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明蘭才媛の春 11・12・13・14・15話:科挙の波紋と家政を任された明蘭

明蘭才媛の春 11・12・13・14・15話のあらすじを振り返ります。

科挙の合否が斉家・顧家・盛家の明暗をわけます。さらに斉衡の恋心、顧廷燁の失意、盛家内部の対立ゆくえ。

この記事では各話の注目点を解説しながら、あらすじを紹介します。

 

明蘭 才媛の春 あらすじ ネタバレ全話一覧紹介

※この記事はドラマ『明蘭』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

 

この記事で分かること

  • 科挙の結果が斉衡・顧廷燁・盛家に与えた影響

  • 王若弗と林噙霜の対立が家政と家名に及ぼす問題

  • 明蘭が家政を任された理由

  • 社交の場として馬球会の意味

 

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明蘭11話あらすじ:斉衡の落第と揺れる想い

明蘭は斉衡の科挙合格を願い膝当てをそっと贈りました。しかし斉衡は落第。顧廷燁も失意のまま屋敷へ戻っていきます。盛家だけは長柏の合格に沸き立つのでした。
 

11話 秘めた恋心:あらすじ

盛明蘭は斉衡から届いた贈り物の包みの中に自分が縫った膝当てをそっと忍ばせ、ただ彼の合格を願っていました。

科挙当日、盛家と斉家はそれぞれ受験者を見送ります。明蘭だけは斉衡と目を合わせることができず、胸の内を悟られまいと必死に平静を装いました。

三日後の発表では盛長柏だけが合格。進士に名を連ね、斉衡と顧廷燁の名前は見当たりませんでした。二人はそれぞれ失意のまま家へ戻っていきます。

明蘭は落ち込む斉衡を盛如蘭と一緒に励まし、誰より彼の努力をわかっていると穏やかに伝えました。

盛家では長柏の合格を祝って宴が開かれ婚姻の話も進み、家の中がにぎやかになります。

その一方で林噙霜の一族は静まり返った裏門へと戻ることになり、家の中での立場の差を思い知らされることになるのでした。

 

注目:盛明蘭が元宝の膝当てを贈った理由は?

明蘭は小桃と丹橘を遠ざけ、枕の下に隠していた膝当てを箱に入れ、斉衡の試験中の冷えを気にして準備しました。斉衡は膝当てと刺繍の「元宝」文字に気づいて彼女の気持ちを理解し、何度も嬉しそうに指先で触れました。

膝当ては明代・清代の受験生がよく使ったもので、科挙の寒さ対策として実用性が高く、身近な裁縫品は男女の好意を示す手段として広く知られていました。

また「元宝」は“財運・成功・吉祥”を表す言葉で、明蘭は直接言葉にはできませんが「合格してほしい」という励ましを刺繍に託したのです。

 

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明蘭12話あらすじ:顧廷燁

顧廷燁は科挙で50年受験禁止の処分を受け、希望を失って顧家を離れようとします。盛家では林噙霜が冤罪で捕らえられ、大奥様まで倒れてしまい、家中が混乱するのでした。
 

12話 あらすじ:科挙の合格発表

主試験官は斉衡と顧廷燁が落第した理由を明らかにしました。特に顧廷燁が試験文で楊無端を擁護して皇帝の怒りを買い、今後50年は受験禁止になってしまいます。これを聞いた顧偃開は激しく憤ります。

顧廷燁は顧廷煜が自分を密告したと決めつけて対立。家への失望もあって朱曼娘と蓉姐を連れて去ろうとしました。ところが朱曼娘が侯府の前で騒ぎを起こしてしまい、顧偃開に尋問されてしまいます。顧廷燁は彼女を救うため結局侯府へ戻るしかありませんでした。

盛府では盛紘が宮中に呼ばれたまま帰らず、王若弗が焦りを募らせていました。

そんな中、林噙霜が家財を整理しようとしたところ、王若弗に見つかり「外で男と密会した」と濡れ衣を着せられてしまいます。

大奥様はその知らせを聞いて体調を崩し倒れてしまい、王若弗は林噙霜を捉えて売り飛ばそうとするのでした。

 

注目:顧廷燁が科挙を50年受験禁止になった原因は?

顧廷燁は答案の中で花街で遊ぶ楊無端を擁護する文章を書き、皇帝を怒らせました。主試験官は本来は合格点と評価しましたが、皇帝が嫌う楊無端をかばうものだったため、彼の答案は最もまずい形で扱われました。

科挙では政治批判と受け取られる内容を避けるのが暗黙の常識で、『明史・文苑伝』にも同様の事例が記録されています。

顧廷燁の落第は「学力や文章そのものの優劣」ではなく「皇帝に嫌われた」のが最大の理由でした。

史実でも仁宗は花街に通い低俗な詩を読む柳永を嫌って落第させ続け。彼が高齢(一節には48歳)になってようやく科挙に合格させたという逸話があります。

楊無端は柳永をモデルにしていると思われます。

 

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明蘭13話あらすじ:

林噙霜は王若弗の対立は盛家の名声を守るため、二人を謹慎処分にし、林噙霜に杖打ちの処罰が下することで一旦は収まります。宮中で叱責を受けて戻った盛紘は帰宅すると盛長楓を厳しく罰するのでした。

 

13話あらすじ:盛家の危機

王若弗に濡れ衣を着せられ、今にも売られそうになっていた林噙霜でしたが。盛長楓が徐員外を伴って戻ったため状況が変わりました。

林噙霜は証拠をでっち上げられるのを防ぐため、訴状の提出をちらつかせて王若弗を追い込みます。大奥様は家名を守るため、王若弗と林噙霜の両方を謹慎処分とし、林噙霜には杖打ち二十回を言い渡しました。

一方、宮中に留められていた盛紘は皇帝から厳しく叱責され、ようやく帰宅します。

盛紘は盛長楓が悪友と皇太子擁立を軽々しく口にしたせいで自分が災難に巻き込まれたと知り、激しく怒りました。

盛紘は長楓に体罰を加え、さらに林噙霜と王若弗も互いの過ちを暴き合い盛家は完全に混乱状態に陥っていきました。

 

林噙霜ように、良家の女性でも「売られる」ことはあったのか?

ドラマでは王若弗が林噙霜を証文で売り飛ばそうとしました。史実でも真宗の皇后・劉娥も若い頃に夫から皇子に「売られた・手放された」と伝わります。

どちらもかなり極端に見えますが「家が苦しくなったときに、女性の身柄を金銭と引き換えにする」という発想自体は、昔は世界各地にありました。

林噙霜の場合は生活苦ではなく制裁・家からの追放という形ですが。中国では若い娘だけでなく妻や妾も売買の対象になりました。

中国でも法律上は奴婢ではない妻や妾の売買は原則禁止でした。実際には「婢として売った」「借金のカタに差し出した」といった形で書類をごまかし、事実上の身売りにするケースが史料に見られます。

劉娥の例のようにその後の出世物語で覆い隠される場合もありましたが、厳しい生活事情と家父長制が生んだ非人道的な行いでした。

 

明蘭14話あらすじ:

王若弗と林噙霜の争いによって盛家は再び騒がしくなり、盛紘は失望。大奥様は彼女らに家政を任せられないと判断。盛明蘭に家政を任せる決断を下すのでした。

 

14話あらすじ:息子の不始末

王若弗と林噙霜が互いの罪を暴き立てたことで裏庭は大混乱となり、盛紘は家族の騒ぎに失望していました。

大奥様は王若弗が姉の康姨媽と組んで印子銭(高利貸し)をしていたことを知ります。さらに林噙霜が家財を質に入れていた事実も知り、このまま二人に家政を任せるのは危険だと判断します。

盛紘が相談のために寿安堂を訪れると、大奥様は明蘭が密かにまとめていた帳簿を見せ彼女こそ家政に最もふさわしいと静かに伝えました。

その後、明蘭は寿安堂の隣に独立した邸宅を与えられ正式に家政を任されることになります。王若弗と林噙霜はそれぞれ自分に近い女中を送り込みますが、大奥様はさらに上位の女中・翠微を配置し明蘭がしっかり主導権を握れるよう支えました。

まもなく盛華蘭は大奥様が急病だと聞かされ慌てて戻ってきました。でも大奥様は元気でした。大奥様は盛華蘭を気遣い、できるだけ早く家政の仕事を止めるようと念を押すのでした。

 

印子銭(いんしせん)
非公式の高利貸し。要するに闇金融です。利率が高く、トラブルの原因になることが多かったようです。
 

注目点:盛明蘭が家政を任されたのはなぜ?

王若弗はついに高利貸しにまで手を出してしまい、林噙霜も誰にも言わずに家の財産を質に入れていました。

大奥様は、そんな二人ではとても家政を担当させることはできないと考え、盛紘に分かるよう帳簿を差し出します。

一方で明蘭はふだんから家の出費をこまめに記録していて盛紘が宮中で問いただされたときにも、落ち着いて冷静に助言したという実績がありました。

こうした点をあわせて大奥様は明蘭が「最も信用できる管理者」と判断しました。明蘭は若すぎますが、それ以上に明蘭が有能で王若弗と林噙霜が頼りにならないため。あえて任せる道を選んだのです。

実際、古代の大家族では記帳能力と判断力が重要できちんと記録を残す女性は家政向きと見られていました。

 

注目点:士大夫家での「家政権」と女性の序列

中国の士大夫(科挙で採用される役人)の家では、家政は家の維持に直結するため、任される女性は慎重に選ばれました。

『礼記』では主婦の最も重要な務めが「内を治めること」とされ、記録管理・倉庫管理が必須と書かれています。

王若弗のように親族を通じて金を動かす行為は、家政者として信用を失う最大の原因でした。また家政者には家中の女中の統制も求められたため、今回の翠微の配置は“家長が家政を守る”伝統的手続きを反映しています。

また盛明蘭が家政を任されたのは、能力だけでなく「後ろ盾の老太太がいる」ことも大きな決め手でした。

 

明蘭15話あらすじ:

斉衡は盛明蘭に会いたい一心で馬球会を開かせ、明蘭は余嫣然のために出場しました。そこに余家の事情や盛墨蘭の思惑も加わり、盛家の娘たちはそれぞれの思惑をかかえて会場で動き回るのでした。

 

15話あらすじ:家の差配

盛華蘭は馬球会で妹たちを楽しませたいと願いましたが、王若弗は盛墨蘭を連れて行くのは「玉の輿を狙っているからだろう」と責めました。

馬球会当日、盛家の姉妹は揃って会場へ向かい、明蘭は余嫣然と再会して喜び合います。競技が始まると余嫣紅が派手に得点を重ねました。余嫣然は遺品の簪を守るため必死に兄へ助けを求めましたが、力及びませんでした。

斉衡は遠くから明蘭を見守り、彼女の姿を見て心から喜びました。馬球会が斉衡の明蘭への想いから仕掛けられたものだと知り、明蘭は驚きます。

さらに余嫣然が泣きながら助けを求めると、明蘭は代わりに出場し見事な一振りで会場を沸かせました。

顧廷燁も腕前を見せ、試合は大いに盛り上がります。それを見た盛長楓は怖気づいて出場を拒否、すると斉衡は明蘭を守るためまっすぐ試合会場に向かうのでした。

 

注目点:馬球と貴族青年の社交文化

馬球はペルシャから伝わったスポーツ。中国では唐・宋時代を中心に貴族の間で人気になり、軍事訓練に近い扱いを受けました。

『旧唐書・礼儀志』には皇帝が馬球試合を観覧した記録もあります。男児だけでなく、豪族の娘が参加することもありました。余嫣紅のように競技に優れた女性も歴史上は確認できます。

馬球会は単なる遊びではなく、若者が交流する社交の場にもなりました。

今回の斉衡の行動は「馬球=出会いの場」を最大限利用した形です。

 

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ドラマあらすじ
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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールをご覧ください。

運営者SNS: X(旧Twitter)

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