『明蘭〜才媛の春〜』最終話のあらすじを紹介します。澄園の激しい戦いから皇太后派反乱の終息、顧家の決着、そして明蘭と顧廷燁が手を取り合う穏やかな日々の始まりまでを一気に紹介。
この記事では、ドラマ最終話「勝負の決着」の内容を押さえつつ、北宋の歴史的背景や皇帝・趙宗全の“理想の皇帝像”についても分かりやすく解説していきます。
※この記事はドラマ『明蘭』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
この記事で分かること
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最終回のあらすじとネタバレ
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宋代における皇太后と皇帝の対立
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北宋で武力クーデターが怒りにくかった理由
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ドラマ『明蘭』が描こうとした皇帝の姿
他のエピソードを見たい方は
明蘭 才媛の春 あらすじ ネタバレ全話一覧紹介をご覧ください。
明蘭あらすじ 最終回
最終話 勝負の決着
反乱鎮圧
都は皇太后とその一派による反乱軍に襲われ、澄園は戦場になります。顧廷燁が戦死したとの報が届いた後も、明蘭は子どもたちと家族を守るため私兵や召集兵をまとめて邸を死守しようとします。
反乱軍の攻撃は激しく、火の手が上がる中、明蘭自身も前線に出て指揮を執り、襲いかかる兵に狙われて命の危機に陥ります。
そのとき、都の外で潜んでいた顧廷燁の軍が信号に応じて出撃し、澄園に突入します。顧廷燁は間一髪で明蘭を救い、二人は戦場で再会します。
宮中では皇帝の仕掛けた策によって皇太后派が追い詰められ、反乱は鎮圧されました。
顧家の決着
反乱鎮圧後、顧家では小秦氏の崩壊が始まります。彼女は頼りにならない顧廷炜を激しく罵り、衝動的に縛らせて枯井戸へ突き落とします。その後一人で顧家祠堂に入り、これまでの恨みを叫ぶように物を壊し、大火の中で狂ったように笑いながら最期を迎えます。向嬷嬷に呼ばれた顧廷燁は廷炜を井戸から救い出しますが、小秦氏は炎の中でした。
皇帝の誓いと皇太后との和解
一方、皇帝・趙宗全は実った麦を手にし、天下がようやく落ち着いたことを噛みしめます。顧廷燁と明蘭に麦を与え、民を飢えさせない治世を誓います。太后も永児をあやしながら新麦を受け取り、若い皇帝に従う道を選びます。
夫婦の新しい生活の始まり
斉衡は申氏こそ自分の「別の天地」と悟り、二人で新たな夫婦の道へ。
盛家では明蘭が実母の件の真相を知っていたことを明かし、一家は祠堂を立て直しながらにぎやかに再出発します。
小桃は身ごもり、明蘭と顧廷燁はそんな家族を見守りつつ手を取り合い、「一生守る」という約束を胸に静かな日常へ踏み出します。
解説:宋代に皇太后vs皇帝の武力衝突はない
ドラマでは皇太后と皇帝が対立し、皇太后側が挙兵しました。
歴史上は皇太后が軍を動かして皇帝と戦うケースは宋代にはありません。
皇帝と皇太后の対立はありましたが、ぶつかり合ったのは武力ではなく政策や人事です。
宋代の基本パターン:摂政皇太后と若い皇帝
宋代では皇帝が幼いときに 皇太后が摂政として政務を握る ことがよくありました。
代表的な例として
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真宗の皇后で仁宗時代の劉太后
- 仁宗の皇后で英宗・神宗時代の曹太后
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英宗の皇后で神宗時代の高太后
などがいます。彼女たちは詔書を自分の裁量で出したり、人事を決めたりと強い権限を持ちました。でも、ここで起きているのは
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どの官僚を重用するか
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どんな政策を採るか
という 「政務や人事についての意見の違い」 であって、皇太后が軍を動かして皇帝軍と戦ったわけではありません。
神宗と高太后の対立も政治や人事の争い
『明蘭』ラストの皇帝と皇太后の対立に近いのが、改革派の神宗と保守派の高太后 の関係です。
神宗は王安石の新法で改革を進め、高太后は司馬光ら旧法派を重用してこれをひっくり返しました。ここでも激しい対立はありますが、
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高太后が軍を出して神宗(あるいは後継皇帝)と戦ったという話にはなりません。
詔や人事で形勢を変える。これが宋代らしい権力闘争のスタイルです。
北宋ではなぜ武力クーデターが起きなかった?
ドラマと違い、皇太后はもちろん、軍人もクーデターを起こしませんでした。というのも北宋はクーデターが起きにくいように作られた王朝だったからす。
宋が建国する前。唐の後半から五代十国時代にかけて。戦乱の時代が100年以上続きました。
そんな時代に登場したのが宋の建国者の趙匡胤。彼は自分自身が「軍事クーデターで皇帝になった人」です。彼はもちろん同じことを他人にやられたくありませんでした。そこで、軍事クーデターが起こりにくい国造りを初めました。
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文官を重視し武官の力を抑える(重文抑武)
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将軍一人に大軍や広い地盤を持たせない
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軍の人事や配置をこまめに入れ替える
といった仕組みを徹底しました。
その結果、地方で「税が重い」「官吏がひどい」などの不満から反乱や暴動は起こるものの、「大軍を握った将軍がそのまま首都に攻め込んで都を占領」という規模にはなりませんでした。
さらに宋は、遼・西夏など外敵への対応で手一杯です。
宮廷内部としても首都で内戦をやっている余裕はなく、政変はなるべく“書類とハンコ”の世界で片づける方向に働きました。
現実の政変は「詔と人事」でやる
とはいえ北宋に政変がなかったわけではありません。
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宰相が一気に交代する
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ある派閥がまとめて左遷される
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皇帝の親政開始で皇太后が実権を手放すかどうかでもめる
こうしたことは何度もあります。でも方法が違います。
宋の時代の争いは
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詔書で罷免・任命する
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人事で相手の味方を少しずつ外す
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上奏文の応酬で「どちらが正しいか」を争う
といった文官らしいやり方です。「皇太后軍 vs 皇帝軍」という武力正面衝突にはなりませんでした。
ドラマ『明蘭』との違い:争いは盛られている
『明蘭〜才媛の春〜』後半の、
若い皇帝 vs 皇太后+旧勢力
という関係は神宗と高太后など北宋後期の政治状況をかなり意識した作りです。
でもドラマではここを、
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皇太后が軍を動かして反乱
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都全体が戦場になり澄園も攻撃される
という首都レベルの武装クーデターにまで大幅に盛られています。これは史実の北宋というより「視聴者にも一発で分かる最終決戦」としての脚色です。
政治の駆け引きで皇太后派の人材が失脚、皇太后が力を失いました。ではドラマとしては面白くありません。エンタメ作品にするためにはクライマックスには大きな事件が必要です。
その分かりやすい形として首都でのクーデターが選ばれたのでしょう。
まとめると、
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北宋史:地方反乱はあるが、都での争いは政治の対立。
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ドラマ:史実の政治構図をベースにしつつ、クライマックスだけ武力で分かりやすい演出。
と考えると「どこまでが宋っぽくて、どこからが作り話か」がスッキリ見えてきますよ。
最終回の趙宗全は皇帝の理想像
最終回で趙宗全は反乱鎮圧後に麦畑で風に揺れる穂を眺め、ようやく「民を飢えさせない政治」ができると実感。顧廷燁や明蘭に語ります。この姿は
- 民が飢えない国を目指す
- 戦乱を終わらせて生活を安定させる
- 功臣にきちんと報いようとする
といった皇帝ならこうあってほしいという理想を分かりやすい表現に凝縮した場面だと思います。
史実の英宗や神宗も、
- 民生や財政を良くしようとした。
- 重臣や皇太后との対立を克服しようと努力した。
という意味で見ている方向は趙宗全と同じだといえます。神宗の新法はとくに「長い目で見て民と国家を両方救おう」とした試みでした。
でも実際の英宗・神宗の時代は、派閥争い、外交の失策、改革への考え方の行き違い、既得権を持つ者たちの抵抗などが絡んできれいごとでは済みません。ドラマのようにスッキリとは収まりませんでした。
そこをドラマは、麦畑や麦の穂を渡す動作というシンプルな形に縮めて「皇帝の理想」と「顧廷燁の役割」「それを受け止める明蘭」を見せている感じです。
趙宗全は宋の皇帝たちが本当はこうありたかっただろう、という理想像を表現したものだといえます。
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