直そうとしましたが、宦官や皇后に実権を握られ政治力を発揮できませんでした。

安史の乱の鎮圧を見ることなく崩御しました。

 

11代 代宗 李豫

安史の乱を終結させ、唐の再建に努めた皇帝

代宗 李豫

代宗 李豫

名前:李豫(り・よ)
廟号:代宗(だいそう)
生没年:727 – 779年
在位:762 – 779年
父:粛宗 李亨
母:呉氏

主な出来事・功績

安史の乱を終結させました。節度使の力を狩りたため、節度使の力が強まり藩鎮割拠の始まりとなります。

唐の再建に努めましたが、肅宗時代から続き宮廷では宦官の力が強く、思うようなリーダーシップを発揮できませんでした。

 

12代 徳宗 李适

節度使の反乱鎮圧に失敗、藩鎮割拠を深刻化させた皇帝

徳宗 李适

徳宗 李适

名前:李适(り・かつ)
廟号:徳宗(とくそう)
生没年:742 – 805年
在位:779 – 805年
父:代宗 李豫
母:沈氏

主な出来事・功績

財政再建のため両税法を導入。
節度使の力を弱めるため兵力削減や世襲禁止しようとしましたが反乱を起こされて失敗。かえって節度使(藩鎮)の力が強くなってしまいました。

 

13代 順宗 李誦

改革半ばで短命に終わった悲運の皇帝

 

名前:李誦(り・しょう)
廟号:順宗(じゅんそう)
生没年:761 – 806年
在位:805年
父:徳宗 李适
母:王氏

主な出来事・功績

「永貞の革新」と呼ばれる改革を試み財政再建や宦官から力を奪おうとしましたが病に倒れて失敗。在位わずか8ヶ月で崩御しました。

 

14代 憲宗 李純

藩鎮の勢力を弱め元和中興を成し遂げた皇帝

憲宗 李純

憲宗 李純

名前:李純(り・じゅん)
廟号:憲宗(けんそう)
生没年:778 – 820年
在位:805 – 820年
父:順宗 李誦
母:王氏

主な出来事・功績

禁軍の兵力を強化、節度使を監視する制度を作り藩鎮の勢力を弱体化。国内は安定化し「元和中興」と呼ばれる復興を成し遂げました。

しかし晩年は丹薬を乱用して宦官を虐待したので暗殺されました。

 

15代 穆宗 李恒

宦官の台頭と党派争いで混乱を招いた皇帝

穆宗 李恒

穆宗 李恒

名前:李恒(り・こう)
廟号:穆宗(ぼくそう)
生没年:795 – 824年
在位:820 – 824年
父:憲宗 李純
母:郭氏

主な出来事・功績

文宗・武宗の父。政治に関心が薄く宦官が台頭。「牛李の党争」という派閥争いが起こり朝廷は混乱しました。

 

16代 敬宗 李湛

遊興にふけり宦官に暗殺された皇帝

敬宗 李湛

敬宗 李湛

名前:李湛(り・たん)
廟号:敬宗(けいそう)
生没年:809 – 826年
在位:824 – 826年
父:穆宗 李恒
母:恭僖皇后

主な出来事・功績

政治に関心が薄く馬球や角力(すもう)狩猟に夢中になりました。力士を多く採用、力士と対立した宦官によって暗殺されました。

 

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衰退期の唐朝皇帝

17代 文宗 李昂

宦官排除に挑み失敗した悲劇の皇帝

文宗 李昂

文宗 李昂

名前:李昂(り・こう)
廟号:文宗(ぶんそう)
生没年:809 – 840年
在位:826 – 840年
父:穆宗 李恒
母:蕭氏

主な出来事・功績

宦官の力を排除しようと試みたものの失敗(甘露の変)。
皇帝は宦官の操り人形となり唐の衰退が加速します。
 

18代 武宗 李炎

勢力拡大と唐最大の仏教弾圧を行なった皇帝

武宗 李炎

武宗 李炎

名前:李炎(り・えん)
廟号:武宗(ぶそう)
生没年:814 – 846年
在位:840 – 846年
父:穆宗 李恒
母:韋氏

主な出来事・功績

仇士良ら宦官の力を弱め、国内の反乱を鎮圧。ウイグルを撃退しました。役人の数を減らし唐の財政再建に努めた。
道教を信仰し大規模な仏教弾圧(会昌の廃仏)を行なっています。しかし丹薬中毒で死亡。

 

19代 宣宗 李忱

唐復活の最後の試みも晩年は意欲を失う

宣宗 李忱

宣宗 李忱

名前:李忱(り・しん)
廟号:宣宗(せんそう)
生没年:810 – 859年
在位:846 – 859年
父:憲宗 李純
母:鄭氏

主な出来事・功績

牛李の党争」を終わらせ、唐の復興に努めました。ウイグル、吐蕃が弱体化しているところを攻めて長年失われていた河西回廊を奪還。「大中の治」と呼ばれる善政を行ったとされます。

しかし晩年は不老不死を求めて政治を顧みなくなり再び宦官が力を付けてきました。

 

20代 懿宗 李漼

贅沢三昧で政治を顧みなかった無能な皇帝

懿宗 李漼

懿宗 李漼

名前:李漼(り・さい)
廟号:懿宗(いそう)
生没年:833 – 873年
在位:859 – 873年
父:宣宗 李忱
母:晁氏

主な出来事・功績

宦官に擁立されて即位。贅沢な生活を送り、政治を宦官に任せました。各地で藩鎮や民の反乱が起こり。唐の衰退が加速しました。

 

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戦乱の時代の唐朝皇帝

21代 僖宗 李儇

黄巣の乱で長安を追われ唐の滅亡を決定づけた皇帝

僖宗 李儇

僖宗 李儇

名前:李儇(り・けん)
廟号:僖宗(きそう)
生没年:862 – 888年
在位:873 – 888年
父:懿宗 李漼
母:恵安皇后 王氏

主な出来事・功績

12歳で宦官に担がれ即位。政治も宦官任せ。874年「黄巣の乱」が勃発し長安を占拠され唐は混乱。

反乱は鎮圧されたものの各地の藩鎮は自立。勝手に勢力争いを行い、唐の支配は各地には及ばなくなっていました。

 

22代 昭宗 李曄

唐の再建を図ったが失敗、朱全忠の傀儡となった皇帝

昭宗 李曄

昭宗 李曄

名前:李曄(り・しょう)
廟号:昭宗(しょうそう)
生没年:867 – 904年
在位:888 – 904年
父:懿宗 李漼
母:恭憲皇后 王氏

主な出来事・功績

軍事力を増やして唐の再建を図りますが節度使が反乱。一度は退位したもの復帰して政治は混乱。朱全忠に実権を握られ傀儡となりました。

 

23代 哀帝 李柷

朱全忠に国を奪われた唐最後の皇帝

名前:李柷(り・しゅく)
廟号:-
生没年:892 – 908年
在位:904 – 907年
父:昭宗 李曄
母:何皇后

主な出来事・功績

朱全忠が即位するために用意された傀儡。
兄弟たちが殺害され、自身も帝位を譲るよう脅され譲位。

907年。290年続いた唐は滅亡しました。

 

唐のその後

朱全忠は皇帝となり「梁」を建国すると李柷を殺害。

しかし「梁」も中国全土を支配することはできず、各地で武装勢力が勢力争いする時代に。

再び中国が統一されるのは北宋の979年。

唐の衰退によって黄巣の乱から約100年続く混乱の時代がやって来るのでした。

 

 

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