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寒部はどこにいた?『如懿伝』の謎の部族は中国に実在したのか?

ドラマ『如懿伝』に登場する寒香見(かんこうけん)は「天山の寒部第一の美人」と呼ばれる女性。辺境の寒部で育った彼女の静けさと誇り高い気質は清の宮廷に新たな波紋をもたらします。“寒部”とはどのような部族なのでしょうか?

この記事では、寒部の文化的背景や史実のモデルとされる回部(ウイグル族)との関係をわかりやすく解説します。

この記事でわかること

  • 『如懿伝』に登場する寒部の正体と文化的特徴
  • 寒部のモデルとなった回部(ウイグル族)の歴史的背景
  • 寒香見と史実の容妃(ホージャ氏)の関係
  • 清朝と西域の関係、大小和卓の乱の史実
  • 「香妃伝説」と寒香見の描かれ方の違い

 

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寒部とは?『如懿伝』に登場する謎の部族

ドラマ『如懿伝』に登場する寒香見(かんこうけん)は、「天山の寒部第一の美人」と呼ばれています。
彼女の出身地・寒部(かんぶ)は雪と砂漠が交わる辺境の国。乾隆帝に貢女として差し出された姫で、その神秘的なたたずまいや、冷たく誇り高い性格は、宮廷の女性たちとはまったく違います。

如懿伝 寒香見のイメージ画像

寒香見のイメージ画像

では、この“寒部”とはどんな部族なのでしょうか。

作中で描かれる寒部は、

  • 独自の言葉と文化を持つ
  • 厳しい自然の中で暮らす遊牧民族
  • 異民族として清の宮廷に迎えられた

といった特徴を持ちます。

雪に覆われた大地と砂嵐が吹きすさぶ荒野。
そんな過酷な環境の中で育った彼らは、誇り高く、そしてどこか孤独な民として描かれています。

 

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寒部はどこ?

新疆ウイグル地区の山

新疆ウイグル地区の山

では、寒部という国はどこにあったのでしょうか?
登場人物の服装や装飾を見ると、中国というよりも西域(中央アジア)の雰囲気がありますよね。

ドラマの中で何度も登場する「天山(てんざん)」という地名がその手がかりになります。天山山脈は現在の中国・新疆ウイグル自治区とキルギスを遮るように横断する大山脈。この地域には古くからオアシス都市(カシュガル・イリ・ホータンなど)がいくつも存在し、シルクロードの交易の重要な場所として知られてきました。

劇中で寒香見は「天山の姫」と呼ばれています。乾隆帝が彼女の雪のように白い肌と花のような香りに魅了される場面も印象的ですよね。

この描写から考えると、寒部は中国の西にある天山周辺。現在の新疆ウイグル自治区、カシュガルやイリ一帯をモデルにした架空の国といえるでしょう。

というわけで実際には「寒部」という国や部族は存在しません。
でも、ドラマの中での描写や服飾・音楽の雰囲気にはウイグル文化の影響が見られます。「寒部」は天山周辺で暮らした人々を象徴的に表現した架空の部族なのです。

 

寒部のモデル= 回部と新疆ウイグル地方

寒部のモデルと考えられるのが。18世紀に存在した回部です。
当時の清朝の文献で「回部」とは、イスラム教を信仰するトルコ系民族を指しており、現在 ウイグル族と呼ばれる人たちの祖先にあたります。

彼らは天山南北のオアシス地帯に暮らし、独自の宗教・言語・音楽をもっていました。この地域はもともと遊牧国家ジュンガルが支配していましたが、1755年に清がジュンガルを滅ぼし、その領土を清国の支配下に組み入れました。

乾隆帝はこの新領土を「新疆(しんきょう)=新たに得た土地」と名付け、清の支配を宣言します。
こうして新疆ウイグル地域は清朝の支配下に入り、その地に暮らしていた回部の人々は清との関係の中でさまざまな運命をたどることになります。

寒部は史実に登場する回部(ウイグル)の人々を象徴的に描いたもの。『如懿伝』では、実在の民族名を避けて架空の「寒部」という部族名で表現しているのです。

実は中国の歴史上。ウイグル人の領土が中国王朝の支配下に入ったのは清朝が最初でした(モンゴル帝国は除く)。長い間、歴代の漢民族王朝が支配できなかった土地を支配したのが満洲人が作った国だったとは意外ですね。

 

大小和卓の乱:清朝と回部の戦いが寒香見誕生の背景に

18世紀半ば、清が新疆(しんきょう)地域を支配下に置いた直後のこと。

1757年、ブルハーン・アル・ディン(大ホージャ)と弟クワジャ・イ・ジャハーン(小ホージャ)の兄弟が清に対して反乱を起こしました。これが「大小和卓(ホージャ)の乱」です。

大小ホージャの乱

大小ホージャの乱

ホージャ兄弟はカシュガルを中心に勢力を広げていた宗教指導者の一族。イスラム教のスーフィー白山派の有力勢力でした。

乾隆帝はすぐに鎮圧軍を派遣し、激しい戦いが始まりました。このとき全てのイスラム教徒がホージャ兄弟に味方したわけではありません。清朝に味方した部族もいます。ホージャ兄弟は戦いに敗れ逃走。逃走先で捕まり死亡してしまいます。

これによって新疆は再び清朝の支配下となりました。

このとき大小ホージャの家族が捉えられ、そのうちの一部は北京へ送られました。小ホージャの妻だったファティマは清の内務府に送られます。彼女が乾隆帝の側室となる 容妃 ホージャ氏です。乾隆帝は容妃の家族や兄弟を北京に呼びよせ住まわせました。

ホージャ氏
容妃の実家もホージャですが、ホージャはもともとはイスラム教スーフィーズムの宗派で「指導者」を意味する称号。後に指導者一族の名前になりました。ホージャを名乗るいくつかの家系があります。反乱を起こしたホージャ兄弟と、容妃の実家は別の家系ですが。どちらもホージャを名乗っていました。

 容妃 ホージャ氏の物語は後に“香妃伝説”として語り継がれました。
ドラマ『如懿伝』では、その伝説をもとにした人物が「寒香見」です。

史実とドラマの対応

ドラマ 史実
寒部 回部
寒香見 容妃・和卓木氏

 

ウイグルと香妃伝説:「民族の絆」を象徴した時代もあった

かつて中国では「香妃(こうひ)」が乾隆帝に愛されたウイグルの姫として、多くの映画やドラマが制作されていました。

1980〜90年代には民族の共存をテーマとした「民族団結(民族团结)」が国家スローガンとして掲げられ、香妃は“民族の絆の象徴”として人気を集めます。

『香妃传奇』(1993年)や『乾隆王朝』(2001年)では、ウイグル族の姫が清と融和する姿が描かれました。

でも近年では民族や宗教を直接描くことへの規制が厳しくなり、実在の民族名を避ける表現が増えています。

『如懿伝』の「寒部」もその一例です。実名を使わずに異文化伝える象徴的な存在として描かれています。

時代とともにその描かれ方は変わっても、“雪のように清らかで、香り高い姫”というイメージは今も変わらず受け継がれています。

 

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まとめ :寒部は架空だが、史実を映す鏡だった

寒部は実在しない架空の部族ですが、その背景には清朝が西域を支配し多民族の世界を統治した歴史がありました。
『如懿伝』はその史実をもとに描いているのです。

 

要素 ドラマの設定  史実のモデル
地理  天山にある雪の国  新疆ウイグル自治区
民族  寒部(雪の民)  回部(ウイグル系イスラム教徒)
人物  寒香見  容妃・和卓木氏
(ホージャ家の娘)
背景  寒部から清朝への貢女 大小和卓の乱の捕虜
新疆支配

 

寒部は架空の存在ですが、実は清朝と西域の交流をドラマ的に表現したものなのですね。

 

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寒香見は実在した?『如懿伝』容妃のモデル ホージャ氏の生涯

 

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香妃|ウイグルから来た乾隆帝の側室とは?

 

如懿伝
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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

著者 自画像

京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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