嬴子傒は古代中国・春秋戦国時代の人物。
秦国の王子です。
ドラマ「始皇帝天下統一」では嬴傒(えいけい)の名前で登場します。
孝文王の庶子でしたが、嫡子のいない孝文王にとっては有力な後継者だったようです。
始皇帝(嬴政)にとっては叔父になります。
史実の嬴子傒はどんな人物だったのか紹介します。
歴史上の記録が少ないのでドラマ「コウラン伝」に登場する嬴子傒はほとんどが作り話になってしまうのは仕方のないところです。
ドラマ「コウラン伝」のネタバレ要素も含まれています。ドラマの嬴子傒の最期を知りたくない人は最後まで読まないでください。
嬴子傒の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:不明
姓 :嬴(えい)
名称:子傒(しけい)
国:秦
地位:秦国公子
父:嬴柱(孝文王)
母:不明
妻:不明
日本では弥生時代になります。
おいたち
父は秦の安国君・嬴柱(後の孝文王)
母親は不明。側室なのは確かです。
安国君の正室は華陽王妃でしたが男子がいませんでした。
子傒の生年もわかりません。
異人の異母兄弟になります。20人いたという異人の兄弟の一人です。
王位後継者候補だった?
安国君には20人を超える王子がいましたが全て側室の子。安国君の次に誰が王になるかは決まっていませんでした。
その王子たちの中では有力な候補だったようです。
もし華陽王妃が嬴異人を養子にしなければ次の王になっていたかもしれません。
でも華陽王妃が異人を養子にしました。それだけでなく、華陽王妃は安国君を説得して嬴異人を後継者に決めました。
華陽王妃が嬴異人を養子にしたのも、そのまま子傒が次の王になってしまえば自分の地位が危うくなると思ったからです。
呂不韋と異人によって将来を狂わされた形になります。
孝文王の時代
紀元前250年。父・嬴柱が秦の国王になりました。
太子(次期国王候補)になったのは嬴異人(子楚)でした。
それでも父が王の時代には嬴子傒はかなりの力をもっていました。父・孝文王を助ける重要な王族のひとりだったようです。
その後、嬴子傒がどうなったのかはわかりません。
孝文王の死後、嬴異人(子楚)が秦の国王に即位しました(荘襄王)。
荘襄王は昭襄王・孝文王時代の臣下をそのまま引き継ぎました。王族を優遇する措置をとったので反発は少なかったのでしょう。
でも嬴子傒は王位後継者と思われていましたから王位を奪われて大人しくしているとは思えません。
ドラマのように呂不韋によって消されてしまったのかもしれません。
ドラマ作品中の子傒
コウラン伝
2019、中国
役名:嬴子傒 演:王雨
ドラマの嬴子傒は父・安国君に趙を攻撃するように進言したり秦の中心的な王族として登場します。
秦国の重臣の娘・范雅に返送した趙雅と結婚。
趙雅が本物の范雅を殺してすり替わっていることを知りますが。王になるため趙の助けが必要なので趙雅を妻として迎えます。
王になった子楚が許せず、なんとか子楚から王位を奪おうとします。李皓鑭とその子の嬴政の廃位を要求したり、呂不韋の失脚を狙います。
最後は呂不韋の部下・司徒 缺に刺されて命を落とします。しかし死に際に呂不韋に王族殺しの罪をかぶせるため、司徒 缺の剣を深く自分に突き刺しました。呂不韋に罪が及ぶのを恐れた司徒 缺は自害します。
始皇帝天下統一
2020年、中国 演:周鐵 役名:嬴傒
嬴傒の名で登場。こちらも嬴傒も嬴異人を警戒。嬴異人や嬴政の妨害をします。
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