PR

荊軻・始皇帝暗殺まであと一歩まで迫った刺客の最期

春秋戦国時代 8 春秋戦国

荊軻(けい・か)は古代中国・春秋戦国時代の刺客。

衛の国の人です。武術の達人で学問の素養もありました。修行の後、衛の国に支えようとしましたが採用されなかったので諸国を放浪しました

燕国に雇われ、秦王の嬴政(後の始皇帝)を暗殺しようとしました。

あと一歩のところで嬴政の暗殺には失敗しましたが、嬴政を追い詰めた人物として歴史にも名が残りました。

史実の荊軻はどんな人物だったのか紹介します。

 

スポンサーリンク

荊軻(けいか)の史実

プロフィール

姓 :荊(けい)氏
名称:軻(か)

国:衛→燕

生年月日:不明
没年月日: 紀元前227年

日本では弥生時代になります。

家族

父:不明
母:不明

 

荊軻のおいたち

荊軻の生年は正確にはわかっていません。両親は不明。衛の国では「慶卿」と呼ばれていたので身分の高い家に生まれたと言われています。

彼の本名は慶卿(けいけい)、祖先は斉(せい)の名家・慶氏の出身だったようです。

「史記索隠」によると、祖先は斉の名家・慶氏の出身。衛に移り住んだといいます。その後、姓を「慶」から「荊」に変えたといいます。

幼い頃から読書と剣術を愛し、各地を旅しながら学問を深めていました。その才気に惹かれた人々から様々な知識や技術を学び、見聞を広めていったのです。

読書
古代中国で読書といえば私達日本人が考える読書ではなく。哲学や思想書、特に儒教の経典を読んで勉強することです。

 

士官先を求めて放浪

荊軻は旅から戻って衛国に士官しようとしましたが、君主・元君は相手にしてくれません。

そこで衛国に士官するのをやめて、自分の剣術や知識や技術を高く評価して雇ってくれる人を求めてさまよいました。浪人生活を始めたのです。

やくざ者やゴロツキと付き合い、時には喧嘩沙汰にも巻き込まれる生活を送っていました。でも命を落とすような危険な喧嘩は避けました。そのせいで臆病者と笑われることはありましたが、些細なことで命を落としては意味がありません。

傍若無人

荊軻(けい・か)は、筑(琴に似た楽器)の名人・高漸離(こう・ぜんり)とも親しく付き合いました。

荊軻は酒を飲みながら酔っ払って歌いって騒ぎました。時には大声で笑い、時には大泣きする喜怒哀楽の激しい人でした。

この様子から。

傍若無人(ぼうじゃくぶじん)=周囲の人目を気にせず、騒いで勝手なことをすること。

という諺(ことわざ)が誕生しました。

もちろんただ遊んでいるだけではありません。荊軻は様々な人と出会い。やがて田光に侠客として雇われました。

侠客(きょうきゃく)
武術や弁術、策略など得意技を見込まれて雇われる人のことです。

 

スポンサーリンク

荊軻が暗殺を引き受けるまで

荊軻と秦王の因縁

荊軻が暗殺を決意するまでには、秦王・嬴政との複雑な関係が深く関わっています。

荊軻がまだ若かった頃、燕の太子・丹は秦に人質として送られていました。

そのころの丹は後の秦王となる嬴政と親しく過ごしていました。でも嬴政が秦王になると、かつての友情は影を潜め丹を冷遇するようになりました。

屈辱的な扱いを受けた丹は秦王への憎しみを募らせることになります。

紀元前233年。丹は秦にいるのが嫌になって燕に戻ってきました。

樊於期の登場と運命の出会い

紀元前227年。秦の将軍・樊於期が秦王の暗殺を疑われ燕に亡命してきました。丹はかつて樊於期と親しくしていたので彼を匿うことになります。

秦は樊於期の首に高額の賞金をかけ行方を追っていました。樊於期を匿い続ければ、燕は秦の攻撃を受ける可能性が高まります。

重臣たちは危険を避けるために樊於期を追放しようとしました。でも秦王への憎しみがある丹はそれを聞き入れることができませんでした。

刺客・荊軻の登場と決意

そこで丹は暗殺を実行することを決意します。そして武術の達人として名高い荊軻にこの危険な任務を依頼したのでした。

荊軻は当初、この依頼を拒否しました。でも丹の切なる願いと、秦王への怒りを抱いていた荊軻はついに暗殺を引き受ける決意を固めました。

 

スポンサーリンク

秦王暗殺の準備と出発まで

緻密な計画と予期せぬ困難

さて、暗殺を引き受けたものの。暗殺の標的は天下統一を目指す秦王・嬴政。当然、厳重な警護の下に置かれており、簡単には近づけません。そこで荊軻は巧妙な作戦を立てました。

  • 燕の土地を献上する: 秦王を油断させて、近づきやすくする。
  • 樊於期の首を差し出す: 秦王の警戒心を解いて近づける。

この計画は完璧に見えましたが、一つ大きな問題が浮上します。それは樊於期の扱いです。太子丹は荊軻の提案に同意できませんでした。かつて自分を頼ってきた樊於期を、ただ駒として利用することに抵抗を感じたのです。

樊於期の決意と「腐心」の言葉

荊軻は樊於期に直接会い事情を説明しました。秦に追われ家族を皆殺しにされた樊於期は、秦王への復讐心に燃えていました。荊軻の話を聞いた樊於期は自らの命を犠牲にしてでも秦王を暗殺したいと決意。自害したのでした。

このエピソードから、「腐心」という言葉が生まれました。

これは「あることに思い悩むあまり、心が腐りそうになるほど深く考え込むこと」を意味します。

樊於期の秦王への恨みは、まさに「腐心」と言えますね。

出発直前の葛藤と決意

準備が整った荊軻は秦に向かうことになります。ところが出発直前になって、新たな問題が発生。それは同行者を誰にするかです。

荊軻は信頼できる知人を同行者にしようとしますが、間に合いませんでした。仕方なく秦舞陽という人物を同行者として選ぶことになります。

荊軻は秦舞陽をあまり信頼していませんでしたが、出発を急かされているので仕方なく秦に向かう決意を固めます。

出発の日、そして別れ

出発の日。太子丹や、事情を知る者たちは荊軻の無事を願い、白い喪服を着て見送りました。荊軻の親友である高漸離は筑を奏でて別れを惜しみます。

荊軻自身もこの日が最後になることを覚悟し、秦へと向かうのでした。

荊軻は車に乗って出発。

荊軻は後ろを振り返ることはなかったと言います。

 

スポンサーリンク

暗殺実行と最期

秦王との対決と壮絶な最期

荊軻と秦舞陽は、重臣たちが見守る中、秦王・嬴政の前に出ました。ところがその場面で秦舞陽が震え始めます。

それを見ていた秦の臣下が理由を尋ねてきました。

荊軻は「北方の田舎者なので、天子様の前に出て恐れおののいているのです。お許しください」と答えました。

嬴政は「地図を見せよ」と言いました。

荊軻は地図を持って嬴政に近づき、地図を広げました。そして地図を広げ終わると隠してあった短刀を手にして嬴政の袖を掴んで刺そうとしました。

ところが袖が引きちぎれ嬴政に逃げられてしまいます。嬴政は腰の剣を抜こうとしましたが、剣が長すぎてひっかかりうまく抜けません。荊軻は短刀を持って嬴政を刺そうと追いかけましたが、嬴政は柱のまわりを逃げ回りました。

臣下たちも素手で荊軻をとり押さえようとしました。というのも秦王の前では誰も武器を持ってはいけない事になっていたからです。

そして、侍医の夏無且(か むしょ)は薬の袋を荊軻に投げつけました。

荊軻が怯んだところで、臣下たちが嬴政に「剣を背中に」と声をかけました。嬴政は長い剣を背中に回して剣を抜きました。

長い剣と短刀では勝負になりません。荊軻は脚を斬られて歩けなくなりました。荊軻は短刀を投げつけたものの嬴政を外れて柱に刺さりました。嬴政は荊軻に切りつけ八箇所の傷を負わせました。

暗殺が失敗したと悟った荊軻は柱に持たれて床に座り込み笑いながら「失敗したのは、殺さずに脅そうと思ったからだ。そして土地の返還を約束させようと思ったからだ」と言いました。

荊軻は駆けつけた兵士に殺されました。すでに息絶えているのに遺体がバラバラになるまで切られました。

秦舞陽は最初から震えるだけで何もできませんでした。秦舞陽も荊軻と一緒に殺害されました。

歴史に刻まれた「もしも」

荊軻の暗殺計画は失敗に終わり、彼は壮絶な最期を遂げました。もし、荊軻の暗殺が成功していたら歴史は大きく変わっていたかもしれません。

秦の統一が遅れたり、あるいは秦が滅亡する可能性も考えられます。そうなれば中国の歴史は全く違うものになっていたでしょう。

司馬遷の『史記』と歴史の真実

この荊軻の暗殺事件は、司馬遷の『史記』に詳しく記述されています。

まるで見てきたかのように詳しく書いてあります。

著者の司馬遷は「公孫弘や董仲舒から聞いたのだ」と書いてあります。でも脚色は入っているでしょう。とくに司馬遷は侠客が好きな人でしたし、逆に始皇帝は嫌いでした。

そのため史記では荊軻を格好良く、秦王を悪役のように描いている可能性が高いです。

秦の統一と始皇帝の誕生

荊軻の暗殺失敗後。激怒した秦王は紀元前226年に燕を攻撃。最終的には燕を滅ぼします。そして、秦王は中国を統一し、始皇帝を名乗ります。

荊軻の暗殺計画は、結果的に秦の統一を早めることになってしいました。

 

スポンサーリンク

まとめ

荊軻は秦王暗殺を企てた燕の刺客です。

彼は各地を放浪。やがて燕の太子丹の依頼を受け、秦王暗殺計画に参加しました。緻密な計画を立て秦王に接近しますが暗殺は失敗。秦王の怒りを買い、荊軻は命を落としました。

秦王暗殺という壮大な計画は失敗に終わりました。でも荊軻の勇気と決意は後世の人々に語り継がれ、彼は歴史に名を残す侠客となったのです。

 

ドラマの荊軻

麗姫と始皇帝~月下の誓い~ 2017年 演:劉暢(リウ・チャン)

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました