清朝の皇太子や親王の妻は福晋(フジン)、その下の側室は側福晋や格格と呼ばれていました。
この記事では福晋、側福晋、格格それぞれの役割や地位ついて詳しく解説します。
- 福晋、側福晋、格格それぞれの意味と違い
- 清朝の皇子の側室の階級とその特徴
- 格格の多様な意味
福晋:皇太子や皇子の正妻
皇子の妻や側室には皇帝の妻や側室とは違う呼び方があります。
福晋=妻
満洲人は妻のことを福晋(フジン)といいます。
もともと満洲人は女性に対する敬称として福晋を使っていました。
後金時代や清朝の初期は皇帝の正室も福晋(大福晋)と呼ばれていました。
清朝の紫禁城時代になって皇后が皇帝の正室の称号になり。福晋は皇子や王族の正室の称号になります。
由来はモンゴル語と漢語
満洲語のフジン(fujin)はモンゴル語に由来します。さらにモンゴル語のフジンは漢語の「夫人」に由来します。古い時代の漢語の夫人の発音を写し取っているので日本語の夫人(ふじん)とよく似た発音になってます。
「福晋」の漢字はフジンという満洲語に漢字をあてはめたものです。
地位 | 定員 |
嫡福晋 | 1 |
福晋の役割と地位
福晋は妻というだけではありません。様々な役目があります。
- 家の中心人物: 福晋は家の内政を司る中心人物でした。家計の管理、家臣の監督、子弟の教育など、様々な役目があります。まさに女将さんです。
- 政治的な役割: 特に嫡福晋は夫である皇太子や親王の政治的な活動を支え、ときには彼に意見を述べたり、政治的な駆け引きに関わったりすることもありました。
- 宗廟の祭祀: 先祖を祀る宗廟での祭祀でも重要な役割を担い、家族の繁栄を祈願しました。
福晋になるための条件
福晋は清朝の皇子や親王の正妻です。福晋になるには高いハードルがあります。
- 出身: 一般的に福晋は満洲八旗出身の貴族の娘から選ばれることが多く、高い家柄を持つことが求められました。
- 容姿・教養: 美しい容姿はもちろん、詩歌や音楽など教養も身につけていなければなりませんでした。
- 性格: 賢く品格があり、夫を支えることができる女性であることが求められました。
側室の階級
清朝の皇子や皇族の側室にも階級があります。
地位 | 定員 |
側福晋 | 親王は4人、 郡王は3人 |
庶福晋 | 制限なし |
格格 | 制限なし |
皇帝の子・親王と他の王族・郡王ではもてる側室の数が違います。皇太子も親王と同じ。
清朝では正式に皇太子を決めるのは少ないです。親王が皇帝になると正妻は皇后に、他の側室は妃、嬪などになります。
福晋と側福晋の違い
側福晋は他の側室よりは上、正妻よりは下。側室の中では最高位です。
- 地位: 嫡福晋は正妻。家の中心人物なのに対して、側福晋は複数いる妻の一人です。
- 人数: 親王や郡王が持てる側福晋の人数は限られており、嫡福晋よりも低い地位に位置づけられていました。
- 役割: 嫡福晋が家の中心的な役割を担うのに対し、側福晋は主に夫に仕え子を生むことが主な役割でした。
もともと満洲人(女真)は一夫多妻制。「妻」が複数いました。中国式に正妻・側室がきっちりわけられるようになっても、その名残で妾以上の存在が複数いることがあります。
側福晋と格格の違いとは?
同じ側室同士でも側福晋と格格には役割の違いはあるのでしょうか?
- 側福晋: 皇太子や親王の側室の中で最も地位が高い。
- 福晋の補佐:側福晋は福晋(正妻)を補佐して家政を司ることもあります。何らかの理由で福晋が家政を監督できない場合は側福晋が代わりに行います。
- 家柄:側室でも側福晋になるには高い家柄が必要。格格には家柄は関係ありません。
庶福晋
側福晋よりも低い側室。格格の上。
人数に制限はありません。
格格(ゲゲ)
清朝の格格(ゲゲ)はいくつかの意味があります。
未婚の女性を意味する場合
格格は満洲人の王族や貴族の未婚の娘を指す言葉です。
格格は日本語で「お嬢さん」や「姫君」といった言葉に相当し、高い社会的地位を持つ女性でした。
側室を意味する場合
後金・清朝初期は皇帝の側室も格格といいました。
紫禁城時代の皇帝の側室は中華風の称号になり。格格は皇子の側室の称号となります。
側室の称号としての格格は側福晋よりも低い地位になります。側福晋は家柄の良い人が多いですが。格格は元侍女だったり家柄は関係ありません。
まとめ
清朝の皇族や貴族の女性たちは、地位や役割によって様々な称号で呼ばれていました。
福晋: 皇太子や親王の正妻。家の中心人物として家政を司り、政治的な役割も担っていました。
側福晋: 福晋の次に高い地位の側室で、福晋を補佐する役割も担っていました。
格格: 未婚の王族や貴族の娘を指す言葉で高い社会的地位を持つ女性でした。また、側室を指す場合もありその場合は側福晋よりも低い地位でした。
これらの呼び名は満洲人の伝統的な考え方や中国の制度が融合した結果生まれたものです。時代によって意味が違っていることもあります。
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