こんにちは、フミヤです。
中国ドラマ「後宮の涙」は、その魅力的なストーリーと豪華なキャストで、多くの視聴者を惹きつけました。
主人公・陸貞が後宮という厳しい世界で、才能と努力によって女官から女宰相へと成り上がっていく姿は多くの感動と勇気を与えました。
このドラマが人気を得た理由の一つに、実在した人物である陸貞(陸令萱)をモデルにしているという点が挙げられます。
歴史上の人物がどのようにドラマで描かれているのか、史実とドラマの違いは何なのか、視聴者の間では大きな関心が寄せられました。
この記事ではドラマ「後宮の涙」と史実を比較しながら、陸貞の実像に迫ります。
ドラマチックに描かれたストーリーの裏側に隠された、歴史の真実を探求していきましょう。
後宮の涙のモデル:陸貞の実話
陸貞、歴史上では陸令萱(りくれいけん)と呼ばれる女性は、北斉という時代に生きた女性です。ドラマ「後宮の涙」のモデルとなった彼女の生涯を史実に基づいて紹介しましょう。
陸令萱の出自と前半生
陸令萱は鮮卑の名門・陸氏の一族。貴族の出身なのはわかりますが両親の詳しい記録は残っていません。
陸令萱は東魏の武将・駱超(らくちょう)と結婚。このことからも陸令萱がただの庶民ではなく、ある程度の家柄と教養があったことが分かります。
駱超との間には息子の提婆が生まれました。
東魏の重臣・高洋が反乱を起こし皇帝(文宣帝)に即位。北斉を建国しました。
奴婢から高緯の乳母へ
北斉で夫の駱超が反乱。しかし失敗して陸令萱は奴婢として後宮に入りました。
陸令萱は長広王・高湛に仕えることになります。そこで彼女は持ち前の才能を発揮。高湛夫妻の信頼を得て、息子の高緯の乳母に抜擢されます。高緯は陸令萱に深く懐き、母親のように慕いました。
武成帝の時代:郡君の称号を得る
高湛が武成帝として即位すると陸令萱の地位も向上します。高緯の世話を熱心にする彼女の姿は武成帝夫妻にも高く評価され、郡君の称号を与えられました。奴婢出身の彼女にとっては異例の出世でした。
高緯の時代:権力掌握への道
高緯が皇帝に即位すると陸令萱は女侍中に任命され、後宮の事務を仕切るようになります。彼女は皇帝の寵姫・穆邪利を養女にし。策略を使ってその穆邪利を皇后にしました。
陸令萱は皇后の義母になったのです。さらに実の息子の駱超に穆姓を与え。皇族の親戚としてふるまいます。
事実上の皇太后として君臨
胡太后の失脚後、陸令萱は事実上の皇太后として後宮に君臨。彼女は側近を重用し、反対勢力を排除することで、権力をさらに強力なものにしました。
陸令萱の最期
しかし北周の侵攻により北斉が滅亡の危機に瀕すると、陸令萱の権勢も終わりを迎えます。
息子の穆提婆が敵に降伏。責任を追及された彼女はついに自害の道を選びました。
史実との違い
女官になる前に結婚して子供もいる
ドラマでは入宮する前の陸貞は独身。でも史実では入宮前に結婚し、子供もいます。入宮の経緯も違います。
恋愛要素
史実では陸令萱と高湛の間に恋愛関係があったという記録はありません。ドラマにおけるロマンスは、視聴者の関心を引くための脚色と言えるでしょう。
権力欲が強い
史実の陸令萱は権力を得るためには手段を選ばない一面もあり、ドラマの様に正義感が強い人物ではなかったと考えられます。
宰相にはなっていない
ドラマでは「宰相」になったと表現されていますが。陸令萱の肩書は「侍中」宮廷を仕切る約目です。宰相にはなっていません。
でも皇帝の乳母として大きな発言力を持ち、事実上の皇太后としてふるまい人事も好きにしていまいした。権力の大きさでは宰相級といってもいいかもしれません。
高湛の実話
ドラマでは皇后・婁昭君から命を狙われ。陸貞と恋愛関係になる高湛ですが。史実ではかなり違います。
高湛は高歓と婁昭君の息子
高湛は東魏の権力者・高歓とその妻・婁昭君の息子として生まれました。幼少期から美貌と才能で周囲を魅了しました。順調に出世を重ねる一方で、皇位を巡る争いに巻き込まれ兄の死後、北斉の皇帝に即位しました。
即位直後は有能な皇帝でしたが堕落
即位当初は善政を行い民を想う姿勢を見せましたが、寵臣・和士開との出会いが彼の運命を大きく変えます。
和士開を異常なまでに寵愛し国政を顧みなくなった高湛は次第に酒と女に溺れる暗愚な皇帝へと変貌しました。
しかし、高湛は軍事的な才能も持ち合わせており国内の反乱を鎮圧したり、北周との戦いで勝利を収めたりするなど、武闘派皇帝としての一面も持っていました。
565年。彗星の出現を機に高湛は皇太子・高緯に譲位、太上皇帝となります。しかし569年に32歳という若さで死去。彼の死後、北斉は急速に衰退し、やがて滅亡へと向かいました。
ドラマと史実の違い
ドラマと大きく違うのは史実では高湛の生母も婁昭君。高演と同母兄弟です。高湛は婁昭君に命を狙われた事はありません。むしろ皇帝になってからの高演の方が婁昭君と仲が悪かったくらいです。
高湛にとって陸令萱は部下。恋愛対象ではありませんでした。
婁昭君の実話
自分で夫を選ぶ
婁昭君は鮮卑の名家の娘として生まれ、その聡明さと美貌で多くの求婚者から望まれました。しかし彼女は自ら高歓を夫に選び、両親も認めました。
高歓を出世させる
高歓は婁昭君の支えもあって北魏で出世。高歓が渤海王になると彼女も渤海王妃となり、質素な生活を送りながら夫を支えました。高歓が北魏の実質的な支配者となると、彼女も政治に関わるようになります。
夫に郁久閭氏との結婚を勧める
北魏が東西に分裂すると婁昭君は夫に柔然との同盟のために柔然王の娘・郁久閭氏を正妻を迎えるよう勧めました(これがドラマの郁皇后)。婁昭君は国のために自らの地位を譲り、高歓を深く感動させました。
北斉が建国・息子の高洋が皇帝になる
高歓の死後、息子たちが後を継ぎ、北斉を建国。婁昭君は皇太后となりました。彼女は息子たちの栄光と堕落を見守り、時には厳しく叱咤激励しました。
注意:ドラマでは高洋が登場せず。高歓が皇帝になっています。
史実では高歓は皇帝にならず、婁昭君も皇后にはなっていません。
高演、高湛とともに孫の高殷を廃位。
高洋の死後、孫の高殷が皇帝となります。高殷と高演、高湛が対立。婁昭君の命令で高殷を廃し、高演を即位させました。
ただし婁昭君は高殷の殺害に反対しましたが、高演は高殷を殺害。母子の仲は悪くなります。
高演は不摂生で病死。その後。高湛が皇帝となり、婁昭君は皇太后として北斉の歴史に関わりました。彼女は病に倒れ息を引き取りました。
ドラマとはぜんぜん違う人生
ドラマと史実の違いが一番大きいのが婁昭君の描かれ方。ドラマでは高湛の義母として彼の命を命を狙いますが。実際には高湛は実の子。
高演も高湛もどちらも自分の息子です。
ドラマ「後宮の涙」における脚色
ドラマ「後宮の涙」は史実を基にしていますが、視聴者を惹きつけるために様々に脚色されています。
ロマンス要素の追加:視聴者の心を掴む恋愛模様
史実では陸令萱(ドラマでの陸貞)と高湛の間に恋愛関係があったという記録はありません。しかし、ドラマでは二人の恋愛が大きな要素になっています。
多くの視聴者の心を掴むためにはロマンス要素の追加は必要でしょう。
主人公の美化:共感と感動を生むヒロイン像
ドラマの主人公・陸貞は聡明で正義感が強く、困難に立ち向かうヒロインとして描かれています。史実の陸令萱は権力を得るためには手段を選ばない悪賢い一面もありました。
ドラマではかなり美化されていて、視聴者に共感と感動を与える存在になっています。主人公にするためには仕方のないことかもしれませんが。史実とは違うことには注意が必要です。
人間関係の簡略化
史実の北斉の家系や皇位継承は複雑です。

北斉 皇家 家系図
でもそれだと分かりづらいのでドラマでは皇位継承の順番や経緯は簡略化されています。
ドラマとの違い
- ドラマでは高歓が皇帝。婁昭君が皇后ですが。史実では高歓は皇帝になっていません。死後の追尊です。婁昭君も皇后にはなっていません。
- 史実では北斉初代皇帝は高洋です。でもドラマでは存在しません。
- 皇帝・高殷が登場しない。史実では高洋の死後に高殷が即位しました。でもドラマでは高洋が即位していないので高殷の扱いも違います。
- 高湛の生母は婁昭君。ドラマでは高湛の生母は郁久閭氏ですが。郁久閭氏には息子はいません。娘はいます。
国際情勢の違い
ドラマでは北斉は西魏と戦い、陳が強力な国家として登場。支援を受ける形になっています。でも史実とは全く違います。
史実ではドラマの時期の中国はこんなかんじになってます。

6世紀中ごろの東アジア
- 西魏は存在しない。高演・高湛が皇帝の時代には西魏は存在せず、北周になっています。
- 陳とは共闘していない。ドラマラスト、高湛は陳の協力を得て即位しますが。高湛は陳に助けてもらったことはありません。実際の陳は弱小国で高湛の時代までは北斉の方が強かったです。
まとめ:「後宮の涙」と史実の違いを知って楽しむ
ドラマ「後宮の涙」は、歴史上の人物である陸令萱(陸貞)をモデルにした物語ですが、史実とは異なる点が数多く存在します。
ドラマチックな展開やロマンス要素は視聴者を引き込むための脚色です。エンターテイメント作品としての魅力を高めるための工夫と言えます。
史実の陸令萱は頭がよく権力欲の強い女性です。後宮で巧みな処世術を駆使して権力を握り、北斉の政治に深く関わりました。でも彼女の生涯は必ずしもドラマのように華やかでなく、権力闘争の中で多くの敵を作り、最後は悲劇的な結末を迎えます。
ドラマの陸貞は正義感が強く、困難に立ち向かうヒロインとして描かれ、視聴者に共感と感動を与えました。
ドラマと史実の違いを知ることで歴史ドラマをもっと楽しむことができると思います。
歴史は様々な解釈や視点が存在する奥深いものです。
ドラマをきっかけに歴史に興味を持ち、史実を調べてみることで、新たな発見があるかもしれません。
ドラマはドラマと割り切り。歴史は歴史で自分なりの解釈を深めていくことは、あなたにとっても視野を広げる良い機会となるかもしれませんね。
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