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度華年の時代背景|六朝の見た目と唐の制度が合体した理想王朝「大夏」

『度華年』に登場する大夏王朝はどんな国?その時代背景とモデルを紹介します。大夏の原型は魏晋南北朝時代、特に南朝の文化にあります。

この記事では、六朝文化が育んだ美学や貴族社会、作品に描かれる政治制度・思想的モチーフを通して『度華年』が描く理想の古代中国像を紹介します。

この記事で分かること

  • 『度華年』の大夏王朝が南朝をモデルにしている理由
  • 六朝文化(江南の美・貴族文化・仏教思想)の特徴
  • 世家と寒門の社会構造、および科挙制度の導入背景
  • 王朝名「大夏」に込められた文明的象徴と意味
▶ 先にドラマを知りたい方はこちら:
『度華年』あらすじ・ネタバレ|見どころと感想
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【度華年】大夏のモデルは魏晋南北朝時代

度華年の大夏王朝のモデルとなっているのは、衣装や建物の作り、社会の仕組みなどから考えると魏晋南北朝時代。とくに南朝側の国を強く意識しているようです。

貴族文化が栄えた南朝時代

南朝は南北朝時代に江南を中心に栄えた宋、斉、梁、陳が存在した時代。宋が建国した420年から隋が統一した589年まで続きました。

中国史年表 春秋戦国から現代まで

中国史年表

 

戦乱の多かった北朝側と違い、南朝側は比較的戦乱が少なく。漢~晋を経て受け継がれた漢人文化が栄えました。この時代に栄えた文化を六朝文化と呼ばれます。

六朝の美学 ― 静中に華あり

六朝文化は儒教の権威が揺らぎ、自由な精神が重んじられ。老荘思想や仏教が流行。美術や建築に影響を与えました。文学・書・絵画・音楽・服飾なども洗練され、貴族的で優雅な宮廷文化が栄えたといいます。

この後に隋唐の文化が栄えますが、それらは北朝や西域の文化と融合したものなので。漢人文化としては六朝がひとつのピークと言えます。

度華年の美術も南朝がモデル

『度華年』の美術は南朝梁を中心とする江南文化をモデルにしています。番組制作者のコメントによると以下の資料が参考になっているようです。

  • 李蓉の冠冕:法海寺壁画(梁武帝像)を参考
  • 裴文宣の装束:東晋墓出土衣装をモデル
  • 秦真真の衣:南朝花紋レンガ文様を引用
  • 扇と刺繍:蘇繍技法で制作、牡丹紋と魏晋意匠を融合

色調は淡桃・水青・金縁など六朝梁の宮廷で流行した静謐な彩り。きらびやかさよりも「静けさと品位」を大切にした江南美術を再現しているといいます。

出典:Baido百科:度华年

建築と空間:江南の理想郷としての「大夏」

美術設計も六朝の文化人が理想とした“桃花源”的な世界感を演出しています。木・絹・石など自然素材を用い、光と水、星辰などのモチーフを象徴的に配置しています。

  • 公主府の寝殿に星空と瀑布を描く
  • 世家邸宅は上品で気品のあるデザイン、寒門の家は自然で素朴さを演出。
  • 灯火や扇の動きで人物の感情を象徴。

私達日本人にとって中国のデザインといえば明清風のいわゆる中華なデザインを連想しますが。中国人にとって理想の中国文化のモデルのひとつは六朝。そのため架空王朝劇では六朝風のデザインがよく使われます。

とはいっても現存する資料はごく一部。衣装や建築物を全て再現することはできません。そのため多くは想像、足りないところは和風デザインを流用して古代中国らしさを出すことも行われています。

 

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世家と寒門の争い

貴族政治が続いた六朝時代

南朝では大きな戦乱は少なかったものの、政治的には混乱が続き。皇帝の権力は形式的となり、政治を動かしたのは名門貴族=勢族世家(せいか)とよばれる勢力でした。
その下には、家格が低い寒門(かんもん)よばれる下級役人や地方豪族がいます。

六朝の登用制度だった「九品官人法」は、家柄を基準とする世家優位の仕組みでした。

役人採用時に家柄によって格付けされるため、家柄を飛び越えて高い役職につくことは不可能。世家と寒門の格差が固定されてしまいます。

史実の南北朝時代ではこの格差を埋める手段はなく、貴族政治が続きました。

九品官人制

制度の変化:貴族政治から実力社会へ

隋の時代に科挙が採用され、寒門にも中央の役職につくチャンスが生まれます。

唐の時代には科挙出身の官僚が増え、寒門対世家の対立も行われました。

『度華年』の大夏王朝では、六朝時代にはなかった科挙的制度が導入されています。

史実では唐の時代に存在した科挙出身の寒門対世家の対立が再現されました

  • 李蓉(皇族)=統治権の象徴
  • 蘇家(世家)=貴族
  • 裴文宣(寒門)=非世家の下級士族

この“世家が力を持ち出した唐時代の様子を表現しているのが度華年の世界です。

「寒門」は庶民ではなく下級士族層

中国史の寒門(かんもん)は名門貴族の「世家」に対する呼び方で庶民ではありません。下級の貴族です。でも家格は低くても教養や学問を重んじる家柄もあり。『度華年』の裴文宣もこの寒門出身。金銭的には世家には及びませんが、士人としての地位と誇りを持つ人物です。

 

科挙制度は魏晋南北朝に始まる?

なお『度華年』の資料を探しているときに「科挙制度は魏晋南北朝に始まる」と説明しているサイトを見ました。それは個人のサイトではありません。大手が運用するサイトです。一部の中国資料ではこのような主張があるようです。

でも実際の科挙制度の成立は隋代(文帝期)です。

なぜ中国メディア上でそのような意見があるのかというと。

魏晋期に採用された「九品官人法」には「人物の才と徳を重んじる」という項目があり、それが「人の能力を見て採用する制度の先駆けになった」というのです。でもそれは建前で実際には家柄で決められていました。

拡大解釈を重ねて、ありもしないことを言うのが中国流。そうすることで中国文明は凄い、ずっと続いている。というのを言いたいようですね。

 

長公主 李蓉のイメージ : 武則天的な改革者

長公主 李蓉はドラマではただお姫様としてくらしているだけではなく「制度で国を変えようとする政治家」として描かれます。

彼女が世家を抑え、寒門出身の官僚を登用する様子は作り話ですが。史実の唐の高宗〜武則天期の政治と重なります。

  • 武則天:門閥の影響力を弱め、寒門の科挙官僚を登用して中央集権を確立。
  • 李蓉:世家を抑え、裴文宣のような才能ある士人を登用して秩序を再建。

つまり李蓉は六朝の姫なのですが唐初の改革者のイメージで描かれているのです。女性統治者としての姿、制度を通じて救済を実現しようとする姿勢は「六朝時代に生きる武則天」といえるでしょう。

度華年 長公主のイメージ図

度華年 長公主のイメージ図

 

思想の背景: 儒・仏・道の三教融合と“度華年”の意味

南北朝時代は儒教が弱まり、仏教や道教が流行。仏教が広まり仏教建築物も多く作られました。日本人の知る仏教は南北朝時代に始まったと言えるかもしれません。

とくに仏教の「度世」「輪廻」「無常」などの観念は、文学や芸術に深く影響しました。その考え方の一部は度華年にも影響しています。

「度」=渡る・悟る(仏教語)
「華」=人の世・栄華
「年」=時の流れ

タイトル「度華年」は“栄華の年月を越えて生きる”という仏教的価値観を象徴。
転生と再生の物語はこの仏教や道教的な価値観を現代的に脚色したものと言えるかもしれません。

 

王朝名「大夏」に込められた象徴

度華年の王朝名は「大夏」。架空王朝です。架空王朝劇には「夏」という王朝が出てきます。そこには中国人の夏へのあこがれがあるのです。

文明の原点としての象徴

「大夏」は中国の架空王朝作品でよく使われる名前です。というのも「夏」は『史記』に書かれた古代最初の王朝だから。

ほとんど伝説上の国で、実在したかどうかは不明。

中国政府は夏王朝を特定するプロジェクトを行っていますが、あくまでも国策として歴史を古く見せるための作業。学術的には本当に夏が存在するのかはわかっていません。

「夏」は中国文明の始まりを表すキーワードとして、古代以来“正統の源”とみなされます。

この「夏」がやがて華やかな意味を持つ「華」の字に置き換わり。中原文明を「中華」と呼ぶようになりました。

 つまり “夏”を名乗ることは“中華文明の中心”を象徴することなのです。

政治的・物語的な中立性

あと、中国メディア業界の事情もあります。近年、実在王朝を扱った作品の規制が強まり、史実や実在の王朝を暑かったドラマが映像化しにくくなりました。

そこで実在王朝名を避けつつ、“古くて正しい国家”を印象づけられる方法として「夏」が選ばれるという事情もあるようです。

だから架空王朝ドラマに夏がよく出てくるのです。

 『度華年』における「大夏」の意味

『度華年』の王朝名「大夏」は、まさにこの“文明神話としての夏”を借用しています。

「大」=広大・正統・理想
「夏」=中華文明の原点・再生

『度華年』の「大夏」は、史実の夏王朝ではありませんし。「文明神話としての夏」をモチーフにした理想的な架空王朝です。

それは現代の中国ドラマがよく描く古代の形をした現代人の理想と言えるでしょう。

 

見た目は六朝、中身は唐 ― 「理想の中国王朝」像

『度華年』の大夏王朝は六朝の美しさと唐の制度を融合したいいとこ取り”の理想国家。
中国ドラマではよく「六朝の美 × 唐の秩序や強さ(または宋の知性と秩序)」というパターンがみられます。

要素 採用時代 理由
衣装・建築・色彩 六朝(南朝梁) 優雅で上品、視覚的に映える
官僚制度・政治理念 科挙・才能登用=安定と秩序
女性統治像 武則天期 主体的な改革者像を描ける
精神・思想 仏教的輪廻+道教的調和 精神的深みを与える

ドラマの「大夏」は六朝の美と唐の合理主義を兼ね備えた“中国人の理想時代”といえるかもしれません。

 

まとめ:六朝の雅 × 唐の秩序が生んだ理想の中国

『度華年』の「大夏王朝」は六朝時代の優雅で美しい文化を持ち、唐の時代以降のしっかりしたルールや理性を先取りした「夢の文明」そのもの。

中国人が頭の中で思い描く「美しくて、しっかりとした制度があり秩序が保たれた理想の中国」といえるかもしれません。

 

観点 六朝的特徴 唐的特徴 『度華年』での融合
美学 江南の優雅・柔らかさ 制度色と秩序美 儀礼と静謐の調和
社会構造 世家政治 科挙官僚制 裴文宣=改革の象徴
思想 仏教的輪廻 国家統一と法治 李蓉=救済と改革の調和
女性像 清雅な姫君 主導的統治者 六朝の姫+武則天の政治力

 

でもそれはただ映像が綺麗なだけではありません。考え方や文化まで形にしようとした作品と言えますね。

次に『度華年』本編のあらすじと見どころを通して、この“理想の王朝”がどのように描かれているのかを見ていきましょう。

『度華年』あらすじ・ネタバレ|見どころと感想を読む

そしてもう一歩踏み込んでタイトルそのもの。
「度華年」という言葉に込められた由来と思想的意味を知ると、作品が描く“時間と再生”のテーマがより鮮明に見えてきます。

度華年 あらすじ・ネタバレ|見どころと感想

 

度華年
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この記事を書いた人

歴史ブロガー・フミヤ

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京都在住。2017年から歴史ブログを運営し、これまでに1500本以上の記事を執筆。50本以上の中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを正史(『二十四史』『資治通鑑』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。

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