中国ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」をご覧になって独孤曼陀というキャラクターが気になっている方も多いのではないでしょうか?
ドラマでの彼女は強烈な個性で物語を盛り上げていましたね。あの独孤曼陀は、歴史上実在した人物なのでしょうか?
そして唐の初代皇帝である李淵の生母だったのでしょうか?
ドラマは面白いですが、史実ではどうだったのか、疑問に思うこともありますよね。この記事では独孤曼陀と李淵の母について、史実とドラマの違いを分かりやすく解説します。
知られざる歴史の真実に迫ってみましょう。
史実の李淵の母 元貞皇后独孤氏とは
李淵の母は独孤信の第四女だった
歴史上の人物として、唐の初代皇帝である李淵(り えん)のお母さんは、元貞皇后独孤氏(げんていこうごう どっこし)という方です。彼女は、中国の南北朝時代から隋にかけて活躍した有力な武将、独孤信(どっこ しん)の娘でした。
そして、史実の記録によれば、元貞皇后独孤氏は独孤信の第四女にあたるとされています1)。
元貞皇后独孤氏が嫁いだ相手は唐国公(とうこくこう)であった李昞(り へい)です。李昞は西魏・北周に仕えた人物で唐の皇室である李家の祖の一人です。
李淵はこの父 李昞と母元貞皇后 独孤氏の間に生まれた子供でした。元貞皇后独孤氏自身は、息子の李淵が皇帝になる前に亡くなっています。
しかし、李淵が618年に唐王朝を建国したときに生んでくれた母に元貞皇后の称号を贈りました。
史実でわかる元貞皇后のわずかな人となり
史料に記されている元貞皇后独孤氏に関する記述は、残念ながら多く残されていません。そのため彼女がどのような人物だったのか、詳しい性格や日々の暮らしぶりを知ることは難しいのが実情です。
わずかに伝わるエピソードとしては息子である李淵の妻、つまりお嫁さんにあたる竇夫人(とうふじん)が、病気になった元貞皇后を非常に熱心に看病し、その優しさや心遣いから元貞皇后に高く評価された2)。
という話があります。
この竇夫人も、後に唐の二代皇帝となる李世民(り せいみん)のお母さんです。
史料が限られているため、私たちが元貞皇后の人物像を具体的に思い描くことは難しいですが、唐という大王朝の基礎を築いた李淵の母という非常に重要な立場にあった人物です。
ドラマ独孤伽羅に登場する独孤曼陀
ドラマ設定では独孤信の二女として描かれた
一方で、中国ドラマ「独孤伽羅〜皇后の願い〜」をご覧になった方の多くが知っている独孤曼陀(どっこ ばんた)は、ドラマの中のキャラクターです。ドラマでは、主人公の独孤伽羅や、その姉である独孤般若とともに、独孤信の娘として登場しました。
ドラマ「独孤伽羅」における独孤曼陀は独孤信の二女という設定で描かれています。ドラマのストーリー上では史実の李淵の父である李昞と結婚し唐の初代皇帝となる李淵の母親である、という設定になっています。
野心家として描かれた独孤曼陀の人物像
ドラマ「独孤伽羅」の中で独孤曼陀は非常に強く印象に残るキャラクターでした。特に姉妹である独孤般若や独孤伽羅に対して強い対抗心を燃やし、皇后の座や権力を手に入れるため様々な野心を抱き時には大胆な行動に出る人物として描かれていましたね。
自分の母が側室だったことから低い地位に引け目を感じ、なりふり構わず権力や金銭に執着する姿はドラマの物語を盛り上げる重要な要素でした。
でもこれはあくまでドラマというフィクションの中で、物語を劇的にするために脚色された人物像なのです。
独孤曼陀と李淵の母 史実とドラマの違い
史実の李淵の母とドラマの独孤曼陀 モデルと脚色
さて、多くの方が最も知りたいであろう疑問「ドラマの独孤曼陀は、史実の李淵の母と同じ人物なのか?」について解説します。
史実における李淵の母である元貞皇后独孤氏(独孤信の第四女)は、中国ドラマ「独孤伽羅」に登場する独孤曼陀のモデルになったと考えられます。
でもドラマの独孤曼陀は独孤信の二女という設定。史実の第四女とは序列が違います。また、ドラマで描かれた人物像や物語上の役割は、ドラマとしての脚色が多く加えられています。
なので、史実の李淵の母とドラマの独孤曼陀は全く同じ人物というわけではなく、ドラマは史実の人物をモデルとしつつも設定や描かれ方が異なっていると理解するのがいいでしょう。
独孤曼陀という名前はドラマでのもの?
もう一つ、気になるのが「独孤曼陀」という名前です。史実の記録、例えば歴史書などを調べても、独孤信の娘の中に「独孤曼陀」という名前が確認できるわけではありません。
そのため「独孤曼陀」という名前はドラマ「独孤伽羅」で設定されたドラマオリジナルの名前です。
でもドラマの独孤曼陀が、史実の独孤信の娘である李昞の妻(第四女)をモデルにしているのは間違いないでしょう。名前は架空でも、モデルになった人物は実在した、ということです。
史実の独孤信にはより多くの娘がいた
ドラマ「独孤伽羅」では、独孤般若、独孤曼陀、独孤伽羅の「独孤三姉妹」を中心に物語が進みましたね。しかし、史実の独孤信には、これよりも多くの娘がいました。記録によると確認されているだけで七人の娘がいたとされています。
独孤信の娘たちは皆、大変優れた家柄の人物に嫁いでいます。
- 長女は、北周の第二代皇帝である明帝の后(明敬皇后)となりました。
- そして、今回主題となっている第四女が、唐の初代皇帝李淵の母である元貞皇后です。
- さらに、七女の一人は、隋の初代皇帝である楊堅(ようけん)の后(文献皇后)となりました。彼女こそが、ドラマの主人公である独孤伽羅その人です。
このように独孤信の娘たちは、北周、隋、唐という、その後の中国の歴史を動かす重要な三つの王朝で、それぞれ皇后(またはそれに準ずる立場)を輩出するという、歴史上でも類を見ない「伝説の一族」だったのです。ドラマで娘の数が絞られているのは、物語を分かりやすくするための演出でしょう。
まとめ
この記事では、中国ドラマ「独孤伽羅」で強い印象を残した独孤曼陀と、史実の唐の初代皇帝・李淵の母である元貞皇后独孤氏について解説しました。
改めてポイントをまとめます。
- 史実の李淵の母は、元貞皇后独孤氏という方で、独孤信の第四女にあたります。
- ドラマ「独孤伽羅」の独孤曼陀は独孤信の二女という設定。李淵の母として描かれています。
- 史実の李淵の母(元貞皇后、独孤信の第四女)は、ドラマの独孤曼陀のモデルと考えられますが、ドラマでは設定や描かれ方が異なっています。 ドラマの設定は脚色です。
- 「独孤曼陀」という名前は史実には見られないドラマ独自のキャラクター名と考えられます。
ドラマはエンターテイメントとして大変魅力的ですが、史実を知ることで、当時の政治状況や人物たちの置かれていた複雑な立場がより深く理解できます。
史実の元貞皇后も、そして独孤信の他の娘たちも激動の時代を生き抜き、歴史に大きな影響を与えた重要な女性たちでした。
この情報が、ユーザー様の中国史への興味をさらに深めるきっかけとなれば嬉しいです。
参考資料:
1) 「周書」巻十六·列傳第八。
2) 「旧唐書」巻五十一·列傳第一。
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