夏姫は古代中国の春秋戦国時代の人物。
秦の国の太子・安国君の妾です。
息子の異人が荘襄王になり、自らも太后になりました。
孫の嬴政が後の始皇帝です。
史実の夏姫はどんな人物だったのか紹介します。
夏姫の史実
プロフィール
名:不明
通称:夏姫(かき)
称号:夏太后(かたいごう)生年月日:不明
没年月日:紀元前240年
日本では弥生時代になります。
家族
母:不明
夫:孝文王(安国君・孝文王)子供:異人(荘襄王)
おいたち
本名や両親はわかりません。
夏姫は秦の宮中でよばれていた名前です。
出身地もわかりません。
中国ドラマ「コウラン伝」では韓の国出身になっていました。でもこれはドラマオリジナルの設定です。
夏姫は高い身分の出身ではなく、後ろ盾になる一族もいなかったのでしょう。
時期はわかりませんが秦の王子・安国君の妾になりました。
紀元前281年。息子の異人(後の荘襄王)を生みました。ところが夏姫は安国君の寵愛を失ってしまいます。息子の異人も安国君から可愛がられなくなりました。
やがて異人は趙の国に人質に出されてしまいます。趙の首都・邯鄲(かんたん)で暮らしました。
紀元前265年。夫の安国君は秦の太子(王位後継者)になりました。
趙で暮らしていた異人は呂不韋という商人と出会い、彼の援助を受けて趙の国でも。
呂不韋の説得で異人が華陽夫人の養子になりました。名前も子楚と変えます。正室の子という地位を手に入れた異人は王位後継者になりました。
夏姫としては我が子が人の養子になるのは寂しい気持ちもあったかもしれません。でも捨て駒のように人質に出されていたのが、次の王の有力候補になったのは嬉しかったかもしれません。
紀元前257年。秦と趙との間に戦争が起こりました。異人は呂不韋の助けを借りて趙を脱出。秦に戻ってきました。
紀元前256年。異人は正式に太子になります。
形の上では太子の母は華陽夫人ですが、夏姫は太子の生母になりました。
息子が秦の国王になる
紀元前250年。安国君が即位しました(孝文王)。ところが孝文王は1年足らずで死去。息子の異人が王になりました。荘襄王の誕生です。
荘襄王の養母・華陽夫人が華陽太后になりました。
荘襄王の生母・夏姫は夏太后になりました。
孫の政(後の始皇帝)が太子です。
しかし息子が王の時代に長くは続きませんでした。
始皇帝の時代
紀元前247年。荘襄王が死去。
孫の政が王(始皇帝)になりました。
紀元前240年。夏太后が死去。杜園東に埋葬されました。
孝文王の陵墓には華陽夫人が埋葬される事になっていました。
夏太后は東に息子の墓、西に夫の墓が見える場所に埋葬されることを希望しました。そしてその地は100年後には1万世帯の街ができると予言しました。
その場所は現在の陝西省西安市長安区南郊にある神禾塬大墓(始皇帝祖母陵)とされています。溝と塀で囲まれた土地は南北550メートル、東西310メートル。墓の大きさは全長約140メートル、南北約110メートルあります。大きな陵墓です。
夏姫がどのような生活を送っていたのかはわかりません。でも当時の王族としては大きな陵墓が造られています。王の祖母としてそれなりに尊敬を集めていたのかもしれません。始皇帝は母の趙姫とはあまり仲が良くなかったようですが、祖母の夏太后とは仲が良かったのかもしれませんね。
まとめ
夏姫は秦の始皇帝の祖母。素性やその生涯はわからない部分が多いです。秦の王子・安国君の妾になったものの寵愛は続かず、生まれた息子・異人も趙への人質にされてしまいました。
異人が帰ってきたと思ったら華陽夫人の養子になってしまいます。息子が王位後継者になったのを喜ぶべきか複雑な心境だったでしょう。
息子・荘襄王が即位。生母の夏姫は華陽夫人とともに太后になりました。でも息子の王位も長くは続きません。孫が秦王になったものの、嬴政時代の記録はほとんどありません。
後世の私たちから見れば夏姫は「始皇帝の祖母」という重要な立場です。でも本人は孤独な生涯を送った女性だったのかもしれません。華やかな宮廷の裏側で彼女はどのような想いを抱いていたのでしょうか。
ドラマの夏姫
コウラン伝 2019年、中国 演:何佳怡
始皇帝 天下統一 2020年、中国 演:師悅玲
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