『溥儀の料理番~紫禁城 最後の日々』の舞台は1920年代の紫禁城です。清朝最後の皇帝・溥儀が退位した後も、婉容や太妃たちと宮中で暮らしていた時代が描かれています。
主人公の劉容児は宮女として紫禁城に入り、太妃に仕えながら料理を学びます。宮中では宝物の盗難が続き、1923年の建福宮火災、太監の大量追放、1924年の溥儀の紫禁城退去へと物語が進んでいきます。
溥儀や婉容は実在した人物です。建福宮火災や太監追放、紫禁城退去も実際に起きました。それでは、料理人として登場する劉容児にも実在のモデルがいたのでしょうか。
『溥儀の料理番』は実話?
『溥儀の料理番』は、実在した溥儀や婉容、太妃たちが暮らした1920年代の紫禁城を舞台に、劉容児や李琪たちの物語を描いた歴史ドラマです。
劉容児という宮女や料理人が実在したことを確認できる史料は、現在のところ見つかっていません。中国の公式配信でも、民間出身の女性が紫禁城へ入るという作品の登場人物として紹介されています。
一方、ドラマの背景には多くの史実が使われています。退位後の溥儀たちが紫禁城で暮らしていたこと、太妃が自分の膳房を持っていたこと、宮中で宝物の盗難が問題になっていたこと、1923年の建福宮火災と太監追放、1924年の紫禁城退去はいずれも実際の出来事です。
主人公たちの物語は創作ですが、彼らが暮らす宮廷の生活や事件には史実がかなり取り入れられています。
『溥儀の料理番』はいつの時代?舞台は1923年から1924年
中華民国になっても溥儀は紫禁城で暮らした
ドラマの舞台となるのは1923年の中華民国。
すでに清朝最後の皇帝・溥儀は1912年2月12日に退位しています。でも紫禁城では溥儀は皇帝として暮らし、婉容は皇后と呼ばれていました。端康太妃、敬懿太妃、栄恵太妃も宮殿で暮らし、その周囲には太監や宮女、侍衛が仕えていました。中華民国の中に清朝の宮廷が残っている状態が続いていたのです。
こうした生活が続いていた理由の一つが、1912年に定められた「清室優待条件」です。
清室優待条件では溥儀は退位後も皇帝の尊号を保ち、中華民国から外国君主に対する礼を受けることになっていました。宮中での居住や侍衛、宮中で働く人々を置くことも認められています。
そのため1923年の溥儀には中国を統治する権限はありませんでしたが、旧清朝皇室の宮廷内では皇帝として扱われていました。
婉容や太妃たち皇族はどういう立場だった?
婉容は1922年に溥儀と結婚、紫禁城では皇后とよばれていました。
端康太妃は光緒帝の妃だった瑾妃、敬懿太妃と栄恵太妃は同治帝の妃です。清朝では先帝の妃たちは太妃の地位が与えられ、この時代の紫禁城でも宮女や太監に仕えられて暮らしていました。
端康太妃は溥儀退位後の宮廷で「端康」の徽号を与えられ、1924年9月24日に紫禁城で亡くなっています。
紫禁城内定では皇帝、皇后、太妃と呼ばれているのですが。溥儀たちは中華民国の皇帝ではありません。日本やイギリスのように一つの国に政府と皇室が存在して国のシンボル的存在になっている状態ではなく。溥儀たちはあくまでも大清帝国の皇族。中華民国が滅んだ国の皇帝を一時的に面倒見ているという状態です。
劉容児は実在した人物?
主人公の劉容児はドラマのために作られた架空の人物です。李琪、寿喜、裕得福、孫義仁たちも架空です。
ただし、李琪のような侍衛や、裕得福、孫義のような太監は存在していました。
劉容児が太妃の宮で料理を学び、その料理を溥儀が食べるという設定には史実と重なる部分があります。
太妃の宮殿にも厨房があった
太妃の宮にも厨房があった
清朝の宮廷では、皇帝のための御膳房だけでなく、皇太后や后妃にもそれぞれ食事を用意する膳房がありました。
紫禁城では皇帝や后妃の食事はそれぞれの膳房で作られ、皇太后や妃嬪は自分の宮で食事をしていました。皇太后の寿膳房には肉料理、精進料理、点心、飯や粥などを担当する部署があり、厨役が調理していました。
溥儀自身も『我的前半生』で自分が普段食べていた料理について書いています。
溥儀は太妃の膳房で作った料理を好んで食べていた
溥儀によると、御膳房では「伝膳」の命令が出ればすぐ料理を出せるよう、早い時間から作って保温していました。そのため、食べるころには味が落ちていたといいます。
溥儀が日常的に食べていたのは隆裕太后の膳房から届けられる料理でした。隆裕太后の死後は太妃たちの膳房で作った料理が届けられるようになります。
溥儀は太后や太妃の膳房には腕のよい料理人が集められていたため、そちらの料理の方がおいしかったと回想しています。
ドラマでは劉容児が栄恵太妃に仕え重華宮の寿喜から料理を学びます。やがて太妃の宮で作った料理が溥儀に届けられ、劉容児の料理も気に入られるようになります。
劉容児は架空ですが、太妃の膳房で作られた料理を溥儀が普段から食べていたことは史実です。ドラマの料理人設定には、当時の宮廷生活が取り入れられています。
劉容児のような女性料理人はいた?
清朝宮廷の厨房では「厨役」「掌灶」などの担当者が料理を作っていました。
研究では、厨房で働く厨役は内務府三旗の男性や民間から採用された男性が中心だったとされています。
宮女が食事の準備に関わることはあったと考えられますが、劉容児や寿喜のように、宮女の身分で専門の料理人として太妃の膳房に勤めていた女性を確認できる記録は、現在のところ見つかっていません。
宮中から宝物が盗まれていたのは本当?
『溥儀の料理番』では、紫禁城から宝物が盗まれる事件が物語の中心になっています。
当時の宮中で盗難が問題になっていたことは、溥儀も『我的前半生』に書いています。
建福宮周辺の倉庫には、乾隆帝の時代から集められた書画、古玩、玉器などが大量に保管されていました。しかし収蔵品の管理は十分ではなく、何が何点あるのか正確に把握されていない品もありました。
溥儀の回想には、毓慶宮の倉庫の錠が壊されていたこと、乾清宮の窓が開けられていたこと、溥儀が購入したダイヤモンドまでなくなったことが書かれています。
家庭教師のジョンストンからは、北京の地安門周辺に太監や内務府関係者とつながりを持つ古物商が増えているという話も伝えられました。
一方で、宮中文物を外へ持ち出していたのは太監だけではありません。溥儀自身も弟の溥傑を通して宮中の書画や古書を外へ運ばせています。
ドラマの孫義仁や裕得福が宝物を盗み、西洋人へ売ろうとする事件は作品独自の物語ですが、紫禁城から多くの文物が失われていたことは史実です。
建福宮火災は史実
1923年6月26日の夜、紫禁城西北部にある建福宮一帯で大規模な火災が発生しました。
建福宮花園から中正殿周辺まで被害が広がり、建物とともに宮中に保管されていた品々も焼失しています。
火災が起きたのは、溥儀が宮中の宝物を調べ始めていた時期でした。溥儀は、宝物を盗んでいた太監が証拠を消すために放火したのではないかと疑っています。
ただし放火した人物が特定されたわけではありません。『我的前半生』でも、火災で何がどれだけ失われたのか正確には分からなかったとされています。
ドラマでは宝物盗難の犯人と建福宮火災が結びつけられていますが、この犯人関係は作品独自の設定です。
溥儀が太監を追放したのも史実
建福宮火災の後、溥儀は紫禁城で働いていた太監を大量に追放しました。
溥儀が『我的前半生』で紹介している1922年の資料では、当時の宮中には1137人の太監がいたとされています。
宮中で続いていた盗難と建福宮火災によって太監への不信を強めた溥儀は、1923年7月に大規模な追放を実行しました。
溥儀や婉容、太妃たちの生活には太監が必要だったため、一部は宮中に残されています。溥儀は後年、追放後には約200人が残り、その多くが太妃や妻たちに仕えていたと回想しています。
ドラマで建福宮火災の後に太監が追放される展開は、この史実を取り入れたものです。
溥儀が紫禁城を出る
ドラマ終盤では、馮玉祥の北京政変をきっかけに溥儀たちが紫禁城を退去します。
1924年10月、馮玉祥が北京で政変を起こし、その後、1912年から旧清朝皇室の待遇を定めていた清室優待条件が改められました。
1924年11月5日に公布された「修正清室優待条件」では、溥儀の皇帝の尊号を廃止し、中華民国国民と同じ法的権利を持つこと、旧清室が宮中から退去することが定められています。
同じ日の午前、鹿鍾麟らが紫禁城へ入り、溥儀たちに退去を求めました。午後3時ごろ、溥儀は妻たちと自動車に乗り、神武門から紫禁城を出て醇王府へ移っています。
1912年の退位後も続いていた紫禁城の小朝廷はこの日で終わりました。
『溥儀の料理番』で実在する人物
ドラマには、作品のために作られた人物と実在した人物が一緒に登場します。
| 人物 | 史実 |
|---|---|
| 劉容児 | 実在を確認できる史料は現在のところ見つかっていない |
| 李琪 | ドラマと同じ人物が実在したことを確認できる史料は見つかっていない |
| 寿喜 | ドラマと同じ人物が実在したことを確認できる史料は見つかっていない |
| 孫義仁 | ドラマの登場人物として扱う |
| 裕得福 | ドラマの登場人物として扱う |
| 溥儀 | 清朝最後の皇帝。1912年の退位後も1924年まで紫禁城で暮らした |
| 婉容 | 溥儀の妻。1922年に結婚し、紫禁城では皇后として扱われた |
| 端康太妃 | 光緒帝の瑾妃。実在人物 |
| 敬懿太妃 | 同治帝の妃。実在人物 |
| 栄恵太妃 | 同治帝の妃。実在人物 |
| ジョンストン | 溥儀の家庭教師を務めたイギリス人。実在人物 |
| 馮玉祥 | 1924年の北京政変を起こした軍人。実在人物 |
実在人物が登場する場面でも、ドラマ内の会話や主人公たちとの関係まで史料に残っているわけではありません。実際の出来事をもとにしながら、物語に合わせて脚色された場面もあります。
『溥儀の料理番』はどこまで史実?
『溥儀の料理番』は、実在した女性料理人の伝記ではなく、1920年代の紫禁城を舞台にした歴史ドラマです。
劉容児や李琪たちの物語は創作ですが、溥儀や婉容、太妃たちが紫禁城で暮らしていたこと、太妃の膳房から溥儀へ料理が届けられていたこと、宮中文物の盗難、建福宮火災、太監追放、1924年の紫禁城退去は史実として確認できます。
とくに料理については、ドラマの設定と当時の宮廷生活がよくつながっています。劉容児本人のモデルは確認できませんが、太妃の宮で作られた料理を溥儀が好んで食べていたことは、溥儀自身の回想に残っています。
溥儀や太妃たちが清朝滅亡後も紫禁城に残り、宝物の流出や火事があったことは事実です。『溥儀の料理番は』そういった歴史的なできごとをもとに、架空の宮女・劉容児たちを登場させて歴史の転換点に遭遇した人たちの人生を描いた作品と考えると好いかも知れませんね。
関連記事



コメント