戦国七雄は、最終的にすべて秦に呑み込まれましたが、その滅亡には「順番」と理由があります。
戦国七雄が秦に滅ぼされた順番は「韓→趙→魏→楚→燕→斉」です。この記事では、韓から斉まで六国が滅びた流れをわかりやすく整理し、地理・国力の背景とあわせて、一度覚えたら忘れにくい語呂合わせまでまとめて解説します。
この記事で分かること
- 戦国七雄が秦に滅ぼされた正しい順番と、それぞれの滅亡年
- 韓が最初に滅んだ理由(国土の条件・立地・消耗)と、秦に狙われやすかった背景
- 趙・魏・楚・燕・斉が滅亡していく統一戦争の流れと、秦が中原を制圧していくプロセス
- 「かんちょう・ぎそ・えんせい」「課長、偽装エセ」で滅亡順を一気に覚える語呂合わせテクニック
戦国七雄が滅びた順番
戦国七雄と呼ばれるのは、韓・趙・魏・楚・燕・斉・秦の七つの国です。
このうち「誰が誰を滅ぼしたのか」という視点で見ると、最終的な勝者は秦で、ほかの六国はすべて秦に征服されて姿を消しました。
まずは、六国が秦に滅ぼされる「順番」だけを一覧で確認しておきます。
戦国七雄の滅亡順(秦に滅ぼされた順番)
| 滅亡順 | 国 | 滅亡年 |
| ① | 韓 | 前230 |
| ② | 趙 | 前228 |
| ③ | 魏 | 前225 |
| ④ | 楚 | 前223 |
| ⑤ | 燕 | 前222 |
| ⑥ | 斉 | 前221 |
このように、「戦国七雄が滅びる順番」を六国だけで見ると、
韓 → 趙 → 魏 → 楚 → 燕 → 斉
という流れになります。
最初に滅んだのが韓、最後に飲み込まれたのが斉です。
図に現すとこうなります。

戦国七雄の滅亡順
こうしてみてみると。秦に近い方から滅亡しています。もっというと秦と国境を接している国で弱い国から順番に滅ぼされている感じですね。
国力では趙や楚に劣る燕や斉が最後まで残っているのは単に遠いからですね。
ここで注意したいのは、秦自身もまた「中国最初の統一王朝としては短命」であり、前221年に六国を統一してから、わずか15年後の前206年には滅亡してしまうという点です。
ただしこの記事では、あくまで「秦が六国を滅ぼしていく過程」に焦点を当てるため、秦自身の滅亡は補足的な情報として触れる程度にとどめます。
韓が最初に滅んだ理由
戦国七雄のなかで最初に秦に滅ぼされたのは韓です(紀元前230年)。
「どうして韓だけこんなに早く?」という疑問は、地理と国力の両面から見ると納得しやすくなります。
それには理由があります。
韓は国土が狭く、山地も多くて耕地が限られていた
同じ中原でも、魏や趙は黄河流域の広い平野を押さえていたのに対し、韓はその間に挟まれた小さな内陸国にすぎません。人口や農業生産力の面で、早い段階から他国に遅れを取っていました。
立地が「通り道」になってしまった
東西交通の要衝・函谷関や、三晋(韓・魏・趙)を結ぶ交通路が韓の領内を通っていたため、秦が中原に進出する際には、どうしても韓を押さえなければなりませんでした。
秦から見れば「攻略しておくと後が楽になる国」が韓であり、逆に韓からすると「真っ先に圧力を受ける国」でもあったわけです。
周辺国との戦いで消耗していた
戦国時代の初期には韓・魏・趙は「三晋」としてともに強国でしたが、やがて魏と趙に押され、さらに秦と魏の戦いに巻き込まれて徐々に国力をすり減らしていきます。
とくに長平の戦い以後、秦が趙を圧倒しはじめると、韓は趙や魏のような「決戦できる余力」すら乏しい状態になってしまいました。
こうした条件が重なった結果、韓は決定的な反撃もできないまま、秦王政(のちの始皇帝)の時代に最初の犠牲となります。
戦国七雄で最初に滅ぶ国になってしまったのは、韓がもともと弱かったこともありますが。立地条件と、秦の矛先を一身に受ける位置にあった。と考えると理解しやすいでしょう。
その後の滅亡も時系列で解説
韓が滅んだあとは、秦が一気に中原を平定していきます。
「戦国七雄 滅びる順番」を、秦の統一戦争の流れに沿って見ておきましょう。
1.趙の滅亡(紀元前228年/222年)
韓の次に狙われたのが趙です。
紀元前228年、秦の名将・王翦らの軍が趙の都・邯鄲を陥落させ、趙王は捕らえられました。
その後も北方の代(だい)に残った趙の残党勢力が抵抗を続けますが、紀元前222年にこれも平定され、趙は完全に滅びます。
長平の戦い(紀元前260年)以降、趙は国力を回復できないまま秦の圧力にさらされ続けました。終盤の戦国では、もはやかつて武霊王の頃に秦へ干渉できたような勢いは残っていなかったのです。
2.魏の滅亡(紀元前225年)
魏は戦国初期には最強クラスの強国でしたが、秦や斉との戦いで徐々に衰退していきました。
統一戦争の終盤、秦は黄河流域の魏を狙い、水攻めで都の大梁(だいりょう)を陥落させます。紀元前225年、魏王は降伏し、魏もまた歴史から姿を消しました。
魏の滅亡によって、秦は黄河中流域の交通路をほぼ独占し、中原の制圧を一気に進めることができるようになります。
3.楚の滅亡(紀元前223年/222年)
楚は南方に広大な領土を持つ大国で、「戦国七雄 最弱」とは真逆のイメージを持たれがちです。実際、国土と人口だけを見れば秦に匹敵する強さでした。
ところが終盤の楚は、内紛や領土の分断もあり、秦の攻撃を受けて持久戦を展開できるだけの統一的な指導力を欠いていました。
紀元前223年、秦の王翦が率いる大軍によって楚の都・寿春が陥落。翌紀元前222年には各地の残党も制圧され、楚は滅亡します。
4.燕の滅亡(紀元前222年)
燕は北方の国で、「戦国七雄 最弱」と語られることも多い国です。秦の統一戦争でも、楚と同じ紀元前222年に滅亡しています。
その少し前には、荊軻(けいか)による秦王暗殺未遂事件が起こっており、追い詰められた燕が「最後の賭け」に出ていたことがわかります。
暗殺が失敗したことで秦との関係は決定的に悪化し、燕は秦軍の北伐に耐える力もなく、王族は遼東方面へ逃れるものの、最終的に追撃されて滅ぼされました。
5.斉の滅亡(紀元前221年)
最後に残ったのが東方の斉です。
斉は終盤になると、あえて秦と全面戦争をせず、距離を置きながら様子見を続けていました。その一方で、他国が秦に滅ぼされていく間に有効な連携策も打てず、結果として「孤立した最後の一国」になってしまいます。
紀元前221年、秦軍が一気に斉へ侵攻すると、斉の宰相・后勝(こうしょう)がまともな抵抗もせず降伏を選び、斉王も捕らえられました。
こうして「韓 → 趙 → 魏 → 楚 → 燕 → 斉」という戦国七雄の滅亡順が出そろい、秦による天下統一が完成します。
戦国七雄の滅亡順の覚え方
戦国七雄が秦に滅ぼされた順番は
の6ステップです。
この覚え方を紹介しましょう。
語呂合わせで覚える
七雄そのものを覚えるための並びは「しんそせいえんちょうぎかん(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)」と紹介されていますが。これは滅亡した順番とは違います。
ここでは「滅亡の順番だけ」をサッと頭に入れられる覚え方を紹介します。
まずは音でまとめる覚え方です。
魏+楚 → ぎそ
燕+斉 → えんせい
この3つをつなげて、
とリズムで覚えてしまいます。
・一番最初の「かんちょう」が「韓 → 趙」
・次の「ぎそ」が「魏 → 楚」
・最後の「えんせい」が「燕 → 斉」
という対応だけ押さえておけば、
韓 → 趙 → 魏 → 楚 → 燕 → 斉
という滅亡順がそのまま出てくる、という仕組みです。
それでも覚えにくい場合は、日本語の文章にしてしまう方法もあります。
↓
「課長、偽装エセ」
と置き換えてしまいましょう。
「課長、偽装エセ」という言葉で覚えておけば、
- 課長 → かんちょう → 韓・趙
- 偽装 → ぎそう → 魏・楚
- エセ → えせ → 燕・斉
という対応で、すぐに本来の順番を思い出せます。
課長が偽装してエセ(偽物)を用意してる感じですね。
韓 → 趙 → 魏 → 楚 → 燕 → 斉
という6国を一つ一つ暗記しようとするより、
「かんちょう|ぎそ|えんせい」
あるいは
「課長、偽装エセ」
とワンフレーズにまとめてしまったほうが、テストやキングダム観賞中にサッと思い出せるのではないでしょうか?
まとめ
ここまでお読みいただきありがとうございます。
戦国七雄が滅んだ順番は「韓 → 趙 → 魏 → 楚 → 燕 → 斉」の順でした。
一番最初に滅んだのは「韓」です。
戦国七雄の滅亡順は一度に丸暗記しようとすると大変ですが、「課長、偽装エセ」と語呂に乗せると身近に感じられますよね。
テスト勉強はもちろん『キングダム』やドラマなどの作品を楽しむときにも、「いまどのあたりの国が滅んだ場面なのか?」と照らし合わせて見ると、物語の見え方が少し変わってくるはずです。
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