ファン・ビンビン主演の中国ドラマ「武則天 The Empress」。中国史上唯一の女帝の生涯を描いた作品。豪華な衣装やドロドロの宮中の陰謀劇が魅力です。
ところがドラマでは武則天が高宗よりもかなり年上に見えて、びっくりした人も多いはず!
史実では武則天は高宗よりたった4歳年上なだけ。でもドラマではその年齢差が強調されていて、まるで武則天が保護者のように高宗を導くような印象を受けますよね。
なぜドラマでは二人の年齢差を大きく描くのでしょうか?
この記事ではドラマで年齢差が大きく見える理由を考察。史実との比較を紹介します。
武則天と高宗とは
武則天:美貌と才知で後宮を駆け上がる
武則天は624年に生まれました。出身は現在の山西省文水県と言われています。幼少期から美貌と才知に恵まれ、特に文学や書道に長けていたと伝えられています。
14歳の若さで唐太宗の後宮に入り、その美貌と才知で周囲を魅了しました。太宗の死後、一度は尼僧となりますが、高宗に見いだされ、再び宮廷に戻ることになります。
武則天の性格は、野心家で強欲、そして非常に聡明であったと言われています。後宮の激しい権力闘争の中で生き残り、最終的には中国史上唯一の女帝となるまで登りつめた彼女の強靭な精神力と政治手腕は、後世に語り継がれています。
高宗:唐の皇帝、武則天の最大の理解者
高宗 李治は628年に生まれました。唐の第3代皇帝になります。父は2代皇帝 太宗。母は長孫皇后です。
しかし母・長孫皇后は高宗が9歳のときに病死しました。
高宗の性格は温和で優柔不断な面があり、政治よりも文学や仏教を好んだと言われています。武則天の才覚と美貌に惹かれ、彼女を深く信頼しました。
高宗の治世は武則天の影響下で大きく動き、唐王朝は安定した繁栄期を迎えます。
しかし晩年には病に倒れ、政治の実権を武則天に委ねることになります。高宗は武則天を信頼していたのでした。
気になる年齢差!二人の出会いから結婚まで
14歳で後宮へ:武則天の若き日の決断
武則天はわずか14歳で唐太宗 李世民の後宮に入ります。当時の社会では、14歳で宮廷に入るのは珍しくありません。
でも一般人だった武則天がわざわざ美人だという理由で太宗から指名されたのは驚きです。武則天の並外れた美しさと才能がどれほど周囲を驚かせたかがわかります。
武則天の母・楊氏の親戚 がすでに太宗の後宮にいたので、そのツテを頼って後宮に入ったとも言われます。
ところが。
実は武則天は太宗からはあまり寵愛を受けなかったのです。
太宗の後宮時代の武則天を詳しく知りたい方はこちら
・武媚娘(武才人:李世民の側室)媚の意味と家系の秘密
高宗との出会い:運命の出会い、それとも政治的な駆け引き?
武則天が14歳で後宮に入ったとき。李治は10歳でした。李治は前年に母・長孫皇后を亡くしていました。
このとき武則天と李治が出会ったかどうかは分かりません。
武則天に興味をもったのは太宗の息子・李治でした。
太宗は晩年に病に倒れ。皇太子 李治が父を看病しました。李治と武則天は頻繁に顔を合わせる機会が増え、親しくなったと言います。
このとき李治21歳。武則天25歳。
太宗の死後、高宗 李治が即位。武則天は一度は寺に入りますが。その後、高宗に呼ばれて再び宮廷に戻りました。
高宗は武則天を寵愛。やがて武則天は皇后になるのでした。
年齢差を超えた愛:二人の絆が深まった理由
高宗は武則天より4歳年下でした。二人の間には年齢差を感じさせないほどの深い関係になりました。二人はなぜこれほど強い絆で結ばれるようになったのでしょうか?
共通の趣味: 高宗は文学を愛し、裕福な家で育った武則天も高い教養を受けて育ちました。共通の趣味を持つことで二人は心を通わせることができたのかもしれません。
互いの信頼: 武則天は高宗の才能を認め彼を支え続けました。高宗もまた武則天の才知と決断力に信頼を寄せていました。
政治的な協力関係: 二人は政治的なパートナーとして互いに協力し合い、唐王朝を安定へと導きました。
二人の関係は、単なる恋愛感情だけではなく政治的な駆け引きや信頼といった複雑な要素が絡み合っていたようです。
年齢差が二人の関係性に与えた影響
高宗の寵愛:武則天への特別な感情
高宗が武則天を深く寵愛した理由はその美貌や才能だけでなく、年齢差が逆に新鮮で魅力的に映ったのかもしれません。
一般的に男性は年上の女性に母性を感じたり、経験や知恵に惹かれたりすることがあります。
特に高宗は9歳で母を亡くしたので愛情に飢えていたのかもしれません。
兄たちが争って共倒れ、皇太子の座が転がり込んできました。若くして皇帝に即位。
周囲は高齢でベテランの重臣ぞろい。彼らは若い高宗を意のままに操り自分たちに都合の良い政治をしようとしています。
多くの重圧を抱えていた中で年上の武則天の安定感や知的な魅力に惹かれたのかもしれません。
また武則天は高宗にとって妻という以上に政治的なパートナーとしての役割も担っていました。
高宗は自身の体調が悪くなったこともあり、武則天を政治に参加させ自身の統治を安定させようとしたと考えられます。
武則天は高宗の信頼を背景に政治の舞台で活躍。最終的には中国史上唯一の女帝となるまで登りつめたのです。
ドラマ「武則天」における二人の関係性の描き方
代表的なドラマ作品「武則天」での描かれ方
ドラマ「武則天」では、武則天と高宗の関係性が非常にドラマチックに描かれています。
特に年齢差は史実以上に強調されています。
実際よりも大きな子役時代の年齢差
雉奴(チヌ:後の高宗)を演じた子役と太宗の才人 武媚娘(武則天)を演じたファン・ビンビンの年齢差は20歳。
見た目の差は史実よりも大きいです。
そのため武媚娘がチヌにとって、まるで保護者のような存在に見えてしまいます。
武媚娘を姉のように慕う李治
アーリフ・リー演じる李治は武媚娘を慕う少年のような印象を与えます。まるで体の大きな少年です。
李治が成長するにつれて年齢差は感じなくなり。愛する女性として武媚娘を皇后にしたいと思うようになります。
李治は武則天に守られ導かれる存在から、一人前の男として国を統治する君主へと成長していく様子が描かれます。
なぜ武則天が大幅に年上になってしまったのか?
史実では4歳しか違わないのに。ドラマで大幅に年上に見えるのは武才人演じるファン・ビンビンの年齢が高いから。
何しろ雉奴役の子役・陳柯帆(2001年生)と武才人演じるファン・ビンビン(1981年生)は20歳の歳の差があります。親子を演じても不思議ではないくらい。
設定では14歳の武才人を撮影当時31歳のファン・ビンビンが演じているのです。
10代の少女をベテラン女優が演じるのは中国ドラマにはよくあることですが、なぜこういうキャスティングが当たり前のように行われているのかはよくわかりません。
でも31歳で14歳を演じるならまだマシな方です。
そのおかげで現実よりも年齢差があるように見えてしまうのです。
史実との比較
ドラマは誇張気味ですが武則天が高宗より4歳年上なのは事実。
歴史上も高宗 李治は心優しい人物でした。幼い頃に母を亡くし愛情に飢えていたでしょうから。マザコン気味なところがあったのかもしれません。
武則天は肖像画やその姿を移していると言われる石窟寺院の仏像の姿から、やや男性的な輪郭の凛々しい顔立ちだったと考えられます。実際の年齢以上に大人びていたかもしれません。
李治は実際の年齢以上に武則天を年上の様に感じ姉のように慕っていたのかもしれませんね。
ドラマは最初は武則天と高宗の年齢差が強調され。二人の関係をよりドラマチックに演出されているのでしょう。
参考文献:
・陳舜臣、”中国の歴史7 隋唐の攻防”、平凡社、1989年発行。
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