ドラマ『如懿伝』に登場する玫嬪・白蕊姫(はくずいき)は、南府の楽伎でした。乾隆帝の寵愛を勝ち取り、玫嬪の地位にまで上り詰めた人物です。
でも子供を失うという悲劇をきっかけに、彼女の運命は大きく狂い始めます。
後宮の権力争いに利用され、復讐心に燃えながらも、最後は誰にも看取られることなく孤独な最期を迎えました。
この記事では、そんな印象深い玫嬪 白蕊姫とはどのような人物だったのか?ドラマでの描かれ方とモデルになった側室との比較を紹介します。
「如懿伝」玫嬪 白蕊姫とはどんな人物?
玫嬪 白蕊姫のプロフィール
- 名前:白蕊姫(はく・ずいき)
- 地位:南府樂伎→玫答應→玫常在→玫貴人→玫嬪
- 出身:蘇州
玫嬪 白蕊姫は名家の娘ではなく、蘇州の庶民出身。南府に所属する楽伎でした。
とても気が強く言葉もきついです。育ちのせいか名家出身の他の妃たちとは馴染めず。いつも尖っていました。
乾隆帝が即位して間もないころに養心殿に呼ばれて演奏した楽伎の中のひとり。琵琶の演奏が得意です。
白蕊姫のいた南府は宮中の芸術部門
白蕊姫が所属した清朝の南府は皇帝や皇族のために宮廷の宴会や儀式で音楽を演奏したり演劇をする部署です。京劇の原型になる演劇もここで演じられていました。
北京の「南花園」という所に拠点があって、そのために「南府」と呼ばれます。康熙帝の中期から道光帝の時代まで存在。清朝の全盛期の芸術を支えた組織です。
皇帝の寵愛を一身に受ける才能
白蕊姫(はくずいき)は琵琶の演奏が非情に上手。しかもただ技術が高いというだけでなく、わざと音を外して皇帝の注意を引くという姑息なテクニックもあります。
そしてその才能と美貌であっという間に乾隆帝の心を掴み、すぐに玫答応(まいとうおう)の地位を得ました。
その後、玫常在、玫貴人へと昇格します。やがて皇子を身ごもったことで、玫嬪にまで上り詰めたのです。
玫の意味
ちなみに「玫(まい)」というのはハマナス科の植物のことです。バラのような花をつけます。
史実ではこの字を持つ側室はいません。ドラマオリジナルの設定です。
なぜ悲しい結末に?玫嬪の壮絶な人生
答応で貴妃と張り合う気の強さ
最初は答応(とうおう)という側室でも一番低い地位だったにもかかわらず、貴人と張り合ったりするなど。恐いもの知らずな言動が目立ちました。皇帝の寵愛があるからと、いい気になっていたのですね。
皇太后の手下になる
そんな玫答応に目をつけたのが皇太后です。皇太后は密かに後宮の主導権を握りたいと思っていて、後宮を混乱させる役に玫答応を抜擢。
玫答応は皇太后の後ろ盾を得て好き勝手なことをしはじめます。自分の顔に傷をつけて皇帝の気をひいたりとあざといことも平気でやります。
そのかいあって子を身ごもりました。
最初の子供を失った悲劇とその真実
そんな彼女の人生が大きく狂い始めたのは、初めての子供を身ごもった時でした。
白蕊姫(はくずいき)は妊娠中に皇后から贈られた魚介類を食べました。でもその食べ物には金玉妍によって朱砂という毒性の高い鉱物が仕込まれていたのです。朱砂を摂取し続けた結果、お腹の子は奇形児として産まれてしまい死亡しました。
幼い命は名前すらつけられず埋葬されました。白蕊姫は絶望に打ちのめされます。
嘉妃の罠にはまり復讐の道へ
子供を失った悲しみで精神を病んだ彼女は嘉妃 金玉妍の策略にはまりました。子供が奇形児として産まれたのは孝賢皇后が仕組んだことだと吹き込まれたのです。復讐心に燃えた白蕊姫は皇后への憎しみを募らせました。
皇后と太后への復讐を誓う
白蕊姫は金玉妍の指示で復讐を始めます。皇后の息子が痘疫にかかったときには病気を伝染すように仕向けました。その結果、七阿哥は病死したのでした。
皇后が乗る船に油を塗らせ、転落して命を落とすきっかけも作ったのです。彼女は自身の命をかけて子供を奪った者たちへの復讐を果たそうとしました。
無実の人を恨み続けて、最期の最期まで主の駒となった玫嬪
子供の顔を見てないからあの世で気づけるかを心配してたのが切なかった😢#如懿伝 pic.twitter.com/Yj4IHZaVwu
— 老雪 (@bao_enxie_de) April 11, 2024
玫嬪 白蕊姫の最期と死因を徹底解説
皇帝への愛を胸に毒酒を賜る
太后は乾隆帝が一部の妃嬪ばかり寵愛するのはよくないと、玫嬪と慶貴人を皇帝に差し向けましたが乾隆帝は不満に思います。
その後、 金玉妍は白蕊姫が秘密を知りすぎているのを危険だと思い、彼女を毒殺しようとしました。
弱った白蕊姫は太后の手下であることを乾隆帝に告白。でも乾隆帝はすでに知っていました。乾隆帝は彼女を利用して皇太后のもうひとつの駒である慶嬪を妊娠できない体にさせました。
誰にも看取られなかった最期
乾隆帝は白蕊姫を許す気はありませんでした。彼女は最終的に乾隆帝から毒酒を賜り。最期は誰にも看取られることなく、孤独な死を迎えます。
彼女の死後、追封(身分を上げる栄誉)はありませんでした。
利用される悲劇
白蕊姫は野心をもって乾隆帝に取り入り側室になりましたが。皇太后や金玉妍に利用され、最後は乾隆帝にも利用されて死を迎えました。
自分の欲望が招いたとはいえ悲しい生涯でした。あのまま芸妓として生きていたら、このような形で命を落とすことはなかったかも知れませんね。
史実のモデルは?ドラマとの違いを比較
史実の怡嬪 柏氏との共通点と相違点
史実では乾隆帝に玫嬪 白氏という側室はいません。
モデルになったと思われる側室はいます。それは 怡嬪 柏氏です。史実の怡嬪は蘇州出身の漢民族で平民から嬪へと出世しました。
共通点(似ているところ)
ドラマの玫嬪 白蕊姫 | 史実の怡嬪 柏氏 | |
姓 | 柏氏 | 白氏 |
出身地 | 蘇州 | 蘇州 |
民族 | 漢人 | 漢人 |
側室になる前の境遇に多少の違いはありますが、玫嬪 白蕊姫も怡嬪 柏氏どちらも貴族や名家の出身ではありません。平民や低い身分から宮中に入り側室になっている点は共通しています。
史実の怡嬪 柏氏も彗賢皇貴妃 高氏や孝賢皇后 富察氏の葬儀にも出席。その後、病気で亡くなっています。ドラマでも玫嬪 白蕊姫は富察皇后の死後に死亡しているので亡くなった時期もだいたい同じです。
史実とドラマの違いを比べてみましょう。
項目 | ドラマの玫嬪 白蕊姫 | 史実の怡嬪 柏氏 |
---|---|---|
身分 | 南府琵琶伎 | 漢民族の平民 |
子供 | 一人(奇形児) | いない |
特技 | 琵琶 | とくになし |
最期 | 毒酒を賜る | 病で亡くなる |
死後 | 追封なし | 乾隆帝が深く悲しむ |
怡嬪 柏氏についは 怡嬪 柏氏・乾隆帝に気に入られた平民出身の側室とは でさらに詳しく紹介しています。
なぜ史実と違う物語が描かれたのか
史実では怡嬪 柏氏には子供はいません。怡嬪が皇后や皇子の死に関わって賜死になったという記録もありません。
でもドラマでは皇太后の手先になって暗躍したり、悲劇的な運命を背負わされています。もちろんドラマを面白くするための脚色です。
史実でも子どもがなく、30代で死亡しています。庶民出身で地位が低いので上位の者の手先として描きやすいのでしょう。地位が低いところから出発して上級の側室になった代表には令妃(ドラマでは衛嬿婉)がいます。
その衛嬿婉と被らないようにするためにも「負け組」の代表みたいな描かれ方になったのだと思います。
でもそのおかげで、後宮の権力争いがどれほど恐ろしいかがよく表現されていました。
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