「如懿伝」の第1話。皇子 弘暦は正室に「如意(にょい)」という物を渡していました。これはいったいどういうことでしょうか?
この「如意」というアイテムが、ただの愛の告白ではないことはご存知でしょうか?
そこには「如意」にまつわる深い意味と、清朝独特の習慣がありました。如意の秘密を紹介しましょう。ドラマ「如懿伝」はもっと面白くなりますよ。
「如懿伝」弘暦が正室に如意を贈ったわけ

如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~(字幕版)
「如懿伝」福晋選びの場面
「如懿伝」1話の福晋(正室)を選ぶ運命の日がやってきました。ドラマでは福晋(正室)となるものには、皇子から如意が、格格(ゲゲ:側室)となるのもには香り袋が、それ以外には金が渡されることになっていました。
弘暦は豪華な如意を手に持ち、母が推す富察氏に渡そうとしました。そこに幼馴染の青桜が到着。弘暦の目は青桜に釘付けになり、富察氏に渡しそうになった如意をとりあげ、青桜に渡そうとするのでした。
このシーンはドラマでも印象的な場面ですよね。富察氏は体面丸つぶれで気の毒なくらいです。
福晋選びの演出の意味
でもなぜ重要な場面で「如意」を渡すのでしょうか?そもそも如意って何?と思いますよね。
これは、脚本家がこの作品のために設けた特別な演出です。実際に弘暦がこのようなことをしたわけではありません。
でも清朝で如意が最高に縁起がいい贈り物とされていたは事実です。
その縁起のいいアイテムを青桜に如意を贈ったのは、ロマンチックな演出という意味もありますが、この後の二人の運命を暗示する重要な意味もあるのです。
「如意」は未来が思い通りになるよう願う気持ち
まず「如意(にょい)」という言葉には「思いのままに」「すべてが順調にいく」という意味が込められています。
この言葉はドラマの中で、ヒロインの名前「青桜」から「如懿」へ改名するときの「すべてが思い通りになるように」という願いにも繋がっています。
ロマンチックな愛の始まりを表す演出のはずが
弘暦は如意を贈るときに青桜との未来が幸せなものになるようにと願っていたのでしょう。
ところが、このシーンは如懿の辛い人生の始まりになってしまいました。この後、二人の関係が大きく変わってしまうことを思うと、なんだか切ないような皮肉なように感じられますね。
名前とは正反対、何事も思いのままにならない苦しい人生が待っているのですから。
如意の起源を知れば「如懿伝」がもっと面白くなる
道具としての「如意」はドラマのオリジナルアイテムではありません。中国王朝では昔から使われている道具です。如意はドラマでは美しく飾られていますが、その美しさからは想像もつかないような意外な起源を持っています。
如意は孫の手だった
如意は別名「握君」とも呼ばれます。その起源は古代中国で背中をかくために使われていた「爪仗(そうじょう)」です。
背中とか、手の届かないところをかくために使う孫の手でした。
東周時代にはすでに原型があって唐の時代の文献には秦の始皇帝が使っていたとされる白玉の如意が記録されています。
仏教の神聖な道具として使われた歴史
仏教が中国に伝来するとインドの梵語「阿那律(アナリツ)」が元となり、経文のメモを書き付ける道具として使われるようになりました。
多くの仏像が手に如意を持っているのはこのためです。
装飾品として豪華になった如意

装飾品としての如意
やがて、実用的な機能は失われ玉や翡翠、珊瑚といった貴重な素材をはめ込んだ「三鑲式如意」のような、装飾的な工芸品へと進化していきます。
こうした如意は権威の象徴として使われました。
唐朝ではこうした装飾品としての「如意」が作られました。
如意の多様な種類
如意は形や素材によって様々な種類があります。
- 天官如意: シンプルな直線の柄を持つタイプ。
- 霊芝如意: 先端が霊芝(れいし)の形をした、特に縁起の良いタイプ。
- 三鑲式如意: 玉器、翡翠、珊瑚、象牙といった貴重な宝石を、紫檀や銅の金メッキに象眼した、最高級の如意。
弘暦が青桜に渡した如意は最高級の美しさと価値を兼ね備えたものとして描かれています。
清朝宮廷を揺るがした如意:権力と儀礼の象徴
しかも清朝の宮廷では、如意はただの飾り物ではありませんでした。縁起物で権力と儀礼を象徴する重要なアイテムだったのです。
皇帝と妃嬪の選定に使われた如意
清朝では如意は祝い事の必須アイテムでした。
如意は皇后や妃嬪の選定儀式だけでなく、皇帝の即位や誕生日、皇后の慶事など、重要な行事では臣下たちが競って如意を献上することが慣例でした。如意は忠誠心とお祝いの気持ちを伝える最上級の贈り物だったのです。
皇帝の病気平癒を願って、妃嬪や大臣が如意を献上することもありました。

清朝で作られた如意
権力者の命運を分けた贈り物
乾隆帝に仕え絶大な権力を誇った大臣 和珅(ヘシェン)は、乾隆帝が皇太子を発表する前日に次期皇帝となる永琰(後の嘉慶帝)へいち早く如意を献上しました。
でもこの行いは嘉慶帝が即位後に和珅を処罰するときの第一の罪状とされます。
嘉慶帝は和珅が「たいした働きはしていないくせに自分こそが皇太子を擁立した第一の功労者である」と世間に見せつけようとした」「恩着せがましい態度をとった」と見なしたのです。
でも和珅が失脚した本当の理由は如意を贈ったことではありません。乾隆帝時代の和珅は横暴がひどく賄賂も当たり前。清史上最悪の汚職大臣でした。
嘉慶帝は以前から和珅に不満を持っていましたから、如意を贈ろうが贈るまいが和珅は処分されることになったのですね。
富の象徴として献上された如意
清朝時代、如意はすべての役人が献上できるものではありませんでした。二品以上の高官だけが重要な慶事に三鑲式如意を献上することができたのです。
和珅が嘉慶帝に如意を献上したのも「縁起のいい最高の贈り物」というだけでなく「高官だからできる贈り物」でもあったからです。
西太后への贈り物
後に西太后(慈禧太后)の六十大寿では、なんと1000本以上もの如意が献上されました。大勢の人々が西太后に取り入ろうとしたわけです。
西太后と周囲の者たちの権力と富がどれだけ大きいかがよくわかりますね。
まとめ
ドラマで弘暦が如意を渡したシーンは、ただの愛の告白ではありませんでした。
そこには何千年も続く如意の歴史と、清朝の習慣。清朝宮廷の政治的な駆け引き、そして深い愛情が込められていました。
清朝は他の中国王朝とは違う文化があります。如懿伝ではそういった清朝の文化も表現している場面もあります。
今回の記事を読んで、如意が持つ意味を理解すれば物語の結末をさらに楽しむことができると思いますよ。
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