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燕太子丹・秦王嬴政暗殺計画の黒幕

春秋戦国時代 8 春秋戦国

太子丹は春秋戦国時代の燕の国の太子(王位後継者)。

荊軻とともに秦王嬴政(後の始皇帝)の暗殺を計画した人物です。

ところが秦王暗殺は失敗。

怒った嬴政は燕を攻め、太子丹は命運尽きてしまいます。

史実の燕太子丹はどんな人物だったのか紹介します。

 

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燕太子丹の史実

プロフィール

姓 :姫または姞 氏
名称:丹

国:燕
地位:太子

生年月日:不明
没年月日:紀元前226年

 

家族

父:燕王 喜
母:不明

 

彼は燕国の太子です

日本では弥生時代になります。

おいたち

生年は不明。

燕国王・喜の息子として生まれました。

子供のころ。趙国に人質に行きました。
当時、趙国で人質になっていた嬴政と出会い親しくしました。

その後、燕国に帰国。

紀元前246年。嬴政が秦の国王に即位。

秦の人質

紀元前243年。燕は秦に人質を出すことになり、丹が秦にいくことになりました。燕王喜としては丹はかつて嬴政と親しくしていたので人質に行ってもひどい扱いは受けないだろう。と思っていました。

ところが秦に行った丹は待遇の悪さが不満でした。それに秦は六国(趙・魏・燕・韓・斉・楚)を滅ぼそうとしているのを知り、秦が危険な国だと思いました。

紀元前232年。丹が秦から帰国。逃げ帰ったともいわれます。

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打倒秦をめざす太子丹

帰国した太子丹は秦をどうすればいいか太傅(太子の側近)のに相談しました。

「燕と秦は並び立つことのできない国だ。どうかよい策を考えてくれ」

すると鞠武は

「秦の領土は広く、趙・魏・韓を脅かすほどです。渭水より北、つまり燕はどうなるかわかりません。恨みがあるからといって秦王の逆鱗に触れるような真似をしてはいけません」

太子丹「ではどうすれば秦の災から逃れられるのだ」と太子丹が言うと、鞠武は「考えてみましょう」と言いました。

その後、秦の将軍の樊於期が燕に亡命してきました。

太子丹は樊於期を匿いました。

鞠武は「いけません。乱暴な秦王の怨みを重ねることになります。樊将軍が燕にいるのを知れば、秦王が攻めてきます。樊将軍は匈奴に追いやってしまいましょう。秦が言いがかりをつける口実をなくしてしまいましょう。そして趙・魏・韓と仲良くし、南の斉・楚と同盟し、北の匈奴とも和睦して、秦に対抗しましょう」

というと太子丹は

「太傅の策は悠長すぎる。そんなこと言われてもどうすればいいのかわからん。樊将軍は困って私を頼ってきたのだ。秦の強さに恐れをなして樊将軍を匈奴に追いやる冷酷なことはできん。どうか私の気持ちを分かってくれ」というと。

鞠武は困って「燕の都には田光(でん・こう)先生という方がいます。知略に優れた方です。この方と相談してはいかがでしょう」と言って田光を紹介しました。

鞠武を通して田光を紹介してもらった太子丹は、田光に会いに行きました。

太子丹は人目を避けて田光と相談しました。すると田光は私は衰えたのでかわりに荊軻を紹介されました。

太子丹は荊軻に会いたいので田光から伝えてくれ。と言うと帰り際に「私が言ったこと、先生がいった事は国の大事です。先生、漏らさないでくださいよ」と念をおして帰りました。

その後、田光は荊軻に会って太子丹の所に行くように言うのですが。そのとき田光は「私は太子に信用されていないのだ。義侠として恥ずかしいことだ」と言って自害しました。

太子丹は荊軻からその様子を伝えられると、膝まづいて拝礼して「私が田先生に他言するなとお願いしたのは、大事な計画を成功させたいからだった。それを他言しなかったことを御自分の死で証明していただくとは。私はそんなつもりではなかったのだ」と涙を浮かべました。

荊軻とともに秦王暗殺計画を進める

その後、太子丹は荊軻に秦王暗殺を考えているとうちあけました。荊軻は「そのような国の一大事は私ではとても務まらない」と断りました。でも太子丹は荊軻に役職を与え、よい官舎に住まわせ、ご機嫌をとりました。でも荊軻は秦王を暗殺しようとしません。やがて秦は燕の国境近くまで迫ってきました。

びくびくした太子丹は荊軻に「秦軍が易水を渡れば、いつまでも先生のお世話をすることができなくなります」というと荊軻は太子丹に作戦を打ち明けました。

その内容は樊将軍の首と、肥沃な燕の領土の地図をてみやげに持っていけば。秦王は会うだろう。そうすれば太子に報いることができる。と言いました。

太子丹は樊将軍を殺すことには反対でした。

そこで荊軻は太子丹には内緒で樊将軍に計画を話しました。樊将軍は家族を秦にころされたこともあり、怨みが溜まっていました。荊軻の作戦を聞いて私が求めていたのはこれだ。と言って自害しました。

太子丹はその話を聞くと、急いで樊将軍の遺体のある所に行って遺体にすがって泣きました。でも今更どうすることもできません。荊軻の作戦を進めることにして、鍛冶屋に名刀を鍛えさせ、刃に毒を塗って荊軻に渡しました。

そして秦舞陽という者を副使者として荊軻に同行させました。荊軻は他に信頼できる人を呼ぶ予定だったので、秦舞陽の同行を拒否しました。でも荊軻の知人は遠い所にいたのでなかなか来ません。

しびれを切らした太子丹が「秦舞陽を先に向かわせる」と荊軻に言ったところ。

荊軻は「急げば失敗します。未熟者の秦舞陽では必ず失敗します。私は信用できる人と一緒に仕事をしたいのです。でも太子が私を疑うのなら仕方ありません。行きましょう」と言って秦に向かいました。

太子丹と事情を知っている者たちは白い喪服を着て荊軻を見送りました。

その後、荊軻は秦王・嬴政に会ったものの暗殺は失敗しました。

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太子丹の最期

怒った嬴政は燕に攻めてきました。燕は代と同盟して戦いましたが易水で敗れました。

紀元前226年。国都の薊が陥落。丹と燕王喜は遼東に逃げました。秦の将軍・李信は燕王を追いました。追い詰められた燕王喜は代王嘉の助言で暗殺の首謀者・太子丹の首を差し出すことにしました。

丹は燕王喜が送り込んだ刺客に暗殺されました。燕王喜は丹の首を秦に差し出しました。

でも丹の首だけでは嬴政が諦めるはずがありません。燕の滅亡そのものが目的だからです。

紀元前222年。秦が燕を攻撃。燕王喜が捕虜になり、燕は滅亡しました。

というのが。「史記・刺客列傳」や「戦国策」の内容。

太子丹の最期には他の説もあります。

「史記・白起・王翦列伝」では丹は衍水で潜伏していたところ李信に捕まり捕虜になりました。

「史記・秦始皇本紀」では燕の首都・薊が陥落した時に討たれた。と書かれています。

ドラマの太子丹

秦時明月 2015年、中国 演:王修澤
麗姫と始皇帝 2017年、中国 演:白一翔
大秦武 2020年、中国、 演:李浩軒、葉愷文(少年)

 

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