ドラマ「惜花芷」のラストで驚いたのが六皇子・顧宴昭の皇帝即位です。六皇子は一度は皇族の名簿から名前を消され、顔に傷まで負わされた少年がなぜ再び玉座に座ることができたのでしょうか?
その裏側には、単なる幸運ではない政治的な思惑と彼自身の成長があったのです。
六皇子・顧宴昭は架空の人物ですが。彼のように皇籍を放れて即位した人物は歴史上も存在しました。彼にはモデルともいえる人物がいるのです。史実の皇帝たちと照らし合わせて六皇子の即位の必然性を解説します。
この記事で分かること
- 六皇子・顧宴昭が宮中で冷遇されていた理由
- 皇籍剥奪と市井での生活が彼にもたらした変化
- 太后の承認に至るまでの決定的な転機
- 中国史の皇帝と重ねて見る即位のリアリティ
六皇子・顧宴昭とはどんな人物?
両親
六皇子・顧宴昭の父は皇帝・顧成燾
生母は宮女で、ドラマの時点ではすでに亡くなっています。
正妃や有力な外戚を母に持つ皇子ではなく、後ろ盾となる一族もいませんでした。この出自の弱さが六皇子の立場を不安定なものにしていました。
皇帝・顧成燾との関係
六皇子は母の出自が低いため幼い頃から、父である顧成燾に好かれていませんでした。
五、六歳の頃、幽閉されていた大皇子が住む集萃宮に誤って入った出来事をきっかけに、顧成燾の不信はさらに強まります。
その後も六皇子は宮中で顧みられず、皇子なのに衣服は破れ、身の回りの世話も十分に受けていませんでした。
この時点ですでに六皇子は正統な皇子として扱われず、粗末な扱いを受けていたことがわまります。
宮中の混乱と姿を消した六皇子
皇帝昏睡と権力争いの始まり
26話で顧成燾が昏睡状態に陥りました。これは皇帝の座を狙う憲王・顧晏恭の策略です。顧宴惜は憲王が怪しいと考え監視を命じます。その調査の中で六皇子が皇宮内にいないことが分かりました。
六皇子はこのとき誰にも守られることなく宮中の混乱の中で脱走。街に出てしまったのです。
市井で見つかった小さな乞食
27話で花芷が売れ残った食べ物を乞食たちに分けていた時、隅に隠れている子供に気づきました。この子供が六皇子でした。
六皇子は憲王から命を狙われますが逃走。花芷に匿われました。その後、六皇子は止名楼に身を置き、表に出ない生活を送ることになります。
皇籍剥奪になった出来事
皇帝 顧成燾の意識が戻り、憲王は謀反の罪で裁きを受けました。
顧成燾は止名楼で六皇子と会いますが、六皇子は「皇子には戻りたくない」と嫌がったため、顧成燾は激怒。六皇子の額を切り裂いて玉牒から六皇子の名を外すと宣告してしまいます。
こうして六皇子は皇族ではなくなりました。皇籍剥奪は制度上の判断ではなく、父である皇帝の怒りによって行われた処分でした。これはもう皇子としての未来を完全に断たれた絶望的な処分に見えます。
でも、血筋そのものが消えるわけではありません。
その後の六皇子は花芷のもとで育てられ、人々の暮らしを知ることになります。
居場所をなくした少年が真の皇帝になるまで
花芷のもとで学んだ人の心
身分を失った六皇子を救ったのは花芷でした。彼女と過ごした民間での生活が彼の運命を大きく変えます。
それまでは、ただ大人たちに守られるだけの存在だった少年が花家の人々と苦楽を共にすることで「庶民の暮らし」や「人を信じる温かさ」を知ります。
誰かに守られる安心感を知った彼は、やがて「自分も誰かを守りたい」と願う一人の人間へと成長していったのです。
運命を変えた意志
最大の転換点は第39話です。皓月仙師の陰謀を知った花芷たちですが、皇帝に知らせる方法がありません。そんなとき、彼は逃げるのではなく「自分が太后に会いに行く」と自ら決断しました。
民間での生活が、かつての流されるままの六皇子を自分の意志で動ける人間に成長させていました。今度は自分で運命を切り拓こうとする、一人のリーダーとしての目覚めといえるでしょう。
この勇気ある行動が太后の心を動かします。単なる血を分けた子供から「この国を託せる後継者」へと、太后の中での評価が変化した瞬間といえるのではないでしょうか。
最終回、太后が下した復活の宣言
そして最終回、皇帝 顧成燾は崩御。恵王も謀反の末に命を落とし。正統な血筋の者がいなくなったかに思えました。
でも太后は力強く「顧氏にはまだ後継ぎがいる」と宣言。六皇子 顧宴昭を復活させました。
皇帝がいない今。太后の言葉は絶対的な力を持ちます。一度名簿から消えた名前も、彼女の呼びかけ一つで書き換えることができるのです。争いで荒れ果てた朝廷に花芷から「生きる知恵」を学び、自らの足で歩む覚悟を決めた新しい王が誕生しました。
皇籍を失った六皇子が生き残った理由
六皇子は皇籍を失ったことで、表向きは皇位継承の争いから外されました。
しかしその結果、皇族同士の殺し合いが進む中でも、直接の標的にならずに生き延びることになります。
皇子としては追放された存在でしたが、血筋そのものが消えたわけではありません。結局、最終回間近の騒動でほとんどの皇族が死亡し、正統な血統で生き残ったのは六皇子だけになってしまいます。
顧成燾はそこまで考えたわけでは無いでしょうが、皮肉なことに一度皇籍を外れたことで命が助かったのです。
新しい時代の幕開け
この経緯を考えると六皇子の即位は決して突然降って湧いたものではないことが分かります。シナリオ上は六皇子が君主にふさわしい人物になるよう段階を踏んでいるのです。
「身分を奪われる」→「民間での学び」→「自らの決断」→「太后による承認」
といった流れがあったからこそ彼はお飾りではない民の痛みがわかる本物の皇帝になれたのといえるでしょう。
花芷が植えた「自立」という種が皇帝という大きな花を咲かせた。そう考えると、この結末がとても感慨深く感じられるのです。
解説:皇籍抹消からの即位はご都合主義?前漢・宣帝に見る歴史のリアル
「一度は皇族から外された六皇子が最終回で皇帝になるなんてそんなのありえない!」
「ドラマのご都合主義でしょ」
と思う人もいるかも知れません。確かに私も一瞬「えっ?唐突すぎるでしょ」と思いました。
でもよく考えてみれば、中国史には六皇子・顧宴昭と似た境遇の皇帝がいることを思い出しました。
その代表的な例が前漢の第10代皇帝 宣帝(せんてい)です。
牢獄と民間が育てた名もなき皇子
宣帝こと劉詢(りゅうじゅん)の人生はドラマよりも過酷でした。劉詢は7代皇帝武帝の孫。皇太子 劉進の子です。ところが生後まもなく一族の政争に巻き込まれ、家族は処刑。彼自身も赤ん坊ながらに皇族の身分を奪われ、牢獄で育つという境遇に置かれます。
その後、釈放されてからも宮廷に戻ることはなく、一庶民として貧しさの中で成長しました。
名簿の上でも実生活でも彼は長く皇族ではない人間として生きていたのです。
なぜ一度捨てられた者が選ばれたのか
そんな彼がなぜ皇帝として迎えられたのでしょうか。そこには『惜花芷』の六皇子とも重なる理由がありました。
前漢では8代昭帝の死後、一度は劉賀が即位するものの、行ないが悪かったため廃位され。重臣の霍光たちの支持を受けて皇位継承者となりました。このときも上官皇太后の詔を受けて皇族に復帰。その後、皇帝になっています。
中国の王朝社会において、皇籍を外されるのはあくまで政治的な処分に過ぎません。どれほど遠ざけられても、その体に流れる血筋という正統性だけは、誰にも消すことができないのです。
六皇子と宣帝に共通する王の資質
六皇子と宣帝を並べてみると、その軌跡は驚くほど一致します。
1. 宮廷から「排除」される
2. 民間で生き、人の温かさと苦しみを知る
3. 政争の果てに「正統の象徴」として呼び戻される
政争の絶えない中国王朝では廃位と復帰が何度も起きてきました。
ドラマの六皇子は花芷のそばで「民の暮らしを知り」「自分の意志で動くこと」を学びました。
六皇子が39話で見せた「自ら太后に会いに行く」という決断も、花芷たちと過ごした日々があったからこそ生まれた、王としての目覚めだったと言えるでしょう。
史実の宣帝は即位後に名君として称えられましたが。彼は民間の苦労を知っていたからこそ、役人の横暴をやめさせたり。高騰していた塩の価格を落ち着かせるなど。いくつかの制作で功績を上げ中興の祖と言われるほどになりました。
結論:歴史が裏付ける納得の幕切れ
こうして史実と照らし合わせると、六皇子の即位は決してご都合主義ではないように思えます。
むしろ皇族すら政争で地位を失ったり・また復帰することもある。という中国史の大きな動きを再現した演出といえるのではないでしょうか?
「民間を知る者が、新しい時代の王になる」
そのドラマに歴史という裏付けが加わることで、最終回はより感慨深い物になった気がします。
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