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上陽賦 運命の王妃の実話:どこの国?時代背景は?

上陽賦の実話 d ドラマ紹介

中国ドラマ「上陽賦(じょうようぶ)〜運命の王妃〜」は架空王朝を舞台にしたドラマですが。モデルになった王朝や人物がいます。

ドラマ「上陽賦」は小説「帝王業」をアレンジしたもの。

もともと「帝王業」は名前の通り、ある人物が王朝を造るまでの経緯を歴史書に書かれた史実をもとに、キャラクターや国の名前を変更。アレンジした小説でした。

ドラマの背景にある時代がわかると、なぜドラマでこういう演出になっているのかがわかります。

ドラマ「上陽賦」のモデルになった史実をおおまかなストーリーの流れとともに紹介します。

 

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時代背景:上陽賦はいつの時代?

上陽賦 時代背景

上陽賦の舞台になるのは大成という国。

モデルになったのは(しん)。歴史上は東晋ともいいます。

東晋は317年~420年の間に存在した国。

下の図でいうと赤枠で囲った部分。

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中国年表2世紀以降

 

東晋とは

後漢の乱世から三国時代

「上陽賦」大成のモデルになった東晋とはどんな国でしょうか?

時は3世紀の後漢末期にさかのぼります。

地方で起こる反乱と朝廷の権力争いで後漢はメチャクチャになり。皇帝は力を失い諸侯が乱立する戦乱の時代に突入。

やがて

  • 曹氏(曹魏)
  • 孫氏(孫呉)
  • 劉氏(蜀漢)

が天下を分け合う三国時代になります。

それで最終的に中華を統一したのは曹魏でも孫呉でも蜀漢でもなく。

曹魏を乗っ取った司馬氏(西晋)でした。

三国時代は何だったの?と思ってしまいます。

西晋の誕生

曹操(そうそう)に仕えた司馬懿(しばい)は曹操亡き後の曹魏で権力を持ち。

司馬懿(しばい)亡き後、息子の司馬昭(しばしょう)は曹魏から皇帝の座を奪い自ら皇帝に即位。曹魏は滅亡、晋(西晋)が誕生しました。

晋の時代も長くは続かず、怠惰な皇帝の出現や王族の反乱(八王の乱)、晋から独立しようという勢力が各地で挙兵。戦乱の時代になります。

晋の皇帝は反乱軍に殺害され、晋はたった51年で滅亡。

生き延びた皇族の琅邪王 司馬睿(しばえい)が建康(今の南京)で皇帝に即位しました。

でも司馬睿は江南の一部の地域しか支配していません。他の地域では北方から来た異民族や晋から独立した人達が皇帝を勝手に名乗って自分たちの国を作っていました。

司馬睿(しばえい)から続く王朝も晋ですが、統一王朝の晋と区別して東晋といいます。

この東晋上陽賦の舞台になる「大成」のモデルです。

大成のモデル・東晋とはどんな国?

皇帝の力が弱い

東晋の初代皇帝 司馬睿(しばえい)はもともと建康の人ではなく。王氏、謝氏など貴族に支えられて即位しました。

最初から皇帝の力は弱く貴族の力が強い国でした。

貴族の琅邪 王氏と陳郡 謝氏が強い

東普の貴族は

  • 琅邪(琅琊) 王氏(ろうやおうし)
  • 陳郡 謝氏(ちんぐんしゃし)

の2つが圧倒的に強いです。

特に琅琊 王氏は9人の皇后、7人の駙馬(王女の夫)を出し、「王氏と馬氏がともに天下を治める」とまで言われました。

他にも陳郡 袁氏、蘭陵 蕭氏、呉郡 朱氏、呉郡 張氏、呉郡 顧氏、呉郡 陸氏、義興 周氏、呉興 沈氏などの貴族がいます。

その状況は何世代たっても変わりません。

そして9代皇帝 孝武帝 司馬曜(しばよう、在位372-396年)の時代から続く混乱と権力争いをモデルにしたのが「上陽賦」とその原作「帝王業」です。

 

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上陽賦 の実話:モデルになった史実

力のなかった孝武帝 司馬曜

9代皇帝 孝武帝 司馬曜(しばよう)は先の皇帝 簡文帝の側室の子。

庶子なので簡文帝が亡くなったときもなかなか後を継げません。王坦之、王彪之、謝安たち臣下のおかげで即位できました。

史実:孝武帝 司馬曜→ドラマ:皇帝 馬曜

幼い(12歳)司馬曜は謝安の補佐を受けていましたが。謝安の死後に親政を開始。

皇帝 馬陽のモデル 孝武帝 司馬陽

謝安の死後、謝玄ら有力者の死もあって謝氏の力は衰えました。

ドラマでも序盤で謝氏が衰退します。

司馬曜は無能でやる気のない王。会稽王 司馬道子が孝武帝の補佐をしていました。

司馬道子も私利私欲の強い人物で、政治は混乱します。

史実:司馬道子→ドラマ:謇寧王 馬睢

 

孝武帝 司馬曜は側室に殺害される

孝武帝 司馬曜の皇后 王法慧は太原 王氏出身。酒好きで孝武帝も困っていました。
当時、孝武帝が寵愛していたのは張貴人です。

宴会で酒によった勢いで張貴人をからかったところ、張貴人は「自分が廃される」と思い激怒。

張貴人は宦官に命じて寝ている孝武帝 司馬曜を殺害させました。

張貴人は孝武帝が病死したと発表。司馬道子もそれを信じてしまい張貴人はお咎めなし。

史実:王法慧・張貴人→ドラマ:王皇后
史実では皇后 王法慧と張貴人の役割が琅邪王氏出身の皇后に置き換えられています。

孝武帝の死後。あとを継いだのは長男・司馬徳宗(しば とくそう)でした。

 

安帝 司馬徳宗の時代

安帝 司馬徳宗のモデル 馬子隆

安帝 司馬徳宗は精神的な問題があり、自分では政治ができません。そのため伯父の司馬道子やその子の司馬元顯の補佐を受けていました。

史実:司馬徳宗→ドラマ:馬子隆
馬子隆は皇帝の長男で皇太子。ドラマでも愚かな人物として描かれます。

 

司馬道子と司馬元顯は好き勝手に政治を動かし。政治は滅茶苦茶になります。

史実:司馬元顯→ドラマ:馬子律
馬子律は皇子なのに謇寧王の私生児の設定なのはモデルの司馬元顯が司馬道子の息子だったから。

横暴に耐えられなくなった桓玄(かんげん)が反乱を起こして司馬道子・司馬元顯親子を殺害
桓玄は安帝を廃して自ら皇帝を名乗ります。

このころ中級役人の子だった劉裕(りゅうゆう)は軍に入って出世していました。

劉裕は桓玄に不満をもっていたので桓玄を討ち安帝を復位させました。劉裕は鎮軍将軍になります。

ドラマでは:
馬曜の時代の事件として描かれます。まず王藺と王皇后が皇帝を亡き者にしようと画策。それを利用して馬子律が権力を手にしようとしますが失敗。蕭綦らの活躍で鎮圧されます。

 

しかし復位後の安帝は劉裕に権力を握られます。

 

当時、東晋の北に鮮卑人の建てた南燕という国がありました。南燕では皇帝 慕容徳(ぼようとく)の死後、即位したのは甥の慕容超(ぼようちょう)でした。

史実:慕容超→ドラマ:賀蘭拓
ドラマでは忽蘭という遊牧民系の国。慕容超も賀蘭拓も先代国王の甥。
史実の忽蘭はモンゴル系の民族。この時代にはいません。

 

賀蘭拓のモデル慕容超

慕容超は東普との国境付近を略奪。劉裕が軍を率いて撃退し。さらに南燕を攻めてを滅亡させました。

ドラマでは:
馬子澹時代の出来事になってます。さらわれた王藺を助けるために劉裕が忽蘭に行き、賀蘭拓を捕らえます。

 

安帝の弟・司馬徳文(しばとくぶん)は兄と違って頭がよく、劉裕が皇帝の座を狙っているのに気づいて安帝を守ろうとしていました。

しかし司馬徳文のいない間に安帝は劉裕の命令を受けた王韶之(おうしょうし)によって毒殺されます。

ドラマでは:
皇帝 馬子隆は刺客の毒矢で死亡しました。

 

恭帝 司馬徳文の時代→東晋の滅亡

馬子澹のモデル

安帝の死後。司馬徳文は劉裕に担がれ皇帝になります。

史実:司馬徳文→ドラマ:馬子澹

でも強大な軍事力をもつ劉裕には抵抗できず。

420年。司馬徳文は皇帝の座を手放すよう迫られ、劉裕皇帝に即位しました。

103年続いた晋(東晋)が滅亡宋(劉宋)が建国しました。

ドラマでは:
皇帝 馬子隆の死後、馬子澹が皇帝になりました。その馬子澹も皇帝の座を譲るときが来ます。

 

原作「帝王業」ではタイトル通り、蕭綦が皇帝に即位。王儇が皇后になります。

ドラマ「上陽賦」では蕭綦は反乱は鎮圧したものの、皇帝にはなりません。皇帝 馬子澹は世の中が落ち着くと馬静に譲位。新王朝は誕生せず、大成は続きました。

 

史実:劉裕は東晋から皇帝の座を奪い皇帝に即位。劉宋を建国。
原作「帝王業」:蕭綦は大成を見限り皇帝に即位。
ドラマ「上陽賦」:蕭綦は大成皇帝の座を奪わない。反乱鎮圧後は引退。

 

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上陽賦 のラストは史実とは違い簒奪劇はなし

蕭綦のモデル 劉裕

上陽賦」の主人公 蕭綦は「いい人」として描かれているので。史実の劉裕のように無理やり皇帝の座を奪ったりしません。

そこで登場するのが悪役の 王藺(おうりん)と、野心に取り憑かれた宋懐恩(そうかいおん)

王藺はこの時代に力を持っていた琅邪王氏の長。悪役にピッタリです。史実ではこの時期はたまたま琅邪王氏に大物がいなかったのですが。ドラマでは全盛期の琅邪王氏を思わせる存在感をみせます。

宋懐恩は蕭綦の部下でした。でも蕭綦を裏切り王藺に味方してしまいます。

原作「帝王業」だとさらに宋懐恩の存在感が大きくて、宋懐恩が皇帝になろうとします。

劉裕闇の部分を引き継いだのが宋懐恩といえそうですね。

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上陽賦では なぜ王朝交代がないのか?

原作では王儇は途中で亡くなっている

蕭綦は東普を滅ぼし、劉宋を建国した劉裕がモデルです。

原作小説「帝王業」では蕭綦は皇帝になり、王儇との間にできた息子があとを継ぎます。

天下を一緒に取ったばかりなのに王儇を失い、亡き妻を思いながら残された子どもたちを一人前に育てていく切ない蕭綦のエピソードもあります。

でもドラマではバッサリカット

原作で王儇が途中でいなくなるのは劉裕の妻が若くして亡くなっているからです。

帝王業とは言えなくなった

後半は変更された部分が多いです。一番大きいのが蕭綦が皇帝にならないこと。皇帝にならないなら「帝王業」ではありません。

テレビドラマの「上陽賦」でも蕭綦は反乱を鎮圧できるほどの力があるのに、反乱を鎮圧した後は地方で福祉活動をしながら余生をおくりました。国内はなんだかよくわからない形でまとまったようです。

権力に興味はない。

そういう人がカッコいいと思ってるのでしょうか?

でもそれなら完全オリジナルにすればいいのに。

なぜ、わざわざ「帝王業」を原作にしたドラマを作ったのでしょうか?原作の世界観ぶち壊しです。

現実に原作小説では蕭綦は皇帝になっているのですから、何かの理由で変更になったとしか思えません。

このドラマは制作発表から何度か番組タイトルが変わりました。公開されているものだけでも

帝王業」→「帝凰業」→「江山故人」→「上陽賦」といった感じ。

たぶん「帝王業」のときは原作に近い内容だったのでしょう。

チャン・ツィイーの出番を増やせという意見があったかどうかは分かりませんが、王儇が目立つ形にしたのが「帝凰業」でしょう。

江山故人」あたりから様子が怪しくなって、主人公たちは皇帝・皇后にならないストーリーに変えようという意見が強くなったのだと思います。

上陽賦」ではヒロイン中心の話に決定。

ヒロイン中心はいいのですが、原作にあった王朝交代がドラマにないのはなぜ?

 

誰の思惑?

ここから先は私の想像です。

「当局が政権転覆を助長する恐れのあるドラマは許さなかった」

のだと思います。

そんなバカなと思うかもしれません。でも今の習近平政権をみているとそういうこともやりそうだなと思うのです。

文字だけの小説はまだ規制が緩いですが、中国はテレビドラマにも当局の監視があります。

書き出すと長くなるのでやめておきますけれど。中国はそういう国。

ただの思い過ごしならそれでもいいです。

個人的には今の技術とスケールで作った王朝建国者の話も見てみたいものですね。

 

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