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顧廷燁のモデルは誰?実在するの?理想化された北宋武将像から紹介

ドラマ『明蘭~才媛の春~』を見ていると、「顧廷燁って実在の人物がモデルなの?」と気になりますよね。

結論から言うと歴史上は「顧廷燁」という名の武将はいません。ただし「燕雲十六州を奪回したい」という台詞や、殿前司副都指揮使・節度使といった官職、勤王の詔を受けて新帝を擁立する役割などは、北宋の政治・軍事と深く結びついた設定です。

「明蘭~才媛の春~」あらすじ Amazonプライム配信画像

明蘭(出典:Amazonプライム)

 

この記事でわかること

  • 顧廷燁に史実モデルが「いない」と言える理由
  • 台詞や官職からわかる「北宋武将像」との関係
  • 継母・異母兄弟・外室との確執に見える明代的な家族制度の影響

を整理し「顧廷燁とはどんな“歴史的イメージ”から作られた人物なのか」をわかりやすく解説していきます。

「明蘭」のあらすじを知りたい方は 明蘭才媛の春 あらすじ【ネタバレあり】をご覧ください。

 

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顧廷燁のモデルは誰?

「明蘭 才媛の春」より顧廷燁

顧廷燁(出典:Amazon)

  • 顧廷燁(こ・ていよう)
  • 演:ウィリアム・フォン

 

ドラマ『明蘭~才媛の春~(知否?知否?応是緑肥紅瘦)』を見ていると、「顧廷燁には史実のモデルがいるのかな?」と気になることもあると思います。

でも、結論から言うと

  • 歴史上に「顧廷燁」という名の武将は存在しません

  • つまり、特定の一人をそのまま写したモデルはいない

その一方で、

  • 「燕雲十六州を奪回したい」という台詞

  • 殿前司副都指揮使・節度使・刺史といった官職

  • 勤王の詔を受けて反乱軍を討ち、新帝を擁立する役割

こうした設定は北宋の現実の政治・軍事とかなり関係が深いです。

そのため、顧廷燁のモデルを一言でまとめるなら、

特定の史実人物ではなく、
北宋の「勤王武将像」をいくつか組み合わせて作られたキャラクター

と考えるのが自然です。

さらに継母・異母兄弟・外室との確執といった家族ドラマ部分には、原作小説がもともと持っている明代的な家族制度のイメージも強く残っています。

以下では、ドラマ側の設定をざっくり押さえたうえで、顧廷燁の史実モデルを「北宋武将像」という視点から整理していきます。

 

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顧廷燁とはどんな人物か

プロフィールと立場

まずは顧廷燁の最低限の設定だけまとめます。

  • 名前:顧廷燁(こていよう)

  • 字:仲懐(ちゅうかい)

  • 作品:『知否?知否?応是緑肥紅瘦(明蘭~才媛の春~)』男主人公

  • 演者:馮紹峰(ウィリアム・フォン)

  • 出自:寧遠侯府二公子(名門侯爵家の次男)

  • 主な官職:虞候 → 都虞候 → 禁軍統領 → 邊防局都指揮使 → 雲麾将軍 → 殿前司副都指揮使 など

  • 舞台となる王朝:北宋をモデルにした世界

よく誤解されますが、顧廷燁は庶子ではありません

  • 母:塩商出身ながら、顧偃開の「継室かつ正妻」

  • そのため、顧廷燁は正妻から生まれた嫡出の二公子

ただし母は早逝しその後は継母・小秦氏が顧家の実権を握ります。異母兄・顧廷煜との対立もあり、屋敷の中では味方が少なく、

身分上は嫡子なのに、実際の立場はかなり不安定

という“ねじれたポジション”に置かれています。

 

性格と役割

ドラマの顧廷燁を簡単に紹介すると

  • 若い頃は秦楼楚館に出入りし、父から「不肖の息子」と叱られる

  • 本質は情に厚く、人を見る目が鋭い

  • 少年時代に盛長柏と義兄弟の契りを交わし、「燕雲十六州を奪回したい」と語り合う

  • やがて家門崩壊・流浪・外室の裏切りなどを経て、軍に入る道を選ぶ

  • 虞候から叩き上げで出世し、国境防衛や反乱鎮圧で功績を立てる

  • 最終的には勤王の詔を受け、新帝擁立の中心人物となる

という流れです。

ドラマの筋を細かく覚えていなくても、「北宋の武将としての役割」が描かれていることさえ分かれば、顧廷燁のモデルを考えるうえでは十分です。

 

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顧廷燁の史実モデルはいるのか?

名前そのものの“元ネタ”は確認できない

北宋を扱う正史や史料を見ても、「顧廷燁」という名の人物は確認できません。

そのため、

  • Aという武将がそのままモデル

  • 「顧廷燁=○○将軍」と1対1対応

といった形で特定の人物を挙げるのは、根拠がありません。

むしろ、

  • 文官優位の中で冷遇されがちな武人

  • 反乱鎮圧や国境防衛で功績を立てる武将

  • 勤王に参加し、新帝擁立に関わる人物

といった北宋武将に共通する“型”を組み合わせたキャラクターだと考えた方がよさそうです。

 

嫡子なのに不安定な背景も「ありそう」な設定

顧廷燁は嫡出の二公子ですが、母の早世と継母の権力のせいで屋敷内で孤立しています。

これは、

  • 名目上は嫡子

  • しかし実際の権力を握るのは継母とその一族

  • 異母兄との派閥争い

という、貴族・豪族の家にありがちな“家の中の政治”そのもの。史実に名前は残っていなくても、こういう立場の二公子は本当にいそうと思わせるリアリティがあります。

 

なぜ顧廷燁が北宋の武将だと分かるのか

顧廷燁のモデルを考えるとき、時代設定が北宋だと分かる手がかりは大きく3つあります。

1.燕雲十六州を奪回したい、という台詞

顧廷燁と盛長柏が少年時代に誓い合う

「いつか燕雲十六州を取り戻したい」

という一言は、完全に北宋のキーワードです。

燕雲十六州は、

  • 五代十国の戦乱の中で失われた要衝地帯

  • 遼(契丹)の支配下にあり、北宋が長年奪回できなかった地域

です。そして宋の歴代皇帝が頭を悩ませ続けた“国防の泣き所”でした。

ここを取り戻したいと語る時点で、顧廷燁が生きている世界はほぼ北宋一択になります。

2.官職名が北宋の軍制と一致している

顧廷燁の肩書として登場する、

  • 殿前司副都指揮使

  • 武康軍節度使

  • 洋州刺史

といった官職はいずれも北宋の軍制・地方統治制度に対応する名前です。

特に「殿前司」は北宋の親衛軍組織であり、明代とは軍の構造自体が違います。

この官職の選び方だけでも、ドラマの軍事パートは北宋史をかなり意識して設計されていることが分かります。

3.勤王と新帝擁立という展開

物語の終盤、顧廷燁は

  • 勤王の詔書を受け取る

  • 反乱軍を破り、皇族の一人を新帝として擁立する

  • 新王朝の“第一の功臣”となる

という役割を担います。

北宋では皇太子問題や外戚・宦官・文官の派閥争いによって政変が起こり、宗室の中から新しい皇帝を立てる局面が何度もありました。

そのたびに、「誰を次の皇帝にするか」をめぐって臣下たちが激しく動き、武将が勤王の軍を率いる構図も登場します。

顧廷燁の役回りは、まさにこうした北宋的な政治パターンのど真ん中にあります。

 

顧廷燁のモデルとして見える「北宋武将像」

ここからは、顧廷燁のモデルとなっているであろう「北宋の武将像」を、いくつかの要素に分けてみます。

文官優位の中で苦労する武人

北宋は、武より文を重んじる「文治主義」の時代でした。
武人はしばしば軽んじられ、疑われ、
出世しても政治の都合で簡単に左遷されることがありました。

顧廷燁も、

  • 戦場で着実に功績を上げる

  • それでも文官や権力者からは警戒される

  • 誣告され、罷官・奪爵・投獄まで味わう

という扱いを受けます。

この「活躍できる場は戦場なのに、政治では常に不利」という構図は、
北宋武将に典型的なパターンです。

反乱鎮圧と国境防衛で功績を立てる武人

顧廷燁の軍歴をざっくり並べると、

  • 虞候として盗賊や反乱の鎮圧に参加

  • 都虞候・禁軍統領として京師防衛や勤王に関わる

  • 邊防局都指揮使・雲麾将軍として国境地帯の防衛に従事

といった流れになります。

いずれも北宋の武将が実際に任されていた任務と近く、
昇進ルートも「現実にありそうな叩き上げ」です。

顧廷燁のモデルは、
こうした国境防衛と内乱鎮圧を担った多くの名もなき武将たち
“寄せ集め”と考えることもできます。

 

勤王の詔を受け、新帝を支える忠義の武人

最終的に顧廷燁は、勤王の詔を受けて出陣し、
新帝即位の立役者となります。

ここで描かれているのは、

皇帝個人ではなく「王朝の正統」と「天下の安定」に忠義を尽くす武人

という、非常にクラシックな中国史の忠臣像です。

顧廷燁のモデルは、具体名こそ挙げられないものの、
こうした忠義の勤王武将たちのイメージを一身に背負った存在だと言えるでしょう。

 

家族ドラマに見える「明代モデル」の影響

顧廷燁のモデルを考えるうえで、もう一つ見逃せないのが家族ドラマ部分です。

  • 継母・小秦氏が家中の実権を握る

  • 異母兄・顧廷煜との家督をめぐる争い

  • 外室・朱曼娘の野心と裏切り

といった要素は、原作小説がもともと明朝をモデルにした架空王朝だった影響です。

ドラマ化の際に、舞台を北宋にしましたが。

  • 政治・軍事パート → 北宋ベース

  • 家族・婚姻・相続パート → 明代的な家族制度のイメージ

という二重構造になり、その両方が顧廷燁のキャラクターの中に同居している、
という形です。

 

明蘭との関係ににじむ「人間らしさ」

顧廷燁のモデルを「北宋武将像」として見るだけだと、どうしても“理想的な英雄像”に寄ってしまいますが、明蘭との関係を見ると、そのイメージは少し変わります。

  • 明蘭が本音を見せず、完璧な妻を演じようとする

  • 顧廷燁は怒ったときだけ見える素顔を見たくて、ついからかってしまう

  • 下獄後は「守ると約束したのに守れなかった」と自分を責め、
    和離まで考えてしまう

こうした不器用さや極端さは、「完ぺきな英雄」というよりは、

責任感が強すぎて、自分も追い詰めてしまう等身大の武人

といった印象に近く、顧廷燁が完璧な人物ではなく人間らしい人物だといえます。

 

よくある疑問への簡単Q&A

Q. 顧廷燁には史実モデルがいるの?

A. 名前や具体的な人物像が一致する史実上の人物は確認できません。
顧廷燁のモデルは、北宋の勤王武将たちに共通する人生パターンや役割を
1人のキャラクターに凝縮したもの、と考えるのが適切です。

 

Q. 顧廷燁は庶子ですか?嫡子ですか?

A. 顧廷燁は庶子ではなく、正妻から生まれた嫡出の二公子です。
ただし母の早世と継母の権力のために、
実際には庶子より弱い立場に追い込まれており、そのギャップがドラマ性を生んでいます。

 

Q. どうして北宋武将のイメージが強いの?

A. 燕雲十六州へのこだわり、殿前司や節度使といった官職、
勤王と新帝擁立への関わりなど、
顧廷燁の置かれた状況が北宋史と密接に重なっているからです。

 

 

まとめ:顧廷燁のモデルは「北宋武将像+明代家族ドラマ」

最後にもう一度、ポイントを整理します。

  • 顧廷燁という人物は史実には登場しない

  • しかし、志・官職・役割の多くは北宋の勤王武将像と重なる

  • 家族ドラマ部分には、原作小説由来の明代的な家族制度のイメージが強い

  • つまり、

    • 政治・軍事:北宋武将モデル

    • 家族・婚姻:明代風家族ドラマ
      を組み合わせた複合キャラクターとして設計されている。

ということなのですね。

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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

著者 自画像

京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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