如懿伝の実話・ドラマはどこまで史実に近いのか解説

如懿伝実話 d ドラマ紹介
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中国ドラマ「如懿伝・紫禁城に散る宿命の王妃」は清朝の乾隆帝の時代を舞台に後宮での争いを描くドラマ。

ヒロインの如懿のモデルは乾隆帝の正室・継皇后ナラ氏。

登場人物の多くが実在するドラマです。とくに如懿伝の結末は切なく悲しいです。そのため、あの愛憎劇は実話なのか?本当にあった話なのか疑問に思った人も多いでしょう。

結論からいえばもとになった出来事はありましたが、その経緯や劇中の愛憎劇は脚色・架空の部分が多いです。

でも物語の中心になる悲劇は実際に起こりました。

この記事では主人公・如懿のモデルとなった皇后の悲劇的な生涯や、他の登場人物たちの実話を詳しく紹介します。

真実を知れば、ドラマがもっと深く面白く見えてくるはずですよ。

 

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如懿伝の歴史背景 清朝と乾隆帝

清王朝の繁栄

清朝は17世紀から20世紀初頭まで続いた中国最後の王朝です。満洲族によって建てられました。中国史上でも特に広大な領土を持ち、多民族国家としての統治体制が特徴です。現在の中国はほぼ清朝の領土を受け継いでいます。

乾隆帝の時代

乾隆帝 肖像画

乾隆帝の肖像画

ドラマに登場する乾隆帝(けんりゅうてい)は清朝の第6代皇帝。在位期間60年で清朝の領土を大きく広げ、清朝の最盛期を築いた人物です。名君といわれる一方で、晩年の権力集中や後宮での権力争いも多く歴史ドラマの題材になっています。

「如懿伝」はそんな乾隆帝の治世を舞台に皇后 如懿の波乱に満ちた生涯を描いたドラマです。

後宮の仕組みと役割

如懿たちが暮らす後宮(こうきゅう)は、皇帝の正妻や側室、女官たちが暮らす宮殿の区域のこと。

皇帝のプライベートな生活の場で、皇帝の跡継ぎを産み育てるのが最大の役目。

ここには妃嬪たちの他、未成年の皇子・公主(皇帝の娘)、女官、宮女たちが暮らしていました。基本は男子禁制なので宦官が働いています。

乾隆帝時代の後宮には厳しい階級制度がありました。最高位の皇后から、皇貴妃、貴妃、妃、嬪、貴人、常在、答応と続き、それぞれの位によって住む場所や侍女の数、生活費などが厳しく決められていたのです。

昇進や降格は皇帝の寵愛や産んだ子供、実家の地位、宮廷内の権力バランスに影響されます。

「如懿伝」ではこの複雑な階級制度の中で女性たちが生き抜き、地位とプライドをかけて争う姿が描かれています。この激しい闘いが宮廷ドラマの魅力といえます。

 

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如懿のモデル・継皇后那拉氏の実話

モデルは乾隆帝の2番目の皇后「継皇后那拉氏」

継皇后 ホイファナラ氏

皇后 ホイファナラ氏

主人公・如懿のモデルは実在した人物。乾隆帝の二番目の皇后 継皇后 那拉(けいこうごうナラ)氏になります。

「如懿」はドラマで付けられた名前。記録では名前は残されていません。「那拉氏」とだけ書かれています。

ウラナラ氏とは

「那拉氏」にも様々な家系があります。ドラマでは烏拉那拉(ウラナラ)氏でしたが、史実では輝発那拉(ホイファナラ)氏が正しいとされています。

ウラナラ氏は唐時代から存在して金朝時代には皇后が出ている名門貴族ナラ氏の末裔。ホイファナラ氏はナラ氏の末裔はありませんがナラ姓を名乗ることが許された一族。ウラナラ氏に比べると勢力は小さいです。

如懿伝では如懿はウラナラ氏の設定なので雍正帝のウラナラ皇后とも親戚。一族の名誉がついて回る立場にあります。逆に「瓔珞」では史実通りホイファナラ氏なので実家にたいした力はありませんでした。

実家の立場の違いもドラマには大きく影響しています。

 

寵愛され順調に皇后の地位へ

継皇后ナラ氏はドラマどおり乾隆帝が皇子だった頃からの妃の一人でした。初めは特に目立つ存在ではなかったようです。

でも乾隆帝の母である皇太后に気に入られ地位を上げていきます。

そして乾隆帝が最も愛した一番目の富察皇后が亡くなると、皇后になりました。このあたりはドラマの展開とよく似ています。

 

謎の「断髪事件」で皇帝と決別

皇后になってしばらくは平穏な日々が続きました。ところがある事件をきっかけに彼女の人生は一気に転落してしまいます。

それがドラマでもクライマックスとして描かれた「断髪事件」です。

当時の満洲族の女性にとって髪を切ることは親や夫の死を意味する最大の禁忌でした。

 

断髪を自ら行ったのですから「皇帝や皇太后を呪うのと同じ行為」と見なされます。そのため乾隆帝激怒して二人の関係は完全に終わってしまいました。

彼女がなぜ髪を切ったのかは謎です。記録にも詳しい理由は残されていません。

そのためドラマでは破局になるまでの経緯を想像で補い脚色、ドラマチックな展開にしています。

 

皇后の身分を剥奪され幽閉される

断髪事件の後、ナラ氏は皇后の位を示す免状や印鑑などをすべて取り上げられます。正式な「廃后」の勅命は出てませんが、皇后の権限を全て奪われたのでクビになったのも同じです。

その後の彼女は紫禁城の一角で寂しく余生を送りました。ドラマで描かれた「冷宮」での生活はこの史実が元になっているのでしょう。

記録も残されない孤独な最期

そして翌年、ナラ氏は誰にも看取られることなくひっそりと亡くなりました。その扱いはあまりにも悲惨なものでした。

葬儀は皇后より下の位である「皇貴妃」の格式で質素に行われます。さらに皇后としての称号も与えられず乾隆帝が眠るお墓にも入れてもらえませんでした。

皇后としてありえない酷い仕打ちです。清史上、最も悲惨な扱いを受けた皇后として歴史に記録されています。

ドラマと史実の大きな違いは「愛」の描き方

ドラマと史実の一番大きな違いは皇帝からの「愛」の形でしょう。

「如懿伝」では乾隆帝と如懿は幼い頃から愛し合っていました。ところが皇帝への愛が少しずつ憎しみに変わっていく様子が描かれました。

でも史実の記録には乾隆帝と那拉氏が幼いころから仲がよかったとは書かれていません。乾隆帝と那拉氏の関係は一般的な皇帝と皇后の関係とかわりません。晩年には疎遠になり、最終的には皇后の地位を奪われる形になってしまいます。

この間の二人の関係は謎が多いです。だからドラマでは想像を膨らませて、あの切ない物語が生まれたのかもしれませんね。

 

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【史実】他の登場人物たちはどうなった?

画像挿入指示:各人物紹介でドラマのキャスト写真と史実の肖像画を並べたイメージ画像を挿入すると読者の理解が深まります。

賢く美しい富察皇后(孝賢純皇后)

富察皇后の肖像画

富察皇后 朝服 肖像画

乾隆帝が生涯で最も愛した女性と言われるのが最初の皇后 富察(フチャ)氏です。

賢くて慈悲深く、宮中での役目を真面目にこなす一方で質素倹約にも務めました。しかし病弱で二人の皇子を次々と亡くし、心労から若くして亡くなってしまいます。

「瓔珞」ではやや気弱な描かれ方でしたが。ほぼ史実通り。

「如懿伝」では表向きは史実通りの優しい振る舞いを見せますが、裏では策略を企む裏表のある性格として描かれています。

富察皇后の描かれ方は史実との大きな違いの一つです。

如意の生涯の友・海蘭(愉妃)

ドラマの海蘭(ハイラン)は如懿を最後まで支え続けた親友です。

モデルは愉妃(ゆひ)珂里葉特(ケリェテ)氏です。
史実ではケリェテ氏がナラ氏と特別親しかったという記録はありません。

でも彼女が産んだ第五皇子・永琪(えいき)は非常に優秀で乾隆帝から大きな期待をかけられていました。

 

前半のライバル嘉貴妃(淑嘉皇貴妃)

美しい顔で恐ろしい策略を巡らせた嘉貴妃。

モデルは淑嘉皇貴妃(しゅくかこうきひ)金氏です。
祖先は朝鮮出身。どのドラマでも悪役として描かれますが。史実では彼女が悪巧みをした記録はありません。4人もの皇子を産んでおり乾隆帝からの寵愛も深かったと考えられます。

ドラマでは最初からライバルとして登場。策略に長けて裏で妃嬪たちの争いを煽っています。架空の国・玉氏からの貢女という設定ですが。描かれ方は朝鮮そのもの。

 

後半の強敵 令妃(孝儀純皇后)

孝儀純皇后

令妃

「瓔珞」では主人公。「如意伝」では最大の敵役として描かれた衛嬿婉(えいえんえん)。彼女のモデルが令妃 魏氏です。金氏とともに子沢山の側室。史実では富察皇后のもとで見習いをしていたとされます。最終的に最も成功した妃と言えるかもしれません。

彼女の息子が嘉慶帝となり、死後に皇后の位を贈られました。

ドラマでは最初は宮女で側室に昇進。如懿を追い詰める存在となります。最後は悪事がバレて幽閉されますが、称号は残され息子は跡継ぎとなり。歴史との辻褄はあわせています。

 

「如懿伝」でも登場する他の妃たち

慧貴妃 高氏:有力な重臣・高斌の娘。子はありませんが貴妃という高い地位にいました。ドラマでは富察皇后に味方し如懿と対立しますが、皇后に裏切られ罪を告白して死亡。

舒妃(じょひ):ドラマと同じく家柄の良い妃でしたが若くして亡くなりました。

慶嬪(けいひん):令妃の息子である嘉慶帝の養母となり皇太妃として長生きします。

 

如懿伝はなぜ史実と違う物語になったの?

記録の少なさが想像の可能性を広げた

なぜ皇后ナラ氏はすべてを失うと分かっていながら髪を切ったのでしょうか?

皇帝はなぜあれほどまでに怒り彼女を許さなかったのでしょうか?

史実にははっきりとした理由は書かれていません。ドラマはその歴史の「謎」を埋めるように作家が想像力を働かせてストーリーが作られています。

原作者が「如意伝」に込めたかった想い

原作者の流瀲紫(りゅう・れんし)は歴史上の勝者といえる令妃ではなく、敗者になった継皇后ナラ氏の視点から物語を描きました。

皇帝の寵愛や権力争いの中にあっても、ただ一人の人間として真実の愛を求めた女性の悲劇。その姿を描きたかったからではないでしょうか?

当時は皇帝が一人の女性を愛するのは考えられない時代。それをヨーロッパ人宣教師から知識を得て、そういう世界があると知り憧れ追い求めました。その感覚は現代人に近いかもしれません。

結果的にそれが悲劇に繋がるのですが。だからこそ「如意伝」は私たちの心に深く響く物語になったのです。

 

まとめ:史実を知れば「如意伝」はもっと面白い

「如意伝」は継皇后那拉氏という実在の女性の悲劇的な運命を元にした壮大なフィクションです。
史実では記録の少ない彼女の人生にフィクションならではの深い心理描写と愛憎のドラマを織り交ぜています。

この記事で史実を知った今ぜひもう一度ドラマを見返してみてください。
登場人物たちの表情やセリフの一つ一つにきっと新しい意味を見いだせるはずです。
真実を知ることで如意の選択がそして乾隆帝の孤独が一層切なく愛おしく感じられるでしょう。

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