徐恵は唐の第2第皇帝 太宗・李世民の妃です。
唐時代の女性詩人としても知られています。
唐で最初の女流詩人といわれます。
中国ドラマ「武則天・The Empress」では 徐慧(じょけい)の名で登場します。
死後、賢妃に追尊されました。
徐賢妃(じょけんひ)と呼ばれます。
史実の徐恵はどんな人物だったのか紹介します。
徐恵(徐賢妃)の史実
どんな人?
地位:才人(正五品)→婕妤(正三品)→充容(正二品)→賢妃(追封)( 正一品 )
生年月日:627年
没年月日:650年
彼女は唐の第2代皇帝・太宗の側室です。
日本では飛鳥時代になります。
家族
母:姜化
夫:李世民(唐 2代皇帝太宗)
兄弟:徐齐聃、徐齊莊 、
妹:徐婕妤
子供:なし
祖先も地位が高い
- 南朝梁: 曽祖父の徐綜は陳の始安太守を務めました。
- 南朝陳: 高祖父の徐文整は梁の慈源侯でした。
祖母は南朝陳の司空を務めた沈国忠武公の娘、江夏黄氏です。 - 唐: 父の徐孝徳は唐の沂果二州刺史を歴任しました。
弟の徐齊聃や甥の徐堅も史書に名を残しており。妹も高宗の婕妤として文才を認められていました。
文才の高い一族
徐氏一族は代々、文学の才能の優れていました。徐恵、徐齊聃、そして妹の3人は漢の班固、班昭、班超に例えられるほどでした。
玄宗は徐齊聃に長城県子の爵位を授けたほどです。
子供の頃から天才だった
生まれて5ヶ月で言葉を喋り。4歳で「論語」「毛詩」を暗記しました。8歳で文章を書いたと言われます。
彼女の書いた文章を見て父親は驚きました。徐恵が天才だという噂は世間に広まります。
太宗皇帝が徐恵の噂を知って呼び出す
やがて徐恵の噂は皇帝・太宗のもとにも届きます。太宗は彼女の評判を聞いて宮廷に召し出して才人(正五品)にしました。
徐恵は宮殿で読書をするのが好きでした。
太宗に気に入られる
宮中に入った徐恵はさらに学問に励み、詩文の才能はますます開花しました。
太宗は徐恵の書いた美しい詩が大変好きでした。太宗が愛した文徳皇后を思い出すようだったといいます。太宗は徐恵を婕妤(正三品)にしました。
さらに彼女の父親を礼部員外郎に昇進させました。
太宗に意見する
太宗の時代は唐は遠征を繰り返し、宮殿の建築も行ったため民衆が兵役や労役に駆り出されて苦しんでいました。
貞観22年4月。太宗が玉華宮に行幸したときに徐恵も同行。上奏文を提出しました。
その上奏文の内容をまとめると次のようになります。
- 過度な軍事遠征の弊害: 東方の遼東、西方の昆丘への遠征で軍隊が疲弊。食糧が不足している現状を指摘。農民の負担が増えて反乱を招く恐れがあると警告しました。
- 宮殿建設の労役: 翠微宮や玉華宮などの建設は一見大規模な工事ではないように思えますが、人材や物資の調達に多大な労力が必要であり民衆に負担をかけていると述べました。
- 贅沢品の弊害: 貴重な宝飾品や豪華な装飾品は、国家を滅亡に導く原因になり人々の心を腐敗させると警告しました。
徐恵の上奏文は当時の唐の様子を的確に捉え、具体的な問題点を指摘していました。太宗は徐恵の意見を採用し、彼女に褒美を与えました。
徐恵の最後
貞観23年(649年)。太宗が崩御。すると徐恵は大変悲しんで憂鬱にさいなまれ病に伏せりました。薬を飲むのを拒否。病状はますます悪くなります。
臨終の際、彼女は周囲の人々に「先帝は私に大変よくしてくださった。早くこの世を去り、魂魄が先帝の陵墓に早く参ることが私の願いです。」と告げました。
さらに七言詩と連珠の詩を書き、その思いを表現しました
永徽元年(650年)。徐恵はわずか24歳でこの世を去りました。
彼女の死を悲しんだ高宗は彼女を賢妃に追封。唐太宗の昭陵の石室に陪葬しました。
詩人としての徐賢妃
徐恵は幼いころから語学力が優れていました。唐時代最初の女流歌人といわれます。宮中での生活の間にいくつもの詩を残しています。
徐賢妃の残した作品
・進太宗
原文:
朝來臨鏡臺,妝罷暫裴回。
千金始一笑,一召詎能來。
太宗との思い出を詩にしたもの。太宗が呼び出したにも関わらず、徐恵が化粧に時間をかけて太宗を焦らしている様子がユーモアを交えて描かれています。
・擬小山篇
徐恵が子供の頃に書いたといわれる詩。この詩がなければ徐恵が太宗と会うこともなかったかもしれません。内容的には女性が男性を想う気持ちをうたったもの。10歳に満たない少女が大人の女性のような詩を作ったら父親はびっくりするでしょう。
・長門怨
漢の武帝の時代、寵愛を失った陳皇后の悲しみを歌ったもの。中国では有名な題材らしく李白など何人もの詩人が同じ題材で詩を作っています。長門は陳皇后の住んでいた宮殿です。
・秋風函谷應詔
宮殿の外の自然の風景を描いた詩。宮中の女性は宮殿で暮らすことの多いので、山や河を題材にするのは珍しいです。太宗が遠征したときの様子をイメージしているともいわれます。
・賦得北方有佳人
北部の女性の美しさを詠った詩
など
ドラマ 武則天の徐慧
武則天 The Empress(原題:媚娘传奇)
2014年、中国 演:張鈞甯 役名:徐慧
劇中では徐慧
「恵」と「慧」の発音はどちらも「ケイ」、中国語では「フェイ」です。
「恵」は「めぐむ、情けをかける」という意味。
「慧」は「かしこい」という意味です。幼いころから語学が堪能で女性詩人としても有名だった徐恵らしいネーミングです。
徐慧は武如意の親友
ドラマでは徐慧の名で登場します。優しくおとなしい性格で主人公・武如意の親友になります。
王羲之の書法が好き。太宗の詩詞を暗唱できるほどの文学好きです。また、囲碁も得意です。
徐才人から始まり、徐婕妤、徐充容、そして最終的には徐賢妃となりました。
韋貴妃と楊淑妃が亡くなると、後宮の実権を握るようになります。
武如意のライバルに
しかしやがて李世民を巡ってライバル関係になり。武如意に嫉妬心を抱くようになります。
武則天とは義姉妹の契りを結びましたが、内面は嫉妬深く次第に陰険で狡猾な性格へと変わっていきました。
李世民への愛情から武則天を妬むようになります。魏王 李泰の挑発もあって武如意への憎しみを募らせ、何度も武如意を陥れようとします。
後宮を統治する手腕は韋妃よりも厳しく冷酷なものとなりました。
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