『宮廷女官若曦』の明慧(めいけい)は気の強い正妻として強い印象を残す人物でした。ドラマでは八皇子・胤禩を支えるものの、若曦と何度も対立しています。
明慧のモデルになったのは胤禩の正室。嫡福普 郭絡羅(ゴロロ)氏です。ドラマの明慧の描かれ方も実在した嫡福普 郭絡羅氏を意識したものになってます。
この記事では、明慧のモデルとされる女性がどんな家柄に生まれ、史実ではどのような人生を送ったのかをたどります。
この記事で分かること
- 『若曦』の明慧に実在モデルがいるのかどうか
- モデルとされる郭絡羅氏の家柄と生い立ち
- ドラマ版の明慧と史実の郭絡羅氏の違い
- 胤禩の正妻として迎えた最期の流れ
福普 郭絡羅氏 の史実
明慧のモデルは福普 郭絡羅氏です。
まずは史実の福普 郭絡羅氏がどのような人物か。どのような生涯を送ったのか紹介します。これがわかるとドラマの明慧がなぜあのように描かれているのかもわかります。
いつの時代の人?
- 生年月日:1680年代
- 没年月日:1726年
- 姓:郭絡羅(ゴロロ)氏
- 地位:福普
- 民族:満洲人
家族
- 父:和碩額附 明尚
- 母:愛新覚羅氏
- 夫:胤禩(いんし)
- 子供:なし
清王朝の第4代皇帝・康煕帝~雍正帝の時代です。
日本では江戸時代になります。
郭絡羅(ゴロロ)氏の生い立ち
郭絡羅(ゴロロ)氏は、康熙21年(1682年)に生まれました。
父:明尚(ミンシャン)
父親の明尚は満洲の郭絡羅(ゴロロ)家出身。清朝の建国に功績のあった郭絡羅・楊舒(ヤンシュ)の曾孫。
明尚は親王の娘と結婚したため 和碩額駙(ホショ・エフ=皇族女性の夫)の地位を与えられています。
郭絡羅一族からは康煕帝の側室・宜妃がいます。宜妃は第9皇子・胤禟(いんとう)、第11皇子・胤禌(いんし)の母。
母:愛新覚羅(アイシンギョロ)氏
皇族の安親王・岳楽(ヨロ)の娘。母は安親王の側室 呉喇漢哲爾門(ウラハンジェルメン)氏。
岳楽は建国者 ヌルハチの四男アバタイの家系。順治帝時代に安親王に昇格。安親王 岳楽は康煕帝時代に活躍して力のあった皇族です。
安親王家で育てられる
1684年に母親が若くして亡くなったため、2歳の彼女は母方の実家 安親王府で育てられることになりました。
祖父の岳楽は郭絡羅氏を大変可愛がりました。
養母は皇后の親戚
岳楽の正室 赫舍里(ヘシェリ)氏は重臣 索尼(ソニン)の娘。康煕帝の正室 孝誠仁皇后の叔母にあたる人物です。
母を亡くした郭絡羅氏は赫舍里氏に育てられました。
プライドが高いのは安親王家育ちのせい?
安親王家そのものが皇族と結びつきが強く権威のある家でした。そのため安親王家で育った郭絡羅氏も王府影響を強く受けて育ちます。そのためか郭絡羅氏は気位の高い、強気な性格だったといいます。
祖父の岳楽が世を去った後も、叔父(岳楽の息子)に可愛がられ彼女はそのまま安親王府で暮らし続けました。
のちに胤禩との婚約を祝う宴が安親王府で開かれましたが、これは他の皇子の妻たちの例と比べても、かなり珍しいです。それだけ安親王府の力が強かったということでしょう。
郭絡羅氏の人生
第8皇子 胤禩と結婚
康熙37年(1698年)。18歳になった胤禩(いんし)は和碩貝勒(ホショ・ベイレ)の位を授かりました。同じ年、郭絡羅氏は胤禩と正式に結婚します。
結婚してしばらくは紫禁城で暮らしていました。その後、二人は八貝勒府へと移り住みました。この邸宅は柏林寺の近くにあって雍親王府(現在の雍和宮)のすぐ隣でした。
当時の屋敷の中は郭絡羅氏がすべて取り仕切っていたといわれています。
母親の身分の低い胤禩に権威を持たせ広い人脈を作ることができたのも安親王家の力があればこそでしょう。そのためか胤禩は妻に対して頭が上がらなかったと言われます。
嫉妬深い妻の評判
康熙帝は47年10月に「胤禩はかねてより妻に制約され……妻の嫉妬と悪行を許しているため、今日に至るまで子が生まれていない」と語ったことがあります。
胤禩には側室との間に子供は一男一女がいますが。正妻との間に子はいません。他の皇子たちと比べても側室や子供の数は驚くほど少なかったのです。
こうした家庭状況が康煕帝には不満だった理由のひとつなのでしょう。また周囲からも「嫉妬深い妻」という彼女の悪い評判につながったのではないかともいわれます。
何焯の娘を養女にして士大夫の支持を得る
また郭絡羅氏は自分の強い希望で江南の学者・何焯(かしゃく)の幼い娘を養女として屋敷に迎え入れました。何焯は胤禩の学問の師匠とも言える人物。
何焯の娘を養女として大切にすることは江南の士大夫(知識人層)との縁を取り持つ役割もあったといえます。
郭絡羅氏は気が強いだけでなく、夫の人脈を広げるための知恵も働きました。
でもこの縁組はあくまで私的に行われたもので、清朝皇族が守るべき養子のルールからは外れたものでした。残念なことに、この出来事はのちに允禩が罪に問われる理由の一つになってしまいます。
康熙朝末年の政争と母家
康熙帝の治世の末期。皇太子 胤礽(いんじょう)が二度にわたってその座を追われ、朝廷が混乱。郭絡羅氏の母方の一族と夫の胤禩はどちらも皇位継承争いに加わりました。
叔父が皇太子廃位のきっかけを作る
実は、允礽が二度目に皇太子の座を降ろされるきっかけを作ったのは郭絡羅氏の叔父 景熙の訴えだったといわれています。
景熙は彼女を育てた嫡外祖母・赫舍里(ヘシェリ)氏の息子です。彼は亡くなった皇后の従弟であり、皇太子から見れば叔父という非常に近い親族でした。
允礽派の不正は本当でしたが、結果的に允礽を廃位に追い込むことになりました。景熙は皇太子より八皇子が有力と見ていたということでしょう。
その夫の八皇子 胤禩自身は次の皇帝の座を争う有力な候補の一人でした。しかし派閥工作をしたり皇太子への妨害工作をしたことが響いて康煕帝から嫌われ、帝位を継ぐことはできませんでした。
雍正帝の時代
夫が昇進するが喜べない
1722年の末に康熙帝が亡くなり雍正帝が即位します。
まもかく允禩(胤禩から改名)は親王の位を授けられますが、郭絡羅氏はこの昇進は喜べないと思っていました。
母方の実家からお祝いの言葉をかけられたとき、彼女は「一体、何がおめでたいのでしょうか。いつ首が飛ぶかもわからないというのに」と答えたと伝えられています。
彼女は夫に迫る危機の足音を敏感に感じ取っていたのでしょう。
雍正帝はたびたび厳しい警告を突きつけ、さらには皇后の烏拉那拉(ウラナラ)氏に命じて、郭絡羅氏を直接注意させるようになりました。
住まいの移動
雍親王府は雍正帝が皇帝になる前に暮らしていた邸宅でした。そのため、のちに「雍和宮」へと改められます。允禩の住まいであった廉親王府のすぐ隣が、かつてのライバルの聖域といえる雍和宮になったわけです。彼にとってもかなり居心地が悪かったようです。
そこで雍正2年(1724年)5月、允禩は引っ越しを願い出ました。雍正帝はその移転先として、すでに廃止されていた安親王府の空き屋敷を彼らに与えています。
雍正四年の処分
雍正4年(1726年)正月の辛酉の日、ついに厳しい処分が下されました。
雍正帝は郭絡羅(ゴロロ)氏を
『允禩の妻の残酷さは、すべて実家の安郡王家の悪しき風習に染まったものであり、允禩を侮り、あわや彼の跡継ぎを絶えさせるところであった。』
と言って処罰したのです。彼女から福晋(正室)の称号を取り上げ、実家へ強制的に帰しました。さらに、実家で厳重に監視し、外部との連絡を一切絶つよう命じたのです。
同時に雍正帝は允禩にこれまでの悪い態度を改めて誠実に働くよう命じました。そのとき「妻を追い出したことを恨んで、病気のふりをして公務を拒むようなことがあれば妻を死罪にし、子供たちにも重罪を科す」とまで告げ強く警告しています。
当時の記録『永憲録』には「郭絡羅氏は少しも怯える様子を見せず、怒りをあらわにしたまま去っていった」と書かれています。気の強さは衰えていなかったようです。
郭絡羅氏の最期
郭絡羅氏が去った後の允禩は、酒に溺れる日々を送りました。
侍女の白哥が「皇帝に謝罪し、福晋のために許しを請うてください」と勧めましたが、允禩は
「私は男である。妻のために他人に頭を下げることがあろうか!」
と言って拒否しました。
この夫婦揃って皇帝に反抗的な態度は雍正帝の怒りに油を注ぐ結果になりました。
雍正帝はついに「庶人となった允禩の妻に自害を命じ、さらにその遺骨を撒いて罪を償わせる(散骨)」という過酷な決定を下しました。
その後の允禩
続いて允禩も宗人府に監禁され、「アキナ」という屈辱的な名に改名させられました。40条もの罪状を背負わされた允禩は、同年9月、監禁場所で嘔吐を繰り返した末に46歳で没しました。一人息子の弘旺は、父の遺骸を熱河に葬りました。
このとき雍正帝は允禩を責める材料の一つとして、妻である郭絡羅氏の性格が「あまりに強気で激しいこと」や「妻としての道を守らなかったこと」などを挙げて厳しく批判しました。
彼女の存在そのものが、夫を追い詰めるための口実として使われてしまったのです。
ドラマの郭絡羅氏
郭絡羅氏は後世の映像作品にも登場しています。
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宮(パレス) 2011年、中国 演:楊冪 役名:洛晴川
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宮廷女官若曦 2011年、中国 演:石筱群 役名:郭絡羅·明慧
「宮廷女官若曦」
宮廷女官若曦では名前は『明慧』となっています。
明慧は明尚額附の娘、八皇子 胤禩嫡福晉(正妻)として家を支えた女性です。弘旺の母でもあります。十福晉である明玉の姉であり、側室の若蘭にとっては恋敵のような存在でした。
プライドが高い人物ですが、夫の胤禩を愛していました。
若曦との対立
ドラマの中では若曦と何度も対立しました。
第1話: 若曦が勝手に屋敷を離れたことを責めて教育しようとしますが、言い争いから取っ組み合いの喧嘩に発展、怪我を負います。
第6話: 若曦が皇妃に選ばれないよう画策し慧妃に助けを求めます。しかし徳妃や慧妃との板挟みを嫌った皇后の判断により、結果として若曦は乾清宮の奉茶宮女(女官)に配属されることになりました。
悲劇的な結末
物語の終盤、彼女の行動が取り返しのつかない事態を招きます。
第32集: 彼女の言動がきっかけで若曦が流産してしまい、激怒した雍正帝は八皇子に明慧を離縁するよう命じました。
最期: 絶望のなかで彼女は自ら命を絶つ道を選びます。上吊り、さらに自らに火を放って亡くなるという、壮絶な最期を遂げました。
彼女は愛する夫を守ろうとするものの、手段を選ばない一面がありました。でも本心では八皇子への一途な愛情があったようです。
ドラマの内容は宮廷女官若曦 あらすじ ネタバレ一覧・全35話解説をご覧ください。
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宮廷女官若曦 2011年、中国 演:石筱群 役名:郭絡羅·明慧

コメント
こんにちは、知りたかった人を紹介していただきありがとうございます!
細かいところまで知れて嬉しいです!
ありがとうございます。
喜んでいただいて嬉しいです。
他の案件は調査中ですのでもう少しお待ち下さい。