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 度華年 最終回(40話)のあらすじとネタバレ:李蓉と蘇容卿の結末

ドラマ 度華年最終回(40話)のあらすじとネタバレをお届けします。

反乱鎮圧。皇帝の崩御、監国長公主となった李蓉の決断、そして蘇容卿の切ない最期まで、物語は大きな区切りを迎えます。

この記事では第40話(最終回)を通して主要人物たちの「二度目の人生」がどんな選択と結末に落ち着いたのかを整理しながら、歴史的背景やドラマならではの演出についても分かりやすくまとめました。

 

度華年(どかねん)全40話あらすじ一覧

※この記事はドラマ『度華年』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

この記事で分かること

  • 最終回話で李蓉・裴文宣・蘇容卿・李川ら主要人物がどんな結末と今後の生き方に落ち着いたのか
  • 監国長公主になった李蓉の役割と、大夏の新時代を象徴する再婚礼の意味
  • 李川の即位と同時に政治を降りるという決断が何を表現しているのか

 

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度華年 最終回 40話 

李蓉は反乱後に李川から大夏の政務を託され監国長公主となり、蘇容卿は蘇家と李蓉への想いを胸に自ら火の中で死を選びます。皇帝の崩御と世家勢力の終息を経て、李蓉と裴文宣は二度目の人生で再び夫婦となり、望んだ日常をようやく手に入れます。

あらすじ

反乱の終わり

城攻めが終わると、李蓉は無事に戻ってきた 裴文宣 と再び顔を合わせることができました。二人はもう二度と離れないと固く誓い合います。

宮中では玉璽を狙う 柔妃 が皇帝に短剣を突きつけ、皇帝を刺しました。その直後、彼女は飛んできた矢に射抜かれ、その場で命を落とします。それを目の当たりにした華楽 は正気を失ってしまいました。

蘇容卿の最期

一方。逃走した 蘇容卿 は寝宮で 裴文宣 と激しい斬り合いになりました。やがて蘇容卿は剣を避けるのをやめ、自ら剣を受け止めて敗北を認めます。そして李蓉の前に進み出て、幼い頃から胸に秘めてきた想いを語り、思い出の 竹とんぼ を静かに返すのです。

彼が残した言葉は「李蓉が幸せならそれでよい」というただ一つだけでした。最後の琴を弾き終えると、自ら火を放ち、その命に自ら終止符を打ちます。燃え盛る炎の中、裴文宣 は李蓉を抱きかかえ、外へと連れ出しました。

重体の皇帝 は李川 に「自分のようにはなるな」と告げ謝罪の言葉を残します。

大夏の実質的な君主になった李蓉

そして李川が即位。彼は宮廷を離れて愛する人と静かに生きる道を選びました。そして政務は監国長公主 となった李蓉に託されます。

李蓉は勤勉に国を治めた結果、大夏国は繁栄し平和な時代が訪れ李川の期待に応えます。

3年後の徳旭元年。監国長公主 李蓉 と丞相 裴文宣 は正式な夫婦として再び結ばれました。二度の人生を歩み切った末に、ようやく二人は静かな日常を共にし始めることができたのです。

 

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度華年 主な登場人物の最後とその後

最終回で主要なキャラたちはどのような結末を迎え、今後はどのように生きていくことになったのか簡単にまとめました。

李蓉

  • 反乱後の実務を一手に引き受け、監国長公主として実質トップになる。

  • 「世家と寒門の差別撤廃」を掲げて制度改革を進める。

  • 裴文宣と二度目の正式な夫婦となり、お腹の子と共に家庭も政治も手に入れる。

 

裴文宣

  • 城攻めから生還し、李蓉に「もう離れない」と誓う。

  • 蘇容卿との決闘に勝利。彼を逃がそうとするが、最終的には李蓉だけを守る決断を選ぶ。

  • 3年後、丞相として李蓉を支える夫となり、平穏な生活に落ち着く。

 

蘇容卿

  • 裴文宣との一騎打ちで自ら敗北を受け入れる

  • 竹とんぼを返し、十歳の頃からの片想いと「本当は家庭の幸福を望んでいた」と告白。

  • 蘇家の家主として何も報われなかった思いを抱えつつ、李蓉の幸せを確認して安心して自死。火の中で一生を終える。

 

李川

  • 父帝の最期に謝罪の言葉を受け取り、ぎりぎりで父子のわだかまりを解く。

  • 即位後は大権を李蓉に託し、自分は秦真真と宮廷を去る

  • 「北伐勝利のときだけ戻る」と決め、皇位に縛られない生き方を選ぶ。

 

柔妃

  • 身分コンプレックスと玉璽への執着から暴走し、皇帝の心臓を刺してしまう

  • 陛下を愛していたが、その思いを整理する前に矢に射られて死亡。

  • 「愛されたい・認められたい」欲求がねじれた末の悲劇で、華楽の心も崩壊させる結果となる。

 

秦真真

  • 反乱後も李川のそばに立ち「宮廷を離れるパートナー」として描かれる。

  • 李川と共に宮中を去り政治の中心から距離を置いた静かな生活へ。

  • 皇位ではなく「自分の人生」を選んだ李川の伴侶として今後を歩む。

 

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度華年最終回の注目ポイント

裴文宣と蘇容卿の決闘:「家」か「自分」か?

未央宮の奥で始まった裴文宣と蘇容卿の一騎打ちは40年にもわたる長い争い感情のケリをつける場となりました。

裴文宣は蘇容卿に「最初から別の道を選ぶことはできたはずだ」と言います。これは一族のトップとして「家」を選び続けた蘇容卿と、愛する李蓉と共に歩む「自分」を選んだ自分との、決定的な差を突きつけた瞬間でした。

死の間際、蘇容卿がやっとのことで愛を告白したとき、彼の中からにじみ出てきたのは、「家」を優先し続けて「自分自身の心」を裏切り続けたことへの、強烈な後悔でした。

昔の貴族社会と個人の選択

中国の貴族社会では名家の若い当主は「個人の気持ち」より「一族の利益」を守るのが当たり前でした。特に魏晋南北朝から唐の時代にかけての有力な貴族たちは「誰と結婚するか」が家運を左右したので当主が個人的な恋を優先する余地はまずありません。

蘇容卿はこの時代の価値観そのものな人物といえるかもしれません。裴文宣は「家」から距離を置き李蓉という一人の人間に仕えました。世家と寒門という立場の違いがあったからできたともいえますが。二人の生き方はあまりにも対照的です。

 

李川:なぜ即位の日に「皇帝をやめた」のか?

李川は先代の皇帝から「自由なはずなのに、全然自由じゃなかった」という後悔を聞かされました。彼は即位しますが同時に二度と政治には関わらないと宣言してしまいます。

彼は皇帝の立場は受け継ぎましたが「政治家」としての自分を引退させたのです。

この決断の裏には「愛する人と自由に生きたい」という彼自身の願いと「天下を任せるなら、やはり姉の李蓉が最もふさわしい」という政治的な見極めの、両方があったからでしょう。皇帝としては無責任にも思える選択ですが。李川は自分は暴君になるかもしれないという恐れがあったのでしょう。

歴史を振り返ると、形式的には皇帝のままで政治の実権を太后や皇太子、重臣たちに任せて隠居に近い生活を送った君主はいます。中国でも道教の寺院や宮殿にこもって、修行や祭祀を口実に政務から離れた皇帝(唐の玄宗や宋の徽宗など)がいましたし、正式に「太上皇」となって表舞台から退く例もありました。

でも、このドラマの李川みたいに即位して間がないのにいきなり「自由人」として生きることを宣言し、最初から姉に「天下のトップ」の座を譲ってしまうのは、歴史上はありえません。

これは「皇帝という身分は、実は一番不自由なものだった」というテーマをわかりやすく伝えるためのドラマらしい演出と言えます。

 

李蓉の「監国長公主」と再婚礼:新時代をどう見せるか?

李蓉は李川からの手紙に背中を押され「天下を動かす者」として国を任された、大夏朝で初めて「君主となった公主」となりました。彼女は裴文宣・上官雅・崔玉郎たちと共に国を治めます。

中国史では武則天のように正式に「皇帝」になった女性もいれば、皇太后として「垂簾聴政を行い、幼い皇帝の代わりに政治を取り仕切った女性たちも大勢います。

ただ「公主」が君主になったことはありません。ドラマで使われた「監国長公主」という肩書きは史実の太平公主のような「皇帝に匹敵する影響力を持つ皇族女性」と、武則天のような「名実ともに女性の皇帝」という二つのイメージを合わせたドラマオリジナルの設定です。

また、結婚式を改めてやり直すという演出も昔の貴族社会ではありえません。

これは新しい王朝、新しい秩序がここから始まるということを強調するための、ドラマならではの演出だといえますね。

 

度華年の全体を見ての感想

『度華年』は最初はよくあるタイムスリップものだと思っていました。でも度華年は主要キャラ3人が一斉にタイムスリップ。それも3~4話あたりの早い段階でお互いがタイムスリップしているのがわかってしまうという今までにない展開でした。

となると、あとは歴史を知ってる者同士がどのように協力あるいは対立して人生をやり直すか?というのが注目点になりました。

でも、結末を知ってるからと言って、個人に歴史を捻じ曲げる力があるわけではない。社会や制度、人間関係は前世と同じ。結局個人レベルでできるのはその時点での選択で変えていくことだけ。できることが限られるぶん、もどかしいですし。それがまたリアルでしたね。でも厳しい現実を見せすぎるとせっかくのタイムスリップものの面白さが失われますし。

その点、このドラマは変えられる爽快感と厳しい現実のバランスが良かったと思います。

 

「覆流年」との比較では?

似たコンセプトのドラマに「覆流年」がありましたが。あちらは結果を知ってても結局は変えられない。個人の無力さが強調されすぎていて。フラストレーションの溜まるドラマでした。でも「度華年」は少しずつでも変えられる。よい未来に近づけるという流れ。ハッピーエンドで終わっています。厳しい現実を見せるのも必要ですけれど、エンタメ作品なのですからこのくらいでいいと思います。個人的には度華年の方が楽しめました。

 

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度華年
この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

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