◀ 37-39話のあらすじ |
中国ドラマ「灼灼風流(しゃくしゃくふうりゅう) 宮中に咲く愛の華」 最終回のあらすじとネタバレを感想とともに紹介します。
劉衍と劉琛が仕掛けた計略によって柔嘉の陰謀が明るみに出て、沈驚鴻は愛のために命を落とし、柔嘉もまた毒を仰いで最期を迎えることに。乱の鎮圧後、劉衍と慕灼華は結婚。新時代が幕を開けるのでした。
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※この記事はドラマ『灼灼風流』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
オリジナル版を見た感想をもとに書いています。BS版は編集されて話数が変わっている場合があるのでご注意ください。
- 慕灼華(ぼ・しゃくか)/慕琦(ぼ・き)
演:ジン・ティエン - 劉衍(りゅうえん)/議政王
演:ウィリアム・フォン - 劉皎(りゅう きょう)/柔嘉長公主
演:ワン・リークン - 劉琛(りゅうしん)/皇帝
演:ジョウ・イーラン - 沈驚鴻(しんきょうこう)
演:シュー・ハイチャオ
灼灼風流 最終回 ネタバレとあらすじ
要約
劉衍と劉琛が計略で柔嘉を誘い出す
全ての幕引きは、劉衍と劉琛の緻密な計略から始まりました。二人は自らを犠牲に見せかけ、柔嘉公主の野心を露わにするため、死を偽装していたのです。その「策」は中秋節の後に練られ、劉衍は自らの命を賭して柔嘉の暴走を止めようとしました。
沈驚鴻が罪を贖い命を落とす
柔嘉の計画が露見し、すべてが崩れ去る中、沈驚鴻は彼女を庇って剣に倒れます。彼は「自分の血で天下に謝罪する」と言い残し、柔嘉に最後の愛を示しました。しかし柔嘉はその死をも拒絶し、「不離不棄」は嘘だったと罵り、自らの誤りを認めませんでした。
柔嘉が毒を仰ぐ
慕灼華は柔嘉に「民のためを語りながら、結局は自らの権力を求めたのではないか」と問い詰めます。柔嘉は「万人のために百人を犠牲にする」選択を正義と信じつつ玉座に登り毒を飲み息絶えました。
劉衍と慕灼華が再会
実は劉衍の死は演技でした。慕灼華は彼の残した玉佩から真実を察していました。
二人は再会。すべてが終った後に劉琛が主催して劉衍と慕灼華の結婚式が行われました。
そして劉琛は新たな改革として女性が結婚後も官職に就ける制度を公布したのでした。
主要人物の最期と結末
慕灼華
数々の危機を乗り越え、劉衍と再会。結婚。「結婚後も女性も官職に就ける」制度を実現。才能と徳を併せ持つ新時代の官僚の先駆けとなりました。
劉衍
柔嘉の陰謀を暴くため自らの死を偽装。柔嘉の反乱を鎮圧後は慕灼華と結婚。最終的に政治と愛の両立を果たし、慕灼華と共に新体制を築きます。
柔嘉
皇帝の座を目指しましたが、皇位を目前にして理想と執念の間で自滅。玉座に座ったまま毒を仰ぎ、孤独のうちに死亡しました。
沈驚鴻
柔嘉を守るために自ら剣を受けて命を落とします。彼の死は「忠義」と「愛」の限界の象徴といえます。
皇帝 劉琛
ひきつづき皇帝として国を治めます。女性官職制度を布告。治世を安定へと導く“橋渡し”の王となる。
鎮国大公主
柔嘉の骨灰を江南へ運び、静かな隠居生活へ。過去と未来をつなぐ語り手として物語を締めくくります。
最後まで見た感想と考察:歴史解説
女科挙が生んだ理想と破滅・柔嘉の野望は必然だった
『灼灼風流』の面白さは何といっても「女科挙」という大胆な設定です。
女性が官僚として朝廷に仕える社会を描いた時点で、それまでの時代劇の秩序が覆さてしまってます。商人の娘の慕灼華が科挙を通じて仕官できる世界なら、皇族の柔嘉が皇帝を志すのは決しておかしな発想ではありません。
むしろ制度が女性の才能を公的に認めてしまった以上、柔嘉の野望は出てきて当たり前でした。
柔嘉の動機は単なる野心ではなく、恨みや深い孤独が元になっています。彼女は幼いころから親の愛情を知らずに育ちました。だからこそ、愛や信頼といった不確かなものよりも、力と支配という“確実な関係”を信じるようになったのです。権力は裏切らない愛の代替物でした。
一方、慕灼華は「人を信じ、共に働く」道を選びました。柔嘉が孤独を力で埋めようとしたのに対し、慕灼華は協力で生き延びた。
柔嘉の悲劇は愛を権力で置き換えたその瞬間から、すでに決まっていたといえます。
柔嘉と武則天:似てるようで違う「女帝」への道
柔嘉と武則天はどちらも男性中心の秩序の中で頂点を目指した女性です。この二人には共通点があります。
共通点:血筋ではなく能力を活用
どちらも名門貴族層からの支持を得られず、すぐには既存の権力者を味方にできませんでした。そのため彼女たちは寒門出身者や新たに科挙で登用された知識層を採用。自分の政治基盤を築きました。“血筋ではなく才能”を活用した統治を目指しました。
違う所:正当性の有無
でも、彼女たちが最終的にとった手法と立場には決定的な違いがあります。
柔嘉は皇帝の娘として生まれ、血統上の正統性を備えていました。そのため彼女の政治行動は常に「私にも権利がある」「私こそ正統」という強い思いに支えられ、最終的には力で押し切る道を選びます。彼女にとって権力は奪うもの。支配することに意味がありました。
一方、武則天は皇帝の血を引いていません。彼女に皇帝になる正統性はありませんから。地道に地位を築く必要がありました。暴力よりも制度と思想を武器にして密告制度や仏教の教義を巧みに利用して「天命の正当化」を目指します。
また柔嘉は正統性があったので即位を急ぎ、武則天は正統性がないために時間をかけました。
二人の生き方の差は血筋の有無からくる“時間の使い方”と手段の強硬さに出ています。
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