宮廷女官 若曦(ジャクギ)のヒロイン・馬爾泰 若曦 は実在するのでしょうか?
実は若曦は史実の記録には確認できない人物です。本人が実在しないのならモデルになった人はいるのでしょうか?でも雍正帝や皇子たちの記録を見ても若曦とピッタリ一致する女性は見当たりません。
それでもネット上ではモデル候補とされる人物の噂は見かけます。この記事ではモデルの存在は本当なのか?馬爾泰(マルタイ)という一族の存在、各皇子の側室記録との整合性をみて若曦が実在したのか?モデルはいたのかを検証します。
この記事で分かること
- 若曦が史実上の人物として確認できない理由
- 馬常在・雲答應・ウラナラ氏・年氏がモデルとされる説の弱さ
- 馬爾泰という姓や一族が史料に見当たらない点
- 八皇子家・十四皇子家の配偶者記録と物語設定の違い
宮廷女官 若曦は実在したのか
若曦とは?
まずはドラマ(原作小説)での設定を紹介。この若曦は実在したのか?似た人物はいたのかを調べてみましょう。
ドラマの人公 馬爾泰 若曦は現代人・女性・張暁(ちょう・ぎょう)の魂が乗り移った人物ですが。若曦本人はもとから清朝で生まれ育った人物です。本物の若曦が亡くなったために張暁の魂が入り込んだという設定です。
若曦は 満洲人の貴族階級「鑲黄旗人」の馬爾泰家出身。1691年(康熙30年)生まれ。
八皇子・胤禩(いんし)の側室・若蘭の妹です。秀女選抜で康熙帝に仕える宮女になります。八皇子や四皇子と恋に落ち。四皇子の子を身ごもりますが、流産。雍正帝即位後は妃にしようとしますが、若曦は断り十四皇子の側福晋になり。1725年(雍正3年)に亡くなってます。
若曦は実在しない
結論としては、馬爾泰 若曦は史実の人物としては確認できません。清朝の公式記録『清史稿』や、后妃の生活を記した『宮中雑件』などの史料を見ても馬爾泰若曦という女性が宮廷にいたという痕跡は見つかりませんでした。
雍正帝の后妃記録にもドラマの若曦のように皇帝の寵愛を受けた後に別の皇子の側室として生涯を終えたという経歴を持つ女性は存在しません。
というわけで若曦は実在した女性を再現したのではなくて、ドラマ(小説)の主人公として作られた架空の人物だといえますね。
雍正帝の記録を見ても若曦と同じ人物はいない
清朝の后妃記録は皇后から最も位の低い「答應(とうおう)」まで歴代王朝の中でも比較的詳しい名簿が残されています。
特に雍正帝は后妃の数が他の皇帝に比べて少ないので、変わった経歴の人がいたら見つけやすいです。でも馬爾泰という姓の側室や若曦そっくりの経歴を持つ人は見つけることができません。
一部では雍正帝の側室だった「馬常在(ばじょうざい)」や「雲答應(うんとうおう)」が若曦のモデルではないかと言われることもありますし、正室のウラナラ氏がモデルという意見もあります。
でも、後で書くように彼女たちの入宮時期、存命期間、家系、生涯などをよく見てみると若曦の設定や劇中での描かれ方とは合いません。
記録に残る雍正帝の正室・側室たちと若曦は違う部分が多すぎるのです。
若曦のモデル候補はいるの?
ここでは若曦のモデルとされる人物を一人ずつ見て、本当にモデルと言えるのか調べてみましょう。
馬常在は若曦のモデル?
比較的ネットでも意見が出るのが雍正帝の側室・馬常在
ドラマでは若曦の姓が「馬爾泰」ですから、「馬」の姓を持つ「馬常在」がモデルではないかと言われているようです。
馬常在は康熙44年(1705年)に入宮、乾隆33年(1768年)まで生きた女性です。
でも馬常在は80歳前後まで生きているので当時としてはかなり長寿です。ドラマのように短命で儚い生涯だったわけではありません。
また、彼女は雍正帝の即位前から後宮にいましたが、目立った寵愛を受けた記録もありません。側室でも低いランクの常在のままです。
ドラマの四皇子の若曦への執着ぶり、若曦の姉は八皇子の側福晋(正室の次に偉い)ですし、妹も皇子の屋敷や宮殿に出入りを許されています。劇中での馬爾泰家は決して低い家柄ではありません。それを考えると若曦ほどの愛された人物ならもっと高い地位にいても不思議ではありません。
「馬常在」は「馬」という漢字が共通するだけのこじつけに近いと言えます。
雲答應(雲恵)は若曦のモデル?
雍正帝には雲答應という側室がいました。
雍正5年(1727年)に「雲答應」という位を与えられた女性の存在が確認できるからです。彼女の諱(本名)は「雲惠(うんけい)」と記録されており、雍正9年(1731年)に亡くなっています。
若曦がドラマ内で亡くなる時期と、この雲答應の没年が近いことから、彼女を若曦のモデルといわれることもあります。
でも雲答應が雍正帝からとくに寵愛をうけていたとか、八皇子や十四皇子と深い結びつきがあったとは記録されていません。共通点は没年が近いというだけです。
あと馬常在と雲惠は別人です。
孝敬憲皇后ウラナラ氏との共通点と合わない点
中国のファンサイトで有力とされているのが、雍正帝の正妻・孝敬憲皇后(こうけいけんこうごう)ウラナラ氏です。
似ているところ
孝敬憲皇后は雍正帝にとって重要な女性のひとり。孝敬憲皇后には雍正帝との間に男子が誕生しました。でも息子は幼くして亡くなっています。その後、孝敬憲皇后には子は生まれませんでした。
若曦は出産まではしてませんが流産し、その後は子はできなくなってしまいました。子を失った悲しみを背負って生きている点は似ています。さらに孝敬憲皇も雍正年間(雍正9年)に亡くなっています。
これらの要素は若曦と似ています。
違うところ
でも大きく違うのは出自と地位です。
ウラナラ家は満洲人の中でも名門中の名門。孝敬憲皇后も康熙帝の指名によって早くから四皇子(後の雍正帝)の正室になりました。宮女からのし上がった若曦とは違います。
またドラマ内では雍正帝の正室(皇后)が登場しているので、孝敬憲皇后が若曦の直接的なモデルとは言えません。
年氏との共通点と合わない点
雍正帝が最も寵愛した女性として知られるのが、年貴妃(ねんきひ)です。
彼女は雍正帝との間に多くの子をなしましたがいずれも幼くして亡くなり、彼女自身も雍正3年にこの世を去りました。亡くなった年は若曦と同じです。
皇帝からの深い寵愛と、愛する者を失う悲しみという部分は若曦と共通しています。
家柄も妃クラス(正室の次に偉い)にはふさわしいですが、ウラナラ氏ほど飛び抜けた名門ではありません。家柄も若曦と似ています。
でも違う点も多いです。年氏は彼女が入宮した時点で既に高い地位を約束されていたことです。兄の年羹堯(ねんこうぎょう)の力もあり、彼女は側福晋(側室)として入宮、雍正帝の即位後は貴妃になりました。
若曦のように宮女から皇帝の側近として仕えるという経歴はありません。また、年氏も劇中で「年世蘭」として登場しているので、若曦とは別の存在なのは確かです。
馬爾泰という姓は史実にあるのか
雍正帝の側室にモデルがいないのなら他にモデルになりそうな人はいるのでしょうか?
馬爾泰という一族は実在するの?
ドラマでは若曦の姓は「馬爾泰(マルタイ)」です。
でも清朝の史料をみても満洲族に馬爾泰の一族がいたという記録は見つけられませんでした。馬爾泰という個人名(ファーストネーム)はいるのですが、名字(氏族名)ではありません。
若曦は鑲黄旗人出身。旗人とは清朝の貴族階級のことです。満洲の旗人はハつに分かれていて、そのうちに3つが皇帝直属の上三旗。若曦の家・馬爾泰家は上三旗のひとつ鑲黄旗に所属しています。なので家柄としては高い方です。
清朝の皇族(愛新覚羅家)と婚姻関係を結ぶような有力氏族なら『八旗満洲氏族通譜』などに記録されているはずですが、そこにも家系は見当たりません。
馬爾泰一族はドラマ(小説)のために作られた架空の一族と言えるでしょう。
八皇子の側室に馬爾泰姓の人物はいたのか
若曦の姉・若蘭は八皇子胤禩(いんし)の側福晋になりました。そこに手がかりはあるでしょうか?
八皇子胤禩の配偶者記録に馬爾泰姓の人物は見えない
八皇子胤禩の家庭環境を見てみましょう。でも馬爾泰姓の女性が八皇子に嫁いだ事実は確認できません。公式な家系図である『玉牒』や関連史料によると胤禩の配偶者は以下の通りです。
- 嫡福晋: 郭絡羅(ゴロロ)氏
- 側福晋: 張氏
- 庶福晋: 王氏、毛氏
上記の記録に馬爾泰氏の名はありません。ドラマで若曦の姉・若蘭(じゃくらん)は胤禩の側室として描かれていますが、ドラマオリジナルの設定のようです。
また胤禩の正室・郭絡羅氏は非常に気が強く、側室を置くことを嫌ったというエピソードが残るほどです。若蘭のような悲劇的な側室がいたという記録もありません。
若蘭は物語の若曦の居場所を確保するための創作のようですね。若蘭が架空ですから若曦も実在した可能性は低いというしかありません。
八皇子の側室と四皇子の側室が姉妹だった事実は確認しにくい
ドラマでは八皇子の側室(若蘭)と、四皇子の寵愛を受けた宮女、あるいは十四皇子の側福晋になった人物がが姉妹になってます。
でも当時の記録では八皇子家と四皇子家(後の雍正帝)、十四皇子家に同じ家系の娘が入ったという事実は確認できません。
十四皇子の側室に馬爾泰姓の人物はいたのか
ドラマ終盤では若曦は十四皇子の側福晋になりました。それでは十四皇子の側室に該当する人はいたのでしょうか?
十四皇子胤禵の配偶者記録にも馬爾泰姓の人物は見えない
物語の終盤、若曦は雍正帝のもとを離れて十四皇子胤禵(いんてい)の側室になりました。でも胤禵の記録をみても馬爾泰姓の女性が入宮した記録はありません。
彼の主な配偶者は以下の通りです。
- 嫡福晋:完顔(ワンギャン)氏
- 側福晋:舒舒覺羅(シュシュギョロ)氏、伊爾根覺羅(イルゲンギョロ)氏
- 庶福晋:伊爾根覺羅氏、卓甲(ジョギャ)氏、謝氏
これらの中に「馬」あるいは「馬爾泰」という女性は含いません。また八皇子の側室と姉妹という人もいません。
なのでやはり若曦は架空と考えて良さそうです。
若曦が十四皇子の側室になる設定は史実の配偶者記録とはつながりにくい
ドラマにおいて若曦が胤禵のもとへ嫁ぐ展開は、雍正帝との愛の破綻と、彼女の最期を描くための重要なクライマックスです。しかし、清代の厳格な配偶者名簿との整合性はなく、史実の胤禵の家庭生活とは無関係なエピソードです。
特に胤禵は、雍正帝の即位後に景陵(康熙帝の陵墓)の守衛を命じられ、事実上の軟禁状態に置かれました。その時期の彼の生活についても記録がありますが、若曦のような謎めいた女性が付き添い、亡くなったという報告は見当たりません。この展開は、当時の政治情勢や皇子たちの力関係を利用した、高度なフィクションであるといえます。
結論:若曦は実在しないし特定のモデルもいない
ここまでモデルになりそうな人を見てきましたが。若曦と没年、姓、立場、皇帝からの寵愛など、一部には似ている人もいますが。みごとにバラけていて、誰か1人がモデルといえるほど若曦と似ている人はいません。
また、清朝時代の皇族の婚姻は皇帝の許可や内務府の族譜管理のもとで行われます。もし有力な家系の姉妹が皇子たちに嫁いだのであれば記録に残るはずです。そうした記録がない以上、この姉妹設定もドラマ独自の演出と考えたほうが良さそうです。
結論としては若曦は実在した特定の女性をモデルにしたのではなく、清朝の後宮で生きた複数の女性たちの部分的なエピソードを組み合わせし、そこに現代女性の視点を加えて作られた人物といえそうです。
そこに「九子奪嫡」という権力争いの史実を絡めることで、ドラマとしてのリアリティとエンタメを両立させています。
若曦は実在の人物ではありませんが、当時の厳しい宮廷社会に生きた女性たちの苦しみや生き方を現代的な視点から見つめ直す。そんな存在なのかも知れません。
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